智子は綾子を切り捨てるつもりなのか。
そうだったら、ヒロエは事務所スタッフを代表して、なにがなんでも智子を説得しないといけなかった。
「AYAは、大きくなった。本当に」
その瞳は、娘を愛する母親のそれだった。
(こんな目をする人が、綾ちゃんを切り捨てるわけが無い。か)
ヒロエは、安心してビールをあおった。
「こんなに大きな木になるなんて、私には想像できなかった」
智子は、レモンサワーを、ひと口呑む。
「私も、たいしたことは無かったわね。10代の女の子一人、支えきることができないなんて」
「智子さんは、じゅうぶんなお仕事をしていると思いますけど」
口に出すまでも無いこと。智子の仕事ぶりは、誰もが認めるところだった。
しかし智子は、首を左右に振る。
「そういうことでは無いのよ」
「それじゃ、いったい……」
質問を重ねようとしたタイミングで、料理が運ばれてきた。
そら豆と、焼いた油揚げだ。
「これ、いけるのよ」
智子は、油揚げに醤油を垂らし、添えられたおろしショウガを乗せて、油揚げをひと切れ、口に運んだ。
そして、箸で油揚げを指してきたので、ヒロエも智子に倣って、油揚げにショウガを乗せて、食べた。
「んまっ!」
両面に、こんがりと焼き目がついた油揚げが、ぱりっとしていて香ばしい。
「いけますね」
「そうでしょう」
シビアな話をしていたはずなのに、笑顔になることができた。おいしいものの力はすごい。
箸を置いた智子は、すぐに真剣な表情になる。
このスイッチの入れ替えの早さである。
「私には、いまの綾子がよりかかってきても、支えるだけの力が無い」
「そうか! 智子さんが言ってるのって、マネージャーやプロデューサーとしての能力とは、別の話なんですね」
「いいわ、話が早くて。貴女を今日の相手に選んで正解だったわね」
と、自分の眼力に満足して、智子は酒を呑んだ。
「綾子は、私と一緒にいすぎた。私は、運営側の人間として、やらないといけないことが増えていく。逆に綾子は、活動者として、やりたいことが増えていく」
「だから智子さんは、わざと綾ちゃんと距離を置くようにした」
ヒロエは納得した。
最近の智子と綾子の仲は、冷えているのでは無い。
智子が綾子と意図的に距離を置いて、事務所スタッフに徹しているから、そう見えるのだ。
どのタイミングかはわからないが、智子は、綾子の理解者であることに限界を感じていた。それで、個人として綾子とかかわるのをやめてしまったのだ。
「もともと、大人と子どもだもの。親友のように接しようとしても、どこかで限界がくるのは、当然のことだったのよ」
「それは、そうかもしれませんけど、わざわざ、自分で自分を傷つけるようなこと、しなくてもいいじゃないですか」
お手拭きで、ジョッキにまとわりついていた水滴を拭いた。
綾子と距離を置くために、智子は、嫌われ者みたいなポジションをこなすことになっている。
綾子もつらいだろうけど、綾子のことを好きな智子も、つらい。
「綾子の理解者は、私以外であるべきなのよ。綾子は、もう、私の手元から離れる時期なんだわ。私と一緒にいたのでは、あの子の才能が、いま以上に伸びることは無い。もし、綾子が、いまの仕事とは別のことがやりたいと言い出したら、私は、快くそれを受け入れるつもりよ」
「智子さん、そこまで……」
そこまで綾子のことを考えているのなら、そのことについて、ヒロエが口を挟めるはずも無かった。
だって、綾子とAYAを、ここまで育て上げたのは、智子なのだから。
その智子が、身を削ってでも綾子を次のステージに押し上げようとしている。そんな覚悟があるなんて、知らなかった。
「智子さんの気持ちは理解できました。それでも、言わせてください」
「どうぞ」
「智子さんは、こうやって、お酒に逃げることができる。でも綾ちゃんは、まだ女子高生ですよ。誰かに甘えたいときや、弱みを見せたいときに、解消する方法が無い」
智子がそばから離れてしまったら、綾子は独りきりだ。
智子が綾子と距離をとったのは、綾子を自由にするためだったかもしれないけれど、自由には、責任と孤独がつきまとう。
智子の配慮は、綾子に孤独を抱えさせることになっている。
「最近の綾ちゃんの反発、独りきりのさみしさを押しつけられたのに怒ってるのも、あると思いますよ」
強い口調でヒロエは言った。
智子は、お店の壁にかけられている絵画に目をやる。
ゆっくりと、視線をヒロエのほうに戻して、
「私は、綾子の可能性を信じている」
そう、はっきりと告げた。
そして押し黙って酒を呑んだ。
「それだけ、ですか?」
「それだけでじゅうぶんじゃない。なにかあったら、責任はぜんぶ私がとればいいのだから」
智子のことだ。責任をとると口にしたからには、本当にそのつもりだろうし、どう責任をとるのかも、すでにシミュレーション済みなのだろう。
ただし、いま、ここでは、その方法を言うことをしない。
(この人たちは、まったくもう……)
智子と綾子は、良く似ている。
直観が優れていて、自分の感じたことを徹底して信じることができるから、判断が早い。その代わり、やっていることが独り善がりみたいに見えるときがある。
こうと決めたら絶対にやり遂げるという意志の強さを持っているから、めちゃくちゃ頑固。
それでいて頭がやわらかく、なんでもこなせる器用さを持っているために、自分一人で解決しようとする不器用さが同居してしまう。
そして、自分への強い信頼は、自分なら、なんでもできると過信してしまう危うさもはらんでいる。
(綾ちゃん、大丈夫かな)
といって、大人のヒロコが、綾子にしてあげられることなんて、なにも無いのだけど。
