近ネクに入学して、1年が過ぎようとしていた。
春の訪れを前にした校舎は、どこか落ち着いた空気に包まれている。
3月のクラス編成でも、1クラスの顔ぶれに変化はなかった。
雪音が1クラスへ移ってきた頃は28人だった教室も、現在は27人。
1クラスでは、入学から1年の間に、すでに3人の生徒が近ネクを去っている。
それでも、この学校では珍しい出来事ではなかった。
評価制度についていけず、自ら退学を選ぶ者もいれば、規定によって退学となる者もいる。
学校を去る理由は様々で、卒業まで残る生徒は平均すると8割ほどらしい。
3月3日から3月5日にかけて行われた1年次後期末テストも終わりを迎えた。
最終日は昼休憩を挟み、午後からは担任との2者面談が予定されている。
面談は校舎内に設置された面談ルームで行われた。
面談ルーム前に用意された椅子に座っていると、前の生徒が出てくる。続いて、雪音の番。
白を基調とした小さな面談ルームには、テーブルと向かい合わせの椅子だけが置かれていた。
「下久保さん、どうぞ」
担任の堂前が、向かい側の椅子に座るように促した。
「下久保さん、成績は入学当初から優秀ですね。よく勉学に励んでいることが伝わってきていますよ」
「はい、ありがとうございます」
「下久保さんは、12月から1クラスに変わりましたが、なにか思うところはないですか?」
「はい、最初はありましたけど、今はありません」
「成績が常に上位なのに、クラスが上がらないのはどうしてなのかな?とは思いませんか」
「以前は思いましたけど、今は成績だけでは近ネクでは通用しないことを自覚しています」
「そうですか。下久保さんは、近ネクを理解したということですね。それでは、来月から2年次になりますが、どのような学校生活を送ろうと考えていますか?」
「そうですね…自分が将来どうしたいのか考えようと思います」
「わかりました。近ネクに入学してくる生徒は、大なり小なり将来の目標を持っています。学生なので勉学はもちろんですが、他にも何かしらの武器が必要なんですね」
「はい、わたしには勉強しかないですから」
「下久保さんの現状ではそうですね。勉学は普通以下でもスポーツの才能、芸術の才能、ネクリアやネクスタのようにSNSの才能など、様々な才能を持っている生徒を伸ばしていこうという方針なわけです。こういった内容は、公表しているわけではないので、入ってみなければわからない部分ではありますけどね」
「はい」
「下久保さんは、どうして近ネクを選びましたか?」
「はい、中学の時の担任に勧められました」
「そうですか。近ネクは、一般的な高校と異なり、何かに秀でた才能がある生徒を学校が推薦することで、初めて入学の可能性が出てくるんですね。ですので、入りたいから入試を受けるというのはできないわけです。下久保さんは勉学の成績が優秀で、推薦されたということになりますね」
「はい、部活もやってませんでしたし、そうだと思います」
「勉学の成績が優秀で推薦により入学してくる生徒は、下久保さんを含めて一定数います。ですが、勉学だけでは、なかなかクラスを上げるのが難しいなど、壁がありますよね」
「はい、そう思います」
「下久保さんは、5クラスを目指したい、ネクリアやネクスタで、いいねやフォロワーを増やしたいなど、そういった目標はありますか?」
「…ネクリアやネクスタは、あまり結果が伴ってないと思います」
「そうですか。下久保さんは、大学は行こうと思っていますか?」
「はい、そう考えていました」
「わかりました。では、今後も勉学に励んでくださいね。その上で、2年次は新しいことにも目を向けてみるといいと思います」
堂前に会釈をして、面談ルームをあとにした。
教室へ戻ると、面談を終えた生徒たちは帰宅の準備を進めている。
この日はHRもなく、面談を終えた生徒から順番に校舎をあとにしていった。
雪音もバッグを持ち、真っすぐに部屋へと戻る。
制服を丁寧にハンガーにかけ、部屋着に着替えると、ベッドに横になった。
ぼんやりと天井を見つめていると、テーブルの上に置いたスマホが震える。
久我山秋(4クラス):雪音っち、面談どうだった?
下久保雪音(1クラス):どうだったんだろう?よくわかんなかったかも
久我山秋(4クラス):そうなんだー
下久保雪音(1クラス):秋ちゃんは、どうだったの?
