悪い。翔次。俺、今さ。なんも喋れねぇ。お前の顔面が良すぎて。俺は惚けてフリーズする。
翔次の視線が俺から逸れる。流れるように窓枠に頬杖をつくきれいな横顔が、ふと物憂げに変わって。
「さっきは俺に、なに言いかけてた?」
「……さっき」
「燕が入ってくる前」
「……高校。どこに進学するんだ、って」
ずっと訊くのを渋ってたのに。翔次からの問いかけに、俺は包み隠さずにきっぱりと答えた。
頬杖から顎を上げた翔次は俺を見るなりきょとんと固まる。その反応に俺は怯むことなく、翔次のまんまるくなった目をひたすら見続けた。
ぱち。ぱち。ぱち。翔次がまばたきを三回する。長い睫毛してんな、って。のんきに見惚れていた俺は完全に油断しきっていた。むかつくほどに形のいい薄い唇から放たれる言葉に、俺は眉を顰めることになる。
「そんなこと?」
そんなこと? そ、ん、な、こ、と、?
「そんなことって」
「ごめんごめん。だってあのときの洸太。今よりすごい顔、強張ってたからさ。なにかこわいことでもあったのかなって。北村に変なことされたか、とか」
「なんで急に北村がでてくるんだよ」
「あのでかぶつごり丸坊主頭、なに考えてしでかすのかわかんないじゃん」
「お前、北村のことそうなふうに思ってたんか」
翔次も大概そうだけどな。いや、でかぶつごり丸坊主頭って部分はちがくて。なに考えてんのかって部分のほう、な。
「あのとき俺。野球部に乗り込んで。あのでかぶつごり丸坊主頭、ボコしてやろうかって。わりと本気で思ってたんだからね」
……まじでなに考えてんのかわからん。
「まぁ。それでもやっぱり。洸太には悪いけど、そんなことだわ」
翔次は俺にそう言って、それから窓の外に目を向けた。遥か遠くを見つめる眼差し。大人びた静けさを湛えている目元が俺の不安を煽る。
無言の空気に耐えかねて、俺が喧嘩腰に思ってもないことを言ってしまうよりも先に、翔次の唇がぱっとかすかに音を立てて隙間を薄く開けた。そこから、ふぅ、と小さなため息をこぼして。口火を切った翔次の声は、数十分前に名前を呼ばれたときのあの、普段のものより少し硬めの、畏まったものだった。
「三年間。教室が離れてても一緒に登下校してるし。これからだって変わらない。変わるつもりない」
「……高校が離れたら、そんなの無理じゃん」
「なに。洸太。すげーかわいいこと言ってくれんね」
「うるせ」
「それではここで、苦言をおひとつ。洸太さん。この際なので、俺がずっとお前に対して感じてたし感じててほしいかったこと。態度だけじゃなく声にして、改めて言わせていただきますが」
翔次の横顔が動く。風で揺れるカーテンとともに翔次のウルフヘアがふわりと踊るように舞う。小首を傾げながらいたずらに目を細めた翔次は、今までに見たことのない、極上に甘い微笑みを俺に向けてきた。
「俺は十年以上。物心がつかない記憶が曖昧な頃から。そんじょそこらの誰よりもお前と。誓ってお前とだけ。長く、深く、清く、ちょっとやんちゃにお付き合いしてきたんだけど? そこのところ、どうお考えで?」
「──っ」
俺は息を呑んだ。顔全体、いや、全身が一気にかっと熱くなって。じわじわ湧き上がる幸福感をひとりで抱えきれずに、どうしようもなく、わっとこの場で泣きだしたくもなって。
「どう、って。だから」
