蠱毒の後宮妃~型破りな異端妃は美貌の皇子と謎を解く~

 
まだ太陽が沈みきらぬうちに、楊胤は離れの棟を訪れていた。

なぜここに足を向けたのか、自分でもわからない。ただ――顔が見たかったのだ。

「楊胤様、お帰りですか?」

 庭の樹のそばでごそごそとなにかしていた仙霞が、ぱっと立ち上がる。どうせ虫か毒草でも探していたのだろう。

 だが楊胤の顔を見た途端、仙霞は眉をひそめた。

「どうなさったのです。顔が真っ青です」

 楊胤は彼女に歩み寄ると、そっと肩に頭を預けた。

「……少しだけ、このままでいさせてくれ」

 言いようのない不安が、心を脆くする。

 ――皇帝になる可能性。

考えたこともなかったそれが、唐突に目の前にぶら下げられた。もちろん現実には可能性は低い。拒むことだってできる。

だが、帝の言葉に背けばどうなる? 

逆らったと見なされ、激昂した帝に殺されることだってあり得る。楊胤の立場など、その程度に脆い。皇子でありながら、自分の意志でできることはたかが知れている。生きるも死ぬも、すべては帝の気分次第。改めて突きつけられた現実に、心が沈んでいく。

 仙霞は黙ってそのままでいてくれた。

 なにを考えているのだろう。なにも考えていないのかもしれない。

「すまない。少し……疲れているんだ」

 楊胤は顔を上げる。

「そうでしょうね。もうお休みになられては?」

「お前の側にいたいんだ」

 思わず漏れた言葉に、仙霞は小首を傾げる。意味がわからないらしい。

 楊胤は、ふっと笑っていつもの表情を取り繕った。

「皇帝から直々に、早く罪人を見つけよとお達しがあった。見つかるまでは眠れない」

「ああ、なるほど」

 仙霞はようやく納得したようにうなずく。

「四夫人の出身地については、まだ詳報はないが、集められた情報を持ってきた」

 楊胤は先ほど届いた巻物を渡した。官吏がまとめた調書だ。

 仙霞は目を走らせ、すぐに神妙な顔で返す。

「もういいのか?」

「はい。疑惑が確信に変わりました。罪人がわかりましたよ」

「本当か!」

 楊胤は思わず声を弾ませた。

「証拠を集めるのは難しいと思っていましたが……実は、もう必要ありません」

「どういうことだ?」

「彼女は禁断の術に手を染めました。この世でもっとも恐ろしいことを。――皇帝を呪殺しようとしたのです。その代償は、あまりにも大きい」

「死ぬ、ということか?」

 仙霞は首を横に振った。瞳には悲しみが滲んでいる。

「いいえ。それより恐ろしいことです」

 死より恐ろしいもの。

 楊胤は息を詰め、次の言葉を待つ。

 そして仙霞は、重々しく口を開いた。

「人ではなくなっていることでしょう。……彼女は、鬼となったのです」