「あのぉ、聞いてる? 質問してるんだけど。あんた、アタシの待ち合わせ相手だったりしない?」
高圧的な物言い。答えなきゃいけない。
「ちがいます」
反射的に出てきたのは、否定の言葉だった。逃げたい。この女から逃げたい。殺される。違う。何を考えてるんだ。これから殺すんだろ、これから消すんだろ、この女を。
「そう、違うのね。ごめんねぇ」
女は少し離れてスマホをいじりだした。メールを受信する。着信音でバレるなんて馬鹿な真似はしない。サイレントマナーモードにしておくのは常識以前の問題だ。
「着きました。ピンクの服着てます」
終電の殺し屋のメールアドレス、すなわちじーちゃんと共有しているメールアドレスにカレンからメールが来た。間違いない、この女がカレンだ。
母親の源氏名なんて知らなかった。家に来る母の彼氏は皆、母を本名で呼んでいたから。母が上京していたなんて知らなかった。じいちゃん、なんで教えてくれなかったんだよ。
「もう少しかかります。その場で待機していてください」
人気のない場所に彼女を連れ出さないといけない。しかし、こんな精神状態ではうまくいくものもいかない。落ち着く前に逃げられてしまっては元も子もない。やっとの思いで彼女にメールを送る。
ピロン、と彼女のスマホが鳴った。バレたらまずいことするときくらい着信音切っとけよ、と普段ならあきれるところだが、そんな余裕すらない。
チッ、と彼女が舌打ちをした。お母さんが怒ってる。怖い。やめて、殴らないで。心の中で、幼い自分が泣いている。落ち着け、精神を乱すな。
「うえっ……」
口を押えてしゃがみこむ。必死で吐き気を抑える。母はこちらを一瞥したが、すぐにスマホをいじり始めた。
汚いものを見るような目。あの頃と同じ目。忘れられない。一度見た光景は忘れられない。生まれつきそうだった。普通人間は匂いや音をよく覚えているものだけれど、見たものの方が強く記憶に残る体質だった。母の匂いも声も、母親に対して感じていた感情も今日この瞬間まで思い出すことはなかったのに、母の顔だけはずっと忘れられなかった。
「大丈夫ですか?」
通りすがりの女の人に声をかけられる。それを見たサラリーマンがこちらにやってくる。
「あ、この人気分悪そうなんです」
「どうしましょう? 駅員さん呼んできましょうか?」
「あ、お願いします」
「どうしたんですか?」
「この人が具合悪そうで」
「じゃあ私、お水買ってきますね」
答えられずにいる間に、どんどん人が集まってくる。目立ってどうするんだよ。人がどんなに集まっても、母はこの状況を無視してスマホをいじっていた。
「お水買ってきました、どうぞ」
蓋を開けた状態のペットボトルの水を差し出される。自律神経が乱れて喉はカラカラだ。
「だいじょぶ、です」
殺し屋としての性が、見知らぬ他人から飲食物をもらうことを拒否した。
そのタイミングで、母がこの場を離れた。慌ててスマホを確認する。終電の時間が迫っていた。アドレスの送信履歴によると、「完了。XX駅に来てください」とじーちゃんが送信していた。
「オマエ ニハ マカセラレナイ」
幻聴が聞こえた。いつの間にか、女を……ターゲットを見失ってしまっていた。
「オマエハ モウ イラナイ」
待って、じーちゃん。捨てないで。できるから。やれるから。お願いだから見捨てないで。よろよろと必死で立ち上がった。
「あ、君。無理しちゃだめだよ」
「平気、です」
平気じゃない。全然大丈夫じゃない。でも、これは試練だ。
なぜ、じーちゃんが依頼者が母親だと伏せたのか。試されているんだ、じーちゃんに。
これは二代目・終電の殺し屋としてふさわしいかの試験だ。不合格なら存在価値はない。でも、合格ならこれからもじーちゃんの孫でいられる。
視覚以外の記憶力には自信がない。それでも、あの日じーちゃんに拾ってもらった嬉しさはずっと覚えている。優しい声も、手のぬくもりも、水のおいしさも全部。
力の限りに走った。終電の発車まで、あと三分。人の流れの隙間を縫うように猛ダッシュする。足の感覚はとうにない。
改札を抜けて、地下深いホームへの階段を二段飛ばしで降りていく。最後の階段の上から、ターゲットが電車に乗り込む姿を確認した。残り十秒。普通に降りていたんじゃ間に合わない。
