つがいがなんだってんだ!

「あ!」
 
 誰かが、扉の前に立つ東雲に気づいて声を上げた。
 
「玲司来たぞ!」
「東雲、おつー!」
「昨日の生徒会の居残り、大変だったな!」
 
 その一言を皮切りに、それまで思い思いに騒いでいた教室中から、一斉に親しげな声が飛んできた。
 
「おう、お疲れ!」
 
 東雲は全く気負った様子もなく、声をかけてくる一人ひとりに目を合わせ、気さくに応じていく。教室へ入ってまだ一分も経たないというのに、次々とクラスメイトが話しかけてくる。
 
(……どこ行っても人気者なんだな)
 
 生徒会長とか、剣道部主将とか、学年主席とか。そんな肩書きだけで、人は寄りつくものではない。これはひとえに、東雲の人柄が為せる業なのだろう。
 青葉がどこか感心しながら見つめていた、その時だった。
 
「あれ?」
 
 賑やかな教室の後方から、ひときわ明るい、聞き覚えのある声が飛んできた。

「しのりんじゃん!」
「……あ。由美(ゆみ)

 振り向けば、弓道部の南雲(なぐも)由美が親しげに大きく手を振っていた。青葉の姿に気づいた途端、周囲の生徒たちから次々と声が上がり始める。
 
「ほんとだ、篠宮じゃん」
「あれ、でも篠宮って、創成だろ? なんで自科霊に来てんの?」
 
 その一言をきっかけに、教室中の視線が一斉に青葉へと集まった。
 
「え、なに? お前ら知り合い?」
「あいつ、図書委員の中でもめっちゃ本詳しいって有名だよ」
「そういえばこの前、図書館で探してた本すぐ見つけてくれたわ」
「てか、弓道部でしのりんって呼ばれてんだ? 意外ー」
 
 自科霊クラス特有の凄まじい瞬発力で、あっという間に青葉の情報が教室中へ伝播していく。
 
(……しのりんって呼ばないでよ、ここで……)
 
 青葉は心の中でがっくりと小さく肩を落とした。弓道部の一部の先輩たちが勝手につけた、ひどく締まらない響きのあだ名だ。まさか専門クラスの壁を越えて、こんなところで広まるとは思わなかった。
 
「んで?」
 
 さっきまで火球を弄んで盛り上がっていた短髪の男子が、ニカッと白い歯を見せ、腕を組んだまま再び東雲へ視線を向けた。
 
「玲司。その『しのりん』を、なんで連れてきたわけ?」
 
 教室中の視線が、説明を求めるように東雲へと集まる。青葉もつられるように東雲を見た、その時だった。

「おーい、お前らー」
 
 教室の後方から、どこか気だるげでハスキーな女性の声が飛んできた。
 声のした方へ視線を向けると、一人の女性教師がドアフレームに寄りかかっていた。片手には湯気の立つマグカップ、もう片方の手には出席簿を持ち、それをひらひらと振っている。
 肩にかかる程度の黒髪を無造作に後ろで一つに束ね、白衣の袖は肘の上までラフにまくり上げられている。眠たそうに薄く細められた目元はいかにも不健康そうだが、その立ち姿には、不思議と一筋縄ではいかない空気が漂っていた。
 
「お疲れ様です、雨夜(あまや)先生」
 
 東雲がいつも通りに挨拶をする。
 
「ん、おつかれー」
 
 雨夜と呼ばれた女性教師は、手近な教卓の端にマグカップをコトリと置くと、視線をゆっくりと青葉の方へ向けた。
 
「君が、創成棟から来た篠宮青葉だ?」
「……はい、そうです」
「蔭山先生から話は聞いてるよ」
 
 そこまで言うと、雨夜はニヤリと意地の悪そうな、けれどチャーミングな笑みを浮かべた。
 
「創成棟じゃ、結構な有名人らしいね。寝食忘れて術式に没頭する『研究バカ』だってさ」
「……っ」
(ハゲ山、余計なことを……!)
 