「あ」
すん、と翔次が小さく鼻を鳴らす。
「雨のにおいがする」
そう言いながら薄雲が広がる空を一瞥した翔次が俺に視線を戻して。俺と目が合ったとたん、くしゃっと目映くはにかんだ。
「ひと雨降る前に。日誌終わらして、ダッシュで帰ろうぜ」
◇
翔次と教室をあとにして、俺は職員室へ。澄川先生に学級日誌と進路希望調査票を提出した。澄川先生はにこやかに俺の手からそれらを受け取ると、昼間にはなかった顎髭をさすりながらプリントのほうへ、まず視線を落とす。
「関口くん。志望校は変わりないようだね」
「はい」
澄川先生と再び目が合う。その目尻には、ついさっき見たときよりも小皺が幾重にもなっていて、より一層深みを増していた。
「前回提出してくれたときより、いい顔してる」
「……清らかな青春をちょっとやんちゃに謳歌しようかと」
「へぇ? いいじゃん。微力ながら全力で応援するよ。だけどほどほどに、羽目を外しすぎない程度にね」
「弁えてまーす」
日誌も併せて記入不備はなかったようだ。澄川先生と清々しい挨拶を交わして、俺は職員室から退出する。
下駄箱前に待たせていた翔次と落ち合って、ふたりして上履きからスニーカーへと履き替えているときだった。
「高校が離れたら。毎朝、登校前にオクラの散歩。一緒に行けばいいし。夕方だって、夜だって、そうだろ」
靴箱越しの向こうから翔次に言われて。……お前、今どんな顔してそれ言ってんの。照れくさくって、俺は黙りこくる。
スニーカーに片足を順に突っ込んで、つま先と踵を鳴らしながら昇降口の前まで歩く。威圧的に立ちはだかっていた下駄箱が途切れ、すぐとなりから「まぁ」と低い掠れ声。そして、こっそりと耳元でぶっきらぼうに、それでも隠しきれてない高揚感と期待を滲ませながらに告げられた。
「俺的には、オクラ抜きのがいいけど」
「……ネギ抜きみたいな言い方だな」
「あは、うける。ラーメン食いてぇ」
靴紐を結んで、並列して、となりに目を配らせて。どちらからともなく「よーい、どん!」で昇降口を飛びだす。いつだったかこんなこと、小学生の頃にもやってたな。なんて。頭の片隅でうっすら思い出して。
低空飛行する燕が目の前を翔け抜けていった。あっというまに姿を見失って、不意にぽつっと頬を掠める気配に睫毛が上がり、俺は天を振り仰ぐ。
「雨だ!」
息を弾ませながらもぴったり重なった声に、俺と翔次は子どもらしく、同時にけらけらと高らかに笑った。
──燕の訪れ[ 終 ]
翔次の視線が俺から逸れる。流れるように窓枠に頬杖をつくきれいな横顔が、ふと物憂げに変わって。
「さっきは俺に、なに言いかけてた?」
「……さっき」
「燕が入ってくる前」
「……高校。どこに進学するんだ、って」
ずっと訊くのを渋ってたのに。翔次からの問いかけに、俺は包み隠さずにきっぱりと答えた。
頬杖から顎を上げた翔次は俺を見るなりきょとんと固まる。その反応に俺は怯むことなく、翔次のまんまるくなった目をひたすら見続けた。
ぱち。ぱち。ぱち。翔次がまばたきを三回する。長い睫毛してんな、って。のんきに見惚れていた俺は完全に油断しきっていた。むかつくほどに形のいい薄い唇から放たれる言葉に、俺は眉を顰めることになる。
「そんなこと?」
そんなこと? そ、ん、な、こ、と、?