久我山秋(4クラス):ゲーム配信がいい感じだねーって言われたよー
下久保雪音(1クラス):秋ちゃんは、ちゃんと目標に向かっているもんね
久我山秋(4クラス):まー、そうかもねー
「わたしには、何もないもん」と打とうとして消した。
下久保雪音(1クラス):応援してるよ
久我山秋(4クラス):ありがとー、雪音っち
ネクコミを閉じ、スマホをテーブルに置く。
「わたし、ここにいてもいいのかな…」
「普通の高校に入学した方がよかったのかな…」
「わたしは、どうしたいんだろう…」
様々な考えが、雪音の中を巡っていた。
スマホを手に取り、ネクコミを開く。
下久保雪音(1クラス):璃空ちゃん、面談どうだった?
東雲璃空(1クラス):あー、どうってこともないけど。うん、美術展で賞取ってすごいねとか言われたかな
下久保雪音(1クラス):そうだよね。璃空ちゃんは、将来絵の道に進むんでしょ?
東雲璃空(1クラス):だな。そのために、ここ入ったわけだし
下久保雪音(1クラス):だよね
東雲璃空(1クラス):まーな
下久保雪音(1クラス):邪魔してごめんね
東雲璃空(1クラス):描き始める前だったから大丈夫だぞ
下久保雪音(1クラス):また、明日ね
東雲璃空(1クラス):おう
「璃空ちゃんもすごいな…」
下久保雪音(1クラス):倫ちゃん、トレーニング中?
日ヶ久保倫(1クラス):面談最初の方だったから、今日のトレーニングは終わりー
下久保雪音(1クラス):お疲れ様
日ヶ久保倫(1クラス):おー、おつかれー
下久保雪音(1クラス):倫ちゃんは、面談どうだったの?
日ヶ久保倫(1クラス):まー、特にはなにもかな?
下久保雪音(1クラス):そうなんだね
日ヶ久保倫(1クラス):でも、大会に積極的にエントリーしたらって言われたなー
下久保雪音(1クラス):ボルダリングの?
日ヶ久保倫(1クラス):そう、個人参加のやつとかね
下久保雪音(1クラス):大会ってたくさんあるの?
日ヶ久保倫(1クラス):まー、探せば毎月出れると思うけどー
下久保雪音(1クラス):毎月だと大変だね
日ヶ久保倫(1クラス):毎月はムリだよー、疲労抜きしなきゃだし
下久保雪音(1クラス):疲労抜きね、しっかり休まなきゃってことだね
日ヶ久保倫(1クラス):そうだよー。今年は来月と8月はエントリーする予定
下久保雪音(1クラス):今は調整してる感じなの?
日ヶ久保倫(1クラス):苦手なホールドの持ち方とかさ、色々あるんだよー
下久保雪音(1クラス):怪我しないようにね、応援してる
日ヶ久保倫(1クラス):おー、ありがとー
「倫ちゃんも目標あってすごいな…」
立ち上がって、窓から外をぼんやり眺める。
窓に映る自分を見て、「わたしは、なにがしたいの?」と問いかけた。
「…なにも思い浮かばないな」
雪音は自嘲気味に笑った。
「ネクリアもネクスタも…ぜんぜんダメダメだし」
「わたし、きっとSNS向いてないのかもね」
「流されて近ネクきたんだね…わたしは」
大きく息を吐くと、窓が白く曇る。
指で、悲しい顔文字を描いた。
「わたし、自分で何か決めたことあったのかな?」
「うーん、きっとないよね」
「流されて、流されて…なのかも」
窓を開けると、まだ冷たい風が部屋に入ってくる。
それでも、頬に当たる風は心地よく感じた。
「でも、普通の高校に行ってたら、きっと悩んでなかったよね」
「悩まず…流されて…大学行って…就職して」
「それって、つまんないよね」
窓を閉め、ベッドの横に座る。
頬に手を当てると、ほんの少しだけ冷たい。
「うん、なんか少しだけ、目が覚めたかも」
「わたしは、自分を探すために、ここにきたんだ」
「きっと、そう。ううん、絶対そうだと思う」
雪音はもう一度窓の外へ目を向けた。春はまだ少し先。
それでも、その日見えた景色は、ほんの少しだけ昨日までとは違っていた。
春の訪れを前にした校舎は、どこか落ち着いた空気に包まれている。
3月のクラス編成でも、1クラスの顔ぶれに変化はなかった。
雪音が1クラスへ移ってきた頃は28人だった教室も、現在は27人。