やれる。殺れる。まだやれる。本物の終電の殺し屋ならばこんなところで終わったりしない。
足に力を入れて、踏み切った。ジャンプして、階段の上から下まで一気に飛び降りる。上りエスカレーターに乗ったカップルと目があった。口をぽかんと開けていた。着地は片足で。勢いを殺さず、そのまま走れ。突き進め。
「ドアが、閉まります」
放送と同時に、電車に駆け込んだ。滑り込みセーフ。コンマ一秒後に、後ろで扉が閉まる音がした。
母と目が合った。大丈夫、ちゃんとやれる。周りには人がいる。公共の場で母は暴力を振るわない。
「すみません、落としましたよ」
そう言って一万円札を渡す。母はお金が好きだ。
「えっ、わざわざ届けてくれたんですかー? ありがとうございますぅ」
猫なで声で母が言う。母がニコニコ笑っている。機嫌がいい時の母の顔。笑い方は昔と全く変わらない。この人は変わっていない。
「綺麗なお姉さんが困ったらいけないと思って」
母は褒められるのが好きだ。特に容姿を褒められるのが好きだ。男女を問わず、誰かに褒められた日は機嫌がよかった。
贔屓目もあるけれど、母は美人だ。実年齢より遥かに若く見えるし、目鼻立ちも整っている。母に似た容姿に生まれさえすれば、きっと母も愛してくれただろう。
「やっだあ、嬉しいー。あんた、今どきの若い子にしちゃいい子ね。アイツにも見習ってほしかったわー」
アイツ、がキラトをさしていることは分かっていたが、あえて質問をする。
「アイツって、まさかお子さんがいらっしゃるんですか?」
「いやっだー、子供なんているわけないじゃない」
「そう……ですよね。お姉さん、お若いですもんね。すみません、保育士をしておりまして、職業柄そういう発想になってしまって」
動揺を悟られないように、適当な嘘でごまかす。
「お姉さん、どっかで会ったことありません? いや、気のせいかもしれないんですけど」
「なにそれー、ウケるね。昭和のナンパ? アタシ、レズじゃないから女は勘弁」
電車の中だというのに、大声で笑った。周りから顰蹙を買っている。しかし、それは注目を集めているということ。この状況では母はどんなに機嫌が悪くなっても虐待行為は行わない。
「んっとねー、確かにあんた、アタシの嫌いな奴に似てるかもー」
そりゃそうだろ。あんたを捨てた男の子供なんだから。初対面の人間に失礼な物言いをするところも健在だ。こういう失言のせいで、たびたび勤務先でトラブルを起こしていたんだろうな。
もしかして、「アイツにも見習ってほしかった」の「アイツ」とは父のことをさしていたのだろうか。そんなことはもうどうでもいい。
よかった。普通に会話ができた。だいぶ慣れてきた。その時、ぐらっと電車が揺れた。体感を鍛えていればどうということはない揺れだが、母はバランスを崩した。
「っと、大丈夫ですか?」
片腕で支えてやる。母は思ったより華奢だった。昔はあんなに大きく強そうに見えたのに、今はこんなに小さく弱そうに見える。もう、怖くない。おびえる必要はない。
ポケットに手を入れて、じーちゃんに連絡をした。
「できる。やれる。やらせて」
一息ついたところで電車がXX駅につく。ターゲットの女が降りたので、一緒に降りて会釈をする。そして、ターゲットとは反対方向にホームを進む。が、常に手鏡で後ろの動向をうかがうことは忘れない。
先代からの指令を確認する。
「好きなようにやれ。必要なものがあったら言え」
それだけだった。
メールの履歴を見ると、ターゲットを呼び出した場所はXX川の河原、XX橋の下。裏道を抜けて先回りする。
現場には死体が転がっていた。一目でキラトとわかる銃殺死体だ。正確には、そう見えるように死体に整形手術が施してある。骨格の似た死体が手に入らないときは、焼死体にDNA検査偽装薬を注入しているが、犯罪歴などがなく、ターゲットのDNAを警察が特定していないパターンだと色々と面倒くさいことになるので見た目を似せられるならそれに越したことはない。
近くには凶器となった拳銃と同じ種類の銃が落ちている。これも偽装用か。じーちゃんが拳銃を放置してどこかへ行くとも思えないから、近くで見張っているのだろう。
