5月21日。
約束当日、まだ日が昇りきらないうちに目を覚ましてしまった。長すぎる前髪をかきあげる。普段より短い睡眠時間のため重いはずの瞼が今日は軽い。
この軽い瞼は紛れもなく榊と遊びに行くのが楽しみである証拠だ。それと、緊張。楽しみと緊張が右往左往する。
いつもは家を出るギリギリに着替える俺は、クローゼットを開けて目を背けていた衝撃的な現実を知ってしまうことになる。
——俺、服全然持ってないじゃん……!
「……何着てこうー……」
ベッドと机、椅子……必要なもの以外は、置いていない部屋。クローゼットには、どれも見分けがつかないグレーのパーカーが何枚もハンガーに吊り下げられている。そのすぐ下には、カラーボックスが1つ。中には、パーカーの数に合わせたジーンズが畳まれて入っている。
俺が焦るのには理由があった。榊の普段着を思い返してみると、おしゃれという言葉がよく似合う男なのだ。何を着ればいいのか唸っているうちに、カーテンの隙間から朝日が差し込んできた。
約束は11時。スマホを開けた。この時、目を覚ましたら日課になっていたゲームのログインもすることなかったのだと気付かされた。
スマホの時計は、まだ6時を示している。
——まだ6時ならなんとかなるはず!
なんとかなると豪語したところで、開いている服屋はなくあれだけ悩んでも、結局いつも通りグレーのパーカーにジーンズを履いただけになった。情けない顔で大学の最寄り駅での待ち合わせ場所に向かう。
「古賀ー!」
しばらくすると明るさを全開にした榊が手を振りこちらに向かってきた。
——手なんて振らなくてもわかるのに……かわいいからいいか。
特に場所を決めていなかった俺らは、適当に歩いてみることにする。
ふと坂の途中にある服屋のショーケースに映る自分と榊の姿を見比べて俺のファッションセンスのなさに落胆した。ショーケースのマネキンの着る服に目を奪われた。
——かっこいい……けど。
自分の服とマネキンを見ては短くため息つく。
「あれ欲しいの?」
「いえ、服とかよく分からないんです……」
欲しくないと言ったら嘘になる。しかし俺には着こなせる自信がないのだ。
マネキンが着ているのは袖などところどころに柄の入ったワイシャツに柄物のフレアパンツを合わせている。ファッションに興味のない俺でもわかる。「絶対初心者向けじゃない」と。とはいえ榊の隣に相応しい服を選んでみたいというのは頭の片隅にはあった。服だけではなく、染めただけで放置して傷み切った髪の毛もなんとかしないといけないというのも当然分かっているつもりだ。
思うだけなら誰でもできるし、変わりたいって自分のことなんだから自分でやらなきゃいけない。頭で理解しても行動に移すことができない。
——惨めだな……。
榊はしばらくショーケースを眺めた後、「ここ入ってみようよ」と、俺の高すぎるハードルを軽々と超えていく。
店内はしっとりとしたBGMが流れシックな雰囲気。榊の着ている服によく似た雰囲気の店だ。よく似ているどころか、この店の常連らしくここのお店で購入していると言う。
——好きな人の好きなものが目に留まるなんて無意識とはいえ、露骨に意識しているみたいだ。
マネキンにもう一度目をやる。
——俺には合わない……よな。
前で手を組み息を殺すように、目だけ動かす。
「何借りてきた猫みたいになってるの?」
「いつもこんなところ入らないので」
正確に言うと入れないのだ。俺の気も知らない榊がマネキンが着ていた服と同じもののハンガーを持ってやってきていた。
好きな服屋だからマネキンの着ていた服を気に入ったのだろうか。榊の買い物するのかと思い、先に俺だけ店を出たいという意思を伝えようとした。
「榊っ……」
「はい。試着していいってよ」
「へ?」
試着という言葉にドキリとする。首を前に出し、確認した。
「今試着って言いました?」
「うん」
「榊先輩のことですよね?」
榊が首を横に振りハッキリとした口調で言う。
「古賀くんだよ」
俺がこの服を試着する? 似合わなすぎて笑われたらどうしよう。いや、榊はそんなことで笑わない。似合わなかったら引かれるか?
