珠景姫 Mikage Hime ~百年越しの夏に見た夢~

 世界が眩しいくらいに綺麗だった。
 夕陽の光を身に纏った巨樹は神々しく、思わず見惚れてしまう。

 御神体まで歩いてきた珠景(みかげ)は、巨樹に背を預けて一息つく。
 夏の乾いた風が吹くと、木漏れ日が楽しそうに揺れた。

 もうすぐ、珠景姫(みかげひめ)の物語が幕を閉じる。
 百年の時を経て、悲劇ではない結末を迎えるのだ。

「珠景(みかげ)!」
 名前を呼ばれ、視線を上げる。
 小さな花束を抱えた紬(つむぎ)が、トンネルの前に立っていた。

 今年も、八月八日のお祈りに来てくれたのだろう。
 珠景(みかげ)が姿勢を整えると、紬(つむぎ)は砂浜を駆け出した。

 潮だまりを越え、神聖な場所へ。
 御神体の前まで来た紬(つむぎ)は、珠景(みかげ)を見て安堵の息を漏らす。

「おかえり」
「うん。ただいま」

 一日会っていないだけなのに。
 紬(つむぎ)との再会が、不思議なくらい嬉しかった。

 いつもの日常に、早く戻りたい。
 そう願う二人の髪を、夏の潮風が揺らす。

 今日は、約束の日。
 珠景(みかげ)が選んだ道を、紬(つむぎ)に伝えよう。


「私は、『珠景(みかげ)』として生きていくよ――」


 紬(つむぎ)の大きな瞳が、宝石のように輝く。
 ようやく、笑顔になった。

「大丈夫。最期まで一緒に居るから」

 珠景(みかげ)が微笑むと、紬(つむぎ)は無邪気な笑顔で飛びついてきた。
 両手に花束を持ち、ぎゅっと珠景(みかげ)を抱きしめる。

 今日は、いつもの紬(つむぎ)だ。
 泣き虫で、甘えん坊な妹。
 もう離れたくなくて、珠景(みかげ)も優しく抱きしめ返す。

 八月の潮風。夕陽の光。
 ひぐらしが鳴く。
 抱擁を解くと、花束を手渡された。

「お誕生日、おめでとうっ!」
 御神体の献花台には、何も置かれない。

 この瞬間。百年続いたお祈りが途絶えた。

 時代を遡り、あの夏と、この夏が繋がる。
 生まれ変わってしまった日のように、命の場所を刷り込まれた。

 心臓に、全てが宿っている。
 身体の感覚に、懐かしさを覚えた。

「ありがとっ! 十七歳も、ついに卒業だ!」


 永遠の命が終わり、もう一度寿命を授かった。


 今日からは、終わりある命で生きていく。
 歳を重ねる度、自然と老いていくのだ。
 大切な人達と共に―― 

「これは、色歌(いろか)さんから『姉さん』に」
 もう一つ。花束を受け取る。

 スズランにカスミソウを添えて。
 白と緑を基調としたブーケは、可憐で美しい。

「午前中にね、色歌(いろか)さんのお墓参りをしてきたんだ。その時に、なんかビビっと感じたんだよ。『その花束を姉さんに』って。だから、一緒に持ってきたんだけど……罰当たりだったら、どうしよう……」

「大丈夫だって。色歌(いろか)のことだもん。トンネルの中に幽霊を並べるくらいで――」
「ねぇ、もうっ! 怖いこと忘れてたのにぃ!」
 トンネルの恐怖を思い出して、紬(つむぎ)は地団駄を踏む。
 その姿はやっぱり可愛くて、珠景(みかげ)はそっと手を差し伸べた。

「帰ろっか」
 珠景(みかげ)の一言に、紬(つむぎ)は嬉しそうに頷いた。

 二人は手を繋ぎ、御神体を見上げる。

 夢見た世界を旅した今日。
 珠景姫(みかげひめ)の物語は、終わりを迎えた。

 百年間。守り続けてくれた巨樹と精霊に、感謝と別れを告げる。

 私の帰る場所は、ここじゃない――

 最後に深々と一礼し、二人は御神体に背を向ける。
 影が伸びる砂浜の先に、真っ暗なトンネルが待っていた。

「あのさ」
「うん?」
「夢を叫びながら、全力ダッシュしよ」
「……そんなに怖い?」
 何度も頷く紬(つむぎ)は、今にも泣き出しそうだった。

「もう……しょうがないなぁ。行くよっ!」
 紬(つむぎ)の手を引いて、珠景(みかげ)は走り出した。

 光の無いトンネルの中へ。
 ひんやりとした空気が、肌にまとわりつく。
 止まることは許されない。
 最後まで駆け抜けよう。

「民宿を継ぐっ!」
 紬(つむぎ)が先陣を切り、珠景(みかげ)も後に続いた。

「日本中を旅したい!」
 足音を響かせ、交互に夢の風船を飛ばす。

「凪(なぎ)のお嫁さん!」
「写真と絵を極めたい!」
「長生きするっ!」
「恋愛も、してみたいなっ!」
 沢山の夢を語っていると、希望の光が見えた。

 真っ暗なトンネルの先。
 待っていたのは、故郷の景色だった。

 無事に帰宅した二人は、清々しい表情で笑い合う。
 民宿の中庭には、珠景(みかげ)の大切な人達が集まっていた。

 私の居場所は、ここにある。
 珠景(みかげ)の人生は始まったばかり。

 幸せに満ちた未来へ。
 二人の妹と、歩き出した。


 これは、私の『生まれ変わり』の旅――  


 ❀

 九月二十三日。
 愛する妹の誕生日。

 色歌(いろか)の部屋に、一枚の絵が飾られた。

 夏の世界に咲く満開の桜。
 無邪気に笑う紬(つむぎ)と、優しく微笑む色歌(いろか)。
 大好きな二人の妹が、同じ世界に描かれている。

 春色の風鈴が過去を語り、今を生きる私が未来をつむぐ。

 現代で撮った写真を眺めて、珠景(みかげ)は頬を緩めた。
 きっと、これからも思い出は増えていく。

 珠景(みかげ)のアルバムを、そっと閉じた。

                           ㅤ⠀ㅤ⠀ㅤ ⠀ ( 終 )