君が笑ってくれるなら

輪島がいる医局から、廊下を挟んで向かい側にある病院の図書室で、俺は人工呼吸器などの資料を本棚に向かい合いながら立ち読みしていた。
 俺の背後から誰かの腕が伸びて来た時、驚いて振り向く。
「っわ……え、い、いつから居たんですか?」
 俺が肩をビクつかせると、クスッと笑いながら輪島は先ほど取った本を俺に差し出す。
「これ、症例も載ってて分かりやすいよ」
 俺が立ち読みしていた資料内容を知っているように、輪島が本を差し出す。
「あ、ありがとうございます」
「うん、じゃあご飯行こうか」
 手に持っている資料と本を急いで鞄の中につめた。

 輪島は当たり前のように駐車場に歩いて行くが、運転させるのも、車を出させるのも申し訳ない気持ちになる。
 少し前を歩く輪島に声をかける。
「あの、もし良ければ……」

 俺の言葉を聞いて、あからさまに輪島は驚いていたが駐車場に向かう足取りを止め、俺の後ろをついて来てくれた。
「わがまま言ってすみません」
「いや、それは全然いいんだけど。本当にここでいいの?」
 俺と輪島は病院から駅に向かう途中にある、油でのれんがクタクタになっているラーメン屋の前にいた。
「はい。俺、ラーメンも結構好きなんですよね」
「いや、僕も好きだけど。なんか今日はもっと違うもの、ご馳走しようと思ってたから」
「じゃあ、今日は俺のわがままってことで。付き合ってください」
 そう言って、俺は先に店内に入り、カウンターの中にいる店員に二名と伝え、空いてるカウンター席に案内される。俺に続いて、輪島も隣の席に座る。
「先生は車だと思うので、申し訳ないですが。今日は、ビールも頼みます!」
 そう宣言して、隣の輪島にも見えるようにメニューを開く。
「えー。なら、俺も飲んじゃおうかな」
「え、飲酒運転ダメ絶対」
「あはは。そんな度胸ないよ。ほら、仮眠室とかあるし」
 輪島がビールと餃子を二人前ずつ頼む。
「この店、絶対美味しいね」
 壁に貼られたメニューを、子供のような目で眺めながら輪島が言うので、思わずタメ口っぽくなる。
「あははは。まだ食べてないでしょ」
 言った後すぐに、「やべ」と思い恐る恐る輪島を見るが、輪島はそんな事気にも止めずに、隣で楽しそうに笑っていた。

 ビールと餃子が運ばれて来て、一気にお腹が減る。
「「カンパーイ」」
 ジョッキに入ったビールを、喉がなるくらい勢いよく胃に流し込む。
「あー、うまい!」
「ほんと、しみるね」
 俺はもう輪島に隠すものが何もないのをいい事に、餃子をたべながら自分の話をする。
「俺。正直にいうと、このまま行けば宵と付き合えると思ってたんすよ」
「うん。僕はむしろ、2人はもうそう言う関係なのかなって思ってたよ」
「あははは、ほんとよく見てますね。でも実際に、恋人といる宵見たら、もーデレデレが凄いんすよ」
「ん?……え?」
「ん?」
 輪島が飲んでいたジョッキをテーブルに置き、驚いたように聞き返す。
「恋人といるって、……会ったってこと?」
「あー……はい。成り行きでそうなっちゃって」
「え。それって、大丈夫だったの?」
 今度は俺を心配そうに見つめてくる。
「会ったの、去年の秋とかなんで。結構前です」
「……そ、そっか」
「いやー、予想はしてたんですけどね。予想通りすぎて、辛かったっすね。相手の人、すげー綺麗で。その人が口を開くたびに、宵が笑って見つめるんですよ」
 当時の情景を振り返って話すが、思ったよりポップに話せている自分に驚く。
「冴島くんは、幸せなんだね」
「はい。俺じゃ、なかったんですよ。あいつ幸せにできるの」
 俺が残りのビールを一気に飲み干す。
 ジョッキをテーブルに置くと、輪島がメニューを開いて、俺に見せる。
「今日はとことん付き合うよ」
 輪島のこう言うところ、人たらしだけど。
 正直、今は助かる。
 俺は追加のお酒と締めに中華そばを頼んだ。

 ラーメン屋を出た頃、時計を見ると22時を回っていた。結局俺たちは、4杯ずつアルコールを摂取したため、それなりにほろ酔い状態になっていた。
「先生、今日はありがとうございました」
「いえいえ。今日も美味しかったね」
「先生って、普段はご飯どうしてるんですか?」
「うーん。コンビニが冷蔵庫だね」
「あははは。冷蔵庫でか」
 しょうもないことで、声を出して笑ってしまう。
 気づけば、さっきまで胸を締め付けていた宵のことを考えていなかった。

 熱った身体を冷ますように、俺たちは病院の方へ歩く。アルコールも入っているため、2月の夜は思っていたより寒くて、お互いコートのポケットに手を入れ、マフラーに顔を埋めながら歩いた。
 病院が近くなった時、特に何も考えずに輪島に聞いてしまう。
「先生、ほんとに病院泊まるんですか?」
「あーうん。もう運転は、できないし」
「仮眠室、空いてますかね?」
「うーん、どうだろうね。まぁ空いてなかったら、車中泊でもいいし」
「え!なら、うち来ます?」
「……え、?」
 輪島の戸惑う表情で、酔っ払った俺がとんでもない提案をした事に気がつく。
「いや、これは、ほんと深い意味ないですよ!まじで!!」
 慌てて、少し大きな声で否定する。
「ふはっ。そんな慌てなくても。大丈夫、そんな心配してないよ」
「……え?」
「いや、だって僕は、橘くんのタイプじゃないでしょ。じゃあ、お言葉に甘えてお邪魔しようかな」
 輪島の言葉が、なぜか引っかかる。
「あ、はい。そんな広くないですけど」
「ありがとね」

 寒空で冷え切っていたはずの頬が、じわじわ熱くなっていく。
 俺は輪島にバレないように、さっきよりも深くマフラーを巻いた。