「なんか、つかれた……」
マンションの自室にたどり着いた澪は、床に膝をついて、ベッドに上半身をうずめた。
いつもなら、制服のシワを気にして、こんなことはしない。
「あ~……」
布団に顔面を押し付ける。
おひさまのにおいがした。
母が、昼間のうちに布団を干してくれていたからだ。
ベッドに背中をあずけて、両膝を抱えた。
まだ足元がふわふわしている。
たぶん、例えとして的が外れているんだろうけれど、旅行から帰ったあとみたいな感覚だった。
クラスメイトと仲良くランチをする。
勉強を教えてほしいとお願いされる。
そんなこと、澪の人生で初めてだった。だから、経験をさかのぼって的確な例えに変換することができないのだ。
「先生のところにも、一緒に行くことになるなんて」
はぁ、とため息をついて、もたもたと立ち上がる。
やっと、制服から着替えようという気分になってきた。
「行くか。散歩」
散歩だ散歩だ。
こういう気分のときにこそ、散歩なのだ。
澪は、雑にセーラー服を脱ぎ始めた。
でも、生地が破れたりすることを怖がって、乱暴に脱ぎ捨てることはできない澪なのだった。
※
日課の散歩。
いつもの散歩道。
でも今日は、倉持さんたちに付き添って職員室に行っていたぶん、いつもより時間が遅い。
澪が責任をもって倉持さんに勉強を教えることを条件に、補習の参加を回避してほしい、というお願いをするためだった。
当然、担任の先生は、すぐに納得するはずも無く。
その疑いの視線は、倉持さんだけでなく澪たちにも向けられた。
生徒だけで集まって勉強したのでは、和気あいあいとした雰囲気になりすぎて、緊張感がなくなってしまうことがある。
澪の中学時代も、生徒だけで集まって勉強していた子たちはいた。
だけど、監視役がいないから、おしゃべりしただけで終わったり、ゲーム大会が始まってしまったりして、ちゃんと勉強したという事例は、聞いたことが無い。
(いい夕陽だ)
澪はデジカメを構えて撮影をした。
夕陽が、かすかに紫がかっていた。
いつもより時間が遅いから、夜のとばりが下りてきていた。
いつもの、赤々とした元気な夕陽よりも魅惑的で、ちょっぴり大人に見えた。
そのちょっとの違いに、澪の感性が活性化される。
この散歩は、いつもは檻に閉じ込めて守っている、ありのままの如月澪を解放できる時間だった。
如月澪を守りたいから、危険の無い、慣れた散歩道から外れることをしない。
如月澪を解放したいから、毎日、外に出る。
ずっとその繰り返しなんだろうなとあきらめながら、あきらめきることもできなくて……。
(あんな緊張感、味わったことないよ)
職員室での出来事を思い出す。
担任の先生は、ひととおり澪たちの申し出を聞くと、なんと学年主任の先生を呼んで、協議を始めた。
「あんな大事になるなんて……」
遊歩道を歩いていくと、カーブを描いている、緩やかな坂にさしかかる。
この坂を上った先に、海を一望することができる公園がある。
カフェの横を通って、人気の無い路地に入った。
いつもの散歩道からは外れていた。今日は、そうしたかった。
まさか学年主任まで呼ばれるとは思っていなかったので、澪はもちろんだけど、倉持さんたちの緊張もピークに達した。
そして、学年主任は澪に聞いてきた。
―――如月。信用してもいいんだな?―――
ベテラン先生の威圧感と、自信の無さから、澪はなにも言えなかったけれど。
―――もちろんです!―――
倉持さん、赤嶺さん、黄瀬さんが、応えてしまっていた。
「なんで、みんなして、私を過大評価するんだろう」
人気が無いのをいいことに、独りごとのオンパレードだった。
まだこの付近が都市開発されていないころの面影を残す、古ぼけた階段を上って行く。
この道をたどっても、公園にたどり着くことができる。
大きさがバラバラの石を、コンクリートで固めて作った階段には、苔が生えている。
路地中で、陽の光が届きにくいからだ。
苔から、白い花弁の小さな花が生えていた。
(なんて名前の花なのかな)
かわいらしい花を見つけて、反射でカメラを構える。
帰ったら、名前を調べてみようと思った。
階段を上りきって、丘上の公園に到着したのと同時に、夕陽が水平線のかなたに沈みはじめた。
一筋のオレンジの光が、カーペットみたいに海の上に伸びていた。
撮影してから、ベンチに座った。
澪のことを受け入れてくれる友人。
それは、澪が欲してやまないものだったはずだ。
そのはずなのに……。
(変わってる、か……。失望させちゃったら、イヤだなぁ……)
いまあるこの現実よりも、過去のつらい経験のほうが、より濃いリアルとして、澪の脳を支配してしまう。
ありのままの如月澪を、心の奥へ奥へと閉じ込めることを選んでしまう。
それでも。
(星の位置、すこしずつ変わってきたかな)
空が、すこしずつ表情を変えるように、この世界だって、永遠に同じままというわけにはいかないのだ。
