雨が止んだら

 (から)になったコンビニ弁当をゴミ箱へ捨てる。そこでふと雨音に気がついた俺は、ベランダの方へと目を向けた。街を飲み込んでしまいそうな雲が垂れこめ、昼なのに世界は薄暗かった。静けさに雨音が相まって、この簡素な2LDKも泣いているように見えた。

そろそろ、止んでくれないかな。

 すとんと視線を落とし、ダイニングチェアに腰を下ろす。するといつものように、視線は吸い寄せられるのだ。向かい側の席を埋めてくれる人は、いつやってくるだろうか。あの日、別れたくないと言っていたら、今目の前には彼女がいたんだろうか。

「……また」

 ふっとこぼれ落ちそうになった本心をぐっと飲み込み、きつく口を閉じる。

「……」

 今頃、何をしているのだろう。その問いが、胸の奥で重く響く。連絡しないまま三ヶ月が過ぎたことが、急に現実味を帯びた。その時、インターホンのチャイムが鳴り響く。

こんな日に誰だ? 最近、ネットで何かを注文した覚えはない。昼食だって先ほど食べたから出前ではないし、実家からの連絡も来ていない。それ以外に、俺の家を訪ねて来る人なんて……まさか。

 心臓が大きく音を立てる。

ようやく、帰ってきてくれたのか……?

 俺は勢いよく立ち上がり、玄関へと向かう。鍵を開けてドアノブに手をかけた瞬間、ドアは外側から勢いよく引っ張られた。ぐんっ、と前のめりになった体の先にいたのは……

「……え? 楓、ちゃん……?」

どうしてここに……

 いつもの楓に見えた。でも少しだけ呼吸が乱れているし、長いツインテールの毛先からは雫が落ちている。楓ちゃんは淡々と言い放つ。

「ちゃん付けやめてって言ったでしょ。お邪魔します」

 俺の横をすり抜けて家の中へと入っていく楓。俺は玄関の扉を閉める。

「え、この雨の中歩いてきたの?」
「……本当は車で送ってもらいたかったけど…… 頼める雰囲気じゃなくて」

 楓は伏し目がちに言った。

「何かあったの?」
「……」

 楓はらしくなく言葉を詰まらせる。ポケットの中を一度だけ確かめるように触れるが、その仕草も妙にぎこちない。

「楓?」
「……なんでもない」

 楓はそう言って靴を脱いだ。喉の奥に小さな刺が引っかかったような感覚を拭えぬまま、俺はタオルとスリッパを差し出す。

「ありがと」
「いいえ」

 タオルを受け取った楓の手が、わずかに震えていた。


 リビングへ戻ると冷ややかな風が素肌を撫でた。

「お茶持ってくるから、ソファに座って待っててね」
「うん」

 キッチンへ向かう。ペットボトルのお茶をコップに注いでいると、背後から声がする。

「……ねぇ、(ひろ)さん」

 なにやら神妙な声色だ。

「うん?」
「引っ越すの?」

 手が止まった。振り向くと、楓は前のめりになりながら俺の目を見つめている。

「あー、まだちょっと悩んでいる……かな」

 視線を戻して苦笑いを浮かべる。ペットボトルの蓋を閉める指先がうまく動かない。

「でも、研究所から誘われてるんでしょ」
「うん」
「行きたいんだよね」
「……うん」

 思いのほか迷わずに答えられた。その研究への誘いは、俺が学生の頃からずっと夢見ていたものだった。難病の治療薬を開発するための研究。自分の研究が、いつか誰かの命を救うかもしれない。

 そういえば、この話を咲希にしたとき。咲希は『えっ、すごい! 尋くんが研究しているところ見てみたいな〜』と目を輝かせていたっけ。もう、どれくらい前のことだったか、思い出せない。俺はそっと、ペットボトルを冷蔵庫にしまった。

「まぁ、あと少しだけ返事は待ってもらえるみたいだし、ね」
「……そ」

 悩む理由なんて、ひとつしかない。


「はい、どうぞ」
「ありがと」

 視線が定まらないまま、近くのファブリックスツールに腰掛ける。楓はお茶を一気に飲み干して、辺りを見回した。円形の木製コースターに、ミモザ色のソファ、ベンガレンシスの鉢植え。

似合わないって思われているだろうな……ところで、本題は何なんだ?