そうだったら、ヒロエは事務所スタッフを代表して、なにがなんでも智子を説得しないといけなかった。
「AYAは、大きくなった。本当に」
その瞳は、娘を愛する母親のそれだった。
(こんな目をする人が、綾ちゃんを切り捨てるわけが無い。か)
ヒロエは、安心してビールをあおった。
「こんなに大きな木になるなんて、私には想像できなかった」
智子は、レモンサワーを、ひと口呑む。
「私も、たいしたことは無かったわね。10代の女の子一人、支えきることができないなんて」
「智子さんは、じゅうぶんなお仕事をしていると思いますけど」
口に出すまでも無いこと。智子の仕事ぶりは、誰もが認めるところだった。
しかし智子は、首を左右に振る。
「そういうことでは無いのよ」
「それじゃ、いったい……」
質問を重ねようとしたタイミングで、料理が運ばれてきた。
そら豆と、焼いた油揚げだ。
「これ、いけるのよ」
智子は、油揚げに醤油を垂らし、添えられたおろしショウガを乗せて、油揚げをひと切れ、口に運んだ。
そして、箸で油揚げを指してきたので、ヒロエも智子に倣って、油揚げにショウガを乗せて、食べた。
「んまっ!」
両面に、こんがりと焼き目がついた油揚げが、ぱりっとしていて香ばしい。
「いけますね」
「そうでしょう」
シビアな話をしていたはずなのに、笑顔になることができた。おいしいものの力はすごい。
箸を置いた智子は、すぐに真剣な表情になる。
このスイッチの入れ替えの早さである。
「私には、いまの綾子がよりかかってきても、支えるだけの力が無い」
「そうか! 智子さんが言ってるのって、マネージャーやプロデューサーとしての能力とは、別の話なんですね」
「いいわ、話が早くて。貴女を今日の相手に選んで正解だったわね」
と、自分の眼力に満足して、智子は酒を呑んだ。
「綾子は、私と一緒にいすぎた。私は、運営側の人間として、やらないといけないことが増えていく。逆に綾子は、活動者として、やりたいことが増えていく」
「だから智子さんは、わざと綾ちゃんと距離を置くようにした」
ヒロエは納得した。
最近の智子と綾子の仲は、冷えているのでは無い。
智子が綾子と意図的に距離を置いて、事務所スタッフに徹しているから、そう見えるのだ。
どのタイミングかはわからないが、智子は、綾子の理解者であることに限界を感じていた。それで、個人として綾子とかかわるのをやめてしまったのだ。
「もともと、大人と子どもだもの。親友のように接しようとしても、どこかで限界がくるのは、当然のことだったのよ」
「それは、そうかもしれませんけど、わざわざ、自分で自分を傷つけるようなこと、しなくてもいいじゃないですか」
お手拭きで、ジョッキにまとわりついていた水滴を拭いた。
綾子と距離を置くために、智子は、嫌われ者みたいなポジションをこなすことになっている。
綾子もつらいだろうけど、綾子のことを好きな智子も、つらい。
「綾子の理解者は、私以外であるべきなのよ。綾子は、もう、私の手元から離れる時期なんだわ。私と一緒にいたのでは、あの子の才能が、いま以上に伸びることは無い。もし、綾子が、いまの仕事とは別のことがやりたいと言い出したら、私は、快くそれを受け入れるつもりよ」
「智子さん、そこまで……」
そこまで綾子のことを考えているのなら、そのことについて、ヒロエが口を挟めるはずも無かった。
だって、綾子とAYAを、ここまで育て上げたのは、智子なのだから。
その智子が、身を削ってでも綾子を次のステージに押し上げようとしている。そんな覚悟があるなんて、知らなかった。
「智子さんの気持ちは理解できました。それでも、言わせてください」
「どうぞ」
「智子さんは、こうやって、お酒に逃げることができる。でも綾ちゃんは、まだ女子高生ですよ。誰かに甘えたいときや、弱みを見せたいときに、解消する方法が無い」
智子がそばから離れてしまったら、綾子は独りきりだ。
智子が綾子と距離をとったのは、綾子を自由にするためだったかもしれないけれど、自由には、責任と孤独がつきまとう。
智子の配慮は、綾子に孤独を抱えさせることになっている。
「最近の綾ちゃんの反発、独りきりのさみしさを押しつけられたのに怒ってるのも、あると思いますよ」
強い口調でヒロエは言った。
智子は、お店の壁にかけられている絵画に目をやる。
ゆっくりと、視線をヒロエのほうに戻して、
「私は、綾子の可能性を信じている」
そう、はっきりと告げた。
そして押し黙って酒を呑んだ。
「それだけ、ですか?」
「それだけでじゅうぶんじゃない。なにかあったら、責任はぜんぶ私がとればいいのだから」
智子のことだ。責任をとると口にしたからには、本当にそのつもりだろうし、どう責任をとるのかも、すでにシミュレーション済みなのだろう。
ただし、いま、ここでは、その方法を言うことをしない。
(この人たちは、まったくもう……)
智子と綾子は、良く似ている。
直観が優れていて、自分の感じたことを徹底して信じることができるから、判断が早い。その代わり、やっていることが独り善がりみたいに見えるときがある。
こうと決めたら絶対にやり遂げるという意志の強さを持っているから、めちゃくちゃ頑固。
それでいて頭がやわらかく、なんでもこなせる器用さを持っているために、自分一人で解決しようとする不器用さが同居してしまう。
そして、自分への強い信頼は、自分なら、なんでもできると過信してしまう危うさもはらんでいる。
(綾ちゃん、大丈夫かな)
といって、大人のヒロコが、綾子にしてあげられることなんて、なにも無いのだけど。

