雨降る世界と

 現在は、40世紀初頭。実に長い。この時代を生きる人々は、青い空を知らない。だが、かつては在ったということを、私は知っている。人が御伽噺のように語る太陽。それが紛れもない事実であったことも、私は知っている。
 今日も、空を見上げる。四百年と三ヶ月前から、空は曇ったままだ。晴れることは、最早無い。雨が降ることもあれば、雪が降ることもある。この世界に、再び陽光は差すのだろうか。考えたところで、空模様が変わる訳でもない。
 ……今となっては、マリアと呼ばれることにも慣れてきた。著名な歴史小説家にして、異様なまでに細かい情景描写で、歴史学者たちを唸らせるのだと。私のことを、そんな風に人々は言う。全く実感がない。とはいえ、その実態は彼らの理想を打ち砕くものだ。
 机に目を落とす。相変わらず、片付けるのは苦手だ。激しく振る雨が窓を叩く。そんな音を聞きつつ、まっさらな原稿用紙の山に埋もれた万年筆を探した。その途中、懐かしい物を見つけた。それは、最早返事の返ってくることのない手紙。唯一、私が心を許せた旧友の一人が書いたもの。『君は今でも僕らのいない世界を生きているんだろう。どうか、これが君の寂しさを和らげるものになりますように』と。いつも通りの書き出しで始まっていた。
 ……君の気遣いも優しさも無用だった。全部、覚えているのだよ。こちらは。
 文字を読めば、彼らの声が頭に浮かぶ。隅には、火で焦げた跡が僅かに残っていた。これは……かつて皆で囲んだあの焚火の跡だろうか。あの暖かさは、今でも忘れられない。あれは、まだ私が普通だと信じて疑わなかった頃の……いや、今はいい。それは、ずっと前から分かっていたことだ。ただ、現実から逃れてきただけだったのだ。私という存在は。記憶に焼き付いてしまったものを消し去る機能は、私には存在しない。
 かつて、或る若者がこのようなことを云っていた。忘却は、生きていく上で欠かせない。喪失という呪縛から、私たちを解き放つものなのだと。
 しかし、そうは思えない。少なくとも、私は。覚えなければならない。とはいえ、在りし日を追想すること自体は否定できないが。
 ……だからこそ。生き続け、書き記す。物語として、それらを残すために。
 彼らの記憶が風化し、その存在が忘れ去られたとて。それが、初めから無かった事の理由にはならないのだから。
 私はかつてヒトが朝と呼んだその時を待った。人々の中で概念と化した太陽を、頭に思い描きながら。