冷たい月と星天のクロノグラフ

お母さんが夜勤の日は学校から帰って一番にお風呂へ入る。
あいつが帰って来るのはどんなに早くても8時を過ぎてだったから。その前に急いでシャワーを浴びて、洗濯物を片付ける。そして先に夕食を済ませておく。


それが……学校が終わると急いで家に帰るようになった理由。
梶葉くんを避けてたんじゃない。
でも、そのことは言えなかた。


あいつが帰って来て、自分の分の夕食を食べ、お風呂に入っている間に、キッチンを片付けて部屋へ逃げ込む。それからあいつが寝るまでずっと起きておく。


一度だけ、朝、歯磨きをしているとあいつが狭い洗面所に入って来て言った。

「胡桃は随分遅くまで起きてるんだね」

あいつの腕がわたしの脇に当たっているのは、洗面所が狭いせい。
満員電車で意図せず知らないひとのカバンを持つ手が当たってるみたいな、そんな感じ。
自分にそう言い聞かせながら、鏡に映るあいつを見ないように口をゆすいだ後、作り笑いを浮かべて返事をした。

「行きたい大学があるんだけど、偏差値が全然足らなくて勉強してる。わたしももうすぐ高3で受験生だよ?」

「ああ、そうだったね。頑張って」

背中に感じる視線を無視して、急いで家を出た。


長くお母さんとふたり暮らしだったから、部屋に鍵が欲しいなんて思ったことはなかった。
それを今更「鍵をつけて」なんて言いづらい。そんなことを言ったら理由を聞かれてしまう。

親戚も、近所の人も、みんながお母さんに「いいひとと再婚したね」と言う。お母さんだけじゃなく、わたしにも「いいお義父さんが出来て良かったね」と口にする。

だから時々、わたしの方がおかしいのかと思ったりもした。
過剰に意識し過ぎてるだけで、世間ではこれが普通の父親の姿なのかなと考えたり、学校の友達が「まじキモイ」と、お父さんのグチを言うのを聞いて、義父は普通なんだと思おうとした。


だけど、それは間違いだった。

木嶋さんに会って、里穂さんの身に起きた話を聞いて、全てを知った。



8年前の今日、わたしはマンションの自分の部屋の窓枠に足をかけて――


あの時は、それしか方法がないと思った。