マンションの自室にたどり着いた澪は、床に膝をついて、ベッドに上半身をうずめた。
いつもなら、制服のシワを気にして、こんなことはしない。
「あ~……」
布団に顔面を押し付ける。
おひさまのにおいがした。
母が、昼間のうちに布団を干してくれていたからだ。
ベッドに背中をあずけて、両膝を抱えた。
まだ足元がふわふわしている。
たぶん、例えとして的が外れているんだろうけれど、旅行から帰ったあとみたいな感覚だった。
クラスメイトと仲良くランチをする。
勉強を教えてほしいとお願いされる。
そんなこと、澪の人生で初めてだった。だから、経験をさかのぼって的確な例えに変換することができないのだ。
「先生のところにも、一緒に行くことになるなんて」
はぁ、とため息をついて、もたもたと立ち上がる。
やっと、制服から着替えようという気分になってきた。
「行くか。散歩」
散歩だ散歩だ。
こういう気分のときにこそ、散歩なのだ。
澪は、雑にセーラー服を脱ぎ始めた。
でも、生地が破れたりすることを怖がって、乱暴に脱ぎ捨てることはできない澪なのだった。
※
日課の散歩。
いつもの散歩道。
でも今日は、倉持さんたちに付き添って職員室に行っていたぶん、いつもより時間が遅い。
澪が責任をもって倉持さんに勉強を教えることを条件に、補習の参加を回避してほしい、というお願いをするためだった。
当然、担任の先生は、すぐに納得するはずも無く。
その疑いの視線は、倉持さんだけでなく澪たちにも向けられた。
生徒だけで集まって勉強したのでは、和気あいあいとした雰囲気になりすぎて、緊張感がなくなってしまうことがある。
澪の中学時代も、生徒だけで集まって勉強していた子たちはいた。
だけど、監視役がいないから、おしゃべりしただけで終わったり、ゲーム大会が始まってしまったりして、ちゃんと勉強したという事例は、聞いたことが無い。
(いい夕陽だ)
澪はデジカメを構えて撮影をした。
夕陽が、かすかに紫がかっていた。
いつもより時間が遅いから、夜のとばりが下りてきていた。
いつもの、赤々とした元気な夕陽よりも魅惑的で、ちょっぴり大人に見えた。
そのちょっとの違いに、澪の感性が活性化される。
この散歩は、いつもは檻に閉じ込めて守っている、ありのままの如月澪を解放できる時間だった。
如月澪を守りたいから、危険の無い、慣れた散歩道から外れることをしない。
如月澪を解放したいから、毎日、外に出る。
ずっとその繰り返しなんだろうなとあきらめながら、あきらめきることもできなくて……。
(あんな緊張感、味わったことないよ)
職員室での出来事を思い出す。
担任の先生は、ひととおり澪たちの申し出を聞くと、なんと学年主任の先生を呼んで、協議を始めた。
「あんな大事になるなんて……」
遊歩道を歩いていくと、カーブを描いている、緩やかな坂にさしかかる。
この坂を上った先に、海を一望することができる公園がある。
カフェの横を通って、人気の無い路地に入った。
いつもの散歩道からは外れていた。今日は、そうしたかった。
まさか学年主任まで呼ばれるとは思っていなかったので、澪はもちろんだけど、倉持さんたちの緊張もピークに達した。
そして、学年主任は澪に聞いてきた。
―――如月。信用してもいいんだな?―――
ベテラン先生の威圧感と、自信の無さから、澪はなにも言えなかったけれど。
―――もちろんです!―――
倉持さん、赤嶺さん、黄瀬さんが、応えてしまっていた。
「なんで、みんなして、私を過大評価するんだろう」
人気が無いのをいいことに、独りごとのオンパレードだった。
まだこの付近が都市開発されていないころの面影を残す、古ぼけた階段を上って行く。
この道をたどっても、公園にたどり着くことができる。
大きさがバラバラの石を、コンクリートで固めて作った階段には、苔が生えている。
路地中で、陽の光が届きにくいからだ。
苔から、白い花弁の小さな花が生えていた。
(なんて名前の花なのかな)
かわいらしい花を見つけて、反射でカメラを構える。
帰ったら、名前を調べてみようと思った。
階段を上りきって、丘上の公園に到着したのと同時に、夕陽が水平線のかなたに沈みはじめた。
一筋のオレンジの光が、カーペットみたいに海の上に伸びていた。
撮影してから、ベンチに座った。
澪のことを受け入れてくれる友人。
それは、澪が欲してやまないものだったはずだ。
そのはずなのに……。
(変わってる、か……。失望させちゃったら、イヤだなぁ……)
いまあるこの現実よりも、過去のつらい経験のほうが、より濃いリアルとして、澪の脳を支配してしまう。
ありのままの如月澪を、心の奥へ奥へと閉じ込めることを選んでしまう。
それでも。
(星の位置、すこしずつ変わってきたかな)
空が、すこしずつ表情を変えるように、この世界だって、永遠に同じままというわけにはいかないのだ。

