玄関を出ると、ひんやりとした秋の夕風がふわりと二人の髪を揺らした。西へ傾いた夕陽が、雲をほんのりと桃色に染めていた。
こうして桜と肩を並べて歩くのは、いつぶりだろう。子どもの頃、毎日のように手を繋いで歩いたこの道は、どこも変わっていないはずなのに、今では少し遠い記憶の中の景色のようだった。
「そういえばさあ」
前を向いたまま、桜がぽつりと口を開いた。
「青葉、最後の霊学祭はどうだったの? 楽しめた?」
「あ——」
その言葉を聞いた瞬間、青葉の瞳がぱっと輝いた。
「すっごく、楽しかったよ!」
「ふふ。そんな顔するくらい?」
「うん、本当に!」
青葉は身振り手振りを交えながら話し始めた。
「今年は初めて、創成棟と自科霊棟の合同でやったんだ。『霊術水族館』っていう企画なんだけどね」
「創成と自科霊が? それは面白そうだね」
桜は身を乗り出すように青葉へ目を向けた。
「でしょ! 自科霊棟の人たちの霊術を、誰でも体験できるように、みんなで術式を組んだの。当日ね、来てくれた子どもたちが、みんな目を輝かせて喜んでくれたんだ。私……あんなにたくさんの人が、霊術に触れて笑ってくれるのを見てさ。本当に嬉しかったんだよね……」
夕陽に照らされながら、誇らしげに笑う青葉。桜はしばらく、眩しいものを見るように妹の横顔を見つめていた。やがて、ふっと目元を緩める。
「……本当に、青葉らしいね」
「え? なにが?」
「青葉ってさ、自分がすごいって褒められることより、自分の作ったもので誰かが笑ってくれる方が嬉しそうだったじゃない。昔から変わってないんだなって」
「そう、かも。……ありがとう」
青葉は頬を赤くしながら、照れくさそうに頭をかいた。
二人は歩調を揃えたまま、駅への道を進んだ。駅までは、あと少し。長く伸びた二人の影が、アスファルトの上で並んで揺れていた。
しばらく、二人の間には静かな沈黙が流れた。言葉を交わさなくても、その時間はどこか心地良かった。
けれど、一歩、また一歩と駅が近づいてくるにつれ、青葉の鼓動は、次第に落ち着きを失っていった。
話そうか。それとも、やっぱりやめようか。何度も迷い、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
桜はなにも聞いてこない。学校のことも、交友関係のことも、必要以上に踏み込もうとはしない。
だからこそ。
青葉はすべてを打ち明けたくなってしまった。
「……お姉ちゃん」
掠れた声が、ぽつりと漏れた。
「うん?」
桜が穏やかに振り向く。青葉は少し俯き、歩調を緩めた。
「さっき……番の研究をしてるって、言ってたよね」
「うん。まだまだ発展途上の分野だけどね」
青葉は唇をぎゅっと噛み締めた。大きく息を吸い込み、覚悟を固めるようにゆっくりと吐き出す。
「……もし。もしね……番紋の輪郭が、消えかかってたら……」
そこまで言ったきり、声が途切れた。制服の袖口を握りしめる手に力が入る。
桜は歩みを止め、なにも急かさなかった。ただ静かに、妹が続きの言葉を紡ぎ出すのを待っていた。
言わなければ。そう思っても、喉の奥が震えてまともな言葉にならず、浅い息だけが何度も漏れた。
「……青葉。大丈夫」
桜が、包み込むような声音で優しく名前を呼んだ。
その声に触れた瞬間——必死に堰き止めていたものが、一気に溢れ出した。
「っ……、う……」
青葉は俯いたまま、小刻みに震える右手で、左手の袖口をゆっくりと引き上げた。夕陽に照らされた白い肌に、微かに掠れた紅い紋様が浮かび上がる。
桜は思わず息を呑み、その瞳を大きく見開いた。
「それ……」
ぽた、と。
大粒の涙が足元のアスファルトへ落ち、黒い染みを作った。
「私……四か月くらい前に、番紋が顕れて……」
震える声で、青葉はぽつり、ぽつりと話し始めた。