 楓を見ると、視線はテレビ台の方へ向いていた。あ。

「……お姉ちゃん」

 咲希の写真が目に入ったのだ。桜の木の下でピースをしている。俺は慌てて立ち上がり、写真立てを手に取る。その指先には、少しだけ力がこもった。

「ごめん、すぐ片付けるから……」

 そのまま寝室へ向かおうとすると、楓の声に引き止められる。

「なんで?」
「え、だって……楓からしたら、もう別れているのに、いつまでもお姉ちゃんの写真が飾られているのは、嫌かと思って……」
「……」

 無言の楓に、やっぱり片付けよう。そうして一歩踏み出したところ。

「尋さん」

 楓はポケットから何かを取り出し、ローテーブルに置く。

「それ……」

 透明なケースの向こうに、ドライフラワーが挟まれているスマートフォン。間違いなく咲希のものだ。

「うん……お姉ちゃんの」

 楓は画面を操作しながらスマホを持ってくる。写真を一度置いてスマホを受け取ると、俺の視線はそこに釘付けになった。

『〇〇研究所 治療薬 開発』
『△△病 治療薬 いつから』

 それはとあるウェブブラウザの検索履歴だった。似たようなワードの検索が、最近まで繰り返されている。画面はひび割れていて、ざらざらとした感触が親指を滑る。けれど。

咲希は、俺のことをずっと気にしてくれていたのか?

 そのことばかりが頭を埋め尽くして、疑問に思う余裕なんてなかった。しかしそんな俺に対して、楓は不穏な表情を浮かべていた。

「今日、警察から返ってきたの……本当は、今から言うことを言うべきか迷ってて……でも、それを見たら尋さんに伝えないといけないと思って、会いに来たの」

 楓の瞳の奥が揺らいでいる。

警察から返ってきた? これが? どうして?

「……ねぇ、尋さん……落ち着いて聞いて欲しいんだけど」
「……」

 楓は何かを押し殺すように唇を結び、一度だけ大きく息を吸った。背筋に冷たいものが走る。耳を塞ぎたくても、手が動かない。頼む。その先の言葉を言わないでくれ。

「……お姉ちゃん、亡くなったの」

 世界から雨音が消えた瞬間だった。

「……え?」

咲希が、亡くなった?

「いや、楓、何言ってるの……」

 そんなわけないと思いながらも、声と体が震える。楓は眉間にしわを寄せた。

「……三日前、仕事中の移動で車を運転してる時に、居眠り運転の車とぶつかって……助からなかった。そのスマホは、事故のあと遺品として渡されたの」

 手の中のスマホが、ずっしりと重い。この部屋丸ごと密閉されて、酸素がなくなったかのようだ。

「……嘘、だよね」
「……」
「嘘、だよね?」

 楓は俯いて何も答えない。それが答えだった。

……咲希は、もうこの世にいない?

 息を吸えている感覚がなくなると、楓に左腕を掴まれる。

「尋さん、一旦、座ろ……?」

 楓に支えられながら、最後は尻もちをつくようにその場に座り込んだ。一筋の涙が左頬を伝い、冷えた空気が喉を通る。

「……昨日、お葬式だった」
「……」
「呼ぶべきだった、よね……ごめん」

 俺の横に立って話す楓。

「いや……呼ばなくて良かった」
「……でも」
「行ったって、何もできない……」

 それどころか、醜態を晒して、咲希の顔に泥を塗っていたかもしれない。だからこれで良かった。顔をゆっくりと上げて、写真の中の咲希を見つめる。咲希と過ごした日々、握った手の温もり、髪の感触。全てが鮮明に思い出されて、心が誰かに鷲掴みにされるように痛む。

