「お前さ、もう教室には迎えに来んなよ……」
「なんでだよ。いいじゃねぇか、目立つし」
「いやだから、俺は目立ちたくないんだって……」
悪魔と契約――もとい如月と付き合い始めてから、早くも3週間が経とうとしていた。
そして、その3週間で。
俺たちはなんと……そこそこ仲良くなっていた。
付き合い始めた当初こそ、やれ悪魔だヤンキーだと勝手に怯えていた俺だが、実際に話してみれば如月は案外普通に話せる奴だった。
もちろん口は悪いし、態度はでかいし、相変わらず俺様だ。
だが、意外と優しいところもあるし、俺の話も聞いてくれる。
……いや、半分脅しで付き合わせた張本人を『いい奴』判定するのもどうなんだとは思うが。
それにまぁ何より、顔のいい奴っていうのは一緒にいるだけでテンションの上がるものだ。
しかもこいつは、『部活系の青春モノ』の台本を書く上でとんでもなく参考になる存在だった。
なんせ、如月時雨そのものが青春モノの塊みたいなやつなのだ。
運動も勉強もできてビジュアルも完璧。部活でも期待のルーキーとして騒がれ、教師陣ともそこそこ仲が良いらしい。
(やっぱり、教師陣と『仲が良い』ってのが陽キャポイントだよな……)
俺なんて、接点の少ない先生からは覚えられてるかすら怪しいぞ。
……とはいえ。
肝心の原稿自体はほとんど進んでいないのだが。
「いや~……ほんと、どうすっかねぇ……」
天気のいい昼休み。
ため息をつきながら、俺は校舎裏の壁に寄りかかって小さく呟いた。
あの後聞いた話なのだが、如月は入学当初から演劇部に入ることを決めていて、この校舎裏で密かに練習していたらしい。
(まぁ確かに、普段からあんだけ騒がれてたら、たまには1人で静かに練習したくもなるよな……)
実際、先ほど俺を教室まで迎えに来た際も、それだけでとんでもない騒ぎになっていた。
女子たちは黄色い声を上げ、男子たちは遠巻きにざわつく。
俺たちはというと、その隙をついて半ば逃げるように教室を飛び出してきたのだ。
イケメンも楽ではないらしい。
「台本か?」
「ん?あぁ、そうそう。台本どうしよっかなって」
隣に座る如月が、いつもの調子で尋ねてくる。
こいつはこうして時々、台本の進捗を気にしてくれていた。
部活は本気でやっているようだし、俺がちゃんと台本を完成させられるか心配なのだろうか。
(案外、これが俺と付き合ってる理由だったりしてな)
最悪だった初対面を思えば、俺たちはずいぶん仲良くなった。
昼休みはこうして一緒に過ごすし、放課後だってお互い部活のない日はここで台本の相談をさせてもらっていることも多い。
それなのに。
結局、どうして如月が俺と付き合っているのかだけは、未だによくわからないままだった。
(ま、それは別にいいけどな)
「いやでもほんと、ヤバいよな~……進捗報告まであと10日しかないし……」
こんなことをこいつに言っても仕方がない事は重々承知だが、少しだけ愚痴らせてほしい。
こう見えても、本気で困っているのだ。
しばらく黙っていた如月が、ふいに口を開いた。
「……今日、演劇部の見学にでも来るか?」
「え?」
思わず聞き返す。
「実際に台本を渡す相手を見たら、何か思いつくかもしれねぇし」
如月は目の前のフェンスの方へ目を向けたまま、何でもないことのように続ける。
「どうせ今日このまま帰ったって、また明日同じことを言う羽目になるだけだろ」
……ごもっともである。
「でも、いいのか?演劇部の見学って制限してるんじゃ……」
「してるけど」
如月はあっさりと言った。
「お前なら大丈夫だろ、台本担当なんだし」
そして少しだけ間を置いて、
「それに、一応俺からも言っといてやるし」
その言葉に、思わず目を瞬かせた。
「え、いいのか?ほんとに?」
「いいって言ってんだろ」
「……対価とかなしで?」
如月が怪訝そうに眉をひそめた。
ただの善意で言ってくれているのならありがたい。
ありがたいのだが。
この手のことに関してはまだ、俺はこいつを信用しきれていないのだ。
なにせ初対面で脅迫してきた男である。
(これで後からとんでもないこと言い出されたらたまらないからな……)
そんな俺の警戒を知ってか知らずか、如月は小さくため息をついた。
「そんなに俺が信用できないか?」
「あ、いや、そういうわけではないんだけど……」
そういうわけではない。ないのだが。
(お前が始めた物語だろ!)