「こっ! 心の準備が‼︎」
「試着に心の準備なんていらないでしょ」
苦笑する榊に「こっちは必要なんだよ!」と、反発したくて仕方なかった。
試着室の鏡を見て、俺が俺じゃないみたいな感覚にさせられた。
「どうだった?」と聞かれても、よくわからないとしか答えられないきがする。
「どうだった?」
見事に聞かれ、俺は「やっぱり洋服はわからないです」と答える。
「まぁムズイよな。サイズ感は?」
「いいんだとは思います。ちょっと生地が余る感じはしますけど……」
マネキンが着ていたときもそうだったので、そういう着方をするものなのだろう。けど、俺にとっては少し違和感だった。
――これを新鮮というのだろうか。
「貸して」
店員さんに返してくれるのかとホッとして、「外で待ってます」と告げた。
坂の途中に位置するこの店の前は、多くの人が行き交う。
——いい天気。
深く吸った息は、まるでようやく呼吸のできた魚のようだ。しばらくすると、榊が腕を後ろに組んで顔を出す。
「はい。誕生日おめでと」
「はい⁉︎」
身体の後ろから飛び出てきた手には、先ほどの店のロゴが入った紙袋だ。中を覗くと、先ほど俺が試着したもの全てが入っていた。
「なんで……」
「わざわざ誕生日して遊びに行ってプレゼントもらおうとするなんて、さては策士だな?」
意地悪に口角を上げる榊に慌てて否定する。
「なっ! そんなんじゃ……」
「わかってる。わかってるよ!」
声を上げて笑う榊は、メッセのプロフィールに誕生日が書かれてたの知ってたからと、付言する。
「大事な1日を俺と遊ぶので使っちゃって良かったの?」
——大事な日だからだ。
「……榊先輩と一緒に居たらもっと特別な1日になると思ったんですよ」
手に汗を感じる。身体が熱い。
——これで意識してくれるなんて思ってないけど、あわよくば……なんて。
俺の中の精一杯を伝えた言葉に聞き返される。
「それどういう意味?」
「自分で考えてください」
「……考えたよ。もし間違えてたら俺がしんどい思いする答えになったから聞いた」
「それこそどういう意味ですか……」
本当に意味を理解できないでいると、「自分で考えて」と返される。
自分の放った言葉にカウンターを決められたみたいで、悶々としながら1日を終えた。
*
俺のクローゼットに新たな服が仲間入りしたが、それだけが浮いているようにも感じもう一着くらい買ってもいいかという気になる。
思い立ったが吉日という言葉の通り、俺はもらった服を着る。新しい服というだけで、なんだか自信に繋がっている気持ちになり背筋が伸びる。加えて、榊からの誕生日プレゼントだということを思い返し幸せを噛み締めた。
——それにしても、あのときの榊がしんどくなる答えってなんだ?
心当たりが全くないそれに、俺がいくら思考しても仮説も出てこないのだ。
電車に飛び乗り、店の最寄駅まで来たのにもう戻りたい。伸びたはずの背筋はどこに行ったのやら、怖気付いたのだ。
坂の途中にあるその店までの間、キラキラとした服を纏った人たちに抜かされていく。いつもは早歩きになる道。1人で店に入ることを考えれば考えるほど足に鉛がついているみたいに重い。
坂を下っている途中で横から話しかけられる。
「お兄さん、スタイルいいすっね‼︎」
——誰! 誰⁉︎⁉︎
本当に知らない人に会話を要求され、まともに顔も見ないで振り切るように歩く。
しかし構わず横を着いてくる彼に困惑する。
——何これ⁉︎
「もし時間あれば、その髪の毛イメチェンとかしてみません⁉︎」
ピタリと停止する。
——髪型は変えたい……
それを見計らったように、男は名刺を差し出してきた。
「美容師……」
すぐそこに美容室があるから、カットモデルをしてもらえないかと言われた。モデルという言葉に身構えたが、嫌なら大丈夫だと、さっきまで執拗に追いかけてきたときと打って変わった態度に呆気に取られる。
