君が笑ってくれるなら

その日は家まで送ってもらい、輪島と別れた。
 部屋に入り、そのままベッドに倒れ込む。
 帰りの車内で、なぜあんなに喋ってしまったのか……。
「ゔー……、人前で泣いてしまった……」
 今後どんな顔で仕事に行けばいいのか分からない。
 枕に顔を埋め、とりあえず考えるのをやめた。

 
 その後。
 職場で輪島と接触することはなく、会ったとしても他のスタッフがいるため挨拶程度で済んだ。
 俺がゲイだということを知っても普通に接してくれて、自分が男性不妊で空っぽだということを話してくれた輪島は、俺の中で秘密を共有できる相手として十分な存在だった。
 だから、職場で必要以上に会話をしたいとか、またご飯行きたいとか、そういう邪な感情は沸かないし、要らない。
 やっと本当の俺を知っていてくれた存在を、俺は大切にしたかった。

 一月下旬に病院全体の勉強会が開かれ、俺は明けだったため夕方に職場に向かった。
 時間を確認すると開始10分前で、今回は後ろの方の席に座れそうだ。
 大きい会議室に、まばらに座る職員を見渡す。
 こんな時も、俺は癖で宵を探してしまう。
 自分に呆れながら、後ろの方の席に座り勉強会に必要な資料に目を通していた。
 部屋が暗くなり、前方のモニターに資料内容が映し出される。
「えー、それでは時間になりましたので。始めたいと思います」
 講演者の声がマイク越しに伝わり、両隣の空いた席に鞄や資料を広げた。

 勉強会が終わり荷物を片していると、前の方から通路を逆走し宵が向かってきた。
「瑞季、お疲れ!今日は……明けか?」
 宵は俺が私服なのを見て、シフトを言い当ててくる。
「あぁ、そうだよ。宵は日勤か」
 俺も宵のユニフォーム姿を見て返事をした。
「そうなんだよ。今日緊入あったから、ギリになってさ。前の方の席しか空いてなかった」
 宵は俺が異動してからも、以前と変わりなく他愛もない会話をしてくれる。
 そして、宵が俺のところに来る理由なんて、だいたい一つしかないのも分かっていた。
「で、なんだよ。なんか、聞きたいんだろ?」
 俺がそう言うと、少し照れくさそうに宵が尋ねてくる。
「あのさ、瑞季って毎年俺にチョコくれるじゃん?いつも美味しいやつくれるけど、どこで買ってるのかなーって」
 ――あー、そういうことね。
 そう言えば、もうすぐバレンタインだ。
 
 俺は去年のバレンタインまで、毎年宵にチョコを渡していた。ギリとか、本命とか、何も言わずに。
 俺の気持ちにいつか気づいてくれたらいいな、くらいな気持ちで何となく渡し続けていた。案の定、宵はそれを友チョコだと思っているため、お返しは食堂のランチという色気ゼロなやり取りをもう5回は行っていた。
 
