珠景姫 Mikage Hime ~百年越しの夏に見た夢~


 夢奥島(ゆめおくしま)にも、新しい朝が来た。
 夏の太陽は既に輝いていて、気温も上がり始めている。

 目を覚ました紬(つむぎ)は、ぬいぐるみを持って立ち上がる。
 部屋を出ようとした時、色歌(いろか)の写真が目に映った。

 ここは、紬(つむぎ)の部屋じゃない。
 昨日、珠景(みかげ)と一緒に寝た事を思い出し、布団に視線を落とす。
 畳の上に転がるのは、紬(つむぎ)の枕だけ。
 珠景(みかげ)の姿は、見当たらない。

 紬(つむぎ)はぬいぐるみを置き、色歌(いろか)の仏壇の前に座った。
 小さな手を合わせて、そっと目を閉じる。
 御神体に祈りを捧げる時のように、色歌(いろか)に語りかける。


 色歌(いろか)さん? ひいばあちゃん?
 お久しぶりです。紬(つむぎ)だよ。

 お手紙、読みました。
 私の名前をつけてくれて、ありがとう。
 大好きな名前を、ずっと大切にするね。
 あと、もう一つ。伝えたいことがあって……

『御神体へのお祈りは、私で最後にしようと思うんだ』

 珠景(みかげ)が幸せに生きられるように、私も出来る事をするよ。
 どうか、これからも見守ってください。

 
 色歌(いろか)の仏壇に一礼し、珠景(みかげ)の部屋を後にする。
 廊下に出ると、朝食の匂いに触れた。
 花の香りに誘われる虫のように、厨房へと歩き出す。

「紬(つむぎ)」
 名前を呼ばれ、立ち止まって振り返る。
 玄関前の廊下に座る珠景(みかげ)が、小さく手招きしていた。

 食欲を抑え、珠景(みかげ)の傍に歩み寄る。
 朝の挨拶を交わし、隣に腰を下ろした。

「宮殿だった頃は、ここに姫の部屋があったの」
 百年前の時代を想像しながら、珠景(みかげ)の話に耳を傾ける。

「私の居場所は、ここしか無くてさ。中庭を眺めることしか出来なかったんだ。昔は桜の木があったから、四季の変化くらいは楽しめたんだけど……でも、それだけ」
 中庭に咲く花に、珠景(みかげ)は視線を落とす。

「いつか、自由になったら――。いろんな景色を巡る旅に出たい。そんな夢もあったんだけど、自分で最期を決めちゃったから……何一つ、叶わなかった」

 清々しい青空を見上げ、珠景(みかげ)は切なげに微笑んだ。
 心配しつつも、紬(つむぎ)は次の言葉を待つ。
 鳥が大空を羽ばたいた。

「でも、今なら叶えられる!」

 歓喜の声を弾ませた後、珠景(みかげ)は紬(つむぎ)に目を向けた。
 澄んだ瞳が、きらきらと輝く。

「旅に出ようと思うの」
 希望に満ちた表情は、夏の太陽よりも眩しかった。
 光を浴びた紬(つむぎ)も、笑顔の花を咲かせる。

「八月八日」

 世界から音が消える。

「最高のラストを描くよ」

 夏の香りを含んだ風が、風鈴を揺らして遊ぶ。
 遠くから、蝉の鳴き声も聞こえてきた。
 紬(つむぎ)も前を向き、同じ景色を眺める。

 珠景姫(みかげひめ)が生きた夏に、思いを馳せながら――