◇
「——水族館!」
それを聞いた瞬間、玲司の脳裏に、昼間に教室で見たあの光景が蘇った。
照明の落とされた教室内を、縦横無尽に泳ぎ回る無数の光の魚たち。
(すごいな……これが、みんなの霊術の結晶か)
青葉は今、どんな顔をしているのだろう。
また近くの誰かを捕まえて、いつものように自分の術式について熱弁しているのだろうか。
ふと気になって、気づけば彼女の姿を探していた。
クラスメイトたちは、色とりどりの鮮やかな世界に浸り、口々に歓声を上げ、笑っている。その中で——。
青葉は、自分の頭上を優雅に泳いでいく光のクジラを見上げながら、子どものように純粋な目で、小さく微笑んでいた。
『綺麗……』
ただ、その一言だけを零して。
そこには、術式回路の複雑な理論を語る研究者の顔はなかった。ただ静かに、目の前に広がる幻想的な景色に心を奪われている、一人の少女の姿。
水中のような青い光に照らされた彼女の横顔は、いつもよりどこか大人びていて、艶やかで、そして胸が痛くなるほどに柔らかかった。
——綺麗だ、と思った。
それが、宙を舞う光の魚たちのことなのか。それとも、その光に照らされて、世界で一番美しいものを見るような目をしている、彼女自身のことなのか。自分でも、なにを見つめてそう思ったのか、その境界線はよく分からなかったけれど。
本物の水族館。
暗い館内、巨大なアクリルパネルの向こうを、無数の魚たちがゆったりと回遊していく。その青い光に照らされながら、今日と同じように静かに微笑む青葉の姿。そんな光景が、不意に脳裏へ浮かんだ。
(……綺麗だろうな。本当に)
誰よりも近くで、彼女のその表情を見つめることができたなら。それはどれほど、幸福な時間なのだろう。
——けれど。
脳裏を過ったのは、今朝の保健棟で調月先生から告げられた、あの言葉。
『霊力回路が安定した番同士に、番紋の消失例がいくつか報告されている。いずれも、長期間にわたって相手との交流が著しく減っていたらしい』
霊障は、恐らくあと一週間で消える。あの話が本当なら、自分たちが距離を置きさえすれば、彼女を縛る“番”という理不尽な鎖ごと、いずれ消滅するのかもしれない。その時初めて、彼女は本当の意味で自由になれる。
そしていつか彼女は、今度こそ自分の意思で「この人が好きだ」と心から思える相手を選ぶのだろう。あの美しい景色をともに見上げるのは、そういう人であるべきなんだ。
そんな彼女を、一番近くで見る資格があるのは。
——俺じゃ、ない。
胸の奥が、千切れるように激しく締め付けられる。
番という繋がりが消えた時、自分には彼女の隣にいる資格は残らない。
……好きって、なんなんだろう。
青葉のことを一つ知るたびに、知らなかった彼女に出会うたびに。嬉しくて、不安で。それでも、その時間が愛おしかった。もっと知りたくて、もっと隣にいたくなる。
『友達になってよ』
あの日、“友達”という名の箱に押し込めたはずの感情が、どうかここから出してくれと、何度も何度も訴えかけてくる。
今この瞬間も彼女へ向かうこの想いが、好きじゃなかったら、一体なんだというのだろうか。
番だから好きなのか? ——違う。
俺は、“篠宮青葉という人間”が、どうしようもなく好きなのだ。
だからこそ。
『番だからって理由で、誰かを好きになることだけは、絶対にないから』
今だからこそ分かる。あの時受け取った言葉は、自分に対する個人的な拒絶なんかじゃない。青葉の信念だ。彼女は、その目で見て、その手で触れて、自分で考えて決めたことを、一番大事にする人だから。
青葉がなによりも嫌うのは、自分の意思とは関係のない運命を押し付けられること。番という変えようのない事実を前にして、どれほど必死に叫んだとしても、この想いの真贋を彼女へ証明することはできないのだ。『番だから』という、たった一つの反証で、全てを否定できてしまうから。
自分は、『彼女が自分の意思で選ぶ相手』として見てもらうことすらできない。
彼女を傷つけずに、その隣にいられるための“名前”。
切なくなるほどに欲しいと願ってやまないそれは、けれど。
番である自分には、どうしたって手に入らない。
——そう、気づいてしまった。
