つがいがなんだってんだ!

 やがて作業終了の時刻を迎え、生徒たちが帰った後。創成棟の実験準備室には、青葉と玲司、蔭山、雨夜の四人だけが残っていた。蔭山の申し出により、今日の試験結果についての話し合いには、玲司と雨夜も同席することとなったのだ。
 蔭山は長机の上へ一冊の術式ノートを広げている。その向かいには青葉と玲司が並び、雨夜は少し離れた棚へ腰を預け、マグカップを片手に立っていた。

「さて。改めて、今日の試験結果を整理しましょうか」

 蔭山が、いつもと変わらない穏やかな声で切り出した。

「各班が霊術魚を動かし、中央制御が全体の動きと出力をまとめる。魚の数が増えるほど、中央制御にも多くの霊力が必要になります。今日、二十体を超えたところで全体が崩れたのは、そこへ供給される霊力が足りなくなったからです」
「でも、柊也の霊力量は、私より多いはずです」
「ええ。蓮水くんの力が足りなかったのではありません。必要霊力量の見積もりが、実際に必要な量を下回っていたのです」

 蔭山は開かれたノートの数値を指で示す。

「この実測値を取ったとき、すべての術式を起動したのは篠宮さんでしたね」
「そうですけど……」
「測定器に表示されるのは、貴女自身の中から減った霊力だけです。仮に外部から霊力が流れ込み、そのまま術式へ使われていたとしても、その分は記録されません」
「外部から……? そんなの、どこから」
「貴女の霊力回路と繋がっている相手——心当たりがありませんか?」
「!」

 凍りついた頭の中に、不意にあの日の調月の説明が蘇る。
 
『番同士の霊力ってのは、発現と同時に、お互いを一つの大きな循環回路として繋ごうとする性質がある。まあ、一本の血管みたいなもんだ』
 
 個別試験の間、自分一人の力で術式を動かしていたつもりだった。けれど実際には、消費した端から東雲の霊力が流れ込み、不足分を補っていたのだ。
 蔭山は淡々と続ける。

「つまり、この数値には……」
「東雲くんから供給された分が含まれていません。実際に必要な霊力量は、貴女が見積もっていたよりも多かったということでしょう。少なくとも、蓮水くん一人では安定させられないぐらいには」
「…………」

 頭の中が真っ白になった。
 間違っていたのだ。計算ではなく、もっと根本的なところで。

「じゃあ……今のままだと、私しか中央制御を担当できないってことですか」
「少なくとも、今の班編成と術式構成のままなら、そうなります」

 計算式そのものに誤りはない。だからこそ、余計に苦い。自分では正しいと思って使った数値が、最初から普通ではなかったのだから。
 蔭山の指が、今度はその隣に置かれた試験記録へ移る。

「実際、篠宮さんが中央制御へ入った後は、三十体すべての同時起動に成功しています。出力の乱れもない。大型術式を含め、約二十分間、安定状態を維持できた」
「だったら、話は簡単じゃないか」

 それまで黙っていた雨夜が、マグカップを揺らしながら口を挟んだ。

「本番も、篠宮が中央制御を担当する。それで水族館は予定どおり実施できる」
「でも、それは……」
「別に、ほかの生徒に番のことまで説明する必要はないよ。篠宮がこの術式の設計者で、一番制御に慣れてる。それだけで十分通る話だから」

 雨夜は棚から腰を上げ、長机の前まで歩いてくる。

「今日の試験、みんな喜んでたんでしょ? この何週間か、毎日のように遅くまで術式を組んでたのも知ってる」
「……はい」
「学祭まで、もう時間がない。確実に動かせる方法があるなら、それでいいと思う」

 責める口調ではなかった。ただ、教室にいた全員の努力と本番の成功に責任を負う教師として、雨夜は最も現実的な答えを選んでいる。

「一つ、確認していいですか」

 ここまで隣で話を聞いていた東雲が口を開いた。

「青葉が中央制御を担当した場合、身体への負担は?」
「今日と同程度の連続稼働なら問題ないでしょう。ただ、本番中ずっと、というわけにはいきません。一定時間ごとに術式を止め、休憩を挟む必要があります。それでも通常より大きな霊力を扱う以上、消耗はしますが」

 その言葉に、青葉の肩がわずかに強張った。
 雨夜がマグカップから玲司へ視線を移す。

「お前が近くにいれば、より霊力回路も安定するだろうから、もっと負担は少なくなるかもしれない。心配なら当日近くで補助する役になればいい」
「分かりました」
「待って、それはダメだよ」

 青葉は反射的に声を上げた。三人の視線が一斉に集まる。

「東雲はクラスだけじゃなくて、生徒会の実行委員企画とかもあるじゃん」
「俺は大丈夫だよ。別に、実行委員企画なんかは裁量で割り振ってしまえばなんとでもなるし」
「それは……そうかもしれないけど、そうじゃなくて……」

 わかっている。先生たちが言っていることは正しい。東雲も大丈夫だと言ってくれている。自分さえ素直に頷けば、これで丸く収まる話だ。けれど……。
 自分は一体、何にそんなに引っ掛かっているのか。
 上手く言葉にならなくて、沈黙だけが流れていく。

「組み直しますか?」

 その言葉に、青葉は顔を上げた。
 優しい声色と反して、蔭山は厳しい表情をしている。

「ただし、時間はありません。大幅に変更すれば、本番に間に合わない可能性もある。水族館の規模を縮小することになるかもしれません」
「…………」
「貴女個人の研究なら、納得するまで続ければいい。しかしこれは、二つの専門棟が関わる共同企画です。貴女の理想を優先することで、全員の成果を損なう可能性も考慮しなければなりません」
「まあ、今ここで決めろと言うのも難しい話だろ。明日の放課後までに決めてきな」
「明日……」
「今の構成で実施するか。規模を縮小してでも組み直すか。それとも、新しい方法を持ってくるか」
「……分かりました。一晩、考えさせてください」

 記録と術式ノートを重ね、青葉は両腕で胸元へ抱え込んだ。

「青葉。一人で全部なんとかしようとするのだけは、やめて」
「まだ、何も決めてないよ」
「うん。でも青葉、もうどうやって直すかを考え始めてるだろ」

 図星を突かれ、青葉は眉を寄せた。玲司は困ったように苦笑したが、すぐに真剣な表情へ戻った。

「俺は、今のまま実施してもいいと思ってる。この短期間でここまで作り上げられただけでも、すごいんだよ。……だけど、青葉が納得できないまま、完成したことにするのも違うと思う」
「…………」
「青葉は、どうしたい?」
「……分かんない」

 窓の外は既に青い闇に沈んでいた。
 青葉は腕の中の術式ノートを、いっそう強く抱き締める。
 答えは、まだどこにも見つからなかった。