二代目に、じーちゃんの孫にふさわしいかテストされている。絶対にこのテストに受かって見せる。
決意したところにターゲット・カレンがのこのことやってきた。物陰に隠れて気配を消す。カレンがキラトの死体を見て、油断したところで背後から忍び寄る。
カレンを羽交い絞めにして拘束した。驚いたカレンが叫んだ。
「あんた……さっきの!」
こうなってしまえば、虐待女ももう怖くない。ただの獲物だ。
「さっきぶりですね、カレンさん。そして、お久しぶりです、桃山真知子さん」
「なんであんたがアタシの本名知ってんのよ! あんた誰よ!」
カレンは声を荒げた。
「誰だと思う?」
「知らない、あんたなんか知らない!」
「じゃあ、ひとつ質問。今から十三年前、大阪の港町で子供が行方不明になった事件を覚えてる?」
十三年前、大阪、子供、その三単語をカレンは復唱した。
「海に落ちて、テトラポッドの隙間に巻き込まれて死んだんでしょ? それが今、どう関係あんのよ!」
「そう。遺体は見つからなかった。なのに、なんで死んだって言いきれるの?」
「それは、警察がそう言ってたから!」
「自分で殺したからじゃなくて?」
「違う! 殺してないもん! ほんとにアタシじゃないもん!」
カレンは泣き喚いた。昔と同じように癇癪を起こした。まるで幼児のようだ。
「警察はどうして、その子が死んだって思ったんだろうね? 思い出せる? 刑事さん、なんて言ってた?」
「わかんない! わかんないけど、死んだって言ってたもん! アタシは殺してないもん! 殺したとしたら隆一くんがアタシの知らない間にやったんだ! アタシは悪くない!」
隆一くん。当時の彼氏の名前だ。そいつの顔もよく覚えている。乱暴な男だった。
「絶対隆一くんだ! だってあいつ傷害罪で逮捕されたことあるもん! 奥さんも子供もいることだって隠してた嘘つきだし、悪い奴だもん! アタシは隆一くんに騙されてたんだもん!」
もんもんうるさいな。耳障りで仕方がない。
「真知子さんが殺してないのは分かったから、これからは聞いたことにだけ答えてね。話が進まないから。その子がもし生きてたら、今何歳になってるだろうね?」
「わかんないよぉ……なんで質問攻めにするの。なんでアタシばっかりこんな目にあわなきゃいけないの」
また泣き始めた。埒が明かない。
「最後の質問。真知子さん、実はその子が助かってて今も生きてるとしたら、どう思う?」
「わかんないよぉ。なんでそんなこと聞くの。あんた誰なのよぉ。警察の人? 保険会社の人? 知らないもん。ほんとにアタシ、殺してない。信じてよぉ」
ほんの少し拘束を強めて威嚇した。
「しつこいな。知ってるよ、アンタが桃山ルカを殺してないことくらい」
カレンは黙った。
「質問の答え、教えてやるよ。一個目。なんで死んだって判断されたのか。桃山ルカの靴と服の切れ端がテトラポッドに挟まってたからだ。状況証拠ってやつだよ」
当時の新聞にはそう書いてあった。当然、警察は実母である真知子に説明しているはずだ。
「二個目。桃山ルカは生きていたら十八歳になってたよ」
桃山ルカとして誕生日を祝われたことはない。誕生日ケーキを見たことはない。でも、戸籍だけは正確だった。
「三個目……は、あんたの気持ちはあんたにしかわかんないわな。代わりにあんたの質問にも答えてやるよ。ったく、あんた誰って何回聞けば気が済むんだよ」
唇を指さして、最後のヒントを伝える。
「ねえ、この顔見おぼえない? 特にこの唇とかさ」
残念ながら輪郭も目鼻立ちも美しい母には似なかった。父にそっくりらしい。昔好きだった男にそっくりなんだから、気づけよ。かつて愛した男の子供だって。
唇の形だけは母に似た。記憶の中の母と同じ唇。鏡を見るたびに思い出した。母はナルシストだ。自分の見た目が大好きだから、鏡で何百回何千回と自分の唇を見つめてきたはずだ。気づけよ。自分の子供だって。
「わかんない? わかんないか。じゃあ、教えてあげるよ」
――好きにやれ。
じーちゃんがそう言ってくれたから、好きにやる。殺し屋のタブーである、軽率に職業と名前を名乗る行為も今日は許してくれ。しかし、唯一名前を名乗ることが許される状況がある。それは、相手を確実に殺すときだ。
