案の定というか、もとよりなんだけど。俺の席まできた翔次は冷めた表情で俺を見下ろしてくる。
あー……、うん。めっちゃ引いてる、よな。会話のどのあたりから聞かれて見られてたのかは謎だ。それでも直前のあの、気持ち悪い現場を見せてしまったのは事実。居た堪れずに俺は翔次から視線を外して日誌に向き直る。両耳がめちゃくちゃ、熱い。
「お前ら相変わらず、仲いいな」
「まぁ……一年と二ヶ月のお付き合いですからねぇ」
「ふぅん」
「あ、違う。二ヶ月半か。もうすぐ三ヶ月だな。ふふ、時が経つのは早い早い」
「洸太」
「なに」
北村との出会いから今までの日々を思い起こして。なんだかんだ俺の中学校生活のなかで、あいつの存在は思いの外でかかったんだな、と。まぁ、物理的にも図体のでかい屈強なやつだしな、なんて。
感慨深くって、つい笑みをこぼしながらぽつぽつ言葉を紡いでいたら、翔次に唐突に名前を呼ばれた。頭上から降ってきた、普段より少しばかり硬い声をたどって、条件反射的に目線を上げそうになったけど。俺は日誌に目を落としたまま、ボールペンをぐっと握り直す。
なかなか仕事が進まない。このままじゃあ日が暮れてしまいそうだ。オクラを散歩につれていかなきゃなのに。誰もいない家で留守番、朝からずっとがんばってるんだよな。犬にとっての時間って、人間より遥かに目まぐるしいんだって。人間の一日が犬にとってはだいたい三日相当なんだとか。ひとりじゃ退屈で寂しいよな。少しでも早く帰ってやらないと……。
「日直だったんだ」
「そ。まだ時間かかるから、先に帰ってていいよ」
「なんで?」
「ん?」
なんでって。まだ時間かかるからって。
聞こえなかったんか?
俺が日誌から顔を上げるのと同時に翔次が目の前の席に、窓側に背を向けて静かに腰を下ろした。
「……北村のおしりのぬくもり、ど?」
「わからん」
表情ひとつ変えず、いつもの掠れ気味の声音に戻って。ぶっきらぼうに言い放った翔次は、前の机に置いた薄っぺらいスクールバッグから、おもむろに文庫本を取りだす。ぺらっと音を立ててページをめくり、長い脚を自然に嫌味なくクロスさせる。ふっと睫毛を落として、下瞼にあった薄い影がやや色を濃くして伸びた。瞳が文庫本の文字をなぞって縦にゆっくりと動いて、下までいくとぱっと上に戻ってまた縦にゆっくりと動く。その仕草を永遠にこのまま、ずっと眺めていたい気持ちになって。俺のボールペンを握る手が、また日誌の上で止まってしまう。
どんどんお前は、俺を置いて大人びていく。黒いウルフヘアから覗くしなやかな首筋に、ごつりと主張する喉仏。文庫本の表紙を片手で覆って。制服の白シャツ越しの体躯は成長途上ながら男の色気を漂わせている。
朝。浩人に偉そうなこと言ったけど。俺の声変わりはそう大したことはなかった。確かにさ、喉に違和感はあったよ。それでも、喋るたびにあんな咳をするほど、目玉焼きトーストが食べられないほど、つらいものではなかった。身長だって、一個下の浩人のほうが俺より頭一個分近くも高い。実の兄弟なのに、だ。
そして今、目の前にいる翔次も。俺よりも声が低くって、俺よりも身長が高い。そんな翔次が誰よりもかっこよくって。惚れ惚れしながら、俺は惨めになるばかり。
どうしてこんなに、お前のこと好きになっちゃったんだろう。幼馴染なのに。同じ男なのに。こんな想い抱いちゃうのおかしいよな。
距離、置いたほうがいいんかな。別々の高校になったら、この気持ちに諦めつくんかな。お前よりは劣るけど、女子に告られたこと、俺だってあるからさ。女子と付き合いはじめれば、お前のこと……。
……ごめんな。
それでも、俺。お前と同じ高校に行きたいよ。
お前の何気ない一部でありたいよ。
お前を好きな気持ち、諦めたくないよ。
直接好きだなんて、恋人になりたいだなんて。お前を困らせることは一生、言わないからさ。ただ、なるべくお前の近くに。俺をいさせてくれよ。
「翔次」
翔次が俺を見る。気のせいか、いつもクールに決まっている翔次の瞳が狼狽えるように、かすかに揺れた。……もしかして、俺の気持ち悟られた? 顔にでちゃってる? ちょっとこわくなって、ぱっと翔次の顔から視線を滑り落とす。一向に進まない日誌を見つめながら。震えそうになる唇からそっとため息をこぼして。目をぎゅっと瞑って、開けて。それから再び、意を決して翔次に視線を向けた。
「……あの、さ。こうこ、──うおあっ」
俺と翔次のあいだに、開けっぱなしにしていた窓からびゅんっと風が吹き抜ける。
と。それは誇張した表現だ。実際はそんな大規模な風じゃあなく、ほんの微風。だけど鋭く斬り込んでくるような。空気を揺るがす、まっすぐな力強さがその風にはあった。
なんだなんだと俺が目を白黒させてたら、翔次の視線が俺から外れて、端正な横顔が教室の天井をゆるりと仰ぐ。
「あ」
翔次の目がわずかに大きくなって喉仏が動いたかと思えば、薄い唇からいつもよりワントーン高い声を教室内に響かせる。
