冷たい月と星天のクロノグラフ

仕事納めの日、午前中で仕事が終わると事務所で小さな忘年会が行われた。
みんな車やバイク通勤だからアルコールはなしで、社長が普段は食べられないようなお寿司を買って来てくれる。

入って1年目の時に、並木さんから「ここのお寿司屋さん、メニューに値段が書いてないらしいよ」と教えてもらい、「怖っ」と言って笑われた。
回っていないお寿司屋さんに行ったことはあるけれど、値段が書かれていないところへは行ったことがない。


「今年もみんなありがとう。一足先に帰るので、あとはごゆっくり。良いお年を」

会社から直接空港へ向かうからと、早めに社長が帰った後も、みんなでお茶とお菓子を食べながら雑談を楽しんだ。

「月埜さんは一人暮らしだったよね? 今年も実家には年が明けてから帰るの?」

「はい。友達と予定が入っているので」

ごめんなさい、と心の中で謝りながら嘘をつく。


わたしが社会人になった年に里穂さんは子供を生んだ。
地元に帰りたくない里穂さんのために、年末年始は木嶋さんの両親がこっちへやって来る。

幸い今の会社は、年末ギリギリまで仕事がある代わりに、仕事始めが一般企業より遅いから、木嶋さんのご両親が帰った後、年始のあいさつに顔を出すつもりでいる。
そんな事情を並木さんに話していないので、「友達と遊ぶ」ということにしている。


「並木さんのところは、車で帰省されるんですよね?」

「大人子供合わせて4人分の往復新幹線代はシャレになんないからねー。これから帰ったらすぐに出発。片道5時間を旦那と交代で運転」

この話が出ると次に言われるのはいつも同じセリフ。

「月埜さんも今のうちに免許取りなよ」

「考えておきます」

そんなやりとりをしていると、事務所の電話が鳴った。

「おい、留守電にしてなかったのか?」

その声に並木さんが「すみませーん」と言いながら電話に出た。

「お疲れ様です。え? あ……ちょっと待ってください」

電話を保留にしないまま、並木さんがみんなに聞こえるように大きな声で言った。

「ねぇ、誰か社長のポーチがないか探して」

全員が社長の机や、カウンターの上などを探した。

「もしかして、これ?」

男性社員がポーチを掲げた。

「中にパスポートが入ってないかって」

「あります!」

並木さんが電話に向かって「ありました」と言った後、「待って下さい。誰かに聞いてみます」と言って、今度は電話を保留にした。

「空港まで持って行けるひといる?」

その場にいた全員が顔を見渡す。
みんな、家族がいたり、恋人がいたり、大切な相手がいる人達ばかり。

「わたしが行きます」

予定のないわたしが挙手をした。