「——水族館!」
それを聞いた瞬間、玲司の脳裏に、昼間に教室で見たあの光景が蘇った。
照明の落とされた教室内を、縦横無尽に泳ぎ回る無数の光の魚たち。
(すごいな……これが、みんなの霊術の結晶か)
青葉は今、どんな顔をしているのだろう。
また近くの誰かを捕まえて、いつものように自分の術式について熱弁しているのだろうか。
ふと気になって、気づけば彼女の姿を探していた。
クラスメイトたちは、色とりどりの鮮やかな世界に浸り、口々に歓声を上げ、笑っている。その中で——。
青葉は、自分の頭上を優雅に泳いでいく光のクジラを見上げながら、子どものように純粋な目で、小さく微笑んでいた。
『綺麗……』
ただ、その一言だけを零して。
そこには、術式回路の複雑な理論を語る研究者の顔はなかった。ただ静かに、目の前に広がる幻想的な景色に心を奪われている、一人の少女の姿。
水中のような青い光に照らされた彼女の横顔は、いつもよりどこか大人びていて、艶やかで、そして胸が痛くなるほどに柔らかかった。
——綺麗だ、と思った。
それが、宙を舞う光の魚たちのことなのか。それとも、その光に照らされて、世界で一番美しいものを見るような目をしている、彼女自身のことなのか。自分でも、なにを見つめてそう思ったのか、その境界線はよく分からなかったけれど。
本物の水族館。
暗い館内、巨大なアクリルパネルの向こうを、無数の魚たちがゆったりと回遊していく。その青い光に照らされながら、今日と同じように静かに微笑む青葉の姿。そんな光景が、不意に脳裏へ浮かんだ。
(……綺麗だろうな。本当に)
誰よりも近くで、彼女のその表情を見つめることができたなら。それはどれほど、幸福な時間なのだろう。
——けれど。
脳裏を過ったのは、今朝の保健棟で調月先生から告げられた、あの言葉。
『霊力回路が安定した番同士に、番紋の消失例がいくつか報告されている。いずれも、長期間にわたって相手との交流が著しく減っていたらしい』
霊障は、恐らくあと一週間で消える。あの話が本当なら、自分たちが距離を置きさえすれば、彼女を縛る“番”という理不尽な鎖ごと、いずれ消滅するのかもしれない。その時初めて、彼女は本当の意味で自由になれる。
そしていつか彼女は、今度こそ自分の意思で「この人が好きだ」と心から思える相手を選ぶのだろう。あの美しい景色をともに見上げるのは、そういう人であるべきなんだ。
そんな彼女を、一番近くで見る資格があるのは。
——俺じゃ、ない。
胸の奥が、千切れるように激しく締め付けられる。
番という繋がりが消えた時、自分には彼女の隣にいる資格は残らない。
……好きって、なんなんだろう。
青葉のことを一つ知るたびに、知らなかった彼女に出会うたびに。嬉しくて、不安で。それでも、その時間が愛おしかった。もっと知りたくて、もっと隣にいたくなる。
『友達になってよ』
あの日、“友達”という名の箱に押し込めたはずの感情が、どうかここから出してくれと、何度も何度も訴えかけてくる。
今この瞬間も彼女へ向かうこの想いが、好きじゃなかったら、一体なんだというのだろうか。
番だから好きなのか? ——違う。
俺は、“篠宮青葉という人間”が、どうしようもなく好きなのだ。
だからこそ。
『番だからって理由で、誰かを好きになることだけは、絶対にないから』
今だからこそ分かる。あの時受け取った言葉は、自分に対する個人的な拒絶なんかじゃない。青葉の信念だ。彼女は、その目で見て、その手で触れて、自分で考えて決めたことを、一番大事にする人だから。
青葉がなによりも嫌うのは、自分の意思とは関係のない運命を押し付けられること。番という変えようのない事実を前にして、どれほど必死に叫んだとしても、この想いの真贋を彼女へ証明することはできないのだ。『番だから』という、たった一つの反証で、全てを否定できてしまうから。
自分は、『彼女が自分の意思で選ぶ相手』として見てもらうことすらできない。
彼女を傷つけずに、その隣にいられるための“名前”。
切なくなるほどに欲しいと願ってやまないそれは、けれど。
番である自分には、どうしたって手に入らない。
——そう、気づいてしまった。