俺は「やります」と一言口にすると、その美容師は観光地のツアーガイドのようなテンションで美容室へ案内してくれた。
よく知りもしない美容室。白と水色を基調とされた店内は、開店したばかりだという。店内は新築のペンキの香りが鼻を通る。
「お兄さん! どんな髪型がいいとかあります⁉︎」
「あーー……いえ、よくわからなくて」
計画もなく漠然と髪を変えたいとしか思っていなかった。
「めっちゃさっぱりきっちゃいます⁉︎」
「流石に、長めじゃないと……落ち着かなくて……」
「そっすねー、そしたら、目にかかるくらいのセンターパートとかどうすか!」
美容師は、タブレットを慣れた手つきで操作すると、イメージを画像で提示してくれた。
「優光と同じだ……」
「ん? それは嫌な感じすか⁇」
「嫌じゃないですけど、引かれないか心配で」
数多の客と相手する美容師は感が鋭いらしい。
「もしかして好きな人っすか⁇」
今日限りの人に取り繕う必要はないと思っていることに加え、なんだか話しやすくなんでも話してしまう。
「そうですね」
すると、美容師から俺にとって奇想天外な提案をされる。
「おそろにしてびっくりさせません⁉︎」
「え……あ……はい……はい⁉︎⁉︎」
勢いに押されて肯定しながら驚きを隠せないでいる俺の横でどんどん話を進められ、否定することを諦め話を聞く。「じゃあ、その子の髪型どんな感じか詳しくわかります?」と言う美容師に、鏡越しに髪型の名称など知らない俺は身振り手振りで説明をする。
「なるほどー、めっちゃボーイッシュな感じなんすねー」
「ボーイッシュというか、男なんで……」
「え、何それ」
顔が曇り、声のトーンを下げて言われ会話を間違えたと思ったのも束の間、口を大きく開けて笑顔になる。
「完全におそろっちにできるじゃないですか‼︎‼︎」
「え?」
拍子抜けし、目を見開いた。
「後ろ髪の特徴も教えてくださいよーー」
突然ペラペラと饒舌になって話し出す。
「時々、女の子で彼氏とお揃いにするために髪の毛切りに来る人いたんですけど、初めの頃は喜んでくれてたみたいで嬉しそうにしてたんですよ。結局、髪長い方が好きとか言って髪の毛切ったこと後悔してる子とかいますけど、大丈夫すか⁇」
心配をしてくれているらしいがそんな心配無用だ。
「大丈夫ですよ、脈とかないんで」
「わかんないっすよ。俺が手伝えるのなんてこんなことですけど、やっぱ髪型って大事だと思うんで頑張らせてくださいよ」
「お願いします」と覚悟を決めても内心、心臓はバクバクと音を鳴らしている。ハサミが髪に入って音を立てるたびに、「大丈夫かな?」と思ったり「変わるんだ!」と思ったりを行き来している。
目まぐるしく感情が変化し、何もしていない俺が疲弊する。
「シャンプーは別の人に変わりますね!」
横になれたシャンプー台にいる時間だけが多少は休まると思った時だった。
「シャンプー担当します”白瀬”です」
「え? あ、お願いします……」
白瀬珈琲に通う藍弥にとって白瀬という名前を訊いてドキっとする。
瞳が大きく影を落とすほど長いまつ毛の白瀬と名乗る女の人は、肩上より上までしかない髪の毛を細かく巻いてあり、前髪まで細かく巻かれている、まるでお人形さんのようだ。
同じ白瀬でも元気すぎる颯斗とは打って変わって、どこかアンニュイな雰囲気のある。
「お湯熱くないですか?」
「はい、大丈夫です」
静寂な時間が、美容室という場所なのを忘れさせてくれて落ち着き肩の力が抜ける。
自ら話しかけることもない俺は、黙ったまま、ただ時がすぎるのを待った。
ドライヤーまで終えると、自分じゃないみたいなシャンプーの甘い香りが漂う空気に余計落ち着かない。
