クラスのみんなが「なあ。クラブどこに入る」と騒いでいる声が聞こえる。
春日丘高校新入生の僕たちは、今日から一週間後に希望するクラブに入部届けをすることになっているからだ。
一週間の間は見学可能。うちは全生徒クラブ必須の学校なので、みんなけっこう真剣に吟味している。
「なあ。小鳥遊はどこ見学に行くの?一緒に回ろうぜ」
席が隣なのでよく話すようになった櫻井隆介から声をかけられる。
「あー。ごめん。僕もう入るところ決めているから。見学とかしなくていいんだ」
僕は提出用の書類に「小鳥遊暖」の自分の名と第一希望「演劇部」のみ記入したものを隆介に見せた。
「もう決めてたんだ。でもこれ、第一希望のみじゃん。第二、第三書いてないよ?」
「演劇部しか入る気ないから!」
「演劇部ってあの有名なイケメンの先輩がいるんだろ?女子の入部希望者が殺到するって聞いてるけど、入れるのかな」
「なら大丈夫!男子枠は空いてるってことだろ?男手は必要だよ」
「ま、そうだよなあ」
そういいながら、僕のことを見つめて少し笑いをこらえている。
言いたいことはだいたい分かる。身長も161cmと小さめで、女顔の僕じゃ女子枠じゃないのとからかいたいのだろう。
「ふっ。見くびらないでよ。こう見えて意外と力はあるし、体力もある。男手に必要とされる重労働には耐えられるから」
僕の答えに「重労働?馬の脚でもやるつもりなのか?」と見当違いの問いを返してくる。
「確実に入部するなら早い方がいいよね。いますぐ入部届け出してくる!」
「え?早すぎじゃないか」
櫻井の声を背にして、とっとと教室を飛び出した。
演劇部は放課後の今なら、多目的ホールで練習しているはずだ。案内書にそう書いてあった。階段を駆け下りて、一気に多目的ホールを目指す。
「演劇部に入部希望です!」
入口に入ると同時に、大きな声で叫ぶ。
まだ人は集まっていないようで、女子が5人ほど中にいるだけだ。
「一年生?他の部も見学しなくていいの?」
きれいな黒髪ロングの女子が声をかけてくれた。上履きのつま先部分が青だから3年生だな。
「演劇部一択です!」
「そっか。そんなに熱意のある子が来てくれて嬉しいな。部員は人数制限があるから、顧問の先生と相談しなくちゃいけないんだけど、男の子だし一番のりだから必ず入れてって頼んでおくね!」
「ありがとうございます!」勢いよくお辞儀する。
「可愛いー」
「少年役はもちろんだけど、女の子の役でもいけそうだよね」
僕を見てうなづきあう女子の先輩たちに、あわてて伝える。
「演劇部入部希望なんですけど、演じるほうじゃなくて裏方希望なんです」
「裏方?」
首をかしげた黒髪美女の先輩に伝える。
「大道具、小道具希望です!中学でも舞台に必要な背景、ドア、小道具、準備するのは全て経験済みです。絵もかけるしDITも得意なんで、必ずお役にたてます」
にっこり笑って伝える。
「え?大道具?その非力そうな腕で?」
怪訝そうな男子の声が聞こえた。本人はつぶやいたつもりのようだが、よく通る低めのイケボなだけに僕の耳にもはっきり届いた。
誰だ。失礼なやつだな。さっき櫻井にも宣言した通り、見かけよりずっと力も体力もあるんだぞ。
ドアの向こうから、ゆっくり足先だけが現れた。上履きの色は緑か。二年生だな。
やっと全身現れた相手を睨みつけると、そこには存在自体がキラキラと音がしそうなとびっきりのイケメンがいた。
説明されなくても分かった。
この人こそ、大勢の女子が演劇部入部を希望する原因だ。
だって180cmを越えるであろう長身。長い手足に高い腰の位置。小顔で8等身のスタイルの良さ。切れ長の目にきれいな鼻筋のやや冷たい美貌ときたら、こんなレベルの人が同じ学校で何人もいるわけがない。
「……噂のイケメン先輩ですね。さすが。すごいです。見とれてしまいました」
素直に衝撃を口にする。
するとその先輩は頬を染め、目を伏せた。
え?まさか照れてる?クールで物事動じなさそうな見た目なのに。しかも褒められるなんて日常茶飯事でしょ?