「そんなことって」
「ごめんごめん。だってあのときの洸太。今よりすごい顔、強張ってたからさ。なにかこわいことでもあったのかなって。北村に変なことされたか、とか」
「なんで急に北村がでてくるんだよ」
「あのでかぶつごり丸坊主頭、なに考えてしでかすのかわかんないじゃん」
「お前、北村のことそうなふうに思ってたんか」
翔次も大概そうだけどな。いや、でかぶつごり丸坊主頭って部分はちがくて。なに考えてんのかって部分のほう、な。
「あのとき俺。野球部に乗り込んで。あのでかぶつごり丸坊主頭、ボコしてやろうかって。わりと本気で思ってたんだからね」
……まじでなに考えてんのかわからん。
「まぁ。それでもやっぱり。洸太には悪いけど、そんなことだわ」
翔次は俺にそう言って、それから窓の外に目を向けた。遥か遠くを見つめる眼差し。大人びた静けさを湛えている目元が俺の不安を煽る。
無言の空気に耐えかねて、俺が喧嘩腰に思ってもないことを言ってしまうよりも先に、翔次の唇がぱっとかすかに音を立てて隙間を薄く開けた。そこから、ふぅ、と小さなため息をこぼして。口火を切った翔次の声は、数十分前に名前を呼ばれたときのあの、普段のものより少し硬めの、畏まったものだった。
「三年間。教室が離れてても一緒に登下校してるし。これからだって変わらない。変わるつもりない」
「……高校が離れたら、そんなの無理じゃん」
「なに。洸太。すげーかわいいこと言ってくれんね」
「うるせ」
「それではここで、苦言をおひとつ。洸太さん。この際なので、俺がずっとお前に対して感じてたし感じててほしいかったこと。態度だけじゃなく声にして、改めて言わせていただきますが」
翔次の横顔が動く。風で揺れるカーテンとともに翔次のウルフヘアがふわりと踊るように舞う。小首を傾げながらいたずらに目を細めた翔次は、今までに見たことのない、極上に甘い微笑みを俺に向けてきた。
「俺は十年以上。物心がつかない記憶が曖昧な頃から。そんじょそこらの誰よりもお前と。誓ってお前とだけ。長く、深く、清く、ちょっとやんちゃにお付き合いしてきたんだけど? そこのところ、どうお考えで?」
「──っ」
俺は息を呑んだ。顔全体、いや、全身が一気にかっと熱くなって。じわじわ湧き上がる幸福感をひとりで抱えきれずに、どうしようもなく、わっとこの場で泣きだしたくもなって。
「どう、って。だから」
「あ」
すん、と翔次が小さく鼻を鳴らす。
「雨のにおいがする」
そう言いながら薄雲が広がる空を一瞥した翔次が俺に視線を戻して。俺と目が合ったとたん、くしゃっと目映くはにかんだ。
「ひと雨降る前に。日誌終わらして、ダッシュで帰ろうぜ」
◇
翔次と教室をあとにして、俺は職員室へ。澄川先生に学級日誌と進路希望調査票を提出した。澄川先生はにこやかに俺の手からそれらを受け取ると、昼間にはなかった顎髭をさすりながらプリントのほうへ、まず視線を落とす。
「関口くん。志望校は変わりないようだね」
「はい」
澄川先生と再び目が合う。その目尻には、ついさっき見たときよりも小皺が幾重にもなっていて、より一層深みを増していた。
「前回提出してくれたときより、いい顔してる」
「……清らかな青春をちょっとやんちゃに謳歌しようかと」
「へぇ? いいじゃん。微力ながら全力で応援するよ。だけどほどほどに、羽目を外しすぎない程度にね」
「弁えてまーす」
日誌も併せて記入不備はなかったようだ。澄川先生と清々しい挨拶を交わして、俺は職員室から退出する。
下駄箱前に待たせていた翔次と落ち合って、ふたりして上履きからスニーカーへと履き替えているときだった。
「高校が離れたら。毎朝、登校前にオクラの散歩。一緒に行けばいいし。夕方だって、夜だって、そうだろ」
靴箱越しの向こうから翔次に言われて。……お前、今どんな顔してそれ言ってんの。照れくさくって、俺は黙りこくる。
スニーカーに片足を順に突っ込んで、つま先と踵を鳴らしながら昇降口の前まで歩く。威圧的に立ちはだかっていた下駄箱が途切れ、すぐとなりから「まぁ」と低い掠れ声。そして、こっそりと耳元でぶっきらぼうに、それでも隠しきれてない高揚感と期待を滲ませながらに告げられた。
「俺的には、オクラ抜きのがいいけど」
「……ネギ抜きみたいな言い方だな」
「あは、うける。ラーメン食いてぇ」
靴紐を結んで、並列して、となりに目を配らせて。どちらからともなく「よーい、どん!」で昇降口を飛びだす。いつだったかこんなこと、小学生の頃にもやってたな。なんて。頭の片隅でうっすら思い出して。
低空飛行する燕が目の前を翔け抜けていった。あっというまに姿を見失って、不意にぽつっと頬を掠める気配に睫毛が上がり、俺は天を振り仰ぐ。
「雨だ!」
息を弾ませながらもぴったり重なった声に、俺と翔次は子どもらしく、同時にけらけらと高らかに笑った。
──燕の訪れ[ 終 ]