すると、俺を連れてきた美容師が他のお客さんの対応をしているからと、飲み物を持ってきてくれた。鏡の前にある台に置かれたホットコーヒー。正直、白瀬珈琲以外のコーヒーはブラックで飲めないため、ミルクと砂糖をもらわなかったことをひどく後悔する。話しかける勇気はなかったからだ。それを察したのか、店内の清掃をしていた箒の手を止め、白瀬と言った女の人がこちらに向かってきた。
「やっぱり、砂糖とか入ります?」
「あ、はい。お願いします」
”やっぱり”という言葉に引っかかりを感じてると、程なくして、手のひらサイズのカゴに砂糖とミルクを入れて持ってきてくれた。
手間を増やしたことについ、謝罪する。
「すみません」
「とんでもございませんよ。うちのコーヒーはブラックで飲むから」
「え……?」
たどり着く答えは一つしかない。
「白瀬珈琲の……」
「なんか勝手に知ってるみたいになってしまってすみません。その白瀬です」
ほのかに笑った顔は楓斗にそっくりだ。
「数年前から、いらしていたのは知ってるんです。わたしも少しの間、手伝ってましたから。その後は楓斗から話は聞いてたんです」
「そう、だったんですね。気付かずすみません」
「謝らないでください! いつも楓斗が嬉しそうに話すからわたしまで嬉しいんです」
嬉しそうに話す楓斗が想像でき、思わず笑ってしまう。
「わたしはあまり話していなかったですが、楓斗は藍弥さんをお兄ちゃんみたいに慕っていて少し羨ましいくらいですよ」
「そんな、兄というか楓斗は大学生活に憧れているだけでしょう」
「それを兄みたいに慕ってると言うんじゃないですか?」と、口角を上げて笑われ「難しいですね」と返答した。
共通の知人について会話するというのは、どこかこそばゆい。最後に「楓斗と仲良くしてくださってありがとうございます」と言って業務に戻っていった。
入れ替わるように、担当してくれていた美容師がヘアアイロンとヘアオイルでセットされる。頭の後ろが軽く、涼しいくらい短い。
「どうですか⁉︎ めっちゃイケてません⁉︎」
美容師さんが背後も鏡で見えるようにしてくれた。
顎下まであった髪は首筋がしっかり現れるくらい切られ、今まで痛み続けていた金髪は良いトリートメントを使用されたのかツヤツヤと輝いている。前髪が長くないと落ち着かないと言ったとおり顔の半分で前髪は分けられ目にかかるくらいまで降ろされている。
「俺じゃないみたい」
この時、俺は勘違いしていた。俺じゃないみたいな自分の姿に浮かれて根っこから変われた気になっていた。
後悔してももう遅いのに——
約束当日、まだ日が昇りきらないうちに目を覚ましてしまった。長すぎる前髪をかきあげる。普段より短い睡眠時間のため重いはずの瞼が今日は軽い。
この軽い瞼は紛れもなく榊と遊びに行くのが楽しみである証拠だ。それと、緊張。楽しみと緊張が右往左往する。
いつもは家を出るギリギリに着替える俺は、クローゼットを開けて目を背けていた衝撃的な現実を知ってしまうことになる。
——俺、服全然持ってないじゃん……!
「……何着てこうー……」
ベッドと机、椅子……必要なもの以外は、置いていない部屋。クローゼットには、どれも見分けがつかないグレーのパーカーが何枚もハンガーに吊り下げられている。そのすぐ下には、カラーボックスが1つ。中には、パーカーの数に合わせたジーンズが畳まれて入っている。
俺が焦るのには理由があった。榊の普段着を思い返してみると、おしゃれという言葉がよく似合う男なのだ。何を着ればいいのか唸っているうちに、カーテンの隙間から朝日が差し込んできた。
約束は11時。スマホを開けた。この時、目を覚ましたら日課になっていたゲームのログインもすることなかったのだと気付かされた。
スマホの時計は、まだ6時を示している。
——まだ6時ならなんとかなるはず!
