君が笑ってくれるなら

看護短大に入学し一週間ちょっと。
 イメージ通り九割は女性の環境にも少しずつ慣れてきた時、クラスメイトの陽キャな女子たちに話しかけられる。
「ねぇねぇ、橘くんって今日暇?」
「え?あー……なんで?」
「橘くんともっと話したいから、どっか行かない?」
 この雰囲気は、高校でも感じたことがある。
 正直行きたくない。もし予想が当たった時、俺はまた高校と同じ過ちをしてしまう気がした。
「あー……」
 穏便に断るための言葉が浮かばず、躊躇っていると教室の前の方から急に名前を呼ばれる。
「橘くん、石井先生が呼んでる」
 俺を呼ぶ彼は、女子ばかりの教室で数少ない男子生徒で、同じクラスの冴島宵だった。
「ごめん。今日はちょっと呼ばれてるし……ほんとにごめん」
 誘ってくれた女子たちにそう伝えて、俺は冴島がいる方に小走りで向かう。

 冴島と教室を出て、職員室に向かって歩く。
 教室から少し離れたところで、冴島が口を開く。
「ごめん。嘘なんだ。石井先生が呼んでるっていうの……」
「……え?」
「いや、……なんか、困ってそうだったから。……迷惑だったか?」
「いや、全然!」
 冴島がそんな嘘をつく奴だなんて思ってもいなかった。
「あ、でも俺は本当に頼まれてて。教材を書庫に運ぶの手伝いに行くから。橘くんは、いいタイミングで帰って」
 そう言って宵は歩き出した。
 その背中が階段の向こうへ消えかける。

 ――待って。

 胸の奥で何かが小さく鳴った。
 気づけば、俺はその背中を追いかけていた。
 「俺も手伝う!」
 階段を降りる冴島の背中が見えた瞬間声をかけると、冴島がビクッと肩を動かす。
「え?」
「俺もせっかくだし、手伝うよ。今教室帰るのもちょっとあれだし」
「あ、そっか。……じゃあ、一緒に行くか」
「うん!行く行く」
 この日を境に、宵は少しずつ俺の日常の真ん中に入り込んできた。

 宵と初めて話した日から、気づけば一ヶ月が過ぎていた。
 宵はあまり人に興味がないため、悪口を言わない。見た目はとっつきにくそうな雰囲気だけど、話してみると普通に優しくていい奴。
 ただ、一つだけ知りたくなかったこともある。
 どうやら宵には好きな人が居そうだ。

「なあ、宵ってなんで看護師になろうと思ったの?」
「急にどうした」
「ふと気になってさ」
「あー……」
 宵が少し言葉に詰まったので、先に俺が口を開く。
「俺はさ、一昨年やってたドラマ!ほら、あの循環器の!あれ見て、なんかいいなって思ってさ!」
 俺の言葉を聞いて、宵が頷く。
「俺も。……循環器に行きたくて看護師になる」
「え?そうなの?」
 正直俺は、循環器にこだわってるわけじゃなかったが、それ以上何も言わなかった。
「会いたい奴がいるんだ。そいつのこと忘れないために、俺は看護師を選んだ」
 宵のまっすぐな言葉で何となく理解する。
「そっか。なら、頑張らないとな」
「おう。なんか、瑞季とは長い付き合いになりそうだな」
 俺の気持ちと、宵のその言葉は絶対違うと分かっていながらも、頬が熱くなる。
「だな!宵と同じとこ行こー」
「おい、そんな簡単に決めるなよ」
 呆れたように笑う宵につられて、俺も笑った。

 あの頃はまだ、それが何年も続く関係になるなんて思ってもいなかった。