女子たちは笑い出した。
「やだ。涼仁ったら。女子にちやほやされんのは慣れてんのに、後輩男子から褒められるなんて初めてのシチュエーションだから、照れちゃってんのね」
「う、うるさいな。いくら僕がかっこいいからって、初対面からこんな恥ずかしげもなく褒めるなんてふつうやらないだろ」
かっこいいのは認めるんだ。そりゃそうだよね。このレベルなら自覚してるよね。
「ほんと可愛いわあ。この一年生……あ、まだ名前聞いてなかった。お名前は?私は演劇部部長の坂口瑞希です」
「僕は小鳥遊暖です。小鳥が遊ぶのたかなしに暖かいで暖。よろしくお願いします」
黒髪美女の先輩と自己紹介を交わしていると、こほんと咳払いが聞こえる。イケメン先輩だ。
「あ、失礼しました。先輩のお名前が涼仁さんだってのは分かりましたが、苗字はなんておっしゃるんですか?教えてください」
その言葉を聞くと満足そうに「そうか。フルネームも知りたいか。しかたないな」ともったいをつける。
「僕の名前は酒々井涼仁だ。漢字はこう書く」
スマホを僕の方に向ける。この人、もったいつけて時間かせいでいる間に、自分の名前を入力していたのかな。僕にこうやって見せるために。
「名前もかっこいいですね!ハイレベルのイケメンは名前も凡人とは違うんですね」
僕のストレートな称賛の言葉に、また赤く頬を染めている。でも褒め言葉は好きなようで、機嫌はよさそうだ。
「ありがとう。君はとても素直だね。君ぐらい素直なら、僕が演技指導すればちゃんと演者としてやっていけるだろう。じきじきに指導してあげよう」
「あ、ありがたいんですけど、お断わりします。僕心から大道具とかの裏方を望んでいるんで」
は?というようなちょっと間抜けな顔を酒々井先輩は浮かべた。それでも十分美形ではあるのだけど。
「僕、才能ある人たちが演じている世界を、よりいっそう輝かせるために力を尽くすのが楽しいんです。だから先輩たちが舞台の世界に没頭できるよう、精一杯大道具や小道具を用意してお手伝いします!」
「そ、そうか。裏方がそんなにやりたいのか……」
そう言いながら、なんだか急に元気がなくなった酒々井先輩はちょっと失礼といいながら、部屋を出ていった。
「なんか急に元気なくなったみたいだけど、大丈夫でしょうか」
僕が心配すると、女子5人は
「あー大丈夫大丈夫」
「まさか自分の誘いを断られるなんて、思わなかったんだろうねー」
「涼仁だもんねー」
と笑っている。
「涼仁の印象は?」
坂口先輩の質問に僕は答えた。
「なんか面白い人ですね」
女子たちは「そう!実はあいつカッコいいじゃなくて面白い残念イケメンなのよねー。でも女子の入部希望者が減るといけないから、このことはしばらく黙っててね」と僕に口止めしてきた。
新入部員は25人。入部上限目いっぱいだ。ただ内訳が女子22人、男子3人と比率がめちゃくちゃ偏っていたけど。
「こんなに女子ばっかりだと思わなかった。去年の文化祭を見て、演劇部面白そうだと思って決めたんだけど、やっていけるかなあ」
3人中、唯一演技経験がある伊東太一君が言う。
「演技経験って子どもの頃児童劇団に入っていただけだよ」と謙遜していたけど、そっちの方がすごいって思っちゃうけどな。
いつまでもその他大勢で目立たなかったので、だったら学校のクラブ活動でいいじゃんと自分で見切りをつけたらしい。
「そうだなー。女子多いよなー。いい環境だよなあ」
にやけながら不真面目なセリフを吐くもう一人の男子部員は櫻井だ。
「なんだよ。演劇部希望なんて言ってなかったじゃん」
部活動初日の日、いきなり「一緒に行こうぜ」と声をかけてきたことをいぶかしんでいると「俺も演劇部にしたー」と軽いノリで言ってきた。
「なんか面白そうだったから。去年の文化祭ですごく目立つ男子いたから、たぶんあれが女子の入部目的だよなあ。俺の目当てはその舞台に出てた女子。美人だったんだよ。きれいな黒髪でさあ」
と言っていたので、たぶんその美人は坂口先輩だと思う。
「2人とも去年の舞台が良かったっていってるから、面白かったんだろうなあ。いいなあ。僕も見たかったよ」
「え?見たから入部を決めたんじゃないの?」
二人に驚かれたので説明する。
