硬筆男子は花に眩む

 一年のときも、俺と花倉は別々の教室。それも、あいだが三つも離れた教室だった。
 にもかかわらず、入学式の翌日には花倉の噂が俺の耳にまで入ってきて、はじめてその姿を目にしたときは……まぁ。噂にたがわないハンサム寄りの美形だな、くらいの軽い印象だった。
 遠くのものがぼやっとして見える俺にでも、くっきりと捉えることができる整った目鼻立ち。制服の上からでもわかる、ほどよく厚すぎない引き締まった体躯。腰の位置が高く、四肢がすらりと長い。女子ウケしそうな見た目で、男からもウケてんの。すげぇな、って。そんだけ。

 ……いや。でも、今思えば。あれは一目惚れ……だったのかもしれん。なにせ、俺は中学時代まで恋愛経験まったくのゼロ。ドラマや映画なんかで観るような。人をどうしようもなく好きになったことも、先に言ったとおり人から好意を告げられたこともない。
 花倉に対するこの気持ちが恋で正解なのか。正直言ってわからん。誰にも正解を聞けずに、これが恋というものなんだろうと。俺は勝手に思ってる。

 俺には友人と呼べるやつが、この学校にたったひとりだけいる。奇跡的にそいつとは一年と引き続き二年になっても同じ教室になったんだけど……まぁ、あいつの話は一旦置いて、だな。
 交友関係が極端に狭い俺とは正反対に、花倉の周りには常に誰かがいた。移動教室なんかのたびに、ついつい花倉の姿をこっそり廊下から見ちまうんだけど。花倉がひとりで過ごしている姿を、俺はめったに見たことがない。いつも誰かとリラックスした様子で会話をしてて、たまに切れ長の目をきゅうっと細めて楽しげに笑っている。

 この学校に入学したときから、つい今しがたまで。花倉と視線を交えたことは一度たりともなかった。一方的に遠くから眺めて『どんな声してんのかな』とか『どんな話で笑ってんのかな』とか。ただただひそかに、俺は花倉に想いを寄せていたんだ。

 そんな俺の想い人が今、目の前で。しかも、っううん、こほん。なにげにこれが最も重要──俺の席(・・・)で、意気消沈としているわけで。

「……なにがあったん?」

 弱っている好きなやつを、放ってはおけない。俺にできることがあるなら、力になってやりたい。
 花倉が座っている俺の席の前の空席に廊下側を正面にして腰かけつつ、俺は花倉に向かってそっと声をかけた。
 花倉は机に伏せたまま、わずかばかり頭を動かして反応する。けれど、なかなか話してはくれない。
 もしかして、今のは「放っておいてくれ」の合図だったんだろうか。
 それはそれで、すこーしだけ、俺的には困るんだよな……。その机のなか、確認させてほしいんだけど。でも、花倉のためにも今日はもう諦めて、このまま帰って週明けに確認するっきゃねぇか……。

 俺が立ち上がろうと、やや前傾姿勢になったら、椅子がきしっと小さく鳴った。その直後のことだった。

「好きなやつに、フラれた」

 ──今の声は、誰の声?
 俺じゃなくて……ああ。花倉の声か。

 俺は浮かせていた腰を、再び下ろした。静かに、なるべく音を立てないように、気を遣ったつもりだ。
 それでも椅子はきしっと、さっきよりもわかりやすくはっきり鳴った。

 花倉。好きなやつ、いるんだ。

 ここは男子校。つまり、花倉の好きなやつは俺と性別が同じ、男ってこと。そんで、俺はたった今、……失恋したってことか。

 花倉は、いまだに机に伏せたままだ。表情こそは窺えないものの、まとわりつくような物憂げな色気を漂わせている。無防備で、ちょっと憐れで、ぐらついてしまう。頭を撫でてやりたいだなんて衝動をかろうじて堪えて、俺はそこから目を逸らした。重ね組まれたしなやかな腕。となりに立っているときには、形のいい後頭部に遮られて見えなかった。花倉の片手に、俺の視線は漂着する。
 そこには一枚の洋形封筒があった。ふいに、くしゃりと握りつぶされてしまいそうな脆さのそれが妙に気になって、俺の目が釘付けになる。

