珍しい苗字やかっこいい苗字に憧れをいただくのは至極当然のことだと俺は思う。
しかしそれはその苗字が初見であっても読むことができるような苗字を持っている側の意見であり、元から珍しい苗字であったり、自身の苗字に誇りを持っている人間は、そのような感情を抱くことはないようだ。
現に俺が思うかっこいい苗字ランキング上位には確実に入ってくる『結城』という苗字を持つクラスメイトの結城一花は将来結婚するなら苗字を変えたくないため、婿入りしてくれる人が結婚する条件の一つであると話をしていたのを聞いたことがある。
「そりゃ結城ってかっこいい苗字だったら、別の苗字にしたいだなんて思わないよな」
「禄助のその苗字に対する熱量を別のところに向けられたら、もしかしたら違っていなんじゃないかと俺は思うわけですよ」
そう言って夜一は喋ってないでその手で持っているシャーペンで少しでも補習を進めろと言わんばかりにトントンと机を右手の人差し指で突く。
俺は机に広げられたプリントに目を向けることなく、頬杖をつきながら夜一の目の中を覗き込む。
「もし夜一が田中じゃなくて、もっとかっこいい苗字だったら興味持ってたかもな」
「そういう意味じゃないんだけどな……。もっとこうあるだろ! それこそ勉強とかさ」
「勉強ねぇ……」
正直に言って勉強は嫌いではない。だからといって好きというわけではない。生きていくうえで必要なことであるということは理解しているものの、それを好き好んで学ぼうという気力はわかない。
そんな俺にも好き好んで学ぼうと、調べようと思えるものがある。
それが苗字だ。
俺の苗字は佐藤だ。日本において一番多い苗字であり、社会に出る頃にはほとんどの日本人が佐藤を姓に持つ人物に出会っていることだろう。
人間誰しも人とは違うナニかに憧れを抱くもので、俺自身も佐藤というありふれた苗字ではなく、もっと珍しい苗字であったり、かっこいい苗字に憧れを抱いている。
そんな俺の珍しい苗字に対する憧れは夜一曰く常軌を逸しているようで、初対面であった人には必ず苗字を聞いて周ったり、日本人の苗字をまとめているサイトを見るのが趣味で暇さえあればそのサイトを眺める俺に夜一はため息混じりに「また見てんのかよ」と声を掛けてくるのは、もはや日常の一部である。
「あ、国語は好きかも」
「それは物語に苗字が出てくるからだろ」
せっかく人がもしかしたら勉強好きかもとアピールをした瞬間にそれを論破してくるのは夜一の悪いところだと思いながら、実際夜一の言葉は正しいため何も言い返すことができない。
苗字以外に俺が興味あるものなんてあるのだろうか? と少し考えながら終わらせなければ帰宅することができない補習のプリントに目をやり、頭を抱えながらも問題を解いていく。
シャーペンで数文字書いては消しゴムで今書いたばかりの文字の大半を消すを繰り返し、ようやくプリントに記載されているすべての問題を解き終えることに成功した俺は大きなため息を吐きながら、教室の天井を見上げる。
「お、終わったぁ……」
「ん、お疲れ様。次は補習受けないようにな」
その一言に夜一はいつも一言余計なことを付け加えるなと感じた。
自分の顔を見たわけでもないのに、今の俺はムスッとした表情を浮かべなら夜一のことを見ているのだと感覚でわかった。
俺の補習プリントが終わるのを見守ってくれていた田中夜一とは中学からの付き合いで、今では一番の友達。所謂親友と呼べるような仲である。
お互いに何の部活にも入らず、自分のために時間を使う日々を過ごしている。
そんな俺は冬休み前のテストで到底両親には見せることのできない点数を取ってしまい、致し方なく補習を受けることになったのだが、一人では補習のプリントを終わらせることが出来ないため、こうやって夜一にヒントをもらいながら無事に試練を完遂することができた。
「じゃあ帰るか!」
夜一は紺色のブレザーの下に薄だいだい色のカーディガンを着ているのにも関わらずまだ寒いのか、広げればひざ掛けにも使える程の大きさの黒のストールをマフラーのように首に巻きつけながらそう呟く。
俺は先ほどまで使用していたシャーペンをペンケースに入れるとスクールバッグの中に投げつけるようにして片付けを行い、夜一に呟きに返事をするように「おう、待たせてごめん」とだけ言って、顔の前で両手を合わせると、形だけでも申し訳なさそうな表情を作り出す。