1クラスでは、入学から1年の間に、すでに3人の生徒が近ネクを去っている。
それでも、この学校では珍しい出来事ではなかった。
評価制度についていけず、自ら退学を選ぶ者もいれば、規定によって退学となる者もいる。
学校を去る理由は様々で、卒業まで残る生徒は平均すると8割ほどらしい。
3月3日から3月5日にかけて行われた1年次後期末テストも終わりを迎えた。
最終日は昼休憩を挟み、午後からは担任との2者面談が予定されている。
面談は校舎内に設置された面談ルームで行われた。
面談ルーム前に用意された椅子に座っていると、前の生徒が出てくる。続いて、雪音の番。
白を基調とした小さな面談ルームには、テーブルと向かい合わせの椅子だけが置かれていた。
「下久保さん、どうぞ」
担任の堂前が、向かい側の椅子に座るように促した。
「下久保さん、成績は入学当初から優秀ですね。よく勉学に励んでいることが伝わってきていますよ」
「はい、ありがとうございます」
「下久保さんは、12月から1クラスに変わりましたが、なにか思うところはないですか?」
「はい、最初はありましたけど、今はありません」
「成績が常に上位なのに、クラスが上がらないのはどうしてなのかな?とは思いませんか」
「以前は思いましたけど、今は成績だけでは近ネクでは通用しないことを自覚しています」
「そうですか。下久保さんは、近ネクを理解したということですね。それでは、来月から2年次になりますが、どのような学校生活を送ろうと考えていますか?」
「そうですね…自分が将来どうしたいのか考えようと思います」
「わかりました。近ネクに入学してくる生徒は、大なり小なり将来の目標を持っています。学生なので勉学はもちろんですが、他にも何かしらの武器が必要なんですね」
「はい、わたしには勉強しかないですから」
「下久保さんの現状ではそうですね。勉学は普通以下でもスポーツの才能、芸術の才能、ネクリアやネクスタのようにSNSの才能など、様々な才能を持っている生徒を伸ばしていこうという方針なわけです。こういった内容は、公表しているわけではないので、入ってみなければわからない部分ではありますけどね」
「はい」
「下久保さんは、どうして近ネクを選びましたか?」
「はい、中学の時の担任に勧められました」
「そうですか。近ネクは、一般的な高校と異なり、何かに秀でた才能がある生徒を学校が推薦することで、初めて入学の可能性が出てくるんですね。ですので、入りたいから入試を受けるというのはできないわけです。下久保さんは勉学の成績が優秀で、推薦されたということになりますね」
「はい、部活もやってませんでしたし、そうだと思います」
「勉学の成績が優秀で推薦により入学してくる生徒は、下久保さんを含めて一定数います。ですが、勉学だけでは、なかなかクラスを上げるのが難しいなど、壁がありますよね」
「はい、そう思います」
「下久保さんは、5クラスを目指したい、ネクリアやネクスタで、いいねやフォロワーを増やしたいなど、そういった目標はありますか?」
「…ネクリアやネクスタは、あまり結果が伴ってないと思います」
「そうですか。下久保さんは、大学は行こうと思っていますか?」
「はい、そう考えていました」
「わかりました。では、今後も勉学に励んでくださいね。その上で、2年次は新しいことにも目を向けてみるといいと思います」
堂前に会釈をして、面談ルームをあとにした。
教室へ戻ると、面談を終えた生徒たちは帰宅の準備を進めている。
この日はHRもなく、面談を終えた生徒から順番に校舎をあとにしていった。
雪音もバッグを持ち、真っすぐに部屋へと戻る。
制服を丁寧にハンガーにかけ、部屋着に着替えると、ベッドに横になった。
ぼんやりと天井を見つめていると、テーブルの上に置いたスマホが震える。
久我山秋(4クラス):雪音っち、面談どうだった?
下久保雪音(1クラス):どうだったんだろう?よくわかんなかったかも
久我山秋(4クラス):そうなんだー
下久保雪音(1クラス):秋ちゃんは、どうだったの?
