珠景姫 Mikage Hime ~百年越しの夏に見た夢~


 夜空に浮かぶ赤提灯。
 松浦坂(まつうらざか)商店街は、祭りの雰囲気に酔いしれていた。

 小さな屋台が軒を連ね、スピーカーからは祭囃子が流れている。
 海へ続く光の道は、熱気と喧騒に満ちていた。

 紬(つむぎ)と手を繋ぎ、人混みのなかを歩いていく。
「凄い人だね……屋台もいっぱい……」

 珠景姫(みかげひめ)が生きた最後の夏。
 侍女とお忍びで行った、長姫(おさひめ)神社の夏祭り。
 篝火が燈る境内で見たのは、特別な夜の情景だった。

 青春の景色を彩る美しい鈴の音。
 あの日の記憶は、今も色褪せない。

「ねぇねぇ! 何から食べる?」
「んぅ、食べ歩きの前に……金魚すくいやりたいっ!」
 近くの屋台を指さして、珠景(みかげ)は笑みをこぼす。
「え、私もやりたい!」
 後ろを歩く凪(なぎ)と頼(らい)に声をかけて、二人は金魚すくいの屋台へ。

 鮮やかな赤、上品な黒。
 二種類の金魚が、水槽の中を悠々と泳いでいる。

 隣の紬(つむぎ)に目を向けると、一番大きな金魚に狙いを定めていた。
 ポイを水に潜らせ、その時を待つ。
 
「そりゃっ!」
 勢い良くポイを持ち上げて、紬(つむぎ)は金魚を掬い上げる。

 一発大破。
 穴の空いたポイを、紬(つむぎ)は虫眼鏡のように覗き込んだ。

 その姿を見て、思わず笑ってしまう。
「豪快過ぎるって」

 お手本を見せるように、珠景(みかげ)はポイを水に潜らせる。
 左手に持つお椀を近づけ、黒い金魚をひょいっと掬ってみせた。
「こんな感じ」
「えぇ、凄い!」
 紬(つむぎ)の拍手を受け取りながら、その後も金魚を掬いあげていく。

「き、金魚密度が、凄い事になってる」
「まだまだ……あっ」
 珠景(みかげ)のポイも、完全に破れてしまった。
 結果は九匹。

 金魚を水槽に戻し、二人は屋台を後にする。
 それと同時に、紬(つむぎ)の食べ歩きが始まった。

 チョコバナナ、焼き鳥、りんご飴、かき氷、わたあめ。
 見つけた順に屋台を巡っていると、凪(なぎ)と頼(らい)が歩いてきた。
 ラムネの瓶を持つ二人に、珠景(みかげ)はゆっくりと歩み寄る。

「凪(なぎ)君。交代……私、もう食べれない……」
 助けを求める珠景(みかげ)を見て、凪(なぎ)は微笑を浮かべる。
「まだ食うの?」

 凪(なぎ)の問いかけに、紬(つむぎ)は不思議そうに頷く。
「焼きそばと、たこ焼きをまだ食べてない」
「重たいやつが残ってんな」

 珠景(みかげ)と入れ替わるように、凪(なぎ)は紬の隣に立つ。
 そのタイミングで、頼(らい)が口を開いた。
「珠景(みかげ)ちゃんに代わりまして、凪(なぎ)君。彼氏、凪(なぎ)君」
「うっせぇ。変なアナウンスすんな」

「いざ、お前らが付き合うと、俺の居場所が無いもんだな。蚊帳の外に置かれた俺の気持ちが分かるか、相棒。一思いに、蚊取り線香でも焚いてくれ」

「珠景(みかげ)。悪いけど、そのお荷物を頼む。お願いすれば、何でも買ってくれるから」
「誰が歩くATMだ!」

「とりあえず、終わったら駅前広場に集合で。また連絡する」
 紬(つむぎ)と凪(なぎ)は手を繋ぎ、次の屋台へ。
 幸せな後ろ姿を見送って、珠景(みかげ)は頼(らい)に目を向ける。

「私達も行こっか」
「どこまでも、お供します」
 頼(らい)は胸に手を当てて一礼すると、ニッと笑った。
 そして、二人も歩き出す。

「二人で遊ぶのは、初めてだね」
「念願の瞬間が訪れ、感無量でございます」
「なにそれ。変なの」
 何気ない会話を続けていると、お面が並ぶ屋台を見つけた。
 珠景(みかげ)は足を止めて、或るお面を探す。