「その前に職員室な。プリント出さないとだろ?」
「あぶな! 明日どやされるところだったわ」
「ホントに苗字以外に興味無いわけ?」
そう笑いながら茶化す夜一に「うるせえ」と肩をぶつける。
ここまで付き合ってくれたお礼に、帰りに何かジュースかファストフードでも奢ってやろう、とそう心の中で考えながら、黒に赤いストライプの入ったマフラーを首に巻き付ける。
俺は夜一とは違いブレザーの中にカーディガンは着ていない。
夜一からは「お前寒くないのかよ」と信じられない者でも見るかのような視線を浴びせてくるのだが、俺個人としては寒さ対策よりも動きやすさを重視しているためカーディガンを着るようなことはしない。
ちなみに今から帰宅をするためブレザーを羽織ってはいるが、登下校以外で制服を着ているときは大体どんなに寒くてもワイシャツの袖を捲っている。これには夜一以外からも「見てる方が寒い」と言われてしまうため、不評であることはわかっているのだが、動けばあったかくなる! という持論を展開し、今の今まで乗り切っている。
正直に言ってしまうとめちゃくちゃ寒いのだが、真夏にクーラーをガンガンに効かせた部屋で毛布に包まり、手や足先だけ少しひんやりするベッドシーツに触れるあの感覚が好きな俺は冬は常にその感覚を味わえる絶好のチャンスだと考えており、腕まくりすることが多い。
ただ寒いものは寒いので、登下校のときはブレザーも羽織るし、マフラーだって巻く。
俺と夜一はお互いに準備が出来たのを確認してから、教室の電気を消し、鍵をかけ、職員室に教室の鍵を返しに行くついでに補習のプリントを先生に提出しに行った。
▽▽
「なんだよ……もっと頼んでよかったんだぞ?」
「この後夕飯あるし、これくらいが丁度いいの! てか録助がバイトして稼いだ金だろ? もっと自分のために使いなさい!」
「母親かよ」
「的確なツッコミをありがとうございます」
俺は補習を手伝ってくれたお礼として夜一とファストフード店に来たのだが、コイツはポテトのLサイズだけを頼み注文を終えたのだ。
俺としてはお礼だったため、もっと頼んでほしかったのだが、この後夕飯が控えていると聞かされてはそれ以上何も言えない。
それどころかもっと自分のためにお金を使うべきだと言ってくる。俺がバイトをしている理由は夜一と遊ぶためのお金が欲しいからしているのであって、何か欲しいものがあるとか、やりたいことがあるだとか、何かの目標があってアルバイトをしているわけではないので、今まさに夜一と学校帰りにこうしてご飯を食べているこの状況こそバイトをして貯めたお金の正しい使い道なのだが、彼にはそれが伝わっていないようだ。
「そう言えば全然話は変わるんだけどさ、新しくなった生徒会の噂って知ってるか?」
細長いポテトのカリカリとした部分を前歯で折るようにして食べながら夜一は俺にそう問いかけた。
私立加納高等学校は二学期の始まった九月ごろに旧生徒会が任期を終え、新生徒会が発足したところであり、三年生が受験やら就職やらで忙しくなってくるこのタイミングでバトンを二年生に繋いだのだ。
「噂? 何それ? 生徒会長と副会長の苗字なら覚えてるけど」
「出た苗字オタク」
新しい生徒会長と副会長は今までに出会ったことのない珍しい苗字とかっこいい苗字だったため記憶に残っている。投票のときもその苗字に惹かれて投票したはずだ。
「生徒会長が御薬袋さんで、副会長が式神さんだろ? 御薬袋って苗字は憧れるよな! 式神は苗字に神の字が入ってるだけでずるい」
「ま、俺もその二人の苗字は珍しいとは思うよ。んで噂もその二人のなんだよね」
噂話とは高校生が好きそうな話題だなと、ぶっちゃけ噂話に興味は無いので買ったばかりのバーガーの包み紙を剥がし、ソースが付かないようにと口元のマフラーだけ少し下げてから、一気に口いっぱいに頬張る。
「ふーん」
「ちょっ! 興味持てって!」
あからさまに興味が無い雰囲気を醸し出しながら返事をした俺に夜一は少し呆れたような表情を見せながらため息を吐く。
