終電の殺し屋

 未希の声には怒りがこもっていた。鉄は熱いうちに打て。その殺意が冷めないうちに、段取りを説明することにした。
「今回のターゲット、田原は奥さんと離婚して一軒家に一人暮らし。君の家とは反対方面だ。君はこのまま家に帰る。翌日には田原が死んでる。パスモの履歴があるから君にはアリバイがある。近所のコンビニで買い物すればなおよし。オーケー?」
 未希がうなずく。上り列車、ターゲットの家へと向かう終電が近い。一緒に駅構内に入る。
 上り列車と下り列車は同じホームだった。改札を抜けてからホームのベンチに腰掛けて電車を待っている間の時間、未希は一言もしゃべらなかった。ちょうど同じタイミングでホームに電車が進入してくる。といっても、下りの終電はもう何本か後だけれど。
 ドアが開いた。ベンチから立ち上がって、ターゲットの始末へと向かう。振り返って未希に告げた。
「これで、君の苦しみは終わる。新しい人生を生きるんだ」
 ドアが閉まった。さて、仕事の時間だ。

「待って……」
 未希がついてきてしまった。厄介なことになった。
「ダメだよ。次の駅で降りて、ちゃんと帰りな」
 未希が泣きながら小さな声で呟いた。
「だって、人殺しになっちゃったら、おばあちゃんに顔向けできない」
 未希の話を思い出した。彼女は自分の尊厳を傷つけられることよりも、友達や祖母に対する申し訳なさを強く感じていた。何より、彼女は最後に「自分がいなくなれば他の人が犠牲になる」と言った。あれだけの仕打ちを受けながら、「他の人のため」という理由が必要だったのだ。優しい子なのだろう。だから、孫が殺人の依頼などしたら天国の優しい祖母が悲しむと思って直前で思いとどまってしまったのだろう。

 いくら一号車の人が少ない場所で、小さな声とは言え「死ぬ」だの「殺す」だの言っている状態はよくない。連結部へと移動して、小さな声で彼女にトップシークレットを話す。
「本当に殺すわけじゃないよ」
 じーちゃん、先代の“終電の殺し屋”はいわゆるマッドサイエンティストだ。年老いて身体能力が低下してきたので実際の“殺し”の任務は引き継いだが、後処理はじーちゃんの仕事だ。
 “終電の殺し屋”はターゲットを誘拐し、死体とすり替える。死体の処理に困っている同業者など星の数ほどいる。そして、労働力を欲しがる裏社会の人間も。要するに、“終電の殺し屋”はターゲットの死を偽装するのだ。
 なぜ、我々にしかそれができないのか。それはじーちゃんの作った特殊な薬品に秘密がある。現在警察などの期間が使っているDNA捜査の結果を偽装する薬だ。これを死体に注入することで、謎の死体Aは実は生きているターゲットBの死体として処理される。
 ターゲットは地下労働施設で働くことになる。地上に出てくることは二度とない。しかし、ターゲットに恐怖を植え付けられた依頼人は恐れるだろう。
「もし、あいつと再会してしまったら」
 だから、終電の殺し屋の真実はトップシークレットなのだ。特に今回のようなパワー・ハラスメントの被害者に対して真実を伝えることは通常ない。しかし、未希のように殺しを躊躇してしまう優しい人には後押しが必要だ。
「殺さないんですか」
「そう。田原が二度と人を傷つけないように、閉じ込めておくだけだよ」
 未希が戸惑っている。もう一押しだ。
「君にしか、君の未来は守れないよ」
「私は……」
 車内放送が、もうすぐ次の駅に着くことを伝えた。連結部を出る。駅に到着すると、反対ホームには下りの電車が停まっていた。おそらくあれが終電だろう。
 こちらのドアが開くと同時に、発車ベルが鳴り響く。下り列車の発車ベルだ。これはきっとルール違反。それでも彼女の背中を押さずにはいられなかった、物理的に。
 トンッ、と彼女を押してホームに下ろす。
「おうちに帰りな」
 最後にそう促した。未希はこちらを一瞥した後、涙を拭うとまっすぐに駆けていった。彼女が無事電車に乗り込んだのを確認して、胸をなでおろした。