久我山秋(4クラス):ゲーム配信がいい感じだねーって言われたよー
下久保雪音(1クラス):秋ちゃんは、ちゃんと目標に向かっているもんね
久我山秋(4クラス):まー、そうかもねー
「わたしには、何もないもん」と打とうとして消した。
下久保雪音(1クラス):応援してるよ
久我山秋(4クラス):ありがとー、雪音っち
ネクコミを閉じ、スマホをテーブルに置く。
「わたし、ここにいてもいいのかな…」
「普通の高校に入学した方がよかったのかな…」
「わたしは、どうしたいんだろう…」
様々な考えが、雪音の中を巡っていた。
スマホを手に取り、ネクコミを開く。
下久保雪音(1クラス):璃空ちゃん、面談どうだった?
東雲璃空(1クラス):あー、どうってこともないけど。うん、美術展で賞取ってすごいねとか言われたかな
下久保雪音(1クラス):そうだよね。璃空ちゃんは、将来絵の道に進むんでしょ?
東雲璃空(1クラス):だな。そのために、ここ入ったわけだし
下久保雪音(1クラス):だよね
東雲璃空(1クラス):まーな
下久保雪音(1クラス):邪魔してごめんね
東雲璃空(1クラス):描き始める前だったから大丈夫だぞ
下久保雪音(1クラス):また、明日ね
東雲璃空(1クラス):おう
「璃空ちゃんもすごいな…」
下久保雪音(1クラス):倫ちゃん、トレーニング中?
日ヶ久保倫(1クラス):面談最初の方だったから、今日のトレーニングは終わりー
下久保雪音(1クラス):お疲れ様
日ヶ久保倫(1クラス):おー、おつかれー
下久保雪音(1クラス):倫ちゃんは、面談どうだったの?
日ヶ久保倫(1クラス):まー、特にはなにもかな?
下久保雪音(1クラス):そうなんだね
日ヶ久保倫(1クラス):でも、大会に積極的にエントリーしたらって言われたなー
下久保雪音(1クラス):ボルダリングの?
日ヶ久保倫(1クラス):そう、個人参加のやつとかね
下久保雪音(1クラス):大会ってたくさんあるの?
日ヶ久保倫(1クラス):まー、探せば毎月出れると思うけどー
下久保雪音(1クラス):毎月だと大変だね
日ヶ久保倫(1クラス):毎月はムリだよー、疲労抜きしなきゃだし
下久保雪音(1クラス):疲労抜きね、しっかり休まなきゃってことだね
日ヶ久保倫(1クラス):そうだよー。今年は来月と8月はエントリーする予定
下久保雪音(1クラス):今は調整してる感じなの?
日ヶ久保倫(1クラス):苦手なホールドの持ち方とかさ、色々あるんだよー
下久保雪音(1クラス):怪我しないようにね、応援してる
日ヶ久保倫(1クラス):おー、ありがとー
「倫ちゃんも目標あってすごいな…」
立ち上がって、窓から外をぼんやり眺める。
窓に映る自分を見て、「わたしは、なにがしたいの?」と問いかけた。
「…なにも思い浮かばないな」
雪音は自嘲気味に笑った。
「ネクリアもネクスタも…ぜんぜんダメダメだし」
「わたし、きっとSNS向いてないのかもね」
「流されて近ネクきたんだね…わたしは」
大きく息を吐くと、窓が白く曇る。
指で、悲しい顔文字を描いた。
「わたし、自分で何か決めたことあったのかな?」
「うーん、きっとないよね」
「流されて、流されて…なのかも」
窓を開けると、まだ冷たい風が部屋に入ってくる。
それでも、頬に当たる風は心地よく感じた。
「でも、普通の高校に行ってたら、きっと悩んでなかったよね」
「悩まず…流されて…大学行って…就職して」
「それって、つまんないよね」
窓を閉め、ベッドの横に座る。
頬に手を当てると、ほんの少しだけ冷たい。
「うん、なんか少しだけ、目が覚めたかも」
「わたしは、自分を探すために、ここにきたんだ」
「きっと、そう。ううん、絶対そうだと思う」
雪音はもう一度窓の外へ目を向けた。春はまだ少し先。
それでも、その日見えた景色は、ほんの少しだけ昨日までとは違っていた。