 今年から宵には本命ができたため、俺には一度もくれなかったチョコのリサーチを、わざわざ俺にしちゃうんだもんな。
 心の中で深いため息をつき、宵に返答する。
「あー、耀くんに?」
「そうなんだよ。耀のやつ、自分は手作りするとか言ってさ。だから、俺も美味しいの買わないとなんだよ」
 目の前で嬉しそうに恋人の話をする宵は、相変わらず幸せそうだ。
「あー、ちょっと待って」
 俺はそう言ってSNSを開き、過去に保存したお店を確認しようとした。
 その時、誰かに後ろから肩を叩かれる。
「なになに、チョコの話?」
 俺の肩に手を添えたまま、輪島が話しかけてくる。
 輪島は宵を見ながら、ニコッと笑いかける。
「確か、循環器だよね?」
「あ、はい!冴島です!……輪島先生ですよね?」
「そうそう。僕のこと知ってるんだ?」
「はい、呼吸器の勉強会にも行かせてもらったことあって」
「うわー、偉いね」
 輪島と宵が他愛もない会話をしているのが、なぜだかむず痒い。
 なんだ、この状況は……。
 俺は宵に自分のスマホを渡して、2人の会話を遮った。
「この店とか結構人気。あと、その下のやつも」
 俺のスマホを受け取り、感謝の言葉をこぼしながら宵が自分のスマホにメモをする。
 輪島が俺のスマホを覗き込んだ。
「うわー美味しそう。橘くんは、この前のお菓子のお礼にコレくれるのかな?」
「……はい?」
 思わず声が裏返りながら、輪島をじろっと見る。
 そんな俺を見て、輪島はいつも通りヘラっと笑い返してきた。
「僕もお返し用意しておくよ。……冴島くんは?誰かにあげるの?」
 輪島の問いに、宵がスマホの操作をやめて答える。
「あー、はい。恋人にあげようかなって」
 宵の返答を聞いて、輪島がなぜか俺の肩に腕を回す。
「そっかぁ。でもそれなら、冴島くん自身が見つけたお店の方が喜ぶんじゃないかな」
「え、そうなんですか?」
「そりゃそうだよー。知ってる味よりも、相手のこと考えて選んだ方が特別感あるし!」
「な、なるほど……そっか。そうかもですね。……瑞季、教えてくれてありがとう!もう少し、自分でも調べてみるわ」
 宵はそう言って、自分の病棟に戻って行った。
 宵が出ていくのを確認して、輪島が俺の肩から手をどかし隣の席に腰をかける。
「ごめんね、急に話しかけて」
 そのごめんねは、どんな意味を持っているのか分からなかった。
 もしかすると、輪島は俺が宵を好きな事に気づいているのか……?
 輪島が机に両腕をつき、その上に額を乗せて俯く。
「ごめん、余計な事だと思ったんだけど……。なんか、見てられなかったんだ」
 輪島の言葉で、俺の予想が正しいことを裏付ける。
「……知ってたんですか?」
「なんとなくね。もしかして、そうかなって」
「あはは……俺、そんな分かりやすかったんですね」
 輪島は、この前話した時に相手が宵である事を知りながら、何も言わずに聞いてくれていたことを知り、さらに恥ずかしくなる。
「ごめんね、分かりやすい……とかじゃないと思うよ」
「え?」
「僕が、君たちをよく見てたから」
 輪島の言葉にびっくりして、机の柱に膝をぶつけて思わずその場に座り込む。
「いっ……た」
「だ、大丈夫?」
 伏せていた身体を起こした輪島から手を差し伸べられ、隣の椅子に座る。
「す、すみません。ちょっと、びっくりして……」
 俺の膝を気にしながら、輪島が話しを続ける。
「橘くんたちが新人の頃、いろんな勉強会に顔を出してるのを知って……最初は熱心な子達だと思っってて」
「……」
「勉強会のたびに、不思議と二人の姿が目に留まるようになって。ある時、橘くんの表情見てたらさ、あーいいなって思ったんだよね」
「え?」
「……その、冴島くんに向ける顔がさ。とっても素敵だったよ」
 輪島の言葉で、俺は一気に顔が熱くなる。
「そこからはさ、いいな、羨ましいなぁって思いながら君たちを見てたんだ」
「……じゃあ、俺がゲイって知ってたんですか?」
「いやいや!それは違うよ!一括りにそういうのは違うし。たださ……単純に、人に対してそういう表情を向ける事が俺にはないから」
「……」
「ごめんね、黙ってて。でも、うーん……だからってわけじゃないんだけど。さっきの冴島くんは、少し酷な人だなって思っちゃったから。思わず、間に入っちゃったんだよね」
「そ、……すか」
「……ほんと余計なお世話だよね。ごめん」
 輪島が俺の顔をチラッと見ながら、申し訳なさそうに眉毛を下げる。
「助かりました」
 少し間を置いて、俺は続けて話す。
「……毎回聞かれるの、結構しんどかったんです」
 俺の返答を聞いて、なぜか輪島が悲しそうな顔をする。
 咄嗟に宵を庇ってしまう。
「宵……あ、冴島は、悪気ないんですよ。本当に恋人のこと好きなだけで」
「うん」
「ただ、俺も好きだったから。俺のこの汚い感情が、いつかバレちゃうんじゃないかって……。だから、異動になって、本当に助かりました」
「そうだったんだね」
「……でも、もう平気です。たぶん、もう俺に聞いてくることも減ると思うんで」
 誰もいない会議室に、沈黙が走る。
 少しして、輪島は俺の顔を覗き込むように尋ねてくる。
「……橘くん、なんか美味しいもの食べに行こうか」
 俺は思わず笑ってしまう。
「ふはっ。……先生もそういうのは、大概にした方がですよ」
「え?」
 俺の言葉に首を傾げながら、輪島が席から立ち上がる。
「僕、ちょっと医局行くから。下のカフェとかで少し待てる?」
「そしたら、俺も図書室で本見たいんで。帰りに声かけてもらっていいですか?」
「わかった」

 図書室に向かいながら、何度も輪島の言葉を思い返していた。

 ――あの人は、ずっと俺たちを見ていた。