「その手に持ってんの。なに」
「……ああ」

 花倉の顔がようやく少しだけ上がった。体勢はそのままに、封筒を握る手を机上からふわっと浮かせて。
 数分前に俺を仰ぎ見ていたときよりも、花倉の前髪はさらに崩れていた。そこからちらつく切れ長の潤んだ目もと。かざす封筒の下、意図せず上目遣いになっているんだろう。花倉の憂いを帯びた熱い眼差しに、俺はごくりと固唾を呑む。

「ラブレター」

 花倉の端正な唇から紡がれた横文字の単語。
 一瞬、ラブレターってなんだっけ? ってなった。
 男子校というだけあって、長らくその単語を周りから聞くことはなかったし、人生で告られたことが一度もない俺にとって、それだけ馴染みの薄い単語だった。

 ……そっか。花倉、モテるもんな。

「貰ったやつ?」
「いや」

 花倉はぽつりと否定して、それからぽつりと。

「俺が書いたやつ」
「──は?」

 花倉が、書いた、ラブレター?

「渡したの、返された。意味わかんないって……」

 小雨のような掠れ気味の声でぽつぽつと言いながら花倉は上体を起こした。そして、真っ白な封筒のなかから、半分に折りたたまれた便箋を抜き取る。
 唖然としている俺に向かって、それを差し出してきた花倉の目線の高さは、俺のとほとんど変わらずで。
 真正面から、

「なんで意味、わかんないんだと思う?」

 ……俺に読ませるのかよ。
 おまえのこと、好きなのに。
 おまえが好きなやつに宛てた、ラブレターを……。

 神妙な面持ちの花倉へ向けていた視線を、差し出された便箋へ、そろりと落とす。端と端がぴったりと重ね合わせられたそれは厚みがあるのか。裏面にインクは一切滲んでおらず、純白な輝きが俺の両目を容赦なく刺激してくる。
 すぅっと、息を吸いながら。俺は急激に冷えきった指先で、花倉の手からそれを受け取った。それはおそろしいほどなめらかな手触りをしていて、触れたこともない花倉の素肌かと錯覚しかけた。

 やべぇ。まじで、読むのこわい。ちょっと泣きそ。

 俺はまた、すぅっと、息を吸った。俺の手汗なんかで汚してしまわないうちに。湿気させてしわしわにしてしまわないうちに。花倉に怪しまれないうちに。開いて、読まなくては。

 俺は意を決して、花倉が書いたラブレターを開いた。

 そして、言葉を失った。

 綴(つづ)られた文字は、クールな外見の花倉からは想像もつかないほどに熱い。例えるなら、コンマ一秒で地球を丸ごと呑み込む爆炎。つまりは、

 ──壊滅的な汚い字をしていた。

 なんだ、これ。
 呪文? 俺の知らない異国の文字?
 ……どうしよう。ほとんど、なにも読めねぇぞ。
 おそるおそる、俺は手紙から視線を上げた。花倉と目が合う。切れ長の潤んだ目もとの向こうに、純真に澄んだ瞳がある。

「なんでだと思う?」
「あー……」

 正直に言わないでおくか。迷った、けど。

「悪い。俺も意味、わかんねぇわ」
「まじか」
「いや。内容が、じゃなくて。字が読めん」
「……あー」

 俺の手もと、もとい自身が書き綴ったラブレターを眺めながら、花倉は口をぽっかりと開けて崩し、気の抜けた平坦な声を漏らした。
 納得はできた様子。でも、物憂げな表情は一向に変わらない。

「……もっと丁寧に書いたら、意味。わかってもらえるかも、な」

 言いたくなかったけど、言ってやった。ら。

「いや。これが俺の丁寧な字」

 ……。

「嘘だろ」
「ほんと」
「おまえ。一年のとき、どうやってテストの赤点回避して、進級までできたんだよ」
「そこまで読めない?」

 そもそも、よくこの学校に受かったな。とまでは続けて言えなかった。
 花倉、相当に落ち込んでるな……。