「僕、父親の転勤で中学3年の12月に東京に引っ越してきたんだよ。文化祭なんてもう終わってるじゃん?自分の偏差値で合格できて演劇部があるとこって条件で、急遽ここを選んで受験したんだよ」
「中3の12月か。そらすげーなあ」
「その時期はつらいよねえ」
二人の言葉に僕は強くうなづく。
「だから同じ中学から来た子たちともあまりつき合いはないんだよ。高校で仕切り直しって感じ」
「そっか。じゃあ少ない男子同士で、結束固めていこうな」
「うん!よろしく」
とりあえず同級生で親しい友人はできそうだ。うん。なかなかいい感じの高校生活のスタートだな。
その日の帰り、さっそく演劇部新入部員3人の結束を高める為、放課後集まることにした。とは言っても、マックで腹ごしらえをした後、適当にカラオケにでも行こうかって感じで、立派な志しがあるようなものではないのだけれど。
マックでは、僕がチーズバーガー、櫻井がビッグマック、伊東君がフィレオフィッシュを注文した。それぞれのバーガーにかぶりついていると、伊東君が僕のことをじっと見ている。
「え?何?僕。なんかしたかな」
「ごめんごめん。小鳥遊君って女の子みたいな見かけだけど、やっばり男子だなー。こういう時は勢いよくかぶりつくんだなーって思って見ちゃってた」
僕はバーガーを吹きそうになった。
「やめてよ。僕は男子なんだから。おしとやかさなんか求めないで欲しい」
僕の言葉に伊東君は声を立てて笑った。
「そうだよね。いや、なんかイメージと違うから、安心しちゃった。こっちの方がつきあいやすそうだ」
「なら良かった。あ、伊東君。僕に君付けはいらないから。呼び捨てでいいよ」
「それなら小鳥遊君も僕に君づけしなくていいよ。今、君呼びだったけど」
「そうか。それじゃ伊東って呼ぶよ」
「おいおい」
僕たち二人のやりとりに櫻井が割って入ってきた。
「小鳥遊。俺のことは了解とらなかったよな。なんかすぐ呼び捨てにしてきたよな」
「うーん。だってなんか櫻井ってそういう感じじゃない?」
伊東もうなづいた。
「なんだよ。俺をもっと丁寧に扱えよ。あ、そうだ。さっきの小鳥遊の女子に間違えられたくないって悩み、髭もじゃにしたら解消するんじゃね?」
そう言ったとたんに、どうやら言った本人の櫻井も、それを聞いた伊東も僕の髭面を想像したらしく、それぞれ口にしていた飲み物を盛大に吹いた。
「似あわねー!」
「自分で言い出しといて、何勝手にダメ出ししてるんだよ!あーあ。早く拭かなきゃ」
大騒ぎしながらテーブルを拭いていると「賑やかだね」と聞き覚えのあるイケボが響いた。
酒々井先輩だ。
「あっ酒々井先輩。こんにちは」
へえ。先輩もこういうところに来るんだ。
「演劇部の脚本と演出の件でね。坂口と打ち合わせしていたところだ」
坂口先輩のこと呼び捨てなんだ。しかも二人きりで打ち合わせか。ずいぶん親しいんだな。まあそりゃ部長と副部長なら、相談することはたくさんあるだろうし、そもそも僕にはそんなの関係ないことだし。
「おい。小鳥遊。ストップ!何俺のポテト勢いよく食ってんだよ」
え?気づくと僕は櫻井のポテトを意識せず機械的に口に運び、残りわずかとさせていた。
「ごめん!僕ちょっと他のこと考えててつい。新しいの買ってくるから!」
「そこまでしなくていいよ」と言う櫻井の声を背にして、僕はレジに向かった。
ポテトのLをトレイにのせて席に戻ると、なぜか酒々井先輩が櫻井たちと一緒に座っている。
「あれ?酒々井先輩。坂口先輩との打ち合わせはどうしたんですか」
「だいたい終わっていたから一緒にこっちに移ろうとしたら、用があるからって帰っていったよ。だから僕だけお邪魔しました」
にっこり笑って。隣の空いている席をポンポンとたたき「早く座りなよ」と催促してきた。
いつの間にか席の並びが変わっている。僕と櫻井が並んで座っていて、空いていたのは伊東の隣だったはずなのに。櫻井は向かい側に移動している。
僕がポテトを櫻井の前に置きながら座ろうとすると、櫻井がこっそり「同席するなら坂口先輩が良かったなあ」と小声でぼやく。
「坂口先輩、打ち合わせが終わったんだから、これ以上涼仁と一緒にいる意味はないって言って帰っちゃったんだよね」という櫻井の言葉には思わず笑ってしまった.
