十七時。
オープンスクールも終わり、実験室の片づけや正門前に受付用のイベントテントの片づけに駆り出されて遅くなってしまった。
おおよそ他の部活も片付いたのか鞄を持った生徒たちが帰宅につき始めている。
(松村部長、まだ残っていたらいいんだけど)
帰っていませんようにと祈りながら、校舎に向かうため下り坂になっているロータリーをひたすら走る。一刻も早く部長に会いたかった。
息がはずみ呼吸が乱れる中、夕方の涼しい風が汗のにじむ額を冷ます。
こんな取り柄のない俺でも、出来ることはあったよって伝えたい。
教えてくれたのは、松村部長だから。
**
軽くノックをし、控室に入室をすると明かりはついておらず窓からは青空にオレンジ色を溶かしたような薄い夕焼けが見える。
松村部長は控室のソファに片膝を立てたまま横になっていた。
「寝てる……」ぽつりとこぼした声が部屋に消える。
そっと松村部長の顔を覗き込むと、普段の切れ長な目は閉じられており目元にウェーブした髪がかかっている。
起こさないように部長の目元にかかった髪の毛をそっと横に流すと、腕がぐんと引っ張られた。
「うわっ、あぶな」
ソファに半分身を乗り出した状態の姿勢に崩れる。松村部長をまるで押し倒したような状況になり、軽くパニックになった。
「おっ、起きてたんですか」
「うん」と松村部長は俺の目をまっすぐと見つめる。きれいな瞳だった。
俺が逃げないようになのか、腰に手がまわる。
「あの、オープンスクール上手くいきました……」
「俺に言いたくてこんなに急いで来たの?」するりと俺の額を撫でられる。
「いっぱい伝えたいことがあって来ました」
松村部長はそっと相槌を打ちながら静かに俺の話を聞く。
準備で実はミスしてへこんでいたこと、今まで部長のフォローで乗り切れたことが多かったこと、そしてオープンスクールで化学に興味を持ってくれた子がいたこと。それを一番に部長に伝えたかったこと。
「俺、本当は部長に構われるのがつらい時期があったんです。構ってくるのは、部長にとって俺は矢印を向けることのない安全圏だからなのかなって」
やっぱり直視はできず、部長の白衣を見つめる。
「でも、こんなに構われすぎるとやっぱり俺、勘違いしそうです。部長の特別にはなれないのに」
はぁ~、と松村部長は目元を片腕で覆ってしまった。
(やっぱり踏み込みすぎたかな……)
よいしょと松村部長は上半身を起こし、俺の右頬に手を添える。
「井上はさ、自己評価すごい低いよね。俺、井上に絶対言わないようにしていた言葉知ってた?」
「……知らないです」というと、するりと髪に触れられる。
「かわいい」
本人に一回でも言ったら、きっと止めることが出来なくなるからねと言いながら頭を撫でる。
「特別になるにはどうしたらいいと思う?」
少し開けた窓から、メタセコイヤのさわさわ揺れる音が聞こえる。
「俺たち付き合おっか、渚」
ソファについていた手を取られ、まっすぐ瞳が合わさる。
「渚が、どれぐらい俺に大事にされているか知ってほしいし、ずっと特別なんだってわかってほしい」
何だか、だんだん頭で理解できて来たのかじわじわ頬が熱くなってきた。
「よろしく、おねがいします」
重なった手をぎゅっと握り返すと「うん」と松村部長はやっぱり目元をくしゃりと笑って見せた。
***
「よし、じゃあそろそろ打ち上げ行くか」
よいしょと俺を抱きしめたまま床におろす。部長が帰り支度をするのにずっと恋人つなぎをしたままなのが恥ずかしくなってきた。
「俺のせいで、皆さん待たせちゃったかも。どうしよ……」
「いや、一緒に遅れるって連絡入れといたから大丈夫だよ」
手をつないだまま廊下も、階段も、昇降口も通るのでここまで誰も出会わなかったことに心底安堵してしまった。
(もしかしてずっとつないだまま打ち上げに行くのかな)
気持ちをそらそうと、ロータリーを歩きながら話題を変える。
「松村部長用に、ハンドクリームを作ったのでこれ良かったら」とそっと容器を渡す。
「俺に渡したかったの?」と聞かれるので「はい」と答える。
松村部長は、あ~ダメだわ心臓持たんとかぶつぶつ言っている。
「そういえば、部長は何で俺だったんですか?」
駅に向かうため学校横のまだ青い銀杏の街路樹を通る。
「なんでかなぁ。たぶん最初から気に入ってはいたんだけど」とぼんやり空を見つめる。
「井上の好きなところはいっぱいあるんだけどな」
例えば、「周りをよく見ているところ」とか、「失敗してもあきらめずに挑戦し続けるところ」、「意外と負けず嫌いなところ」あとは「いいことがあると足をプラプラするところ」と指を折りながらまだあると言うので、流石に恥ずかしくなって丁重にお断りした。
駅前の焼き肉屋で打ち上げが行われる。俺の歓迎会とお疲れ様会でなんと先生の奢りだそうで、ありがたく感謝してお肉をいただく。
すると、山本先生はさっき届いたのかスマホのメールを部員に見せて、「市の科学館で今日のワークショップの依頼来た!」と嬉しそうにしていた。
