君が笑ってくれるなら

家に帰り、輪島から貰った資料を見る。
 そこらへんの高い参考書より、本当に分かりやすくていい勉強になった。

 缶コーヒーのこともあるし、資料のお礼も兼ねて、次の日の朝コンビニで俺のお気に入りのチョコを買った。
「渡せるタイミング、あるかな……」

 そう思っていたのに、輪島とはなかなかタイミングが合わなかった。一人だと思ってカバンにチョコを取りに行った隙に、誰かしらと会話をしていたりして。
 気づくとチョコを買ってから五日ほど経ち、日曜日になっていた。土日の勤務は基本穏やかに経過するが、今日は緊急入院があり、申し送りが終わっても残業確実な記録の山が残る。
「橘くん、上がれる?」
 真島さんが声をかけてくれたが、山のような記録が残っていると言ったら、絶対一緒にやると言わせてしまう……。
「あ、はい!あと少し確認したら帰れます!」
 そう言って、真島さんや他のスタッフには帰ってもらった。ステーションにいると、夜勤のスタッフにも気を使わせてしまうため、俺は外来の方のパソコンで残りの仕事をする事にした。
「はぁ……二時間以内には終わらそ」
 誰もいない静かな外来の一角で、黙々とタイピング音だけが響き渡る。一時間くらいした頃、誰もいないはずの内廊下の照明がつき、一気に明るくなる。
 思わず電気がついた方を確認すると、廊下から輪島がひょこっと顔を出し、俺を見つめた。
「え、橘くん?こんなところで何してるの?」
 俺はホラー感を感じていたため、ドキッとしながら輪島を見つめる。
「……あ、えっと、……俺は、入院のやつ終わらなくて」
 俺の使っているパソコン画面を覗き込み、輪島が「あちゃー」と小声で言いながら、俺の顔を見てくる。
「やっぱり、この人入院になっちゃったかー。一昨日、外来で入院勧めたんだけど、孫の誕生日だからどうしてもって言われちゃったんだよね。あー……、本人も辛かっただろうし、橘くんにも……ごめんね」
 輪島が申し訳なさそうに謝ってくるため、慌てて手首をパタパタさせて否定する。
「いや、これは俺が仕事遅いせいなので」
「うーん、でもきっと他の人に迷惑掛けたくないから、わざわざこんな暗い外来に来てたんでしょ?」
「……」
「そんな俺も、もしかして入院になったかな?と思って、外来のパソコンから確認しようとしてるわけだけど……」
「……え?」
「だって、休みの日病棟行ったら、いろんな事聞かれたり頼まれちゃうからさ。患者さんのことなら全然いいんだけど」
 輪島が少し困ったように笑う。

 ――普通の人なんだ。

 俺が勝手に壁を作っていただけだったのかもしれない。

 その時、ハッと思い出して輪島に声をかける。
「先生!」
「ん?」
「あと少しだけ待っててもらえますか」
「え?……あ、うん」
 輪島の返事を聞いた後、俺は黙々と残りの記録を終わらせた。最終確認をしてカルテを閉じ、隣の部屋でパソコンを見つめる輪島に声をかける。
「先生、お待たせしました。今カバンとってくるので少し待っててください」
 急いで病棟に戻り、自分の鞄を持って輪島の元へ向かう。
 待っている輪島の前にたち、リュックから五日前に買ったチョコを差し出す。
「あの、これ」
「……ん?」
 輪島がキョトンとしているため、慌てて言葉を付け足す。
「この前の資料と缶コーヒーのお礼です」
 俺の言葉を聞いて、「あぁ!」という顔でチョコを受け取った。
「お礼なんていいのに」
「いや、お礼はちゃんとしたかったので」
「はは、橘くんて真面目だね」
 もらったチョコの箱を顔の前まで持って行き、輪島が俺を見つめる。
「夜勤のお供にするね」
 なんだか、むず痒い感じがして俺は目線を逸らした。
「すみません、それだけなんで。……じゃ、お疲れ様でした」
 外来を出ようとした、その瞬間。

 ――ぐいっ。
 腕を掴まれた。
 
「あのさ、良かったら……これからご飯どう?」
「あ、……はい?」
 俺は輪島の言葉が理解できていないくせに、とりあえず反射的に頷いてしまった。