せっかく夜一が会話を弾ませようとして提示してくれた話題を興味がないと一蹴するのは良くないと考え、リスのように口いっぱいにバーガーを詰めた状態で俺は自分でも聞き取るのが難しい活舌で「興味あるある」と頷きながらそう答えた。
それを聞いた夜一は興味ないのなんてバレバレですけどね、と言わんばかりに頬杖を付きながら次のポテトを口に運び、何度か咀嚼をしたタイミングでポロっと噂の真相を話してくれた。
「付き合ってるんだって」
「……誰が?」
「生徒会長と副会長が」
「……生徒会長の御薬袋さんは男性で、副会長の式神さんも男性だよな?」
「だから噂になってんだよ。ただの男女じゃこんなに噂になってないわ」
夜一の言っていることは理解出来ているが、俺自身の中で何かが理解出来ていないのか、夜一の言葉が脳をすり抜けていく感覚を覚えた。
それと同時に口元まで持って行っていたバーガーはいつの間にか机の方が近くなっており、口の中にあったはずのバーガーはすでになくなっていた。
「……えっと、男同士で付き合ってるってこと?」
「録助は同性愛に偏見がある感じ?」
「いや、そういうわけじゃないけど……。てか俺恋愛とはよくわかんなくて」
「え、マジ?」
「マジ? って……中学からの付き合いだから知ってるだろ? 俺に彼女の一人も居たことないの」
「童貞なのは知ってるけどさ」
「童貞って、それは夜一もだろ?」
「さあ、どうでしょうねぇ」
中学からの付き合いだからわかる。夜一は俺を茶化すときは必ず敬語になるのだ。
現に今の口調は敬語に近かったため、夜一が俺を茶化すためについた嘘だとすぐにわかった。
きっとそれは夜一自身も多少の自覚があるのだろう。
また一本ポテトを口元に運び、微笑みながら呟くように新しい爆弾を投下した。
「録助のこと狙ってたヤツら、中学のとき結構いたのに」
「え? は? マジ? 誰?」
「教えませーん!」
これはどっちだ!
『教えません』自体は敬語に近いが、これは言いたくないときにも言うだろう。
これでは夜一の言葉が本当かどうかがわからない。
そんな俺の考えを表情から読み取ったのだろう。夜一はポテトの先で俺を指しながら口を開いた。
「録助がモテてたのは本当。結構人気あったと思うよ」
「その時に言ってくれよ……。え? 今は?」
「それは教えられませんな」
「ケチかよ」
「録助の場合は、珍しい苗字だったらすぐに告白にオーケー出しそうだもんな。そう考えると今まで告白されなかったのはその人たちが珍しい苗字じゃ無かったからじゃない?」
なんて不親切なヒントなんだ。
別に俺は苗字に憧れを抱いているだけで、苗字だけでその人を判断するようなことはしない。
もし仮に俺が苗字だけで人を選ぶようなやつだったら、今目の前にいる田中夜一とは仲良くしていないだろう。俺調べでは田中の姓は全国で四番目に多い苗字である。俺の佐藤ほどではないにしろこちらもよく見かける苗字だ。
そんなことを夜一もわかっているはずで、敬語こそ使っていないもののこれは俺を茶化しているに違いない。
「まぁいいや。んで? どうして生徒会長と副会長が付き合ってるなんて噂が流れてんの?」
「距離が近いのと、手を繋いでいるところを見た生徒がいるらしい」
「……え、そんだけ?」
「俺が聞いた話では、そうだね」
「なら俺と夜一も付き合ってるって思われてんじゃないの?」
「…………確かに?」
「肯定すんな、バカ! 冗談だよ」
俺はバーガーを持ち直し、口元へ運ぶと大きな口を空けてパクリと咥内をバーガーで満たす。そんなバーガーを飲み込みやすくするために何度か咀嚼を繰り返し、ごっくんと喉を鳴らす。
そのとき俺の中である疑問が浮かんだ。
「……なぁ、俺、その噂、興味あるかも」
「……は?」
突然の俺の宣言に夜一は目を丸くする。
「二人が結婚したらどっちの苗字名乗るんだ?」
「……え? もしかして興味ある理由ってそれ?」
「それ以外に無いだろ! マジで気になってきた! 御薬袋と式神だろ? どっちも譲れなさすぎる……!」
夜一は「苗字オタクがまた変な事を言っているよ」と言わんばかりの大きなため息を吐きながら俺を見るが、今の俺は生徒会長と副会長がどちらの苗字を選択するのかが気になってそれどころではない。
残りのバーガーを一気に口の中に放り込み、最低限の回数の咀嚼のみで喉の奥へと押し込むと、明日の学校が楽しみ過ぎて、バーガーの包み紙を強く握りしめていた。