なんとかなると豪語したところで、開いている服屋はなくあれだけ悩んでも、結局いつも通りグレーのパーカーにジーンズを履いただけになった。情けない顔で大学の最寄り駅での待ち合わせ場所に向かう。
「古賀ー!」
しばらくすると明るさを全開にした榊が手を振りこちらに向かってきた。
——手なんて振らなくてもわかるのに……かわいいからいいか。
特に場所を決めていなかった俺らは、適当に歩いてみることにする。
ふと坂の途中にある服屋のショーケースに映る自分と榊の姿を見比べて俺のファッションセンスのなさに落胆した。ショーケースのマネキンの着る服に目を奪われた。
——かっこいい……けど。
自分の服とマネキンを見ては短くため息つく。
「あれ欲しいの?」
「いえ、服とかよく分からないんです……」
欲しくないと言ったら嘘になる。しかし俺には着こなせる自信がないのだ。
マネキンが着ているのは袖などところどころに柄の入ったワイシャツに柄物のフレアパンツを合わせている。ファッションに興味のない俺でもわかる。「絶対初心者向けじゃない」と。とはいえ榊の隣に相応しい服を選んでみたいというのは頭の片隅にはあった。服だけではなく、染めただけで放置して傷み切った髪の毛もなんとかしないといけないというのも当然分かっているつもりだ。
思うだけなら誰でもできるし、変わりたいって自分のことなんだから自分でやらなきゃいけない。頭で理解しても行動に移すことができない。
——惨めだな……。
榊はしばらくショーケースを眺めた後、「ここ入ってみようよ」と、俺の高すぎるハードルを軽々と超えていく。
店内はしっとりとしたBGMが流れシックな雰囲気。榊の着ている服によく似た雰囲気の店だ。よく似ているどころか、この店の常連らしくここのお店で購入していると言う。
——好きな人の好きなものが目に留まるなんて無意識とはいえ、露骨に意識しているみたいだ。
マネキンにもう一度目をやる。
——俺には合わない……よな。
前で手を組み息を殺すように、目だけ動かす。
「何借りてきた猫みたいになってるの?」
「いつもこんなところ入らないので」
正確に言うと入れないのだ。俺の気も知らない榊がマネキンが着ていた服と同じもののハンガーを持ってやってきていた。
好きな服屋だからマネキンの着ていた服を気に入ったのだろうか。榊の買い物するのかと思い、先に俺だけ店を出たいという意思を伝えようとした。
「榊っ……」
「はい。試着していいってよ」
「へ?」
試着という言葉にドキリとする。首を前に出し、確認した。
「今試着って言いました?」
「うん」
「榊先輩のことですよね?」
榊が首を横に振りハッキリとした口調で言う。
「古賀くんだよ」
俺がこの服を試着する? 似合わなすぎて笑われたらどうしよう。いや、榊はそんなことで笑わない。似合わなかったら引かれるか?
「こっ! 心の準備が‼︎」
「試着に心の準備なんていらないでしょ」
苦笑する榊に「こっちは必要なんだよ!」と、反発したくて仕方なかった。
試着室の鏡を見て、俺が俺じゃないみたいな感覚にさせられた。
「どうだった?」と聞かれても、よくわからないとしか答えられないきがする。
「どうだった?」
見事に聞かれ、俺は「やっぱり洋服はわからないです」と答える。
「まぁムズイよな。サイズ感は?」
「いいんだとは思います。ちょっと生地が余る感じはしますけど……」
マネキンが着ていたときもそうだったので、そういう着方をするものなのだろう。けど、俺にとっては少し違和感だった。
――これを新鮮というのだろうか。
「貸して」
店員さんに返してくれるのかとホッとして、「外で待ってます」と告げた。
坂の途中に位置するこの店の前は、多くの人が行き交う。
——いい天気。
深く吸った息は、まるでようやく呼吸のできた魚のようだ。しばらくすると、榊が腕を後ろに組んで顔を出す。
「はい。誕生日おめでと」
「はい⁉︎」
身体の後ろから飛び出てきた手には、先ほどの店のロゴが入った紙袋だ。中を覗くと、先ほど俺が試着したもの全てが入っていた。
「なんで……」
「わざわざ誕生日して遊びに行ってプレゼントもらおうとするなんて、さては策士だな?」
意地悪に口角を上げる榊に慌てて否定する。
「なっ! そんなんじゃ……」
「わかってる。わかってるよ!」
声を上げて笑う榊は、メッセのプロフィールに誕生日が書かれてたの知ってたからと、付言する。
「大事な1日を俺と遊ぶので使っちゃって良かったの?」
——大事な日だからだ。
「……榊先輩と一緒に居たらもっと特別な1日になると思ったんですよ」
手に汗を感じる。身体が熱い。
——これで意識してくれるなんて思ってないけど、あわよくば……なんて。
俺の中の精一杯を伝えた言葉に聞き返される。
「それどういう意味?」
「自分で考えてください」
「……考えたよ。もし間違えてたら俺がしんどい思いする答えになったから聞いた」
「それこそどういう意味ですか……」
本当に意味を理解できないでいると、「自分で考えて」と返される。
自分の放った言葉にカウンターを決められたみたいで、悶々としながら1日を終えた。
*
俺のクローゼットに新たな服が仲間入りしたが、それだけが浮いているようにも感じもう一着くらい買ってもいいかという気になる。
思い立ったが吉日という言葉の通り、俺はもらった服を着る。新しい服というだけで、なんだか自信に繋がっている気持ちになり背筋が伸びる。加えて、榊からの誕生日プレゼントだということを思い返し幸せを噛み締めた。
——それにしても、あのときの榊がしんどくなる答えってなんだ?