―完―
オープンスクールも終わり、実験室の片づけや正門前に受付用のイベントテントの片づけに駆り出されて遅くなってしまった。
おおよそ他の部活も片付いたのか鞄を持った生徒たちが帰宅につき始めている。
(松村部長、まだ残っていたらいいんだけど)
帰っていませんようにと祈りながら、校舎に向かうため下り坂になっているロータリーをひたすら走る。一刻も早く部長に会いたかった。
息がはずみ呼吸が乱れる中、夕方の涼しい風が汗のにじむ額を冷ます。
こんな取り柄のない俺でも、出来ることはあったよって伝えたい。
教えてくれたのは、松村部長だから。
**
軽くノックをし、控室に入室をすると明かりはついておらず窓からは青空にオレンジ色を溶かしたような薄い夕焼けが見える。
松村部長は控室のソファに片膝を立てたまま横になっていた。
「寝てる……」ぽつりとこぼした声が部屋に消える。
そっと松村部長の顔を覗き込むと、普段の切れ長な目は閉じられており目元にウェーブした髪がかかっている。
起こさないように部長の目元にかかった髪の毛をそっと横に流すと、腕がぐんと引っ張られた。
「うわっ、あぶな」
ソファに半分身を乗り出した状態の姿勢に崩れる。松村部長をまるで押し倒したような状況になり、軽くパニックになった。
「おっ、起きてたんですか」
「うん」と松村部長は俺の目をまっすぐと見つめる。きれいな瞳だった。
俺が逃げないようになのか、腰に手がまわる。
「あの、オープンスクール上手くいきました……」
「俺に言いたくてこんなに急いで来たの?」するりと俺の額を撫でられる。
「いっぱい伝えたいことがあって来ました」
松村部長はそっと相槌を打ちながら静かに俺の話を聞く。
準備で実はミスしてへこんでいたこと、今まで部長のフォローで乗り切れたことが多かったこと、そしてオープンスクールで化学に興味を持ってくれた子がいたこと。それを一番に部長に伝えたかったこと。
「俺、本当は部長に構われるのがつらい時期があったんです。構ってくるのは、部長にとって俺は矢印を向けることのない安全圏だからなのかなって」
やっぱり直視はできず、部長の白衣を見つめる。
「でも、こんなに構われすぎるとやっぱり俺、勘違いしそうです。部長の特別にはなれないのに」
はぁ~、と松村部長は目元を片腕で覆ってしまった。
(やっぱり踏み込みすぎたかな……)
よいしょと松村部長は上半身を起こし、俺の右頬に手を添える。
「井上はさ、自己評価すごい低いよね。俺、井上に絶対言わないようにしていた言葉知ってた?」
「……知らないです」というと、するりと髪に触れられる。
「かわいい」
本人に一回でも言ったら、きっと止めることが出来なくなるからねと言いながら頭を撫でる。
「特別になるにはどうしたらいいと思う?」
少し開けた窓から、メタセコイヤのさわさわ揺れる音が聞こえる。
「俺たち付き合おっか、渚」
ソファについていた手を取られ、まっすぐ瞳が合わさる。
「渚が、どれぐらい俺に大事にされているか知ってほしいし、ずっと特別なんだってわかってほしい」
何だか、だんだん頭で理解できて来たのかじわじわ頬が熱くなってきた。
「よろしく、おねがいします」
重なった手をぎゅっと握り返すと「うん」と松村部長はやっぱり目元をくしゃりと笑って見せた。
***
「よし、じゃあそろそろ打ち上げ行くか」
よいしょと俺を抱きしめたまま床におろす。部長が帰り支度をするのにずっと恋人つなぎをしたままなのが恥ずかしくなってきた。
「俺のせいで、皆さん待たせちゃったかも。どうしよ……」
「いや、一緒に遅れるって連絡入れといたから大丈夫だよ」
手をつないだまま廊下も、階段も、昇降口も通るのでここまで誰も出会わなかったことに心底安堵してしまった。
(もしかしてずっとつないだまま打ち上げに行くのかな)
気持ちをそらそうと、ロータリーを歩きながら話題を変える。
「松村部長用に、ハンドクリームを作ったのでこれ良かったら」とそっと容器を渡す。
「俺に渡したかったの?」と聞かれるので「はい」と答える。
松村部長は、あ~ダメだわ心臓持たんとかぶつぶつ言っている。
「そういえば、部長は何で俺だったんですか?」
駅に向かうため学校横のまだ青い銀杏の街路樹を通る。
「なんでかなぁ。たぶん最初から気に入ってはいたんだけど」とぼんやり空を見つめる。
「井上の好きなところはいっぱいあるんだけどな」
例えば、「周りをよく見ているところ」とか、「失敗してもあきらめずに挑戦し続けるところ」、「意外と負けず嫌いなところ」あとは「いいことがあると足をプラプラするところ」と指を折りながらまだあると言うので、流石に恥ずかしくなって丁重にお断りした。
駅前の焼き肉屋で打ち上げが行われる。俺の歓迎会とお疲れ様会でなんと先生の奢りだそうで、ありがたく感謝してお肉をいただく。
すると、山本先生はさっき届いたのかスマホのメールを部員に見せて、「市の科学館で今日のワークショップの依頼来た!」と嬉しそうにしていた。
―完―