「桃山流伽。私がルカだよ、お母さん」
高圧的な物言い。答えなきゃいけない。
「ちがいます」
反射的に出てきたのは、否定の言葉だった。逃げたい。この女から逃げたい。殺される。違う。何を考えてるんだ。これから殺すんだろ、これから消すんだろ、この女を。
「そう、違うのね。ごめんねぇ」
女は少し離れてスマホをいじりだした。メールを受信する。着信音でバレるなんて馬鹿な真似はしない。サイレントマナーモードにしておくのは常識以前の問題だ。
「着きました。ピンクの服着てます」
終電の殺し屋のメールアドレス、すなわちじーちゃんと共有しているメールアドレスにカレンからメールが来た。間違いない、この女がカレンだ。
母親の源氏名なんて知らなかった。家に来る母の彼氏は皆、母を本名で呼んでいたから。母が上京していたなんて知らなかった。じいちゃん、なんで教えてくれなかったんだよ。
「もう少しかかります。その場で待機していてください」
人気のない場所に彼女を連れ出さないといけない。しかし、こんな精神状態ではうまくいくものもいかない。落ち着く前に逃げられてしまっては元も子もない。やっとの思いで彼女にメールを送る。
ピロン、と彼女のスマホが鳴った。バレたらまずいことするときくらい着信音切っとけよ、と普段ならあきれるところだが、そんな余裕すらない。
チッ、と彼女が舌打ちをした。お母さんが怒ってる。怖い。やめて、殴らないで。心の中で、幼い自分が泣いている。落ち着け、精神を乱すな。
「うえっ……」
口を押えてしゃがみこむ。必死で吐き気を抑える。母はこちらを一瞥したが、すぐにスマホをいじり始めた。
汚いものを見るような目。あの頃と同じ目。忘れられない。一度見た光景は忘れられない。生まれつきそうだった。普通人間は匂いや音をよく覚えているものだけれど、見たものの方が強く記憶に残る体質だった。母の匂いも声も、母親に対して感じていた感情も今日この瞬間まで思い出すことはなかったのに、母の顔だけはずっと忘れられなかった。
「大丈夫ですか?」
通りすがりの女の人に声をかけられる。それを見たサラリーマンがこちらにやってくる。
「あ、この人気分悪そうなんです」
「どうしましょう? 駅員さん呼んできましょうか?」
「あ、お願いします」
「どうしたんですか?」
「この人が具合悪そうで」
「じゃあ私、お水買ってきますね」
答えられずにいる間に、どんどん人が集まってくる。目立ってどうするんだよ。人がどんなに集まっても、母はこの状況を無視してスマホをいじっていた。
「お水買ってきました、どうぞ」
蓋を開けた状態のペットボトルの水を差し出される。自律神経が乱れて喉はカラカラだ。
「だいじょぶ、です」
殺し屋としての性が、見知らぬ他人から飲食物をもらうことを拒否した。
そのタイミングで、母がこの場を離れた。慌ててスマホを確認する。終電の時間が迫っていた。アドレスの送信履歴によると、「完了。XX駅に来てください」とじーちゃんが送信していた。
「オマエ ニハ マカセラレナイ」
幻聴が聞こえた。いつの間にか、女を……ターゲットを見失ってしまっていた。
「オマエハ モウ イラナイ」
待って、じーちゃん。捨てないで。できるから。やれるから。お願いだから見捨てないで。よろよろと必死で立ち上がった。
「あ、君。無理しちゃだめだよ」
「平気、です」
平気じゃない。全然大丈夫じゃない。でも、これは試練だ。
なぜ、じーちゃんが依頼者が母親だと伏せたのか。試されているんだ、じーちゃんに。
これは二代目・終電の殺し屋としてふさわしいかの試験だ。不合格なら存在価値はない。でも、合格ならこれからもじーちゃんの孫でいられる。
視覚以外の記憶力には自信がない。それでも、あの日じーちゃんに拾ってもらった嬉しさはずっと覚えている。優しい声も、手のぬくもりも、水のおいしさも全部。
力の限りに走った。終電の発車まで、あと三分。人の流れの隙間を縫うように猛ダッシュする。足の感覚はとうにない。
改札を抜けて、地下深いホームへの階段を二段飛ばしで降りていく。最後の階段の上から、ターゲットが電車に乗り込む姿を確認した。残り十秒。普通に降りていたんじゃ間に合わない。