「燕」
あー……、うん。めっちゃ引いてる、よな。会話のどのあたりから聞かれて見られてたのかは謎だ。それでも直前のあの、気持ち悪い現場を見せてしまったのは事実。居た堪れずに俺は翔次から視線を外して日誌に向き直る。両耳がめちゃくちゃ、熱い。
「お前ら相変わらず、仲いいな」
「まぁ……一年と二ヶ月のお付き合いですからねぇ」
「ふぅん」
「あ、違う。二ヶ月半か。もうすぐ三ヶ月だな。ふふ、時が経つのは早い早い」
「洸太」
「なに」
北村との出会いから今までの日々を思い起こして。なんだかんだ俺の中学校生活のなかで、あいつの存在は思いの外でかかったんだな、と。まぁ、物理的にも図体のでかい屈強なやつだしな、なんて。
感慨深くって、つい笑みをこぼしながらぽつぽつ言葉を紡いでいたら、翔次に唐突に名前を呼ばれた。頭上から降ってきた、普段より少しばかり硬い声をたどって、条件反射的に目線を上げそうになったけど。俺は日誌に目を落としたまま、ボールペンをぐっと握り直す。
なかなか仕事が進まない。このままじゃあ日が暮れてしまいそうだ。オクラを散歩につれていかなきゃなのに。誰もいない家で留守番、朝からずっとがんばってるんだよな。犬にとっての時間って、人間より遥かに目まぐるしいんだって。人間の一日が犬にとってはだいたい三日相当なんだとか。ひとりじゃ退屈で寂しいよな。少しでも早く帰ってやらないと……。
「日直だったんだ」
「そ。まだ時間かかるから、先に帰ってていいよ」
「なんで?」
「ん?」
なんでって。まだ時間かかるからって。
聞こえなかったんか?
俺が日誌から顔を上げるのと同時に翔次が目の前の席に、窓側に背を向けて静かに腰を下ろした。
「……北村のおしりのぬくもり、ど?」
「わからん」
表情ひとつ変えず、いつもの掠れ気味の声音に戻って。ぶっきらぼうに言い放った翔次は、前の机に置いた薄っぺらいスクールバッグから、おもむろに文庫本を取りだす。ぺらっと音を立ててページをめくり、長い脚を自然に嫌味なくクロスさせる。ふっと睫毛を落として、下瞼にあった薄い影がやや色を濃くして伸びた。瞳が文庫本の文字をなぞって縦にゆっくりと動いて、下までいくとぱっと上に戻ってまた縦にゆっくりと動く。その仕草を永遠にこのまま、ずっと眺めていたい気持ちになって。俺のボールペンを握る手が、また日誌の上で止まってしまう。
どんどんお前は、俺を置いて大人びていく。黒いウルフヘアから覗くしなやかな首筋に、ごつりと主張する喉仏。文庫本の表紙を片手で覆って。制服の白シャツ越しの体躯は成長途上ながら男の色気を漂わせている。
朝。浩人に偉そうなこと言ったけど。俺の声変わりはそう大したことはなかった。確かにさ、喉に違和感はあったよ。それでも、喋るたびにあんな咳をするほど、目玉焼きトーストが食べられないほど、つらいものではなかった。身長だって、一個下の浩人のほうが俺より頭一個分近くも高い。実の兄弟なのに、だ。
そして今、目の前にいる翔次も。俺よりも声が低くって、俺よりも身長が高い。そんな翔次が誰よりもかっこよくって。惚れ惚れしながら、俺は惨めになるばかり。
どうしてこんなに、お前のこと好きになっちゃったんだろう。幼馴染なのに。同じ男なのに。こんな想い抱いちゃうのおかしいよな。
距離、置いたほうがいいんかな。別々の高校になったら、この気持ちに諦めつくんかな。お前よりは劣るけど、女子に告られたこと、俺だってあるからさ。女子と付き合いはじめれば、お前のこと……。
……ごめんな。
それでも、俺。お前と同じ高校に行きたいよ。
お前の何気ない一部でありたいよ。
お前を好きな気持ち、諦めたくないよ。
直接好きだなんて、恋人になりたいだなんて。お前を困らせることは一生、言わないからさ。ただ、なるべくお前の近くに。俺をいさせてくれよ。
「翔次」
翔次が俺を見る。気のせいか、いつもクールに決まっている翔次の瞳が狼狽えるように、かすかに揺れた。……もしかして、俺の気持ち悟られた? 顔にでちゃってる? ちょっとこわくなって、ぱっと翔次の顔から視線を滑り落とす。一向に進まない日誌を見つめながら。震えそうになる唇からそっとため息をこぼして。目をぎゅっと瞑って、開けて。それから再び、意を決して翔次に視線を向けた。
「……あの、さ。こうこ、──うおあっ」
俺と翔次のあいだに、開けっぱなしにしていた窓からびゅんっと風が吹き抜ける。
と。それは誇張した表現だ。実際はそんな大規模な風じゃあなく、ほんの微風。だけど鋭く斬り込んでくるような。空気を揺るがす、まっすぐな力強さがその風にはあった。
なんだなんだと俺が目を白黒させてたら、翔次の視線が俺から外れて、端正な横顔が教室の天井をゆるりと仰ぐ。
「あ」
翔次の目がわずかに大きくなって喉仏が動いたかと思えば、薄い唇からいつもよりワントーン高い声を教室内に響かせる。
「燕」
