蠱毒の後宮妃~型破りな異端妃は美貌の皇子と謎を解く~

罪人がわかったと仙霞が言ったので、楊胤は禁軍の武官を招集した。

(手際がいいことね。それほど早く解決させたいのでしょうけれど)

 仙霞には、どうにも引っ掛かるものがあった。楊胤の様子がおかしいのだ。

 罪人を捕らえ、皇帝の病を完解させれば、楊胤の功績は大きいはず。それなのに、彼は浮かない顔をしている。もっと喜び勇んでもいいはずなのに、暗い表情で淡々と指示を出していた。

 楊胤と仙霞は、禁軍の武官三十名、宦官二十名を引き連れ、とある貴婦人の宮へと歩を進めていた。まるで戦に出陣するかのような仰々しさである。

 ただ、宦官が多くいるため、張りつめた空気の中にも、どこか柔らいだ雰囲気があった。後宮内に男性を入れる以上、彼らは見張り役として同行しているのだ。

(確たる証拠もないままに兵を引き連れて参上するなんて……楊胤様は肝が座っている)

 仙霞には確信があったが、楊胤にはない。それでも彼は仙霞を信じて兵を動かした。それは並大抵の決断ではない。無条件に信じてくれたその思いに、仙霞は応えたいと思った。

 夜の帳が降りた空は、墨を零したような常闇に包まれていた。星は雲に隠れ、細く削がれた月だけが闇に浮かぶ。風は止み、木々は息をひそめる。重たい空気の中、兵たちの足音と吐息だけが、ひっそりと闇に紛れ込んでいった。

 やがて、一行は宮殿の門の前に立つ。

 太湖石や樹木を巧みに配した風光明媚な庭院も、闇に沈めば不気味な森のように映る。喚賢妃の宮の前で足を止めた仙霞は、静かに大きく息を吐き出した。

(もう、戻ることはできない)

 喚賢妃が怪しいと気づいたのは、庭や宮殿の内部を案内されたときだった。自然美を生かした庭には、鈴蘭や金鳳花など、可憐で華やかな花々が咲いていた。

だが、それらが毒を持つ植物だとは、普通の者なら気づかない。華蠱宮にも同じ花が植えられていたからこそ、仙霞にはわかったのだ。

 さらに、宮殿の内部は静謐で整い、落ち着いた造りをしていた。

蠱師の住まいは常に整理整頓され、余計な装飾を好まない。汚れに邪気が集まりやすいとか、蠱虫の中には清潔を好むものがいるからだとか、理由はいくつもある。

 喚賢妃の宮に入ったとき、仙霞はふと「なんだか落ち着く」と感じた。蠱師見習いの仙霞がそう思うということは、蠱師自身にとっても居心地のよい空間ということだ。

そして、喚賢妃の娘は、少し情緒が不安定だった。

 この年頃の子どもなら、泣くのも当たり前であるし、内気で人見知りするのも性格の一つに見える。しかし、もし喚賢妃自身が呪いの対価を受けて情緒不安定になっていたのだとしたら、その影響が娘に及んでいてもおかしくはない。

 喚賢妃は取り繕うことができても、娘はまだ五歳。隠し通すのは難しいだろう。

 ただ、喚賢妃からは微弱な術の気配さえ感じられなかったため、仙霞も確信を持てなかった。

 今にして思えば、それこそが彼女が強力な術師である証だったのだろう。きっと喚賢妃は、一目で仙霞が蠱師見習いであると見抜いたに違いない。仙霞には、まだ自らの力を抑える術がなかったからだ。

「仙霞、大丈夫か?」

 仙霞の緊張を察したのか、楊胤が心配そうに声をかけた。

「はい、問題ありません」

 気をしっかり保たねばならない。仙霞は自分に言い聞かせた。

仙霞の予想が正しければ、喚賢妃が呪殺という禍々しい術に手を染めた理由は、あまりにも悲しいものだった。娘を愛おしそうに見つめるその瞳は、まぎれもなく良き母のものに見えた。

 それに、喚賢妃は仙霞と境遇が似ていた。年齢も近く、他国の養女公主であるという点も同じだ。

 娘の年齢を考えれば、喚賢妃が帝から寵愛を受けたのは、今の仙霞とそう変わらぬ頃だろう。

 貴妃や淑妃のように野心があれば、それを幸運と感じたかもしれない。だが、喚賢妃には野心の色がまるで見えなかった。

 どんな気持ちで夜伽を迎えたのだろう。そう思うと、胸が締めつけられる。国のためと割り切り、誉れ高い矜持を保てたのだろうか。そうであってほしい。娘を愛する姿を見る限り、幸せに見えた。

だがその娘は、酷く怯えていた。喚賢妃には、もうひとつの顔があるのかもしれない。仙霞を呪い、さらには皇帝という最高権力者をも呪った。それは、もはや心優しい妃の行いではない。

 同情していては、取って喰われる。

 仙霞は背筋を伸ばし、鋭いまなざしで喚賢妃の宮殿を見据える。そして、楊胤と共に静かに宮の門をくぐった。

門の中へ足を踏み入れた瞬間、まるで結界の内側に入り込んだかのような、異様な気配に包まれた。

「楊胤様、大丈夫ですか?」

「ん? なにがだ?」

 楊胤は、なにも感じていないらしい。

(この人は鈍感だものね)

 霊媒体質の仙霞とは違い、楊胤には霊感というものがまるでない。

 視えず、感じないということは、それだけ鉄壁の守りで覆われているということでもある。

(ある意味、羨ましいわ)

 楊胤と仙霞を先頭に、一行は次々と宮殿の庭へと足を踏み入れた。