それと同時に、二人はそこまで親しいわけじゃないんだなと考えて、なぜかほっとしたような気分になっていた。
どうやら酒々井先輩は耳も良いようだ。
「ごめんねー。坂口じゃなくて僕で」とにっこり櫻井に微笑みかけている。
「いや。そんな。酒々井先輩と一緒なのは光栄っすよ。校内一のイケメンだし、今も回りの女子達の目は先輩に釘づけだし、今ナンパしたら先輩目的で成功率100パーセントだろうし」
こっそり言ったつもりが聞かれてしまったことに慌てた櫻井が、テンパって意味不明のことを言い出したので、伊東が櫻井の背中を軽く叩いて暴走を止めた。
「そんな恐縮しないでよ。坂口がご希望なら、僕が疑似坂口をやるからさ」
僕たち3人が何のことだか分からずにいると、酒々井先輩は今までより目線を鋭くし、落ち着いた声で「新入部員の皆さん。演劇部を選んでくれてありがとう」と微笑み、その姿はまさしく新入部員への挨拶をした演劇部部長の坂口先輩そのものだった。
「う、うまい」
「似てる。酒々井先輩が坂口先輩に見えてきた。
目線や口調だけではない。手の動かし方、姿勢、表情。何より醸し出す雰囲気が「演劇部部長 坂口先輩」なのだ。
後輩である僕たちから賞賛のまなざしと惜しみない拍手を受けると「そんな。これくらいたいしたことはないよ」といいながらまんざらでもなさそうだ・
「すごいですね。どうやったらそんなに本人そっくりにマネできるんですか」
伊東が食いつき気味に聞くと「その人のその人らしさ・・・・・・核になるところをまずつかむことかな」という答えが返ってきた。
「え?先輩。も少し分かりやすくお願いしまっす」
櫻井が僕たち3人の気持ちを代弁したような質問を投げる。
「よく観察して行動基準や考え方のもとになるその人の核をつかめば、後はこの人だったらどう行動するかとか、どう感じるだろうかとは、予測していなかった部面にも対応できる」
「それ、演技にも応用できますよね」
伊東の言葉に先輩はうなづいた。
・・・・・・すごいな。単純な人だと思っていた酒々井先輩を見る目がなんだか変わりそうだ。
「へえ、じゃあ小鳥遊のマネをするとどうなるんですかね。見てみたいや」櫻井が僕と先輩に交互に目を配る。
「ごめん。僕にはまだ小鳥遊君のマネはできないんだよ」
そして先輩は僕の方へ体をそっと寄せると他の二人に聞こえないぐらいの声量でつぶやいた。
「まず対象をよく知らないとね。小鳥遊君をよく知るためにいろいろお近づきになりたいな」
先輩のこの言葉を聞いてなんだかドキッとした。
でもよく考えると、きっと演技の為に自分とは違う地味男子の僕のことも理解しておけば役作りに幅ができると考えているんだろうってことに気がついた。うん。そうだよな。きっと。むしろそれ以外あり得ない。
「はは。僕ってけっこう単純だから簡単だと思いますけどね」
動揺を隠そうとした言葉は、声がひっくり返ってしまって「どうしたの。大丈夫?」と回りを心配させてしまう結果となった。
その後はなぜか4人でゲームセンターに行くことになった。
櫻井が鞄から下げていたぬいぐるみに気がついた伊東が「これ、ポロフェリの新キャラ?」と指摘したのが発端だ。
ポロフェリは人気ゲームでアニメ化もされ、キャラクター商品も数多く作られている。
「ゲーセンでとった!2回でとれたから、俺ってすごくね?」と櫻井が自慢していたら「そういえば僕は、ゲームセンターって行ったことないなあ」と先輩が発言した。
そのとたん、お調子者の櫻井が「マジッスか?ゲーセン行ったことない高校生っているんすか?じゃあこれから行きましょう!酒々井先輩のゲーセン初体験日で!」と一人で盛り上がってしまい、そのままゲーセン行きが決定したのだ。
一番近くのゲームセンターを目指して移動すると、酒々井先輩はゲーム機の多さと店内の音量に少し驚いたようで「すごいな」と一言つぶやいた。
「先輩。何からやってみます?俺、どれでも教えますよ」
櫻井の言葉は先輩の耳に届いていないようだ。
先輩は一つのクレーンゲームをじっと見つめている。それはいろいろな種類の犬を小さめのぬいぐるみにした景品を扱っているものだった。
「ああ。この景品、よくできてますね。それぞれの特徴よくとらえてあるし、作りもけっこうちゃんとしているし。犬種が豊富だから女子達にも人気あるみたいですよ」
先輩の視線をとらえた伊東が説明したので、僕もガラス内の景品をのぞき込む。
柴犬やトイプードル等のメジャーなもの以外に、セントバーナードや秋田犬。貴族みたいな雰囲気を持つボルゾイのぬいぐるみまである。
「ほんとだ。ゲームセンターではあんまり見ない犬種がたくさんあるね」
伊東に向かっていうと、まだガラス内を見つめていた酒々井先輩が「似ている」と一言口にする。
先輩の視線の先には、耳の大きなパピヨンのぬいぐるみがある。
そして僕の方を振り返ると「小鳥遊君によく似ている」と言った。
その言葉を聞いた櫻井と伊東もガラスケース内を覗きこんできた。
「なんか分かる気がする。目がでっかくて人懐っこそう」
「パピヨンは社交的だし、体が小さくてもとっても元気だから、ぴったりだね」
と納得している。
似ているかなあ。自分じゃよくわからないや。
そういう意味じゃ高級感のあるボルゾイはまさしく酒々井先輩って感じだなと僕は思うんだけど