初対面で脅迫まがいなことをしてきた奴にそんなことをいわれても困る。
そう言い返したくはなったものの、ふと顔を上げると、如月はわずかに目を伏せていた。
いつもの余裕そうな顔ではなく、どこか少しだけ寂しそうな表情。
「いや、その、傷ついたのか……?」
思わず慌てる。
「だったら悪い。別にそういうつもりで言ったわけじゃなくて……」
「だったら」
如月がぽつりと言った。
「もっとこっちに来て」
「え?」
「こっちに来いって言ってんだよ」
「あ、ああ……」
どういう意図かはわからないが、言われるがままに一歩近づく。
さらにもう一歩。
気が付けば、互いの息がかかるくらいの距離だった。
(近っ……)
そう思った瞬間――唇に、何か柔らかものがそっと触れた。
本当に一瞬だけ。
だが――
「え、は!?」
(今の、キスだよな……?)
驚いてばっと顔を上げる。
そこには、いつもの余裕たっぷりの表情で楽しそうに俺を見下ろす如月がいた。
「お前、ほんとに騙されやすいな」
「いや、お前……はぁ!?」
ワンテンポ遅れて処理が追いつく。
「あれ演技かよ!?心配して損した……」
なんだか、今の短時間でどっと疲れた気がする。
すると、如月はそんな俺を見つめたまま、少し目を見開いた後微かに笑って言った。
「……心配してくれてたんだ?」
「え?」
「俺のこと。優しいな」
いつもの軽い口調なのに、その言葉だけ妙に静かに感じられた。
「いや、別に心配くらいするだろ。普通に……」
言いながら、なんだか少しだけ気まずくなってきた。
(いや、普通にするよな!?大丈夫だよな!?)
なんというか、こういうのは初めてな気がする。
付き合ってるとは言いつつ、普通に友達みたいな感じだったしな。
その時。
如月の指先が、そっと俺の耳をなぞった。
びくり、と肩が震える。
「照れてんな」
如月は楽しそうに目を細めた。
「可愛い」
「は!?」
身体中の熱が、一気に顔へ集まった。
顔が燃えるように熱い。
如月の顔が見られない。
「いや、照れてねぇし!可愛くもねぇから!」
「顔真っ赤だぞ」
「うるせぇな!しばくぞ!」
こいつ、急に何言いだしてんだよ!?
気でも狂ったのか……!?
あまりに慌てふためく俺を見て、如月はしばらく何も言わなかった。
ただじっと、俺のことを見つめている。
その視線に耐えきれず思わず顔を背けると、如月はふっと小さく笑った。
「じゃあ、これが対価ってことで」
「え?」
「放課後、部室で待ってるから」
そのまま踵を返しかけた彼は、何かを思い出したように立ち止まる。
次の瞬間。
ぽん、と頭に柔らかな感触が落ちた。
「……っ!」
「じゃあな、センパイ」
そう言い残して、如月は校舎の方へ歩いて行った。
――遠くからチャイムの音が聞こえてくる。
そろそろ、教室に戻らなくては。
頭ではわかっている。
それなのに、さっき触られた耳も、撫でられた頭も、まだ熱を持ったままだった。
そして何より。
先ほどからうるさいくらいに鳴り続けている心臓が、なかなか落ち着いてくれない。
(……なんなんだよ、あいつ。ばーか)
結局その後。
真っ赤な顔のまま校舎へ駆け込んだ俺は、見事授業を遅刻する羽目になった。