やれる。殺れる。まだやれる。本物の終電の殺し屋ならばこんなところで終わったりしない。
足に力を入れて、踏み切った。ジャンプして、階段の上から下まで一気に飛び降りる。上りエスカレーターに乗ったカップルと目があった。口をぽかんと開けていた。着地は片足で。勢いを殺さず、そのまま走れ。突き進め。
「ドアが、閉まります」
放送と同時に、電車に駆け込んだ。滑り込みセーフ。コンマ一秒後に、後ろで扉が閉まる音がした。
母と目が合った。大丈夫、ちゃんとやれる。周りには人がいる。公共の場で母は暴力を振るわない。
「すみません、落としましたよ」
そう言って一万円札を渡す。母はお金が好きだ。
「えっ、わざわざ届けてくれたんですかー? ありがとうございますぅ」
猫なで声で母が言う。母がニコニコ笑っている。機嫌がいい時の母の顔。笑い方は昔と全く変わらない。この人は変わっていない。
「綺麗なお姉さんが困ったらいけないと思って」
母は褒められるのが好きだ。特に容姿を褒められるのが好きだ。男女を問わず、誰かに褒められた日は機嫌がよかった。
贔屓目もあるけれど、母は美人だ。実年齢より遥かに若く見えるし、目鼻立ちも整っている。母に似た容姿に生まれさえすれば、きっと母も愛してくれただろう。
「やっだあ、嬉しいー。あんた、今どきの若い子にしちゃいい子ね。アイツにも見習ってほしかったわー」
アイツ、がキラトをさしていることは分かっていたが、あえて質問をする。
「アイツって、まさかお子さんがいらっしゃるんですか?」
「いやっだー、子供なんているわけないじゃない」
「そう……ですよね。お姉さん、お若いですもんね。すみません、保育士をしておりまして、職業柄そういう発想になってしまって」
動揺を悟られないように、適当な嘘でごまかす。
「お姉さん、どっかで会ったことありません? いや、気のせいかもしれないんですけど」
「なにそれー、ウケるね。昭和のナンパ? アタシ、レズじゃないから女は勘弁」
電車の中だというのに、大声で笑った。周りから顰蹙を買っている。しかし、それは注目を集めているということ。この状況では母はどんなに機嫌が悪くなっても虐待行為は行わない。
「んっとねー、確かにあんた、アタシの嫌いな奴に似てるかもー」
そりゃそうだろ。あんたを捨てた男の子供なんだから。初対面の人間に失礼な物言いをするところも健在だ。こういう失言のせいで、たびたび勤務先でトラブルを起こしていたんだろうな。
もしかして、「アイツにも見習ってほしかった」の「アイツ」とは父のことをさしていたのだろうか。そんなことはもうどうでもいい。
よかった。普通に会話ができた。だいぶ慣れてきた。その時、ぐらっと電車が揺れた。体感を鍛えていればどうということはない揺れだが、母はバランスを崩した。
「っと、大丈夫ですか?」
片腕で支えてやる。母は思ったより華奢だった。昔はあんなに大きく強そうに見えたのに、今はこんなに小さく弱そうに見える。もう、怖くない。おびえる必要はない。
ポケットに手を入れて、じーちゃんに連絡をした。
「できる。やれる。やらせて」
一息ついたところで電車がXX駅につく。ターゲットの女が降りたので、一緒に降りて会釈をする。そして、ターゲットとは反対方向にホームを進む。が、常に手鏡で後ろの動向をうかがうことは忘れない。
先代からの指令を確認する。
「好きなようにやれ。必要なものがあったら言え」
それだけだった。
メールの履歴を見ると、ターゲットを呼び出した場所はXX川の河原、XX橋の下。裏道を抜けて先回りする。
現場には死体が転がっていた。一目でキラトとわかる銃殺死体だ。正確には、そう見えるように死体に整形手術が施してある。骨格の似た死体が手に入らないときは、焼死体にDNA検査偽装薬を注入しているが、犯罪歴などがなく、ターゲットのDNAを警察が特定していないパターンだと色々と面倒くさいことになるので見た目を似せられるならそれに越したことはない。
近くには凶器となった拳銃と同じ種類の銃が落ちている。これも偽装用か。じーちゃんが拳銃を放置してどこかへ行くとも思えないから、近くで見張っているのだろう。
二代目に、じーちゃんの孫にふさわしいかテストされている。絶対にこのテストに受かって見せる。