先輩は小銭をとり出すと、そのゲーム機にお金を投入しようとしている。
「やってみます?俺、得意だから模範演技見せましょうか。そのパピヨンを気にいっているならとりますよ」
「ありがとう。でもこれは自分でとりたいんだ」
酒々井先輩は櫻井の申し出をきっぱりと断った。
「そうっすか。じゃあポイントだけお伝えしますね」
先輩は今度は「ありがとう。頼むよ」と櫻井の申し出を受け取った。
「まず重心の見極めが大切なんですよ。ぬいぐるみなんかだと頭が重いのが多い。あとはどうクレーンの爪にひっかけるかですかね」
隣の違うぬいぐるみのクレーンゲームで、櫻井は実践しながら説明するとあっという間に景品を手に入れてしまった。
「うん。ありがとう。分かったよ。やってみる」
真剣な表情の酒々井先輩に「そこまで真剣に取り組まなくてもいいんじゃないですか」と言いたくなるが、初めてのゲームセンターできっと気分が高揚しているのだろう。
僕は黙って見守ることにする。
「あー!また落ちた!」
「そこじゃないっすよ!ほら、もうちょっと右!あー!」
「・・・・・・櫻井君。悪いけど集中できないから静かにしてもらえないかな」
穏やかな口調と裏腹な眼光鋭い先輩の表情に櫻井は小さくなり、「ごめんなさい」と言った後は口を閉じていた。
ああ、じれったいな。あと少しなのに、先輩はクレーンの動かし方に慣れていないせいで、どうしても目標の位置からややずれた場所で止めてしまう。
20回目の挑戦の時、また微妙に外した位置にクレーンを止めかかる先輩を見て
「あー!もう少し奥です!」
と叫びながら、先輩の右手に僕の右手を重ねて、クレーンを操作させてしまった。
ゴトン。
クレーンはまっすぐ下に降りると、パピヨンの頭をつかみ引き上げた。
途中で落ちそうになり「ああ!」と思わず悲鳴を上げてしまったが、大きな耳にひっかかり、無事出口まで運ばれた。
「やった!先輩、狙っていたパピヨンとれましたよ」
先輩の方に顔を向けると、なぜか先輩は顔を真っ赤にして固まったように動かない。
僕はその時にやっと自分の手を先輩の手の上にのせたままだったことに気がついた。
あわてて手を外して謝る。
「ごめんなさい。よけいなことをしてし
まって。自分でとりたいって言っていたのに僕が台無しにしてしまいましたね。すみません」
櫻井の申し出を断ってまで自分でとると宣言していたのに、最後の大事なところを横から出てきた僕に奪われたら、そりゃあ怒るよね。僕がしょんぼりしていると、先輩の法があわて始めた。
「そんなことはない。小鳥遊君が手を出してくれなければ、僕だけでは無理だった。本当に嬉しい」
よっぽどパピヨンが好きなんだな。喜んでくれて良かった。微笑ましく思っていると
「小鳥遊君に似たパピヨンを、二人の初めての共同作業でとることができたなんてなによりの喜びだよ」
先輩が妙なことを言い出す。
なんですか。先輩。その二人の初めての共同作業ってのは。それは結婚式のケーキ入刀で使われる定番のセリフで今使うものはないですよね?
ドギマギしてしまった僕は、ごまかすために
「続けてやっていいですか?なんかコツがつかめた気がするんで」
と同じゲーム機に小銭を投入した。
僕が狙ったのはボルゾイだ。数多くある犬のぬいぐるみの中で、これだけは一つしか見当たらない。どうせとるなら、レア度が高い奴の方がいい。
集中して狙うと、3回目の挑戦でうまくゲットすることができた。
「やった!これ一つしかなかったし、なんだか先輩っぽくないですか?」
ボルゾイのぬいぐるみを握りしめて先輩の目の前に突きつけると「僕ってこんな感じ?」と聞いてきた。
「高貴な感じがしてカッコいいし、このゲーム機の中で一つしかない他と違うってとこがピッタリじゃないですか」
僕の返事を聞くと「そうか。君の目には僕はそう見えていいるのか」となんだか嬉しそうだ。
ふと気づくと櫻井と伊東は対戦型リズムゲームの方へ移動して、盛り上がっているようだ。
「これ、とってくれてありがとうね。大事にするよ」
「あ、僕も今日の記念にボルゾイ大切にします」
中学の時は二年生から部活に入ったこともあり、特定の親しい先輩はいなかった。
そういう意味では、酒々井先輩が僕のこれまでの人生で一番親しくできそうな先輩ということになり、その先輩が初めてゲーセンデビューした日とあればそれは記念日だよね。そう考えて口にした言葉だったが、なぜか先輩はさっきよりもっと顔を赤くして口を手で押さえている。
「どうしたんですか」
「いや、その、今自分がニマニマしたみっともない顔をしている気がして」
妙なことを気にするなあ
先輩みたいな美形、どんな顔してもカッコいいでしょと思ってしまうけど。
「腹減ったー。サイゼ行こうぜ」
大きな声がした。櫻井たちが帰ってきたようだ。
倉庫の大道具の整理をさせて欲しいと坂口先輩にお願いすると、なぜか案内兼説明係として酒々井先輩が現れた。
「男手少ないからね。去年一年生だった僕も大道具の手伝いはしたんだ」
へえ。花形スターの立場でも地道に下積みしているんだ。感心しながら積み上げられた道具の修理と整理を行っていく。
「口だけかと思っていたから、意外だ」
「何がですか?」