心当たりが全くないそれに、俺がいくら思考しても仮説も出てこないのだ。
電車に飛び乗り、店の最寄駅まで来たのにもう戻りたい。伸びたはずの背筋はどこに行ったのやら、怖気付いたのだ。
坂の途中にあるその店までの間、キラキラとした服を纏った人たちに抜かされていく。いつもは早歩きになる道。1人で店に入ることを考えれば考えるほど足に鉛がついているみたいに重い。
坂を下っている途中で横から話しかけられる。
「お兄さん、スタイルいいすっね‼︎」
——誰! 誰⁉︎⁉︎
本当に知らない人に会話を要求され、まともに顔も見ないで振り切るように歩く。
しかし構わず横を着いてくる彼に困惑する。
——何これ⁉︎
「もし時間あれば、その髪の毛イメチェンとかしてみません⁉︎」
ピタリと停止する。
——髪型は変えたい……
それを見計らったように、男は名刺を差し出してきた。
「美容師……」
すぐそこに美容室があるから、カットモデルをしてもらえないかと言われた。モデルという言葉に身構えたが、嫌なら大丈夫だと、さっきまで執拗に追いかけてきたときと打って変わった態度に呆気に取られる。
俺は「やります」と一言口にすると、その美容師は観光地のツアーガイドのようなテンションで美容室へ案内してくれた。
よく知りもしない美容室。白と水色を基調とされた店内は、開店したばかりだという。店内は新築のペンキの香りが鼻を通る。
「お兄さん! どんな髪型がいいとかあります⁉︎」
「あーー……いえ、よくわからなくて」
計画もなく漠然と髪を変えたいとしか思っていなかった。
「めっちゃさっぱりきっちゃいます⁉︎」
「流石に、長めじゃないと……落ち着かなくて……」
「そっすねー、そしたら、目にかかるくらいのセンターパートとかどうすか!」
美容師は、タブレットを慣れた手つきで操作すると、イメージを画像で提示してくれた。
「優光と同じだ……」
「ん? それは嫌な感じすか⁇」
「嫌じゃないですけど、引かれないか心配で」
数多の客と相手する美容師は感が鋭いらしい。
「もしかして好きな人っすか⁇」
今日限りの人に取り繕う必要はないと思っていることに加え、なんだか話しやすくなんでも話してしまう。
「そうですね」
すると、美容師から俺にとって奇想天外な提案をされる。
「おそろにしてびっくりさせません⁉︎」
「え……あ……はい……はい⁉︎⁉︎」
勢いに押されて肯定しながら驚きを隠せないでいる俺の横でどんどん話を進められ、否定することを諦め話を聞く。「じゃあ、その子の髪型どんな感じか詳しくわかります?」と言う美容師に、鏡越しに髪型の名称など知らない俺は身振り手振りで説明をする。
「なるほどー、めっちゃボーイッシュな感じなんすねー」
「ボーイッシュというか、男なんで……」
「え、何それ」
顔が曇り、声のトーンを下げて言われ会話を間違えたと思ったのも束の間、口を大きく開けて笑顔になる。
「完全におそろっちにできるじゃないですか‼︎‼︎」
「え?」
拍子抜けし、目を見開いた。
「後ろ髪の特徴も教えてくださいよーー」
突然ペラペラと饒舌になって話し出す。
「時々、女の子で彼氏とお揃いにするために髪の毛切りに来る人いたんですけど、初めの頃は喜んでくれてたみたいで嬉しそうにしてたんですよ。結局、髪長い方が好きとか言って髪の毛切ったこと後悔してる子とかいますけど、大丈夫すか⁇」
心配をしてくれているらしいがそんな心配無用だ。
「大丈夫ですよ、脈とかないんで」
「わかんないっすよ。俺が手伝えるのなんてこんなことですけど、やっぱ髪型って大事だと思うんで頑張らせてくださいよ」
