冷たい月と星天のクロノグラフ

「鯛のカルパッチョ好きでしょ?」

うんうん、と頷く。

「ピザは……アンチョビが乗ってないやつで、天津さんはブルーチーズもダメだから……おすすめは定番だけどマルゲリータだけど――って、メニュー見てる?」

「見てるよ。でもわたしの好みがわかってるみたいだから、それと梶葉くんの好きな物を合わせたやつでお願いします」

梶葉くんが注文をしている間に店内をさりげなく見回すと、ほとんどがカップルや女性客の中で、一組だけ家族連れらしき3人がいた。両親と中学生か高校生くらいの女の子の組み合わせで、何を話しているのかはわからないけれど、3人ともが笑顔で話をしている。
そこへ黒いムール貝ののったピザが運ばれてくるのが見えた。

その瞬間、ずんっと胸の奥の方に鈍い痛みを感じた気がした。

近くにいるはずの梶葉くんの声が遠くで聞こえる。

梶葉くんはよっぽど興味があるのか、また国境なき医師団の話をしていたけれど、頭に入って来なかった。



――かしこまった店じゃないんだから、食べたい物を頼むのが正解だよ――


この声は、誰?


――全部美味しそうで迷う――


これはわたし。


――胡桃ちゃんが食べたいだけ頼めば良いよ――


男のひとの声。


――胡桃に甘いんだから――


お母さんの声。


――父親っていうのは娘に嫌われたくない生き物なんだよ――


父親?



テーブルの上に置いていた手に何かがふれて、びくりと反応すると、向かいに座っていた梶葉くんが心配そうな顔でわたしを見ていた。
手にふれていたのは梶葉くんの手。

「ごめん、驚かせるつもりじゃなかったんだけど、名前を呼んでも気づかなかったから」

すぐに手の上にあった温もりはなくなった。

「何か、思い出してた?」

答えたくなくて小さく首を振った。