つがいがなんだってんだ!

 会話は途切れても、不思議と気まずさはなかった。スプーンの触れ合う小さな音と、店内に流れる穏やかなジャズが、ゆっくりと二人の時間を満たしていく。
 暫くして、アイスティーを一口飲んだ東雲が、不意に何かを思い出したように口を開いた。
 
「そうだ。忘れないうちに、これを」
「ん?」
 
 東雲は足元に置いていた大きな紙袋の中から、ごそごそと小さな紙袋を取り出した。そこにはさっき立ち寄った文房具店のロゴが入っている。
 その紙袋の向きを整えるように持ち替えると、青葉の前へそっと差し出した。
 
「これ、良かったら使って」
「……え?」
 
 青葉はきょとんとしたまま、目の前の袋と東雲の顔を交互に見つめた。
 
「私に? なに、これ」
「さっきノートを選んでる時に、別の棚を見てたらたまたま見つけたんだよ」
「……開けて、いい?」
「どうぞ」
 
 青葉は、慎重に袋のテープを剥がし、中身を取り出した。
 
「……これ……っ!」
 
 最初に出てきたのは、一箱の黒い製図用ボールペンだった。
 
「私がいつも使ってるシリーズの……!」
「だろ?」

 青葉が目を皿のようにして箱の裏面を確認する。
 
「……え……霊力伝導インクの、限定大容量モデル!? 太さは変わらないのにインクの容量が二倍になってる……!」
 
 青葉の目が、みるみるうちに輝いていく。
 
「凄い……これ、街の文房具店じゃ滅多に見かけないやつだよ!」
「どうせ何十冊も書くんだろ? だったら、インク切れは少ない方がいいと思って」
 
 東雲は「ほらな」と言わんばかりに、にっと笑った。
 
「……え。ちょっと待って、まだなんか入ってる……?」
 
 青葉が不思議そうに袋の中を覗き込み、もう一つの四角い塊を取り出した。

 「! うそ……っ」

 青葉は本の表紙を見たまま、ぴたりと動きを止めた。
『図解でわかる 現代霊術式構築論 ──創成霊術最新理論収録──』

「ええっ!?」
 
 思わず声が一段高くなる。青葉は慌てて周囲を見回し、小さく身を縮めると、早速本を開いた。
 
「これ……先週発売されたばっかりのやつじゃん!? ずっと気になってたの! わ……見て、この図版! すごく見やすい……!」
 
 指先が、興奮で小さく震える。だが、夢中で何ページもめくっていた青葉は、不意にはっとしたように手を止めると、弾かれたように本を裏返した。
 裏表紙に印字された定価を見た瞬間、表情が固まる。
 
「待って……これ、結構なお値段じゃん。悪いよ……」
「じゃあ、誕生日プレゼントってことで」
「私、誕生日とっくに過ぎてるけど」
「知ってる。でも俺、渡してないから」
「で、でも私、東雲の誕生日……全然大したもの渡せないよ? 釣り合わなくない?」
「別に釣り合わせなくていいよ。そういうつもりじゃないし。青葉が喜んでくれたなら、それで十分」
「……ほんとに、貰っちゃって良いの?」
「どうぞ」
 
 東雲は当たり前のように頷いた。青葉は本を胸に抱きしめたまま、しばらく言葉が出なかった。胸の奥が、じんわりと温もりで満たされていく。
 
「ありがとう。すっごく嬉しい」
「……前に、図書館でさ」
「え?」
「その著者の本、読んでただろ。夢中になって読んでたからさ」
「……」
「だから、これ青葉が好きそうだなって思って」
 
 青葉の動きが、ぴたりと止まる。指先が、本の表紙をそっと撫でた。
 
(……覚えてたの?)
 
 あの日、図書館の片隅で、誰に見せるでもなく夢中になって本を読んでいた姿を。
 東雲は、ちゃんと覚えていてくれたのだ。
 その事実に、胸の奥がきゅっと、痛いくらいに締め付けられる。
 それは、番の強制力などでは決してない。『東雲玲司』という一人の人間の優しさに触れた、確かな心の震えだった。
 
「……東雲」
「ん?」
「ありがと。……本当に、大事にするね」
 
 さっきよりも静かな、けれど心の底から湧き上がるような感謝の言葉に、東雲は少し照れくさそうに笑った。
 カフェを出ると、街は柔らかな黄金色に染まり始めていた。
 二人の両手には、今日一日で集めた学祭用の資材がずっしりと提げられていた。それでも、カフェで過ごした心地よい休息と、胸に残る温かな余韻のおかげか、足取りは驚くほど軽かった。
 
「はぁー、楽しかった!」

 青葉が夕暮れの風を受けながら、大きく伸びをした。
 東雲も思わず肩の力を抜いて笑う。

「そう? 相当歩かせることになったけど」
「ううん! 買い出しもバッチリ終わったし、プリンもクリームソーダも美味しかったし……」

(何より——)

 東雲が、自分のために選んでくれた本とペン。
 青葉は腕に抱えた紙袋を、宝物を包み込むようにそっと抱き寄せた。

「ねえ、東雲」
 
 青葉がふと思いついたように、歩きながらくるりと東雲の方へと身体を向けた。後ろ向きに歩きながら、弾んだ声で提案する。
 
「霊学祭が、無事に全部終わったらさ」
「ん?」
「また、二人でどっか行こうよ。クラスの打ち上げとは別に、私たちの『お疲れ様会』!」
「……え?」
 
 東雲は、思いがけない提案に少しだけ目を丸くした。
 
「ほら。この一ヶ月間、毎日放課後もずっと準備とか研究ばっかりで、どこにも遊びに行けなかったじゃん? だからさ、霊学祭が成功したら、そのご褒美ってことで!」
 
 青葉は満面の笑みのまま、東雲の返事を待っている。
 東雲は思わず吹き出すと、困ったように笑った。
 
「お前なぁ……。まぁ、いいけど。どこに行きたいの」
「んー……どこがいいかなぁ」
 
 青葉は人差し指を顎に当て、「んー……」と考え込む。少しだけ考え、目を輝かせながらパッと顔を上げた。
 
「——水族館!」
「! ……」
「私、小さい頃からずっと水族館が大好きなんだよね。小学校の頃なんか、年パス買って毎週のように行ってたの。今日のデモも、すっごい良かったんだけどさ。見てたら本物行きたくなっちゃって!」
「……」
「イルカのショーも好きなんだけどさ、クラゲとか熱帯魚の水槽をぼーっと眺めてる時間も好きなんだよね。気づいたら何時間も経ってたりしてさ」
「……」
 
 そこでようやく、返事が返ってきていないことに気づいた。

「……東雲? どうかした?」
 
 青葉が隣を覗き込むと、東雲ははっと我に返ったように視線を上げた。
 
「あ、いや……楽しいだろうな」
「でしょ!? だからさ、学祭が終わったら絶対に——」
「青葉」
「!」
「……まずは、霊学祭。頑張ろう」
「……うん。絶対、大成功させようね!」

 二人の間を吹き抜けた夕風が、少しだけ、夏の終わりの匂いを運んできた。