「お願いします」と覚悟を決めても内心、心臓はバクバクと音を鳴らしている。ハサミが髪に入って音を立てるたびに、「大丈夫かな?」と思ったり「変わるんだ!」と思ったりを行き来している。
目まぐるしく感情が変化し、何もしていない俺が疲弊する。
「シャンプーは別の人に変わりますね!」
横になれたシャンプー台にいる時間だけが多少は休まると思った時だった。
「シャンプー担当します”白瀬”です」
「え? あ、お願いします……」
白瀬珈琲に通う藍弥にとって白瀬という名前を訊いてドキっとする。
瞳が大きく影を落とすほど長いまつ毛の白瀬と名乗る女の人は、肩上より上までしかない髪の毛を細かく巻いてあり、前髪まで細かく巻かれている、まるでお人形さんのようだ。
同じ白瀬でも元気すぎる颯斗とは打って変わって、どこかアンニュイな雰囲気のある。
「お湯熱くないですか?」
「はい、大丈夫です」
静寂な時間が、美容室という場所なのを忘れさせてくれて落ち着き肩の力が抜ける。
自ら話しかけることもない俺は、黙ったまま、ただ時がすぎるのを待った。
ドライヤーまで終えると、自分じゃないみたいなシャンプーの甘い香りが漂う空気に余計落ち着かない。
すると、俺を連れてきた美容師が他のお客さんの対応をしているからと、飲み物を持ってきてくれた。鏡の前にある台に置かれたホットコーヒー。正直、白瀬珈琲以外のコーヒーはブラックで飲めないため、ミルクと砂糖をもらわなかったことをひどく後悔する。話しかける勇気はなかったからだ。それを察したのか、店内の清掃をしていた箒の手を止め、白瀬と言った女の人がこちらに向かってきた。
「やっぱり、砂糖とか入ります?」
「あ、はい。お願いします」
”やっぱり”という言葉に引っかかりを感じてると、程なくして、手のひらサイズのカゴに砂糖とミルクを入れて持ってきてくれた。
手間を増やしたことについ、謝罪する。
「すみません」
「とんでもございませんよ。うちのコーヒーはブラックで飲むから」
「え……?」
たどり着く答えは一つしかない。
「白瀬珈琲の……」
「なんか勝手に知ってるみたいになってしまってすみません。その白瀬です」
ほのかに笑った顔は楓斗にそっくりだ。
「数年前から、いらしていたのは知ってるんです。わたしも少しの間、手伝ってましたから。その後は楓斗から話は聞いてたんです」
「そう、だったんですね。気付かずすみません」
「謝らないでください! いつも楓斗が嬉しそうに話すからわたしまで嬉しいんです」
嬉しそうに話す楓斗が想像でき、思わず笑ってしまう。
「わたしはあまり話していなかったですが、楓斗は藍弥さんをお兄ちゃんみたいに慕っていて少し羨ましいくらいですよ」
「そんな、兄というか楓斗は大学生活に憧れているだけでしょう」
「それを兄みたいに慕ってると言うんじゃないですか?」と、口角を上げて笑われ「難しいですね」と返答した。
共通の知人について会話するというのは、どこかこそばゆい。最後に「楓斗と仲良くしてくださってありがとうございます」と言って業務に戻っていった。
入れ替わるように、担当してくれていた美容師がヘアアイロンとヘアオイルでセットされる。頭の後ろが軽く、涼しいくらい短い。
「どうですか⁉︎ めっちゃイケてません⁉︎」
美容師さんが背後も鏡で見えるようにしてくれた。
顎下まであった髪は首筋がしっかり現れるくらい切られ、今まで痛み続けていた金髪は良いトリートメントを使用されたのかツヤツヤと輝いている。前髪が長くないと落ち着かないと言ったとおり顔の半分で前髪は分けられ目にかかるくらいまで降ろされている。
「俺じゃないみたい」
この時、俺は勘違いしていた。俺じゃないみたいな自分の姿に浮かれて根っこから変われた気になっていた。
後悔してももう遅いのに——