「こう見えて力持ちだし、っていっていただろう?こんなにたくさんある板や大具道具は小鳥遊君の体では無理だと思っていたよ」
僕は肩に木材、背中にハンマーや金槌、のこぎりなどその他もろもろ抱えた状態で「へへ」と得意げに笑う。
「本当は力持ちっていうより、コツがあるんですけどね。もしかしたら先輩より僕の方がたくさん抱えられるかもしれませんね」
酒々井先輩は、少しムッと顔をしたと思ったら、僕の脇の下から手を差し入れた。
「せ、先輩!ちょっと、やめて下さいよ。足が地についていないから、こわいですよ」
「ほら、俺は荷物ごとお前を持ちあげられるから、負けてはいないと思うな」
にっこり微笑む。
これが言いたかったのか。
「分かりました。さすが先輩、美と力の両方を兼ねそろえているんですね。よく分かったから、降ろして下さい」
「……降ろそうと思うのだが、姿勢を変えるとバランスを崩しそうだ」
「えー、どうすんですか!いつまでもこのままじゃいられないですよ」
「とりあえず、両手にもっている荷物は、バッグの中に入っているから、そのまま下に落としても傷はつかないだろう。両手を自由にして、僕の首に手を回せば今より安定するはずだ」
そうか。僕から引っ付けば安定感が増すもんな。
言われた通り、荷物を手放して先輩の首に手を回す。
これで安心……しない。全然できない。先輩の体温とほのかな香り、柔軟剤?香水?よく分からないけどいい匂い。すっごくドキドキする。
先輩はそのまま僕の身体を抱きあげ直すと、膝の下に手を入れて、いわゆるお姫様抱っこで抱きあげ直した。
「あ、降ろして下さいよ。何抱きあげ直してんですか」
「だってはじめっからやりたいのはこっちだし」
極上の笑顔で嬉しそうに返してくる。
その時、こちらに向かってくる足音が聞こえた。
いけない。部長の坂口先輩に、大道具の金額の見積もりのため、打ち合わせを頼んでいたのをすっかり忘れていた。
「早く降ろして下さい。こんなところ見られたら」
その時ドアが大きく開いた。
正面から僕たちの姿を見て、目をまん丸にしている坂口先輩。
そのままお互いに固まっていると、先輩が急に激しく身震いをしている。
「決まった!次の定期発表回の作品。BL要素を取り入れる!私に少年役は可能かな。いや、やってみせる。胸がキュンキュンする作品にしあげるわ!さっそく書きあげなければ」
そのままスカートの裾をひるがえすと、出て行ってしまった。
僕は頭を抱えた。
「最近暖に背後霊が見えるようになった」
昼休みに櫻井がとんでもないことを言い出す。
「やめてくれよ。僕、お化けとか幽霊とか苦手なんだから」
すると伊藤までもが「うん。僕にも見える」と言い出す。
え?何それ。櫻井ならたちの悪い冗談の可能性が高いけど、伊東が言うなら本当に見えるってことだよね。
「悪霊とかにとりつかれてるって?お祓いとか必要かな」
焦っている僕に「大丈夫でしょ」とのんびり伊東が言う。
「どっちかっていうと守護霊?に近いかなー。少なくとも本人はそのつもりだよね」
伊東の言葉に櫻井もうなづく。
なんなんだ。いったい。
「まさか背後霊だの守護霊だのは僕のことではないよね?」
すぐ後ろから声がする。声だけでイケメンを期待させる男、酒々井先輩だ。
「めっそうもない。先輩をそんなものに例えるなんて」
櫻井がお調子者らしく軽いノリで否定している。いや、今までの内容からいって、絶対酒々井先輩のことだろ。
「そうだね。僕のことは暖のナイトとでも理解しておいてもらえればいいかな。いつも近くで見守る頼りになる存在だ」
「……何言ってるんですか。先輩。それより昼休みまでこっち来るなんて、クラスに友だちいないんですか」
「まさか。そんなわけない。僕と一緒にお弁当を食べたい子なんて、ものすごい人数がいる。どこに入っても争いが起きてしまうのが忍びなくてね。暖と一緒に食べようと思ってこちらまでわざわざ出向いたんだ」
「……そうですか。それはどうも」
何をどうかえせばいいか分からないが、貴重な昼休み、妙な発言をして長引かせたらよけい時間を失ってしまう。僕はいいかげんな返事をした。
「それより早く食べないと時間がなくなりますよ」
「うん。では失礼するよ」
隣の空いている席から椅子を一つ借りると、僕たちと一緒に弁当を広げた。
先輩が食事を始めると、思わず目を奪われてしまった。
端の使い方が美しい。
口もとで食べ物が消えていく様が美しい。
食事中の姿勢が美しい。
「……おい。小鳥遊。箸が止まってるぞ。お前こそとっとと食わないと、昼休みが終わっちまうぞ」
櫻井に声をかけられ、自分が先輩を凝視していたことにやっと気づいた。
「あ、ああ。そうだね」
箸を持ち直す。
僕、えんぴつ持ちとか、マナー違反にはなっていないよな。先輩の食事中の所作が美しすぎて、自分が何かやらかしてないかと気になってしまう。ぎこちない動きのまま、ミートボールを口に入れようとしたら、そのままコロコロと床に落としてしまった。
「あー!本日のメインおかずだったのに!」
思わず叫ぶと「こっち向いて」と酒々井先輩に声をかけられる。
そのまま顔を向けると「はい。あーん」と一口ハンバーグを口に入れられた。
先輩?何があーんですか。しかも僕もつられて口をあけてしまったし!