しかしそれはその苗字が初見であっても読むことができるような苗字を持っている側の意見であり、元から珍しい苗字であったり、自身の苗字に誇りを持っている人間は、そのような感情を抱くことはないようだ。
現に俺が思うかっこいい苗字ランキング上位には確実に入ってくる『結城』という苗字を持つクラスメイトの結城一花は将来結婚するなら苗字を変えたくないため、婿入りしてくれる人が結婚する条件の一つであると話をしていたのを聞いたことがある。
「そりゃ結城ってかっこいい苗字だったら、別の苗字にしたいだなんて思わないよな」
「禄助のその苗字に対する熱量を別のところに向けられたら、もしかしたら違っていなんじゃないかと俺は思うわけですよ」
そう言って夜一は喋ってないでその手で持っているシャーペンで少しでも補習を進めろと言わんばかりにトントンと机を右手の人差し指で突く。
俺は机に広げられたプリントに目を向けることなく、頬杖をつきながら夜一の目の中を覗き込む。
「もし夜一が田中じゃなくて、もっとかっこいい苗字だったら興味持ってたかもな」
「そういう意味じゃないんだけどな……。もっとこうあるだろ! それこそ勉強とかさ」
「勉強ねぇ……」
正直に言って勉強は嫌いではない。だからといって好きというわけではない。生きていくうえで必要なことであるということは理解しているものの、それを好き好んで学ぼうという気力はわかない。
そんな俺にも好き好んで学ぼうと、調べようと思えるものがある。
それが苗字だ。
俺の苗字は佐藤だ。日本において一番多い苗字であり、社会に出る頃にはほとんどの日本人が佐藤を姓に持つ人物に出会っていることだろう。
人間誰しも人とは違うナニかに憧れを抱くもので、俺自身も佐藤というありふれた苗字ではなく、もっと珍しい苗字であったり、かっこいい苗字に憧れを抱いている。
そんな俺の珍しい苗字に対する憧れは夜一曰く常軌を逸しているようで、初対面であった人には必ず苗字を聞いて周ったり、日本人の苗字をまとめているサイトを見るのが趣味で暇さえあればそのサイトを眺める俺に夜一はため息混じりに「また見てんのかよ」と声を掛けてくるのは、もはや日常の一部である。
「あ、国語は好きかも」
「それは物語に苗字が出てくるからだろ」
せっかく人がもしかしたら勉強好きかもとアピールをした瞬間にそれを論破してくるのは夜一の悪いところだと思いながら、実際夜一の言葉は正しいため何も言い返すことができない。
苗字以外に俺が興味あるものなんてあるのだろうか? と少し考えながら終わらせなければ帰宅することができない補習のプリントに目をやり、頭を抱えながらも問題を解いていく。
シャーペンで数文字書いては消しゴムで今書いたばかりの文字の大半を消すを繰り返し、ようやくプリントに記載されているすべての問題を解き終えることに成功した俺は大きなため息を吐きながら、教室の天井を見上げる。
「お、終わったぁ……」
「ん、お疲れ様。次は補習受けないようにな」
その一言に夜一はいつも一言余計なことを付け加えるなと感じた。
自分の顔を見たわけでもないのに、今の俺はムスッとした表情を浮かべなら夜一のことを見ているのだと感覚でわかった。
俺の補習プリントが終わるのを見守ってくれていた田中夜一とは中学からの付き合いで、今では一番の友達。所謂親友と呼べるような仲である。
お互いに何の部活にも入らず、自分のために時間を使う日々を過ごしている。
そんな俺は冬休み前のテストで到底両親には見せることのできない点数を取ってしまい、致し方なく補習を受けることになったのだが、一人では補習のプリントを終わらせることが出来ないため、こうやって夜一にヒントをもらいながら無事に試練を完遂することができた。
「じゃあ帰るか!」
夜一は紺色のブレザーの下に薄だいだい色のカーディガンを着ているのにも関わらずまだ寒いのか、広げればひざ掛けにも使える程の大きさの黒のストールをマフラーのように首に巻きつけながらそう呟く。
俺は先ほどまで使用していたシャーペンをペンケースに入れるとスクールバッグの中に投げつけるようにして片付けを行い、夜一に呟きに返事をするように「おう、待たせてごめん」とだけ言って、顔の前で両手を合わせると、形だけでも申し訳なさそうな表情を作り出す。
