君が笑ってくれるなら

俺たちは、お互いの気持ちを確認し安心したからか、そのまま寝てしまった。

 大きな窓ガラスから差し込む光に照らされ、目を覚ます。
 昨日のことが都合のいい夢だったらどうしようと思っていたが、隣には俺の背中を包むように腕を回してまだ眠っている輪島がいた。
 起こさないようにそっと腕から抜け出し、広過ぎる部屋を探索しながら、シャワー室へ向かった。

 シャワーを浴びて、とりあえず備え付けのバスローブを着る。スイートルームであろうこの部屋には、俺の見たことない化粧水や、何に使うか分からない石鹸が何種類もあった。
「ドライヤー……どこだ?」
 手当たり次第に引き出しを探っていると、後ろから抱きしめられる。
「お、おはようございます」
 昨日の今日で、お付き合い初心者の俺にとって、輪島のこういった行動にはあたふたしてしまう。
 とりあえず、身体の前に回された輪島の手に俺も触れてみる。
「えっ……と、先生もシャワー入りますよね」
 俺の心臓の速さと熱くなる身体を紛らわすように、輪島に問いかける。
 輪島は鏡越しに俺を見つめる。
「帰ったかと思ったよ」
 鏡越しでも吸い込まれそうな黒い瞳と目が合い、つい視線を逸らす。
「か、帰らないですよ」
「うん。よかった」
 俺は輪島の腕を緩め、鏡に背を向ける。
 輪島の腕の中にすっぽりおさまりながら、上目遣いで俺自身にも言い聞かすように呟く。
「……夢じゃないです」
 優しい微笑みを浮かべたまま、輪島の唇がゆっくりと触れる。
 抱きしめながら、ため息混じりで輪島が訴える。
「はぁー……、橘くん可愛すぎる」
「あはは。先生、俺のこと本当に好きなんだね」
 デレる輪島が可愛くて、思わず笑ってしまう。
 輪島はそんな俺を、少し不服そうな顔でじっと見つめた。
「僕もシャワー浴びるね。あとで、朝ごはん食べに行こう」
「はい」

 無事ドライヤーも見つかり髪を乾かした後、昨日着ていた服に着替えた。
 スマホを確認すると、昨夜連絡をくれていた飲み友達からの不在着信がずらりと並んでいた。
「やば、そうじゃん。俺、結局……」
 輪島との出来事がインパクトありすぎて、バーに行く約束を今頃思い出した。
 ――とりあえず、返信しなきゃ……。
 バーに行かなかった謝罪を打っていると、輪島がシャワーを終えて戻ってくる。
 
「橘くん、その……。もう、アプリとかは辞めて欲しい……です」
 俺がスマホを触っているのに気づいて、気まずそうに輪島が話す。
「ごめん、いい歳して……。橘くんのこと縛りたくないし、信用してないとかじゃないんだけど……」
 ――ついこの前まで、特別とかないって言ってたのに。
 目の前で一生懸命気持ちを伝えてくれていることに、俺は自分が特別なんだと実感して嬉しくなってしまう。
「ふふ。もう、しません。アプリも消そうと思ってました。ただ、昨日飲み友をブッチしたので……その謝罪だけ打ってます」
 俺の返答に、輪島がホッとしつつ謝ってくる。
「そ、そうだよね。僕勘違いして、連れてきちゃって」
「ははは。あの……、先生が良ければ、今度一緒にバー行きませんか?」
「え?」
「その……俺の恋人って、ママとかに紹介したいんで」
 自分で言ってて、まだ言い慣れない言葉に照れくさくなってしまう。
「うん!是非!あ……でも、引っ越しもあるから」
「あ、その事でも少し先生とお話ししたいです」
 
 俺たちは、ホテルに併設されたカフェで、モーニングセットを食べながら、さっきの続きを話した。
「俺、今すぐ兵庫には行けないです」
「うん。……え、ちょっと待って」
「はい?」
「なんか、その……僕の耳が都合いいのかもしれないけど。もしかして、来てくれる気持ちはあるの?」
 輪島の言葉に、思わずため息が出る。
「はぁー……。俺、昨日ずっとって言いましたよ」
 呆れ顔で話す俺を、嬉しそうに輪島が見つめる。
「まだ、最後まで聞いてください」
 俺のムスッとした表情に気づき、輪島が嬉しそうに何度も頷く。
「辞めるにしても、まず師長に話をしないといけないし。それが終わったら、今度は看護部長とも面談しなきゃいけないんです。委員会もあるし、来年度からはプリセプターも頼まれてます。なので、一年は辞める準備期間が要るんです」
 俺は一瞬躊躇いながら、言葉をつなげた。
「だから、……一年は遠距離になります」
 自分で言った言葉なのに、急に寂しさが込み上げてくる。そんな俺の気持ちを感じ取ったかのように、輪島が俺の手を包み込むように触る。
「じゃあ、たくさん会いにくるよ」
「……俺も、行きます」
 すっかり冷めてしまった珈琲は、俺の寂しさを代弁するようなほろ苦さだった。

 それから、あれよあれよと時間が過ぎて、今日輪島が兵庫に旅立つ。
 新幹線のホームまで見送りに行くと、一回り以上歳上の輪島が俺よりも寂しそうな大型犬に見えて、思わず輪島のふわふわな髪の毛に手を伸ばす。
「先生、着いたら連絡してね」
「うん。……はぁ、寂しいな」
「そうだね」
 アナウンスの音や、他の人たちの話し声が響き渡る中、俺たちはベンチに座りながら、無言で手を繋ぐ。
 輪島が乗る新幹線がホームにやってきた時、輪島が俺を覗き込むように話す。
「もう、僕は職場の先生じゃないから」
「……ん?はい」
「だから、名前で呼んで欲しい……かな」
 そう言って、輪島は少し照れくさそうに笑った。
 俺の様子を伺う輪島が可愛くて、胸の奥が熱くなる。
「ふふ。ほら、もう乗ってください」
「え……あ、うん。じゃあ、またね」
「……」
 新幹線に向けて歩き出す輪島の背中を見て、思わず腕を引っ張る。
 小さく息を整えて、輪島の耳元に届くようにつま先立ちをした。
「……だいすきです、いっ……、一慶さん」
 言い終わった後、ゆっくり輪島の顔を見ると、頬を赤らめながら、綺麗な黒目を潤ませている。
「僕も大好きだよ」
 輪島は俺を抱きしめた後、急いで新幹線に乗り込んで去っていった。