「せ、先輩」
ハンバーグでまだ口をもごもごさせながら、ひと言いわねばと身構える。
「ミートボールは僕のお弁当の中にないからさ。でもミニハンバーグなら限りなく近いじゃない?メイン交代になるよね」
「そ、それはそうですけど」
「おいしい?」
「……とてもおいしいれす」
「そう。良かった」
僕たち二人のやりとりに、櫻井と伊藤は見てはいけないものを見てしまったかのように、気まずそうな雰囲気のまま目を伏せるし、反対に回りの女子は妙に興奮して許可なくスマホで写真を撮りまくるしで、やはり酒々井先輩がからむと穏やかな日常生活というのは、遠ざかってしまうのだった。
それからも酒々井先輩は週3回は必ず僕たちの教室に現れてランチをともにした。
これでも回数を減らしてもらったのだ。
毎日連日で来ていたので「クラスの人とも交流した方がいいですよ」「2年生の教室に酒々井先輩がいないと、みんな寂しがりますよ」と理由をこじつけ、なんとか半分に抑えたのだ。
「部活の後輩との親睦は大事だからな」
ニコニコしながら話す先輩だが、櫻井はボソッと「いや、小鳥遊とだけ親睦深める気じゃね?」とつぶやく。横で穏健派の伊東が慌てているが、先輩は動じない。
まあそんなことを言っても、もともと人の注目を集める人気者で今までずっときた人だから、コミュニケーション能力には長けているようで二人に対する態度もそつがない。しかもこれだけしょっちゅう顔を合わせていれば、お互いに馴染んでくるというものだ。共通の話題もでき、会話も弾むようになってくる。
「そういえば小鳥遊の中学での演劇部入部のいきさつって面白いよな。同級生の女子がきっかけなんて青春って感じでさ」
櫻井が何の気なしにふった話題が酒々井先輩のアンテナに引っかかったようだ。
「なあに。それ?面白そうだね。僕聞いたことがないから教えてよ」
笑顔なのに圧を感じる。サンドイッチを喉に詰まらせた僕を見て「発言やばかった」と櫻井も気づいたようだが、後の祭りだ。片手で「ごめん」と合図を出してくる。
ここで話さなかったらよけい不自然だ。しょうがない。長くなりますけど、と前置きしてから、中学での演劇部入部のきっかけを話し始めた。
もちろん告白された時のシーンは省いたものだったけど。
前にいた茨城の公立中学校では、三年間帰宅部のまま過ごすつもりだった。
絵を描いたり、家で工作したりするのは好きだったのだが、みんなと一緒にやる必要はないと考えていたからだ。
そんな僕が演劇部に入部したのは、二年生になった時、隣の席になった関本朱音さんのせいだ。
「へえ。絵がうまいんだねえ」
美術の時間に、静物画をテーマに皿にもられたリンゴやブドウを描いていたら、いきなり声をかけられた。
覗きこんできた顔が間近にあり、驚いた僕は思わず椅子から落ちそうになってしまった。
「ひどいなあ。そんな化け物が出たみたいに驚かないでよ」
「そうじゃないよ!顔が近い!近すぎる」
「あ、ごめん。私よく言われるんだよね。パーソナルスペースが狭すぎるって。小鳥遊君的にはどれくらい離れれば平気?」
「3メートル」
「何それ!普通にしゃべるにも支障があるわ」
そんな感じで彼女はものおじしない、はきはきした子だった。
「小鳥遊君の絵、いいよね。本物みたい。かぶりつきたくなっちゃう」
そう言いながらブドウをつまみ、リンゴを咀嚼するしぐさをする。シャリシャリ。音が聞こえてきそうだ。
「関本さんこそ、本当に食べてるみたい」
そういうと嬉しそうに「だって私演劇部だから。食べてるふりだって演技だからね」と言う。
「演劇部か。去年文化足で「新版 桃太郎」で桃太郎が極悪非道の略奪者っていうとんでもない劇やっていたんだよな。あれ?関本さん出てた?何の役やっていた?」
「もと暗殺者で桃太郎の育ての親、おじいさんの役だよ!」
「おじいさん?おばあさんじゃなくて?え?あの素早い身のこなしのニヒルなおじいさん、あれを女子の関本さんがやっていたの?」
僕が驚くと、不敵な笑みを彼女は浮かべた。
「そうなのよ。けっこう私だって分からない人多かったんだけどさ。男子は少ないし、あんな重要な役をやれる人は他にはいないってことで、私が引き受けたのさ!」
