燕の訪れ

 つばめ? 俺は翔次の視線の先、教室の天井を振り仰ぐ。翔次の言うとおり一羽の燕が、出口を探すように四方八方に飛び回っている。低空飛行になった次の瞬間には天井のほうへとぐーんと勢いづいて高度を上げて、たまに羽をばたつかせながら宙にとどまり、戸惑っているように見えた。

 ずっと眺めてたら目が回りそうだ。燕自身も、目が回ってるんじゃないか?

 予測不可能な動きをするそれは、次になにをしかけるのかって。どうしても気になってしまうわけで。はらはら、わくわく、どきどき。ただただ燕の様子から目が離せずにいたら、急に視界の端からふらりと翔次が現れた。俺と燕とのあいだに割って入るように、それこそ予測してなかったことで。どきっとひときわ大きく心臓が跳ねて、声をだせずに俺は目を見張った。
 翔次はいつのまにか立ち上がっていたらしい。俺に背を向けて廊下のほうへ、足音を鳴らさずに歩いていく。そして、翔次が教室に入ってくる前から開けたままにされてた後方扉を、なんだか慎重を心がけているような手つきで、そっと静かに閉めた。

「……え。なんで閉める?」
「廊下にまででたら、確実に大騒ぎでしょ。燕。ただでさえ今も混乱してそうなのに、わーわー騒がれたらわけわかんなくなりそう」

 遠目ながらに翔次と目が合う。

「洸太。そっち側の窓、ぜんぶ開けて」

 ……お前はいつでも冷静だなぁ。
 翔次の指示どおりに窓を順々に開けているあいだにも、燕は教室内を懸命に飛び回っている。
 窓に近づくたびに俺は「お!」と声を上げるんだけど、それが悪いのかどうなのか燕は急旋回して。時折俺のいるほうに突っ込んでくるから「おわっ」とか「ひょわっ」とか驚いてついつい叫んでしまう。

 対角線上に翔次が立っている。お互いを正面にして向き合って。
 視線は忙しなく翔ける。何度も交差する。そのたびにお前は子どもらしく、笑っているようだった。

 燕が俺のすぐそばを颯爽と横切っていく。

「あ!」

 肩越しに振り向いて見ても、そこにはもう燕の姿はない。カーテンが外からの風を浴びて、ふんわりはためいている。
 俺は跳ねるように身を翻して窓に近づいた。

「やった!」

 スポーツ観戦さながらだったな。窓枠に手をつき、身を乗りだして燕の行方をきょろきょろ探してみる。まぁ、わかりきったこと。どこにも姿が見あたらない。あれだけのスピードとスタミナがあるのだから、確かに燕は渡り鳥なのだと納得できる。
 小さい身体で、心臓はその身体より遥かに小さいのに。どこまでも遠くに、自由に、思うがままに飛ぶことができる。

「よかったな」

 不意にとなりから降ってきた声にはっとした。振り向いたら翔次の横顔が、手を伸ばせば届く距離にある。
 ……その表情、俺の都合のいい幻覚じゃなかったんだな。『ようだった』じゃ、なかったんだ。
 ああ。くそ悔しい。諦めきれない。やっぱり。

「……俺、翔次のことが好き」

 翔次の睫毛と瞳がわかりやすく揺れるのを目で捉えて、
 ──待って。やば、俺。一生言っちゃいけないこと言って……。
 気づいた瞬間、俺の顔面が満遍なくぼっと熱くなった。

「あ。ちがう、いや。ちがわな、いや。ええと」
「……ふっ」

 全身がふつふつと粟立ち、咄嗟に自分自身を抱きしめるように、肩口に手をぐっと食い込ませて、コントロールの効かなくなった唇が震えて。
 もう終わりだ、って。涙が滲みでてきそうになったとき。こっちに振り向いた翔次の目が、ぎゅっと細まって。

「はっ、あははっははっ」

 翔次は端正な薄い唇を崩して、白い歯を覗かせながら子どもらしく、無邪気な笑顔を弾けさせた。
 校舎内に、校舎裏に、なんなら燕ですらたどり着けない宇宙の果てにまで届くんじゃないかってくらい。その明るく澄んだ笑い声が、じめじめと鬱屈していた俺の胸のなかを一瞬で鮮やかに満たして。
 今朝のテレビで梅雨入りしたって、聞いたばかりなのに。まるで梅雨明けを迎えたかのような。そんな前代未聞の奇跡なんて謳われそうなほどの影響力が、翔次の笑顔にはあった。

 ひとしきり笑った翔次の目尻には光の粒が浮かんでて、うっすら赤らんだ頬は緩んだまま。

「どっちだよ」