「その前に職員室な。プリント出さないとだろ?」
「あぶな! 明日どやされるところだったわ」
「ホントに苗字以外に興味無いわけ?」
そう笑いながら茶化す夜一に「うるせえ」と肩をぶつける。
ここまで付き合ってくれたお礼に、帰りに何かジュースかファストフードでも奢ってやろう、とそう心の中で考えながら、黒に赤いストライプの入ったマフラーを首に巻き付ける。
俺は夜一とは違いブレザーの中にカーディガンは着ていない。
夜一からは「お前寒くないのかよ」と信じられない者でも見るかのような視線を浴びせてくるのだが、俺個人としては寒さ対策よりも動きやすさを重視しているためカーディガンを着るようなことはしない。
ちなみに今から帰宅をするためブレザーを羽織ってはいるが、登下校以外で制服を着ているときは大体どんなに寒くてもワイシャツの袖を捲っている。これには夜一以外からも「見てる方が寒い」と言われてしまうため、不評であることはわかっているのだが、動けばあったかくなる! という持論を展開し、今の今まで乗り切っている。
正直に言ってしまうとめちゃくちゃ寒いのだが、真夏にクーラーをガンガンに効かせた部屋で毛布に包まり、手や足先だけ少しひんやりするベッドシーツに触れるあの感覚が好きな俺は冬は常にその感覚を味わえる絶好のチャンスだと考えており、腕まくりすることが多い。
ただ寒いものは寒いので、登下校のときはブレザーも羽織るし、マフラーだって巻く。
俺と夜一はお互いに準備が出来たのを確認してから、教室の電気を消し、鍵をかけ、職員室に教室の鍵を返しに行くついでに補習のプリントを先生に提出しに行った。
▽▽
「なんだよ……もっと頼んでよかったんだぞ?」
「この後夕飯あるし、これくらいが丁度いいの! てか録助がバイトして稼いだ金だろ? もっと自分のために使いなさい!」
「母親かよ」
「的確なツッコミをありがとうございます」
俺は補習を手伝ってくれたお礼として夜一とファストフード店に来たのだが、コイツはポテトのLサイズだけを頼み注文を終えたのだ。
俺としてはお礼だったため、もっと頼んでほしかったのだが、この後夕飯が控えていると聞かされてはそれ以上何も言えない。
それどころかもっと自分のためにお金を使うべきだと言ってくる。俺がバイトをしている理由は夜一と遊ぶためのお金が欲しいからしているのであって、何か欲しいものがあるとか、やりたいことがあるだとか、何かの目標があってアルバイトをしているわけではないので、今まさに夜一と学校帰りにこうしてご飯を食べているこの状況こそバイトをして貯めたお金の正しい使い道なのだが、彼にはそれが伝わっていないようだ。
「そう言えば全然話は変わるんだけどさ、新しくなった生徒会の噂って知ってるか?」
細長いポテトのカリカリとした部分を前歯で折るようにして食べながら夜一は俺にそう問いかけた。
私立加納高等学校は二学期の始まった九月ごろに旧生徒会が任期を終え、新生徒会が発足したところであり、三年生が受験やら就職やらで忙しくなってくるこのタイミングでバトンを二年生に繋いだのだ。
「噂? 何それ? 生徒会長と副会長の苗字なら覚えてるけど」
「出た苗字オタク」
新しい生徒会長と副会長は今までに出会ったことのない珍しい苗字とかっこいい苗字だったため記憶に残っている。投票のときもその苗字に惹かれて投票したはずだ。
「生徒会長が御薬袋さんで、副会長が式神さんだろ? 御薬袋って苗字は憧れるよな! 式神は苗字に神の字が入ってるだけでずるい」
「ま、俺もその二人の苗字は珍しいとは思うよ。んで噂もその二人のなんだよね」
噂話とは高校生が好きそうな話題だなと、ぶっちゃけ噂話に興味は無いので買ったばかりのバーガーの包み紙を剥がし、ソースが付かないようにと口元のマフラーだけ少し下げてから、一気に口いっぱいに頬張る。
「ふーん」
「ちょっ! 興味持てって!」
あからさまに興味が無い雰囲気を醸し出しながら返事をした俺に夜一は少し呆れたような表情を見せながらため息を吐く。
せっかく夜一が会話を弾ませようとして提示してくれた話題を興味がないと一蹴するのは良くないと考え、リスのように口いっぱいにバーガーを詰めた状態で俺は自分でも聞き取るのが難しい活舌で「興味あるある」と頷きながらそう答えた。
