珠景姫 Mikage Hime ~百年越しの夏に見た夢~

「『珠景姫(みかげひめ)を想い続けた人生』それが母・神島色歌(いろか)の生涯だと思う」
 優しい語り口調で、史深(ふみ)は続ける。

「……母は、珠景姫(みかげひめ)の死を、最期まで受け入れられなかったみたい。長姫制度(おさひめせいど)が無い世界を作れば、いつか帰ってくるって信じていた。母の心も、十四歳で止まっていたのかもしれないわね」

 前に進めなかったのは、私だけじゃない。
 九十七歳まで生きた色歌(いろか)も、あの夏に囚われていたのだろう。

 珠景姫(みかげひめ)が十七歳の姿で生き続けるように、色歌(いろか)も十四歳の心で生き続けた。

 姉妹の心は、今もあの夏に居る――

「一つだけ。別の話をしても良いかい?」
「うん」

「侍屋敷家(さむらいやしき け)はね。長姫制度(おさひめせいど)が撤廃になる時、あの地を離れることを選んだの。代々。受け継いできた土地を手放すのは、簡単なことじゃないけど、すぐに選択をしたらしいわ。でね、その案を出したのが、あなたの侍女だった二人」

「えっ……」
「旦那の母だから。直接、話を聞いたこともあるの」
 史深(ふみ)は遠くを見つめる。

「年齢や立場的に、侍女として生きるのは嫌だったけど、あなたの事は好きだったみたいよ。子供の頃に一緒に遊んだ事を、たまに話してくれたわ。八月八日の事件のことも」

「あの日の、こと……?」
「手紙、渡したでしょ?」

 五人の侍女へ。
 これまでの感謝を綴った手紙。
 御神体に行く前に、一人一人手渡したのだ。

 最後に、抱擁も交わして。
 一方的にお別れをした。

「珠景姫(みかげひめ)から手紙を貰えたことがあまりにも嬉しくて、夜を迎える前に読んでしまったそうよ。そしたら、お別れを告げる内容で、すぐに珠景姫(みかげひめ)を探したって」

 一拍置いて、史深(ふみ)は続ける。

「一時期、距離は遠のいてしまったけど、あなたのことを大切に思っていたわ。だから、母の気持ちを汲んで、長姫制度(おさひめせいど)の撤廃に協力してくれたんだと思う。それが、残された者に出来る、唯一の恩返しだから――」

 珠景姫(みかげひめ)の侍女は、もう一人も生きていない。
 最初に命を落としたはずの珠景(みかげ)だけが、今を生きている。

 あの夏。侍屋敷家(さむらいやしき け)の姉妹とも、思い出を作っておけば良かった――

「ねぇ、史深(ふみ)さん」
「うん?」
「みんな、幸せに生きられたかな……?」

「私が知る限り、最期まで自分らしく生きていたわ」

「そっか……なら、良かったっ」
 夏空を見上げ、珠景(みかげ)は安堵の笑みをこぼす。

 史深(ふみ)は静かに立ち上がると、ある物を持ってきた。
 そして、珠景(みかげ)にそっと手渡す。

「これは……?」
「母が大切にしていたアルバム。母が亡くなってからは、私が保管してた」

「色歌(いろか)のアルバム――」

「あなたが来るって聞いて、出しておいたの。開いてみて」
 史深(ふみ)に促され、珠景(みかげ)はアルバムを開く。


 最初のページ。
 あの夏の宝物が輝いていた。

 珠景姫(みかげひめ)と色歌(いろか)。姉妹のツーショット写真。
 右下には、桜色の可愛らしいメモ用紙が飾られている。

『8月8日。大好きな姉さんと別の道へ。いつか、また会えると信じています』


 ページを捲る。
 今度は、見開き一ページを広く使って、数枚の写真が貼られていた。
 
 十七歳になった彩美家(あやみ け)の双子姉妹。

 結婚式を挙げ、桜の前で笑い合う栄一(えいいち)と色歌(いろか)。

 色歌(いろか)が二十歳を迎えた年に、侍女五人で撮った記念の一枚。

 お母さんになった小春(こはる)と、画家として成功した小鈴(こすず)。

 二人の娘・弥栄(やえ)と史深(ふみ)。

 一人の孫娘が生まれた日。

 そして、産まれたばかりの紬(つむぎ)を抱く色歌(いろか)。


 ページを捲るたび、知らない景色に出会う。
 どれも綺麗に輝いていて、魅力的な写真ばかりだ。

 あの夏、生きる道を選んでいたら――

 珠景(みかげ)は首を振って、後悔しかけた自分に言い聞かせる。

 これは、残された者達が紡いだ成長の記録だ。
 珠景姫(みかげひめ)が居ないからこそ、生まれた物語。

 アルバムを閉じて、珠景(みかげ)は涙を拭う。
「そのアルバムは、あなたが持ってて」
「え、でも……」

「私も歳だからね。神島家の宝を、次の世代に託さないといけない」
 史深(ふみ)は珠景(みかげ)に優しく笑いかける。

「だから、貰って頂戴。あなたの傍に置いてあげて」
「うん……ありがとう……」
 色歌(いろか)のアルバムを抱きしめて、珠景(みかげ)は泣き続けた。

 涙が枯れるまで泣いたのは、百年ぶりかもしれない。
 珠景(みかげ)が落ち着くまで、史深(ふみ)は傍に居てくれた。

 お別れの時間が、刻々と近づく。
 また、会えると信じて。帰る道に進む。

 最後に記念写真を撮り、門の前で二人は握手を交わした。
「弥栄(やえ)姉さんと、紬(つむぎ)ちゃんによろしくね」
「史深(ふみ)さんもお元気で」
「ありがとう」
 互いに姿が見えなくなるまで、二人は手を振り続けた。 

 爽やかな夏の空。
 稲を揺らして遊ぶ青田風。
 原風景の中を、一人歩いていく。

 姫として生きた時代に、思いを馳せながら――