「ずっと、待っていたのに……」

 心という心の奥底から叫ばれた手遅れの願望。変わるはずだった、変わると信じていたこの2LDKは、何も始まらないまま終わりを迎えた。


 一分なのか十分なのか、雨音とすすり泣く声だけが部屋に満ちていた。楓の言葉が、ぽつり、ぽつりと雫のように落ちてくる。

「尋さんは、今もお姉ちゃんのこと、好きなの……?」
「……うん」

 精一杯出した声は、自分でも驚くほど早く空気に溶けた。だって、まだ別れてからたった三ヶ月しか経っていない。

「じゃあ、なんで……一度もお姉ちゃんに会いに行かなかったの……?」
「……」
「別れてから、お姉ちゃんに連絡したことある?」

 そんなの、決まっている。

「邪魔、したくなかった……」

 咲希の頑張りを見てきたから、余計に。

「咲希は仕事に集中したいから、別れたいって言ったんだ……」
「うん」
「でも、俺が連絡をしたら、咲希はきっと返事をする。咲希は、そういう人だから……」
「……うん」
「だから、連絡しなかった」

 お互い頑張る姿に惹かれて交際を始めた俺たちにとって、夢という存在は大切なものだった。だから好きな人の夢は誰よりも応援したい。そう思って別れを受け入れた。それなのに連絡をしたら、きっと自分の決心も咲希の決心も無駄にしてしまう。

「会いにも行かなかった」
「……どうして?」
「だから、邪魔になるから――」

 蛇口が閉められたかのように、声がきゅっと出なくなる。楓が何か言ったわけではない。ただ、そこにいただけ。それなのに、急に分からなくなった。本当にそれだけだったのか。

 この三か月。スマホを手に取って、彼女とのトーク画面を開いたことは何度もある。彼女の家の方向を向いたことも。けれど電話をかけたことは一度もない。

どうして?

 咲希と久しぶりに再会した場面を頭に浮かべてみる。

俺を見た彼女の目は、どんな目をしている?

「……怖かったんだ」

 気づいたときには口からこぼれていた。

「何が?」
「もう帰ってくるつもりはないって、言われるのが……」

 帰ってきてほしかった。何年だって待つつもりだった。だから今の今までだって待っていた。でも。

「俺は、待っていたんじゃなくて……怖くて、動けなかっただけなんだ」

 咲希の邪魔をしたくない。これは本当だった。でもその思いの陰には、自分が傷つきたくない気持ちがあった。ずっと、認めたくなかった。

「研究に行くか迷っていたのも、咲希を待っていたからだと思っていたのに……」

 涙が勢いを増してくる。

「もしそれが違うなら、俺は自分で自分の夢を止めていただけで……」

 終わりのない穴を落下している感覚だ。

「俺、最低だ……」

 右手で両目を覆う。暗闇の中で彷徨い、先の見えない未来に、体を縮こまらせる。すると、真横で空気が揺れるのを感じた。見てみると、一メートルほど先に、楓が横を向いて同じ目線に座っていた。楓は静かに口を開く。

「……尋さん。お葬式に呼ばなかった理由、言ってもいい?」

 エアコンの冷気が嫌に体にまとわりつく。

「……うん」

 楓は指先をぎゅっと握りしめた。

「お姉ちゃん、尋さんと別れたあとに言ってたことがあるの。『もう尋くんとは会わない。わがままだって分かっているけど、尋くんにも夢を叶えて欲しいから』って」
「……」