それを聞いた夜一は興味ないのなんてバレバレですけどね、と言わんばかりに頬杖を付きながら次のポテトを口に運び、何度か咀嚼をしたタイミングでポロっと噂の真相を話してくれた。
「付き合ってるんだって」
「……誰が?」
「生徒会長と副会長が」
「……生徒会長の御薬袋さんは男性で、副会長の式神さんも男性だよな?」
「だから噂になってんだよ。ただの男女じゃこんなに噂になってないわ」
夜一の言っていることは理解出来ているが、俺自身の中で何かが理解出来ていないのか、夜一の言葉が脳をすり抜けていく感覚を覚えた。
それと同時に口元まで持って行っていたバーガーはいつの間にか机の方が近くなっており、口の中にあったはずのバーガーはすでになくなっていた。
「……えっと、男同士で付き合ってるってこと?」
「録助は同性愛に偏見がある感じ?」
「いや、そういうわけじゃないけど……。てか俺恋愛とはよくわかんなくて」
「え、マジ?」
「マジ? って……中学からの付き合いだから知ってるだろ? 俺に彼女の一人も居たことないの」
「童貞なのは知ってるけどさ」
「童貞って、それは夜一もだろ?」
「さあ、どうでしょうねぇ」
中学からの付き合いだからわかる。夜一は俺を茶化すときは必ず敬語になるのだ。
現に今の口調は敬語に近かったため、夜一が俺を茶化すためについた嘘だとすぐにわかった。
きっとそれは夜一自身も多少の自覚があるのだろう。
また一本ポテトを口元に運び、微笑みながら呟くように新しい爆弾を投下した。
「録助のこと狙ってたヤツら、中学のとき結構いたのに」
「え? は? マジ? 誰?」
「教えませーん!」
これはどっちだ!
『教えません』自体は敬語に近いが、これは言いたくないときにも言うだろう。
これでは夜一の言葉が本当かどうかがわからない。
そんな俺の考えを表情から読み取ったのだろう。夜一はポテトの先で俺を指しながら口を開いた。
「録助がモテてたのは本当。結構人気あったと思うよ」
「その時に言ってくれよ……。え? 今は?」
「それは教えられませんな」
「ケチかよ」
「録助の場合は、珍しい苗字だったらすぐに告白にオーケー出しそうだもんな。そう考えると今まで告白されなかったのはその人たちが珍しい苗字じゃ無かったからじゃない?」
なんて不親切なヒントなんだ。
別に俺は苗字に憧れを抱いているだけで、苗字だけでその人を判断するようなことはしない。
もし仮に俺が苗字だけで人を選ぶようなやつだったら、今目の前にいる田中夜一とは仲良くしていないだろう。俺調べでは田中の姓は全国で四番目に多い苗字である。俺の佐藤ほどではないにしろこちらもよく見かける苗字だ。
そんなことを夜一もわかっているはずで、敬語こそ使っていないもののこれは俺を茶化しているに違いない。
「まぁいいや。んで? どうして生徒会長と副会長が付き合ってるなんて噂が流れてんの?」
「距離が近いのと、手を繋いでいるところを見た生徒がいるらしい」
「……え、そんだけ?」
「俺が聞いた話では、そうだね」
「なら俺と夜一も付き合ってるって思われてんじゃないの?」
「…………確かに?」
「肯定すんな、バカ! 冗談だよ」
俺はバーガーを持ち直し、口元へ運ぶと大きな口を空けてパクリと咥内をバーガーで満たす。そんなバーガーを飲み込みやすくするために何度か咀嚼を繰り返し、ごっくんと喉を鳴らす。
そのとき俺の中である疑問が浮かんだ。
「……なぁ、俺、その噂、興味あるかも」
「……は?」
突然の俺の宣言に夜一は目を丸くする。
「二人が結婚したらどっちの苗字名乗るんだ?」
「……え? もしかして興味ある理由ってそれ?」
「それ以外に無いだろ! マジで気になってきた! 御薬袋と式神だろ? どっちも譲れなさすぎる……!」
夜一は「苗字オタクがまた変な事を言っているよ」と言わんばかりの大きなため息を吐きながら俺を見るが、今の俺は生徒会長と副会長がどちらの苗字を選択するのかが気になってそれどころではない。
残りのバーガーを一気に口の中に放り込み、最低限の回数の咀嚼のみで喉の奥へと押し込むと、明日の学校が楽しみ過ぎて、バーガーの包み紙を強く握りしめていた。



