蠱毒の後宮妃~型破りな異端妃は美貌の皇子と謎を解く~

小さな籠に見つけた青虫を一匹ずつ放り込んでいく。

やがて二十匹ほどで籠が蠢《うごめ》き満ちると、女は微笑を浮かべた。

少女のあどけなさを残しながらも、妙齢の艶やかさを纏ったその姿は、妖しげな魅力を放つ。

やけに官能的な笑みを浮かべ、籠を愛おしげに抱えて華蠱宮《かこきゅう》へ戻ってきた仙霞に、采女《さいじょ》が声をかけた。

「ご機嫌麗しゅうございますね。中にはなにが入っているのですか?」

女はふと立ち止まり、抱えていた籠の蓋をゆるやかに開ける。

「青虫よ。これから毒草を食べさせるの。蝶になるのかしら……それとも、苦しみうごめきながら、死ぬのかしら」

その言葉を耳にした采女の顔は、みるみる青ざめて硬直した。

籠の中で蠢く無数の青虫を目にしたことに加え、仙霞が残酷な言葉を微笑とともに紡いだからだ。恐怖は一層募った。

良かれと思って声をかけた采女の新人は、慌てて駆け寄った仲間に袖を引かれ、その場から救い出された。

「だから、あの方には近づいてはいけないと言ったのに!」

「これでよくわかったでしょう。あの方は鬼人なのよ」

仙霞から少し離れた場所で、采女たちはひそひそと囁き合っていた。

聞こえていないと思っているのだろう。だが、その言葉はすべて仙霞の耳に届いている。いや、むしろわざと聞かせているのかもしれなかった。

(鬼人などではないのに)

本当は仲良くなりたくて、青虫を見せただけだった。けれど、どうやら怖がらせてしまったらしい。

(まあ、いいわ。毒草を探しに行きましょう)

仙霞は青虫の入った籠を自室に置き、軽やかに外へ歩み出た。

(どんな毒草を与えようかしら。苦しみ合い、互いを喰らい尽くすようなものがいいわ)

想像するだけで胸が高鳴り、思わず微笑が零れる。

(ああ、楽しみ。青虫の体からどろりとした液が滲み出すのかしら。死臭が籠を満たし、引きちぎられた肉片が転がる様をじっと見ていたいものだわ)

華蠱宮の周囲には、数多の毒草がひそやかに生い茂っていた。

後宮内で毒を作ることは禁じられているため、一見しただけでは毒草と気づかぬようなものばかりである。鈴蘭《すずらん》や金鳳花《きんぽうげ》、大笠持《おおかさもち》など、可憐な花を咲かせる草花ゆえ、後宮の庭にも珍しくない。知識がなければ、とてもそこが毒草の群れる地だとは思うまい。

(どうしたら、彼女たちと仲良くなれるのかしら)

 仙霞はひとり毒草を摘みながら、小さくため息を吐く。

 孤独が寂しいわけではない。ひとりでいることに、不自由を感じたこともなかった。

 ただ、人との結びつきというものに興味があった。友達とは、どのような存在なのだろう。

 唯一、仙霞を避けないのは蠱婆だけだ。ゆえに仙霞もまた、蠱婆を慕い、甲斐甲斐しく世話を焼いている。

 けれど、それはあくまで師弟の関係であり、対等なものではない。

(本には、人との絆は素晴らしいものだと書いてあったわ。私には家族の絆も、友達もいないから、よくわからない……)

 そもそも仙霞には、人の感情というものが理解しづらかった。

 ふと視線を落とすと、毒草を誤って食べてしまったのか、かたつむりが葉の上で息絶えていた。

(ああ、この子はまるで私のよう)

 仙霞は愉悦を滲ませた微笑を浮かべ、死んだかたつむりを摘み上げる。

(きっと私は、間違えて人間の世界に迷い込んでしまった虫なのだわ)

 だから、人の気持ちがわからなくても仕方がない。

 けれど、それでも知りたいとも思うのだ。人との結びつきというものを。

 そのとき、仙霞の背後をふたりの采女たちが通り過ぎた。

「最近、吹き出物がひどくて……」

「夜更かしのしすぎじゃない?」

 肌荒れを気にする会話が耳に入り、仙霞はぱっと顔を上げる。

(これだわ!)

 思い切って声をかけた。

「それなら、この子を顔に這わせるといいわ!」

 仙霞は頬をほんのり紅潮させ、死んだかたつむりを掲げた。

 自分から話しかけることなど滅多にない。緊張のせいか、笑みもどこかぎこちなく、目に力が入ってしまう。

 采女たちは突然声をかけられたことに目を見開き、次いで仙霞の手の中を見た。

「きゃあああっ!」

 悲鳴を上げ、逃げていく。

 あとには、呆然と立ち尽くす仙霞だけが残された。

(……なにがいけなかったのかしら)

 仙霞は不思議そうに小首を傾げる。

 そして何事もなかったように、再び毒草を摘み始めるのだった。

(やっぱり、変なのかしら)

昔から、こうだった。

仙霞は幼い頃から、特殊な生い立ちと常人にはない力ゆえに、周囲の者たちから恐れられていた。

気味の悪い存在として疎まれていた仙霞だったが、容姿が美しかったため、大国・趙羅国《ちょうらこく》へ献上された。

十六の娘を四十を超えた皇帝へ差し出すことに、安紗国《あんしゃこく》の者たちはなんの痛みも抱かない。たとえ仙霞が後宮で命を落としたところで、どうでもいい存在なのだ。

だからこそ、蠱師見習いの話が来たとき、仙霞は心の底から安堵した。

皇帝の寵など欲しくない。

それよりも仙霞の心を惹きつけたのは、華蠱宮に伝わる蠱毒づくりだった。

人が目を背けるものほど、美しい。

蠱毒という怪しげな術は、仙霞を抗いがたく魅了していった。

虫同士を狭い器に閉じ込め、互いに殺し合わせる――

透明な器の中で捕食し合うさまを眺めていると、ぞくりとするほど刺激的だった。

青虫が好みそうで、なおかつ毒性の強い葉を集め終えると、仙霞は華蠱宮へ戻ることにした。

空は茜と群青が溶け合い、夕陽の金の欠片が葦の群れへ降り注いでいる。日はすでに暮れかけていた。

風がさあっと走り抜け、葦の葉がざわめいた刹那、仙霞の頭の内に映像が流れ込む。

背の高い、まだ若い男。その傍らには、付き従うように立つ年配の宦官。

逆光のせいで顔は見えない。ただ、草むらを背にこちらを見据える二つの影。

その後ろに揺れる葦は、華蠱宮のものによく似ていた。

(誰かが……ここに来るの?)

 脳裏に浮かんだ景色は、瞬く間にかき消えた。

それ以上の手がかりは、どこにもない。

 仙霞は幼い頃から未来を垣間見る力を持っていた。それは自ら望んで視られるものではなく、予告もなく頭の奥へ流れ込む、断片的な映像にすぎない。

 そしてこの日、葦のざわめきとともに視えた光景は──数週間後、日暮れの空の下で、ふいに現実となる。

 そのとき出会う彼の正体は、仙霞の未来を大きく揺るがす存在であった。