「最初は、本当に嫌だったの。番なんて、運命なんて、私のこれからの人生を勝手に決める、理不尽なものだと思ってた。だから、絶対認めないって突っぱねて……。それで、その人——東雲に、言ったの。『番だからって理由で、誰かを好きになることだけはない』って」
桜はなにも言わなかった。ただ静かに、妹の痛みに寄り添うように耳を傾けていた。
「そうしたら……東雲は、私の考えを否定しないでくれて。それでね、ずっと……友達として、隣にいてくれたの。一緒に研究の議論をして、くだらないことで笑って、霊学祭の企画も作って……本当に、毎日が楽しかったの。楽しかったんだよ……でも……っ」
青葉は涙を拭うこともできず、唇を強く噛み締める。
「一か月前、行動制限が解除された日の帰りに……『好きなんだ』って言われて……。『番だから好きになったんじゃない』『ずっと前から好きだったんだ』って……っ」
夕焼けの光の中、涙はあとからあとから青葉の頬を伝っていった。
「私……なにも答えられなかった。分からなかったから。東雲のことが好きなのか、好きじゃないのか。好きだとして、それが番のせいなのか、本当に自分の気持ちなのか……なにも分からなくて……っ」
青葉は、ゆっくりと視線を左手首へ落とした。
「だから、東雲は……私に『自分で選んだ人と幸せになって』って言って。それから一か月……東雲は私と距離を置いたの。私も話しかけられなくて……そうしたら、これ……っ」
そこまで話したところで、青葉はその場に崩れるようにうずくまった。
「お姉ちゃん……どうしよう……」
涙が止まらない。しゃくり上げる身体が小刻みに震える。両手で自分の左手首を抱え込むようにして、力なく首を振った。
「あんなに嫌だって、呪いだって思ってたのに。なんでか分からないけど、今、これが消えちゃうのが……怖い……っ」
その、心の底から絞り出された叫びを聞いた瞬間、桜はすうっと目を細めた。
夕暮れの中で、姉の表情が微かに歪む。その眼差しには、ただ妹を慰めるだけではない、深い痛みが滲んでいた。
こうして桜と肩を並べて歩くのは、いつぶりだろう。子どもの頃、毎日のように手を繋いで歩いたこの道は、どこも変わっていないはずなのに、今では少し遠い記憶の中の景色のようだった。
「そういえばさあ」
前を向いたまま、桜がぽつりと口を開いた。
「青葉、最後の霊学祭はどうだったの? 楽しめた?」
「あ——」
その言葉を聞いた瞬間、青葉の瞳がぱっと輝いた。
「すっごく、楽しかったよ!」
「ふふ。そんな顔するくらい?」
「うん、本当に!」
青葉は身振り手振りを交えながら話し始めた。
「今年は初めて、創成棟と自科霊棟の合同でやったんだ。『霊術水族館』っていう企画なんだけどね」
「創成と自科霊が? それは面白そうだね」
桜は身を乗り出すように青葉へ目を向けた。
「でしょ! 自科霊棟の人たちの霊術を、誰でも体験できるように、みんなで術式を組んだの。当日ね、来てくれた子どもたちが、みんな目を輝かせて喜んでくれたんだ。私……あんなにたくさんの人が、霊術に触れて笑ってくれるのを見てさ。本当に嬉しかったんだよね……」
夕陽に照らされながら、誇らしげに笑う青葉。桜はしばらく、眩しいものを見るように妹の横顔を見つめていた。やがて、ふっと目元を緩める。
「……本当に、青葉らしいね」
「え? なにが?」
「青葉ってさ、自分がすごいって褒められることより、自分の作ったもので誰かが笑ってくれる方が嬉しそうだったじゃない。昔から変わってないんだなって」
「そう、かも。……ありがとう」
青葉は頬を赤くしながら、照れくさそうに頭をかいた。
二人は歩調を揃えたまま、駅への道を進んだ。駅までは、あと少し。長く伸びた二人の影が、アスファルトの上で並んで揺れていた。
しばらく、二人の間には静かな沈黙が流れた。言葉を交わさなくても、その時間はどこか心地良かった。
