冷たい月と星天のクロノグラフ

顔を上げると梶葉くんがわたしを見下ろしている。
いつ帰ったのか全く気が付かなかった。

「お帰りなさい」

「まさかと思うけど、昼食べてないとか言うなよ?」

「あー」

「雨、やんだよ」

「そうなんだ」

「読んでもらえるの嬉しいけど、ちゃんとご飯は食べて」

言われてスマホを見ると4時をとっくに過ぎている。
キッチンへ行った梶葉くんを追いかけて、子供が一等賞を獲ったように「ケトルあったよ」と報告すれば、この上なく極上の笑顔が返ってきた。

「えらい! 褒めてやる!」

わしゃわしゃと頭を撫でられるのも、同級生だったはずの梶葉くんに年下扱いされるのも心地いい。

「探偵のシリーズ面白いね」

「うん、あれは自分でも気に入ってる」

「梶葉くんが褒められたみたいに喜ぶんだ」

わたしの言葉にみるみる顔が赤くなるのを見て、キッチンカウンターの上に置いていたスマホを手にした。

「やめろ!」

「やだっ」

「天津さん――」

作者名から画像を検索したら、何かの賞を受賞した時の梶葉くんの顔写真が表示された。
つまりこの本を書いたのは、梶葉くんということ。

「この本を書いた『夏目昴』は梶葉くんなの? 作家になったの?」

「……そうだよ」

「本が全部2冊づつあるのはどうして? サインも入ってる」

自分で書いた本にサインをして取っておくのはめずらしい。

「彼女が……サインして欲しいって言うから。2冊づつあるのは、1冊は読む用で、もう1冊は保管用って」

2冊とも彼女の……

「彼女さんのを勝手に触っちゃった」

「大丈夫だよ。彼女は絶対に気にしない」

ここでも梶葉くんは「絶対」と言い切る。
それは既に別れているからなのか……信頼なのか……わからなくなってきた。

「でも……」

「天津さんが気になるのなら、出版社からもらったのがまだあるからあげるよ」

梶葉くんの顔はまだ赤いままだった。