 何かが崩れ落ちて、割れた音がした。この床は、こんなにも冷たかっただろうか。

「だから、死んだあとでも、また二人が会うことはお姉ちゃんが望んでないと思ったの。これは私が勝手に決めたこと……ごめんなさい」

 楓の言葉が、静かに胸の奥へ沈んでいく。咲希の願い。楓の判断。三ヶ月間の自分の選択。全部が一本の線になって、心を締め付ける。

そうか。やっぱり俺のしていたことは……

「全部、無駄だったんだな……」

 声にした瞬間、世界が色を失った気がした。その無色の空気の中で、楓がそっと近づいてくる気配がした。楓は俺の左手にある咲希のスマホに、もう一度電源を入れる。

「でも、見てよ、尋さん。お姉ちゃんは、尋さんが夢を叶えるのをずっと待ってたんだよ?」
「……」
「研究したいんでしょ?」
「……うん」
「じゃあ」

 文字一つ一つが光となって、暗い世界を照らし始める。

「行けばいいじゃん」
「……」
「まだ間に合うよ」

 簡単で、重たい言葉だった。

まだ、間に合うのか? 無駄だって決まったわけじゃないのか?

 少しだけ見えたかもしれない未来が、ひび割れた液晶画面に否定される。

「……でも、咲希がいたから、俺はここまで来られた……」

 咲希と過ごしていくうちに、いつの間にか夢よりも咲希のほうが大事になっていた俺は、研究所に行ったところで、人々の力になる成果を上げられるのか。むしろ足手まといになるようなことをやらかしてしまうのではないか。

 いともたやすく湧いてくるバッドエンドたちは、俺に夢を諦めろと警告しているみたいだ。やっぱりお前には無理だと、結論を出して終わらせようとしていたその時、変わらず重みを持つ言葉に、俺の中の何かはふつふつと熱くなっていく。

「じゃあ、諦めるの?」
「……!」

 諦めたら、俺は……そうだ。俺はもう、三ヶ月前に一度夢を手放したも同然なのだ。信じてくれる人がいたのに。そんな過ちを二度と繰り返すわけにはいかない。

 夢よりも大切なものを失った。でもそれは、夢をあきらめる理由にはならないのだろう。まだ確かに熱を放ち続けている小さな火を、どうせいつかなくなると自ら水バケツをひっくり返す理由にはならないのだろう。

 ふと、あの頃の咲希の姿が目に浮かぶ。咲希は勉強をしている俺の横顔を見ながら、口癖のように言っていた。

『尋くんに叶えられない夢なんてないよ』

 咲希はきっと、今も信じてくれている。そう思うと、不思議と世界が色づき始めた。両手で涙を拭う。腫れた目で見る世界は少しぼやけていて、眩しい。雲の隙間から、太陽が顔を覗かせているようだった。まだ震える喉で、はっきりと伝わるように声を出す。

「楓、ありがとう。おかげで大事なことに気がついた。まだ咲季のことは受け止めきれないけど……もう逃げることはしないよ」
「……うん」

 楓は手のかかるやつだとでも言うように少し眉を下げ、でも少しだけ微笑みながら答えた。かと思えば背を向けて話し始める。耳が赤い。

「私も、頑張るよ。私、前に尋さんに進路の相談したの、覚えてる?」
「うん」
「尋さん、私に言ったよね。やってみてから考えればいいって」
「そう、だったっけ?」

 こんな情けないところを見せて、励まされて。それなのに過去の俺はそんな偉そうなことを言っていたのかと思うと、忘れたふりをしたくもなる。けれど楓は力強く言う。

「うん、言った。だから私、今も志望校変えてない」
「そっか……」

 楓はそれだけ言って黙った。そこで俺は、ようやくあることに気が付く。楓がずっと泣いていない。この家に訪ねてきてから、一度も。

「楓」
「……何」
「泣いていいんだよ」

 楓はすっくと立ち上がる。

「泣いてないし」
「うん」
「泣いてない」
「うん」

 俯いたまま、何も喋らない楓。しばらくすると鼻をすする音が聞こえてくる。楓自身もうっかりだったのだろう。もう誤魔化せないことを引き金に糸が切れる。

「……私」

 声が震えた。

「私も、大丈夫かな……」

 今までにない、弱々しくて寂しげな、まだ高校生の子供の声だった。

「お姉ちゃん、もういないんだよね……」

 その言葉に、先ほどまでとは違う胸の痛みを覚える。俺は楓の元へ向かう。向かい合ったはいいものの、何を言えばいいのか分からない。だから、分かることだけを言った。

「どう、だろうね」
「……」

 咲希ならある日突然、「やっほー!」と言いながら現れそうだ。

「でもきっと、また咲希に会えるのは、ずっと先だと思う」
「……うん」
「それまで何回も咲希のことを思い出して、その度に会いたくなって、不安になるかもしれない。でも」