けれど、一歩、また一歩と駅が近づいてくるにつれ、青葉の鼓動は、次第に落ち着きを失っていった。
話そうか。それとも、やっぱりやめようか。何度も迷い、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
桜はなにも聞いてこない。学校のことも、交友関係のことも、必要以上に踏み込もうとはしない。
だからこそ。
青葉はすべてを打ち明けたくなってしまった。
「……お姉ちゃん」
掠れた声が、ぽつりと漏れた。
「うん?」
桜が穏やかに振り向く。青葉は少し俯き、歩調を緩めた。
「さっき……番の研究をしてるって、言ってたよね」
「うん。まだまだ発展途上の分野だけどね」
青葉は唇をぎゅっと噛み締めた。大きく息を吸い込み、覚悟を固めるようにゆっくりと吐き出す。
「……もし。もしね……番紋の輪郭が、消えかかってたら……」
そこまで言ったきり、声が途切れた。制服の袖口を握りしめる手に力が入る。
桜は歩みを止め、なにも急かさなかった。ただ静かに、妹が続きの言葉を紡ぎ出すのを待っていた。
言わなければ。そう思っても、喉の奥が震えてまともな言葉にならず、浅い息だけが何度も漏れた。
「……青葉。大丈夫」
桜が、包み込むような声音で優しく名前を呼んだ。
その声に触れた瞬間——必死に堰き止めていたものが、一気に溢れ出した。
「っ……、う……」
青葉は俯いたまま、小刻みに震える右手で、左手の袖口をゆっくりと引き上げた。夕陽に照らされた白い肌に、微かに掠れた紅い紋様が浮かび上がる。
桜は思わず息を呑み、その瞳を大きく見開いた。
「それ……」
ぽた、と。
大粒の涙が足元のアスファルトへ落ち、黒い染みを作った。
「私……四か月くらい前に、番紋が顕れて……」
震える声で、青葉はぽつり、ぽつりと話し始めた。
「最初は、本当に嫌だったの。番なんて、運命なんて、私のこれからの人生を勝手に決める、理不尽なものだと思ってた。だから、絶対認めないって突っぱねて……。それで、その人——東雲に、言ったの。『番だからって理由で、誰かを好きになることだけはない』って」
桜はなにも言わなかった。ただ静かに、妹の痛みに寄り添うように耳を傾けていた。
「そうしたら……東雲は、私の考えを否定しないでくれて。それでね、ずっと……友達として、隣にいてくれたの。一緒に研究の議論をして、くだらないことで笑って、霊学祭の企画も作って……本当に、毎日が楽しかったの。楽しかったんだよ……でも……っ」
青葉は涙を拭うこともできず、唇を強く噛み締める。
「一か月前、行動制限が解除された日の帰りに……『好きなんだ』って言われて……。『番だから好きになったんじゃない』『ずっと前から好きだったんだ』って……っ」
夕焼けの光の中、涙はあとからあとから青葉の頬を伝っていった。
「私……なにも答えられなかった。分からなかったから。東雲のことが好きなのか、好きじゃないのか。好きだとして、それが番のせいなのか、本当に自分の気持ちなのか……なにも分からなくて……っ」
青葉は、ゆっくりと視線を左手首へ落とした。
「だから、東雲は……私に『自分で選んだ人と幸せになって』って言って。それから一か月……東雲は私と距離を置いたの。私も話しかけられなくて……そうしたら、これ……っ」
そこまで話したところで、青葉はその場に崩れるようにうずくまった。
「お姉ちゃん……どうしよう……」
涙が止まらない。しゃくり上げる身体が小刻みに震える。両手で自分の左手首を抱え込むようにして、力なく首を振った。
「あんなに嫌だって、呪いだって思ってたのに。なんでか分からないけど、今、これが消えちゃうのが……怖い……っ」
その、心の底から絞り出された叫びを聞いた瞬間、桜はすうっと目を細めた。
夕暮れの中で、姉の表情が微かに歪む。その眼差しには、ただ妹を慰めるだけではない、深い痛みが滲んでいた。


