化学部の松村部長は、人嫌いなくせに俺には甘い

「あの、松村部長いますか?質問したいところがあるんですか……」
実験室横の控室を覗く。ここは化学部の上級生のみ使用が許可されている部屋で、窓際にそれぞれの専用机と入り口側に大テーブルと長椅子が置かれている。

「あー、何かあいつ進路の方で呼び出し食らってるみたい。職員室かな」
部屋には、松村部長はおらず中村先輩だけだった。お礼を言って帰ろうとするところを引き留められる。

「あっ、ちょっと待って。まだ時間ある?」
「普段、松村が井上のこと囲い込むからしゃべる機会なかったじゃん。ちょっとおしゃべりしない?」
たぶん待っていたら来るよというので、待たせてもらうことにした。

「ごめんな、松村あんなだから。絡まれて怖かったろ」
インスタントでごめんねと言いながら、コーヒーを紙コップで出してくれた。
(いい人だ……)
「最初は怖かったけど。今はそんなに、です」
「あいつね、見た目に反してものすごい性格が不器用なんだよね」
納得感がすごい。しっかり頷き返す。

「松村と俺は中学から一緒なんだけど、顔が良いから女の子にもうそれはモテすぎていたんだ。でも、当の本人が極度の人嫌いだから、人間不信がよりひどくなった」
「今でも正直気の置ける部員ぐらいしかちゃんと話していないんだよね」と中村先輩は膝に置いた指を組みなおす。
「あんなに井上を構っているのが、ものすごいレアなんだよ」とまっすぐ俺をみて言う。
本当は、もっとあいつの凄さを周りに知ってほしいけれど人間嫌いがたぶん足を引っ張っている。だから、井上のことを知ってみたかったんだよと、中村先輩は言う。

(友達想いのめちゃくちゃいい人だ……)

「こんなにいい人がどうしてあんな性格破綻してる人と一緒にいるんだろう……」
「すごいディスられてんじゃん、不憫すぎてウケるわー」
全然伝わってないねって、ひーひー笑いながら前かがみになる。
(笑い上戸なのかな?)

「最近の松村、井上君の話ばっかりしているからね。数日前なんか「井上が足りない」とか言ってたし」
良い子の井上君に一つ教えてあげようと中村先輩は足を組む。
「井上は癒し系だからね。松村には気を付けるんだよ、顔はよくても男はオオカミだから」
困ったら相談してねと言いつつ、中村先輩はコーヒーに口をつける。

「そうだ、松村がいない間に無神経エピソード教えちゃお。過去に――」
「なんかすげー俺の悪口言ってない?」
松村部長がカップ麺を直で持ったまま帰ってきた。
「ただでさえ昼飯食い損ねたのに、放課後まで時間取られるとかないわー」
と言いながら、俺の横に座る。

「呼び出しどうだった?」
「あーね、消化不良って感じ」
2人だけで会話が進むところから、長年仲がいいのが伺えた。
――俺も、これぐらい仲良くなれる日が来るのかな
(でも、あと1年もないんだよね……)
何だか切ない気持ちになっていると、松村部長に顔を覗かれた。

「寂しいって顔してる」
「えっ、いやそんな」とか言っていたら、よいしょと松村部長の膝の上に乗せられたのだった。
――なにゆえ……
「お前、そういうのするから飼い猫に嫌がられてなかった?」
「ほら、井上虚無ってんじゃん」と中村先輩が庇ってくれているが、松村部長はまあまあと流す。

あきらめて、松村部長に当初の目的の質問をすることにした。
――傍から見たら絵面がやばいけど

「周期表の縦列って覚えた方がいいのかなって思って、暗記方法とかあれば教えてほしいです」
参考書とか見ると、周期表の縦列である族ごとに章が分かれているからどうなのかなって思ってと伝える。
「典型元素までは覚えた方がいいと思うけど……」
うーん、年齢的にまだ早いっていうか、井上には純粋なままで居てほしいっていうか、と中村先輩がごにょごにょと口ごもって考え始めてしまった。

(暗記の話のはずなんだけど、そんなに難しいのかな……?)

腰に抱き着かれたまま、松村部長は俺をじっとみつめる。

「ふーん、知りたいんだ」
「知りたいですけど……」

(なんでこんなにもったいぶるのかな)

「結論から言うと、覚えた方がいい」と教科書の見返しに描かれた周期表を部長はトントンと指で指す。

「例えば、第2類のアルカリ土類金属の覚え方は、『ベッドに潜るとこすれる…』」
「あっ、バカやめろ。井上の純粋な心を汚すな!」
「ごめんな、こいつ懲らしめとくわ」と中村先輩はあわてて松村部長の頭をぐりぐり攻撃している。

「もしかして、成人向け……」
「そーだよ、化学の暗記系はこっち系多いから」
お前、語弊があるこというなよと中村先輩がツッコミ疲れをしたのか座り直してぐったりしている。

「やば、井上耳まっかじゃん。初々しいねー」と松村部長にからかわれ、頬を撫でられるので逃げ場がないのだった。
ご機嫌な松村部長にすごく頭を撫でられながら、俺はいつか絶対にやり返すと心に決めたのだった。