 写真の中の咲希を見る。

「そんなとき、咲希なら楓に何て言うかな」

 楓は少し考えた。

「……大丈夫、じゃない?」

 咲希の一番の口癖だ。

「うん、きっとそう言うよね」
「きっとじゃない。絶対そう」
「じゃあ」

 俺は笑ってみせる。

「俺たちは大丈夫だよ」
「っ……何それ」
「ごめん」

 何それと言われてしまったが、悲しそうな表情はなくなった。楓は目元を拭う。

「顔見ないで」
「ごめんっ」

 慌てて顔を逸らす。

「絶対見ないで」
「はい」

 楓はすん、と鼻を鳴らす。

「……ありがと。じゃあ、私帰るから」
「送るよ」
「いや、泣き顔のアラサーの隣歩きたくないんですけど」
「……それは、確かに」

 そこは否定しなよ、と笑った楓は、玄関へと続くドアを開ける。

「顔洗ってきて。外で待ってるから」
「うん」

 玄関の扉が閉まり、俺は洗面台の前で一人になる。鏡には酷い顔が映っていた。冷水を顔にかける。何度か繰り返したけれど、なぜか目の奥の熱が戻ってきてしまった。

 やっぱり、まだ胸の痛みは消えない。三か月間会いに行かなかったことや、夢を放っておいたことは、きっとこれから先も後悔する。それでも、咲希が好きになってくれた俺は、下を向いてなんかいなかった。

「……よし」

 ちっともマシになっていない泣き顔のまま、玄関の扉を開ける。空は淡い水色をしていた。まだ少し湿った風が、頬を撫でるようにやさしく吹いた。

「遅くなりました……」

 楓と目が合う。気づいているはずなのに、楓は

「……雨、止んだね」

と言って歩き出した。

 子供に気を遣わせてしまった。せめて雨が降ってくれていたら、この泣き顔は誤魔化せただろうか。

雨、降ってくれないかな。

 そう願いながら、空を見上げる。

「楓、今日は本当にありがとう」
「別に。自分のためだから」
「そっか……でも、楓が頑張ってくれたから、荷造りしないとね」

 少し先を歩く楓は、こちらを振り向いた。その瞳は、心なしか輝いているように見える。

「え、じゃあ……」
「うん」
「やっと?」
「ごめん」
「遅すぎ」

 文句を言いながらも、楓の顔には少しの笑みが浮かんでいる。それを見て、俺も自然と笑顔になる。二人で雨上がりの道を歩く。まだ気持ちの整理はついていないし、夢への道も始まったばかりだ。けれど、着実に足は前に進んでいる。


 引っ越し当日。空はすがすがしい快晴だった。空っぽになった2LDKを、一人で見回す。ミモザ色のソファも、写真立ても、もうここにはない。二つのダイニングチェアがあった場所に足を運ぶ。もちろんそこには誰もいない。けれど、もうそこに誰かが戻ってくるのを待とうとは思わなかった。

「……行こう」

 玄関で靴を履き、鍵を閉める。その音がやけに大きく響いた。

「楓、来てくれてありがとう」

 車の近くには楓が立っていた。

「別に」
「じゃあ、そろそろ行くよ」
「尋さん」

 車に乗り込もうとすると、楓に名前を呼ばれる。

「今まで、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう楓」

 車を発進させる。ルームミラーに映った楓が、いつまでもこちらを見ていた。俺は前を向いた。