わたしたちは星の歌を紡ぐ

 マンションに戻った澪は、エレベーターに乗り込むと、何度もそれを確認していた。
 皆川綾子(みなかわあやこ)
 初めて、澪のスマホの電話帳に記録された、家族以外の名前だった。
 きっとスマホもびっくりしているに違いない。
 澪自身、まだこれが現実という実感が無い。
 その名前が、たしかにここに存在していることがわかると、頬がゆるんだ。
 いまは一人だけれど、一人でいるような気がしない。なんだか、急にメンタルが強くなったように感じる。
「おおお、お姉っ!」
 自宅のドアを開けると、上下ともに下着の妹が走ってきた。
「澪。そんな恰好でうろうろしちゃだめって、いつになったら……」
「そんなことよりっ!」
「そんなことじゃないでしょ」
 これが外だったら、この露出狂を警察がほっておくはずが無いのに。
「そんなことだよ! お姉、友達に会ってきたって、お母さんが!」
「あー。もう聞いたんだ」
 それでこうして騒いでいるわけか。
 家族っていう少人数のコミュニティでは、隠しごとをするのは難しい。
 湊は、澪が宇宙人に連れ去られたと聞いても、こんなに騒ぎ立てはしないだろう。
 宇宙人がいる可能性よりも、澪に友達がいる可能性のほうが低い。ということが絶対的な事実として、湊の脳にしみついているからだ。
「どんな子なの!?」
「湊、ご近所に迷惑だから、大きな声を出さないで」
 靴を脱いで、下駄箱にしまった。
「ねぇねぇねぇ。どんな子なの? 教えてよ」
 湊は、部屋に逃げようとした澪の腕に、腕を絡みつけてきた。
「どんな子って言われてもなぁ」
 もったいつけているわけじゃなくて、澪は綾子のことを、まだ知らない。大人しそうな子だなという印象くらいしか無い。
「写真とか無いの?」
「写真……」
 澪は、手に持っていたデジカメを、身体の後ろに隠した。
「無いよ」
 綾子と約束をした。
 だから妹でも、あの写真を見せるわけにはいかなかった。
「お姉、いっつもカメラ持ち歩いてるくせに、写真撮ってないの? 一枚も?」
 普段はだらしないくせに、澪のクセとか行動パターンを把握しているから、鋭く矛盾点を突いてくる。これだから、身内相手に隠しごとをするのはむずかしい。
「恥ずかしがり屋なんだよ。写真、撮らないでって言われてるの」
 澪にしては、なかなかできた言いわけだった。
 一度、綾子に写真を撮ることを断られているから出てくることができた言葉だった。
「ふぅん。そうなんだ。じゃあさ、じゃあさ」
「こら湊。あんたまたそんな恰好でうろうろして」
「げっ、お母さんだ」
 しつこく澪に絡んできた湊は、母親に注意されると、部屋に逃げ込んでいった。
(やれやれ……)
 澪と母親に、何度、注意されても、湊はだらしない。湊がだらしないのは自宅限定だから、キツく叱ることをしてこなかったせいだ。
 それに、澪には、男はまだ早いとかなんとか言ってうるさい父親も、湊には甘い。そうして、自由奔放な次女が出来上がっていく。
 澪は、やっと自室に入ることができた。
 一刻も早く、この傑作をパソコンにインストールさせる使命が、澪にはあるのだ。
(そういや、なんで綾子は、急に気持ちが変わったんだろ)
 最初は、ぜったいに画像を消去してほしいって、ゆずらない雰囲気だったのに。
(今度、聞いてみよう)
 慌てることは無い。
 わたしたちは、いつでも連絡を取り合える仲なのだから。
「うわぁ、やっぱりいい出来だ」
 インストールが終わった画像を、デスクトップに表示させた。
 写真を撮る角度、控えめに輝く夕陽、夕暮れどきにベンチでたたずんでいる綾子。すべてのバランスがとれている。まるで絵画の名作みたいな、ほれぼれする一枚。
 迷わずに、デスクトップの画像として設定した。今後は、厳重にパスワード管理をして、澪以外がこのノートパソコンを開けないようにしないといけない。
「そうだ。綾子にも見てもらおう」
 この感性を共有できる仲間がいる。
 それがすごくうれしかった。





                         ※





―――綾子って呼んでください―――
 綾子は澪にお願いした。
 もう、大事な人が呼んでくれなくなった綾子の本名。
 たった一文字、名前に「こ」が付くか付かないかだけで、なにがちがうのって思われるかもしれないけれど、綾子にとっては、0と100くらいちがうのだ。
 綾子は、課題の英訳を終わらせた。英語だって、ひとつの単語を書き洩らしただけで、まるで違う意味になってしまう。
 英訳した文に間違いないか、しっかり読み直した。
 澪から送られてきた画像を見る。迷わずスマホの壁紙に設定した。
「まだ、あんな人がいるのね」
 澪が撮影した画像を見たときには、とてもおどろいた。
 プロが撮影した写真に比べれば、もちろん粗削り。それでも、優れた感性というのは、どこかしら共通しているものだ。
 技術面での細かいところも必要だろうけれど、大事なのは、美しいものを美しいと感じることができる心だ。
 澪には、それがある。
 これは綾子の直観だけれど、自信がある。
「でも澪ちゃん、私の本性を知ったら、幻滅しないかしら」
 AYAでは無いときに演じている、地味で目立たない、大人しい女の子。
 仕事以外のときは、防衛手段としてそういう女の子でいるけれど、内面は、自分は絶対に成功できるという自信家だ。
 自分が正しいと感じたら正しい、違うものは違うとゆずらない意地っ張り。
 これから友達つき合いをしていくうちに、どこかで、そういう自分が出てきてしまうだろう。
「お仕事のことは、どうしようかしら」
 それにプラスして、AYAとして仕事をしていることを打ち明けるべきかどうか、まだ判断がついていない。
 AYAの知名度を考えると、これも友達つき合いをしていくうちに、いつかはバレてしまうに決まっている。
(でも……)
 澪には、綾子として接してほしいし、綾子として接したい。
 AYAでは無い自分を、解放したい。
「考えても、しかた無いっか」
 綾子はノートを閉じた。なるようになるだろう。
 明日の予習は終わった。
 続けて取り出したのは、例の、作詞が進んでいないはずの手帳だった。
「こんなに気持ちが変わるものなのね」
 思いついたフレーズをメモしただけの手帳だったのに、それらのフレーズがつながりはじめた。
 星と星が結ばれて、星座としてひとつの形になるようだった。
 それに、気持ちが前向きになっているおかげで、どんどん単語が湧き出てくる。綾子の身体のどこに、こんなフレーズがあったかというくらいに。
 一人なのに、孤独という気がしない。心強くて安心する。
「澪ちゃん。ありがとうございます」
 つづられた歌詞を指でなぞる。
 これはもう、澪のおかげでできあがっていく歌だ。
 合作と言っていい。一人で孤独に作り上げていくよりも、いとおしいと思うことができる。
 この感謝を、どうにかして澪にお返しができないだろうか。
「そうだわ」
 綾子はスマホにメッセージを打ち込んで、澪に向けて送信していた。
 思いついたときには、即、実行。
 自分が正しいと思ったことに忠実になれて、ぜったいに上手くいくと信じることができる。
 アイドルを職業にするには、そのくらい図太くないとやってられない。