「あっ」
 視線の先、飾られていたのは白地の狐面だった。
 安易な作りの物だが、朱色と金の装飾が可愛らしい。

 頼(らい)の肩を叩き、珠景(みかげ)は狐面を指さした。
「あれ買って!」
「御意!」
 財布を出して数秒。
 頼(らい)は狐面を買ってくれた。

 お面を受けとり、早速付けてみる。
 プラスチック製の軽いお面だが、視界が狭くなる感覚が懐かしい。
 また、逃げ出したくなった。

 お面を外し、頼(らい)を見つめて微笑む。
「ありがとっ!」

 照れ笑いを浮かべ、頼(らい)は夜空を見上げる。
 何かを噛み締めるように、目を閉じて固まった。

 その姿を見て、子供心が動き出す。
 狐面を付け直し、珠景(みかげ)は頼(らい)の手を引いて駆け出した。

「え、ちょっ! 誘拐!? って、珠景(みかげ)!」
 困惑に喜びを添えて。
 頼(らい)の元気な声が響き渡る。
 喧騒から逃れるように、二人は路地裏へ。

 虫を集める街灯。
 誰も居ない閑静な道。
 祭りの音が遠くなっていく。

「私、男の子と手を繋ぐの、初めてかも!」
「は!? その話、詳しく!」
「えー、内緒っ!」
 小悪魔的な笑みを浮かべ、頼(らい)を見つめた。

「破壊力がエグ過ぎる……」
 空いた手で目元を抑え、唸りながらも頼(らい)は走り続ける。

 商店街から住宅地へ。
 景色が変われば、心模様も変わりゆく。 

「お、おいら、珠景(みかげ)と手を繋いでるでやんす……やばい、幸せだあぁぁぁぁっ!」
「なんか、ドキドキするねっ」
 胸が高鳴り、息も上がってきた。
 加速する時間が惜しくなって、珠景(みかげ)は足を止める。
 鼓動が早くなる一方で、二人の歩みはゆっくりになった。

 浴衣と甚平が、時々触れ合う距離。
 夏の魔法にかけられて。
「せっかくだし、一緒に写真撮る?」
「是非お願いしますっ!」

「どこが良いかな? ここじゃ、ちょっと暗いよね」
 歩きながら、辺りを見渡してみる。
 光が差す場所があった。

 住宅街の奥に隠された小さな森。
 入り口にある朱色の鳥居は、草木に覆われている。
 近づいてみると、鳥居に刻まれた文字が見えた。

「……」
「珠景(みかげ)?」
「夏祭りだし、ここで撮ろっか」
 スマホを取り出し、頼(らい)に近づく。

 切なさが滲む笑顔と、幸せそうな照れ笑い。
 夏の思い出を切り取るように、シャッターボタンを押した。

 一緒に写真を確認した後、程良い距離感で再び歩き出す。
「…… 珠景(みかげ)、めっちゃ良い匂いする……」

「もう……好きになっちゃダメだよ?」
 横から顔を覗き込むと、頼(らい)は天を仰いだ。
 立ち尽くす頼(らい)の耳元で、隠していたことを告げる。

「だって、―――――――――――」

 少しだけ離れて、頼(らい)に目を向ける。

 驚きと困惑。
 きっと、それだけじゃない。
 複雑な感情が、表情にも現れていた。

 浮かれた心を鬼にして、珠景(みかげ)は先に進む。
「そろそろ、駅の方に向かう?」
「……え。あぁ。そうだな。そうしよう。名案、名案」

 祭りの余韻に浸る心は、泣いていた。
 良い雰囲気も、ここまで。
 身体の熱が冷めていく。

 会話もせず、ただ駅を目指して歩き続けた。


「珠景(みかげ)! らいらーい!」
 紬(つむぎ)の声で、二人の目線が上向く。
 手を振る紬(つむぎ)を見つけ、小さく手を振り返した。
「お待たせ。デートは楽しめた?」

「……幸せでしたっ」
 ほんのりと頬を色付け、紬(つむぎ)は両手で口元を隠す。
 恋する乙女の表情が愛おしい。

「み、珠景(みかげ)も楽しめた?」
「うん! ね、頼(らい)君」
「……ん? あぁっ! 最高の時間を過ごせたよ。わしゃ満足じゃ。あははっ」
「らいらい?」
 紬(つむぎ)の心配そうな声を聞いて、頼(らい)はぎこちない笑みを浮かべる。

「緊張して変になってるだけだから。大丈夫!」
「元々、変だけどな」
 凪(なぎ)の直球を、頼(らい)は珍しく見逃した。
 追い込まれる前に、珠景(みかげ)は助け舟を出す。

「せっかくだし、四人でも写真撮ろうよ」
 嬉しそうに頷く紬(つむぎ)の後方で、凪(なぎ)は頼(らい)を見て口元を緩める。
 珠景(みかげ)はスマホのカメラを起動し、近寄るように手招きした。
 四人の顔が映るように角度を調整。

「笑顔で、せーの?」
「かにー」
 紬(つむぎ)の掛け声に合わせて、シャッターボタンを押した。
 撮れた写真をコハモで共有し、それぞれのスマホで確認する。

 私達の青春を描いた一枚。
 宝物が増えた。 

「この後は、どうする?」
 凪(なぎ)の問いかけに、紬(つむぎ)は元気良く手を挙げた。
「みんなで花火したい!」
「じゃあ、民宿に戻って準備しようぜ」
 帰路に着く三人。
 立ち尽くす頼(らい)。

「悪い。今日はもう帰るわ!」

「えぇー。花火しないの?」
「これ以上の幸せは無理っ! 耐えられん」
 頼(らい)は三人に背を向けると、別の方向へ歩いていった。

 止めても無駄だと、悟ったのだろう。
 何も言わずに歩き出す凪(なぎ)と、その背中を追う紬(つむぎ)。
 一人だけ、残されてしまった。

「珠景(みかげ)」
 名前を呼ばれ、頼(らい)に視線を戻す。

「またな」
 清々しく笑い、走り去っていく。
 切ない表情で見送り、珠景(みかげ)も別の道へ。

 今の珠景(みかげ)には、返す言葉が無かったから――