決意したところにターゲット・カレンがのこのことやってきた。物陰に隠れて気配を消す。カレンがキラトの死体を見て、油断したところで背後から忍び寄る。
カレンを羽交い絞めにして拘束した。驚いたカレンが叫んだ。
「あんた……さっきの!」
こうなってしまえば、虐待女ももう怖くない。ただの獲物だ。
「さっきぶりですね、カレンさん。そして、お久しぶりです、桃山真知子さん」
「なんであんたがアタシの本名知ってんのよ! あんた誰よ!」
カレンは声を荒げた。
「誰だと思う?」
「知らない、あんたなんか知らない!」
「じゃあ、ひとつ質問。今から十三年前、大阪の港町で子供が行方不明になった事件を覚えてる?」
十三年前、大阪、子供、その三単語をカレンは復唱した。
「海に落ちて、テトラポッドの隙間に巻き込まれて死んだんでしょ? それが今、どう関係あんのよ!」
「そう。遺体は見つからなかった。なのに、なんで死んだって言いきれるの?」
「それは、警察がそう言ってたから!」
「自分で殺したからじゃなくて?」
「違う! 殺してないもん! ほんとにアタシじゃないもん!」
カレンは泣き喚いた。昔と同じように癇癪を起こした。まるで幼児のようだ。
「警察はどうして、その子が死んだって思ったんだろうね? 思い出せる? 刑事さん、なんて言ってた?」
「わかんない! わかんないけど、死んだって言ってたもん! アタシは殺してないもん! 殺したとしたら隆一くんがアタシの知らない間にやったんだ! アタシは悪くない!」
隆一くん。当時の彼氏の名前だ。そいつの顔もよく覚えている。乱暴な男だった。
「絶対隆一くんだ! だってあいつ傷害罪で逮捕されたことあるもん! 奥さんも子供もいることだって隠してた嘘つきだし、悪い奴だもん! アタシは隆一くんに騙されてたんだもん!」
もんもんうるさいな。耳障りで仕方がない。
「真知子さんが殺してないのは分かったから、これからは聞いたことにだけ答えてね。話が進まないから。その子がもし生きてたら、今何歳になってるだろうね?」
「わかんないよぉ……なんで質問攻めにするの。なんでアタシばっかりこんな目にあわなきゃいけないの」
また泣き始めた。埒が明かない。
「最後の質問。真知子さん、実はその子が助かってて今も生きてるとしたら、どう思う?」
「わかんないよぉ。なんでそんなこと聞くの。あんた誰なのよぉ。警察の人? 保険会社の人? 知らないもん。ほんとにアタシ、殺してない。信じてよぉ」
ほんの少し拘束を強めて威嚇した。
「しつこいな。知ってるよ、アンタが桃山ルカを殺してないことくらい」
カレンは黙った。
「質問の答え、教えてやるよ。一個目。なんで死んだって判断されたのか。桃山ルカの靴と服の切れ端がテトラポッドに挟まってたからだ。状況証拠ってやつだよ」
当時の新聞にはそう書いてあった。当然、警察は実母である真知子に説明しているはずだ。
「二個目。桃山ルカは生きていたら十八歳になってたよ」
桃山ルカとして誕生日を祝われたことはない。誕生日ケーキを見たことはない。でも、戸籍だけは正確だった。
「三個目……は、あんたの気持ちはあんたにしかわかんないわな。代わりにあんたの質問にも答えてやるよ。ったく、あんた誰って何回聞けば気が済むんだよ」
唇を指さして、最後のヒントを伝える。
「ねえ、この顔見おぼえない? 特にこの唇とかさ」
残念ながら輪郭も目鼻立ちも美しい母には似なかった。父にそっくりらしい。昔好きだった男にそっくりなんだから、気づけよ。かつて愛した男の子供だって。
唇の形だけは母に似た。記憶の中の母と同じ唇。鏡を見るたびに思い出した。母はナルシストだ。自分の見た目が大好きだから、鏡で何百回何千回と自分の唇を見つめてきたはずだ。気づけよ。自分の子供だって。
「わかんない? わかんないか。じゃあ、教えてあげるよ」
――好きにやれ。
じーちゃんがそう言ってくれたから、好きにやる。殺し屋のタブーである、軽率に職業と名前を名乗る行為も今日は許してくれ。しかし、唯一名前を名乗ることが許される状況がある。それは、相手を確実に殺すときだ。
「桃山流伽。私がルカだよ、お母さん」



