珠景姫 Mikage Hime ~百年越しの夏に見た夢~

 八月の或る夜。
 珠景(みかげ)は、旅の準備を始めた。

 服を選んだり、必要な持ち物を調べたり。
 夢中で作業を進めていると、誰かの足音が近づいてきた。

「姫ちゃん、ひまー?」
「リンちゃん?」
「一杯付き合ってよ」
 顔を覗かせたリンは、日本酒の一升瓶を見せる。

「……私、まだ十七歳なんですけど」
「百十七歳。って噂も、耳にしましたが?」
「まだ、十八歳の誕生日を迎えたことないので。永遠の未成年ですから」

「永遠の未成年……こちとら、老いゆくババアだってのに」
 ガックリと肩を落とし、リンはため息をこぼす。

「まあ、冗談はさておき……少し話さない?」
 珍しい誘いに、自然と口角が上がる。
 珠景(みかげ)は作業を中断し、部屋の電気を消した。

 リンの後を追い、厨房に向かう。
 家事をしていた弥栄(やえ)も合流し、三人で食卓を囲んだ。

「姫ちゃんは、何飲む?」
 テーブルの上には、民宿で提供するお酒やジュースが並んでいた。
 珠景(みかげ)は、みかんジュースの缶を手に取る。

「つむっちは寝ちゃったけど、女子会ってことで」
 日本酒を注いだぐい呑みを片手に、リンは音頭を取る。

「乾杯っ!」
 ジュースの缶と、緑茶を入れた湯呑み。
 三つの器が触れ合い、始まりの音を奏でた。

 爽やかな柑橘系の香り。甘くもすっきりとした味わい。
 喉が潤うと、会話に花が咲き始めた。

 時計の針が進み、リンの酔いも徐々に深まる。
 リンが欠伸をしたタイミングで、弥栄(やえ)が話題を変えた。
「んで。旅は、どこまで行くんだ?」
「まだ何も……島の中を巡ろうとは思ってましたけど」

「ん。姫ちゃん旅に出るん?」
「うん。行くっ」
 嬉しそうな声を弾ませ、表情を緩めた。

「まじ? 『可愛い子には旅をさせよ』って言うけどさ……こんなに可愛いと、話変わってくるって。え……一人で行くの?」

「一人で、行きたいの」
「なるほどねぇ。これが、可愛い娘を持つ親の気持ちかぁ……」
 机に顔を伏せるリンを横目に、弥栄(やえ)は微笑を浮かべる。

「彩美(あやみ)リン、擬似体験で、親語る……まずは、彼氏の一人でも作るところからだな」
「急に追い込まれたのは何故……」

「安心せぇ。神島家は代々、晩婚だから」
「彩美家(あやみ け)です、私。名家の恥晒しの娘です、はい」
「その話は、聞き飽きた。耳にタコができる」
「うわぁーん。弥栄(やえ)さんがいじめるぅ」
 両手で耳を塞ぐ弥栄(やえ)と、泣き真似をするリン。

 神島家と彩美家(あやみ け)。
 昔から、女性達は仲が良かった。
 それは今も、変わっていない。

「せっかくだ。『史深(ふみ)』のところまで、行って来ると良い」
 突然の提案だった。
 珠景(みかげ)は『史深(ふみ)さん?』と聞き返す。

「私の妹だ。色歌(いろか)の次女。夢岬(ゆめみさき)に住む『侍屋敷(さむらいやしき) 史深(ふみ)』」

 大好きな名前。知らない土地。懐かしい名字。
 一瞬で、心がときめいた。

「後で連絡しておくから。休憩がてら、立ち寄れば良い」
「ありがとう。色歌(いろか)の娘に会えるの楽しみ」
「私も、一応娘だけども」
「初めて会えた時は、本当に嬉しかったんだよ?」
「そうか。では、お先に」
 弥栄(やえ)は立ち上がると、厨房から去っていく。

 足音が聞こえなくなると、リンが口を開いた。
「嬉しそうだったねぇ」
 にひっと笑うリンを見て、珠景(みかげ)も口元を緩める。

 珠景姫(みかげひめ)に、祖母は居なかった。
 この世に生を受けた時には、既に亡くなっていたという。
 出会えたのは、仙人のような風貌の祖父だけ。
 珠景(みかげ)にとって初めてのおばあちゃんは、姪の弥栄(やえ)なのだ。

「……つむっちってさ、ギャップ凄くない?」
 ぐい呑みに日本酒を注ぎながら、リンは語り始めた。

「普段は赤ちゃんなのに、急にお姉さんっぽくなる時あるじゃん? 本読んでるから、出てくる言葉も洗練されてるし。あんな感じだけど、普通に頭良いんだよね」

「……うん。めっちゃ分かる……」
 笑いを堪えながら、珠景(みかげ)は深く頷いた。

 夏祭りの後、線香花火をした時。
 悩む珠景(みかげ)に寄り添い、必要な言葉をかけてくれた。
 色歌(いろか)の面影も感じたが、意外と真逆のタイプかもしれない。

「……私は、つむっちのお姉ちゃんになってあげられなかったからさぁ。姫ちゃんには、感謝してるんだよぉ……」
 ぐい呑みを揺らして、リンは感傷に浸る。

 静寂を挟んで数分。
 リンは机に顔を伏せると、眠たげな目で珠景(みかげ)を見つめた。

「……ちゃんと、帰ってくるんだよ? ……また、飲もうねぇ……」
 目が閉じてしまうと、遅れて寝息が聞こえてきた。

 名前を呼んでも、起きる気配は無い。
 厨房の明かりを消し、珠景(みかげ)も部屋に戻る。

 夏の星空は、美しく煌めいて。
 また、一つ夜が終わった。