三十分もの間、雨の中に立っていた春乃の身体は冷えていた。だから、彼女の分は温かなチョコレイトを頼んだ。
瀟洒な椅子に腰掛けた春乃は初め、ひどく遠慮をしていたけれど、琴音がいくつか声をかけると少し打ち解けて、おずおずと自分のことを話してくれた。
「琴音さまに、ずっと憧れておりました」
春乃にそう言われて、えっ、と琴音は気抜けした声を上げた。
ソーサーの上のカップを両手で包んだ春乃は微笑んで、鈴の音のような声を紡ぐ。
「強くて格好良くて……私も、琴音さまのように生きてみたいと何度も思いました。けれども同時に、私では琴音さまのようには生きられないとも思うのです」
「……そんな、憧れられるようなものじゃないけど」
琴音はひどく落ち着かない気持ちになりながら、紅茶をひとくち飲んだ。
「きっと琴音さまのような方が、世界を切り拓くヒロインになります。私は、物語の文脈で語られる市民でしかなくて……だけど、平凡に生きる幸せな市民になれたらと考えます」
結婚をして、子供に囲まれて、大切な人たちの暮らしを整えて幸せに生きる――それだけの人生が私の夢、です。
はにかんでそう続けた春乃は、一切の瑕疵がなく可憐だった。
古来から受け継がれる、女性の優しさそのもののような生き方。
「琴音さまにこんな話をするなんて、恥ずかしいですね」
恐縮した様子の春乃に眼差しを向けて、「そんなことないわ」と琴音は首を振る。
「あなたみたいな生き方も素敵よ」
春乃と向き合う世界に満ちる柔らかな手触りを感じながら、琴音は心からそう言った。