 青葉が眉をひそめてむっとすると、雨夜は可笑しそうに肩をすくめてみせた。
 
「あー、ごめんごめん、気ぃ悪くしないで。安心しなよ——ここにも、似たような方向性の同類(バカ)がいっぱい転がってるからさ」
 
 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、教室のあちこちから一斉にブーイングが飛ぶ。
 
「美波ちゃん、地味に聞こえてるー!」
「それって俺ら、褒められてんのー?」
「はは、褒めてなーい。ほら、席着けー」
 
 悪びれる様子もない雨夜の返しに、教室内がドッと笑いに包まれた。
 雨夜はその賑やかな声を右から左へと聞き流しながら、すっと青葉との距離を詰め、彼女の目の前に立った。
 
「私は雨夜美波。このクラスの担当だ」
 
 そう言って、白衣のポケットから抜いた右手を、青葉の前へと差し出す。
 
「三か月間、よろしく」
 
 教師と生徒。けれどその握手には、上下関係を感じさせる堅苦しさはない。新しい仲間を迎えるような、からりとした温かさがあった。
 青葉は少しだけ圧倒されながらも、その細く、けれどどこか力強い手をしっかりと握り返す。
 
「……よろしくお願いします、雨夜先生」
「ん。そんなガチガチに固くなんなくていいよ。こいつら、私のこと先生なんて思ってないから」
 
 雨夜は可笑しそうに目を細めた。
 
「別に君は、お客さんとしてここに来たわけじゃないんでしょ。データを取りたいなら、好きに歩き回ればいい。疑問があれば、私でも、その辺の連中でも、好きに捕まえて質問しなよ。作業の邪魔にならない限り、誰を捕まえて、どんなデータを毟り取ろうと構わないからさ」
「……え?」
 
 予想外の言葉に、青葉は思わず目を丸くする。
 雨夜は青葉の瞳を真っ直ぐに見つめ、その本質を突くように言葉を重ねた。
 
「君はその目で見たものを、一度自分の中で構造を組み立て直して理解するタイプなんだろ? だったら、黙って遠くから眺めてたって、何の意味もないじゃない」
 
 その言葉は、青葉の胸の奥に、温かい衝撃を伴って落ちてきた。
 自分の思考の癖を理解し、それを否定するどころか、存分にやれと言ってくれる。
 雨夜は青葉の表情を見ると、小さく頷き、くるりと教室の全体を見回した。
 
「はい、お前らー」
 
 パン、パン、と乾いた手拍子が教室に響いた。
 
「一回こっちに全員集合ー」
 
 さっきまで各々自由な場所に居た生徒たちが、その声一つで、一斉に動き出す。
 
「はーい」
「美波ちゃん、相変わらず集合の掛け方が雑なんだよなー」
「うるさい。ほら、火ぃ消してー」

 軽口を叩き合いながらも、ものの十数秒で全員が教卓の前に綺麗な半円を描いて集まってきた。そこには、誰かに命じられて従うような窮屈さはない。それでいて誰一人遅れることなく収まっていく様子に、青葉は内心深く驚いていた。

(すごい。創成棟みたいに規律で動いてるわけじゃない。……なのに、ちゃんとまとまってる)

 全員の視線が集まったのを確認すると、雨夜は隣に立つ青葉の肩をポンと軽く手で示した。

「今日から三か月間。創成クラスから、この篠宮青葉が、うちで卒業研究のデータ収集をする。蔭山先生からの正式な依頼だよ。——経緯は以上」

 一拍置き、雨夜はクラスの面々を見渡した。

「協力してやって」

 たったそれだけの簡潔な紹介——それでも、自分の育ててきた生徒たちなら、その一言で十分だと信じている。その揺るぎない信頼が、青葉にははっきりと伝わってきた。
 次の瞬間——。

「あったりまえじゃん!」
「任せとけって、しのりん!」
「研究データだろ? 俺の霊術、一番最初に測っていいぞ!」
「まずは風操霊術見てってよ!」
「いやいや、こっちが先でしょ!」

 一瞬にして、教室中が歓声と笑い声で満ちていく。
 雨夜はコーヒーをひと口啜ると、その光景を満足そうに眺め、小さく笑った。

「ね、言ったでしょ。うちの連中、お節介と自己アピールの塊だからさ」

 青葉は、目の前でキラキラとした純粋な視線を向けてくるクラスメイトたちの光景をじっと見つめながら、胸の奥の深いところが、じんわりと温かくなっていくのを感じていた。
 このクラスの全員が、何の躊躇いもなく自分を迎え入れてくれている。その事実が、昨日からずっと張り詰めていた青葉の心を、優しく解きほぐしていくのだった。