「すごいねえ。僕本当に分からなかったよ。関本さんってことだけじゃなくて女子だってことも気づかなかったよ。あの劇、面白かった」
「そりゃまあ演劇部だからねえ。別人になるのはお手の物さ」
僕が尊敬の眼差しで見つめていると「そんなストレートに称賛の目で見ないでよ」と少し照れていた。
「私だけじゃないんだから。主役の桃太郎役はもちろん、脚本も演出もみんな自分たちで工夫して頑張っていい舞台を作りあげたんだよ。すごいでしょ」
その後彼女は演劇に興味を持ったきっかけや最近はまっている舞台俳優について熱く語りだし、僕たち二人の筆は止まってしまった。
授業終了のチャイムがなると、美術の先生が「はい。提出して。終わらなかった人ははじめに説明した通り、放課後に居残りして仕上げることー」と主に僕たちの方を向いていい放った。
「げっ。まじか。ほとんど白いわ」
「僕も途中だよ。居残り決定だね」
「そっか。じゃあ続きは放課後ね」
続きというのは絵を描くことだと思いきや、またもや熱く演劇への思いを語られた。
さすがに居残り中なので、絵を描く合間にだったけど。
「僕、集団行動って苦手だから避けてたけど、関本さんの話を聞いているとみんなで作り上げるのもいいみたいだよねえ」
あくまでこれは演劇について熱く語る彼女の思いを肯定しただけだ。単なる相づちのようなものだと思って欲しい。
しかし彼女はそう受けとらなかった。
「そうだよね!いいよね!演劇部へ誘おうと思っていたんだけど、小鳥遊君からその気になってくれたならほんと嬉しいよ!」
と両手を握られブンブン振られた。
「いや、僕演技なんてできないし、人前に立つのはすごい苦手だし」
「うん。知ってる。だから背景なんかどうかな。すっごい絵がうまいし。家でDIYもやるって言ってたよね?そういう人物が今欲しくてたまらないのよ!」
ビジュアル的には演じる方が似合っているとは思うけどさ、とひと言残念そうにつけ加えると「じゃあはい。これ」と何かの用紙を渡してきた。
「なにこれ」
「入部届け。ちょっと考えてみて。あとは小鳥遊君が名前かけばいいだけになっているから」
なんだそれは。入るの確定みたいな扱いじゃないか。
あまりの圧に「じゃあとりあえず……」と受け取ったのが運のつきだった。
「もう書いた?」
「いつ入部するの?」
「待ってるからね」
休み時間ごとに声をかけられ、今まで話したこともなかった僕たちが急によくしゃべることに(とはいっても関本さんが一方的に入部の催促をするだけだったんだけど)「つき合ってんの」「仲良くない?「と勘違いの注目を集めることに耐えられなくなった僕は、3日目の放課後に用紙に自分の名前を記入して渡した。
半ばむりやり入部させられた流れだったが、部員はみんな親切で二年生から入部した僕を快く迎えてくれた。
そしてやはり関本さんはすごかった。他のみんなとはまるで違う。他者を演じているのではなく、そういう人物がただ舞台にいるだけなんだとしか思えなかった。
おじいさん役のように外見を作り替えなくても、髪型もかえずメイクもせず制服のまま演じてもに、そこにいるのは関本朱音ではなく舞台上の登場人物である少女Aでしかありえなかった。
どうすればこの人がいる世界にもっとリアリティを与えられるだろう。
どうすればこの人が、この人の回りの人が、この舞台すべてがもっと素晴らしくなるんだろう。
そうだ。背景の絵を小さなパネルで組み合わせてみよう。使用する小物は、100均で売っていた部品を組み合わせれば客席からは豪華に見えるはず。
僕の中から色々なアイディアが湧いてきた。
今まで感じたことのないワクワクが僕の中を満たしているのを感じた。
「本当に小鳥遊君が入ってくれて良かったよ」
「うんうん。舞台のクォリティ上がったしな」
「ただなー。残念ではあるよなー。せっかく顔がいいのに、演技はなー」
数少ない男子部員とおしゃべりしている最中だった。
最後のセリフは同学年の川口君が口にしたので、関本さんの蹴りが容赦なく入った。
「いってー!何すんだよ!」
「よけいなこと言わないの。小鳥遊君の才能はそっちじゃないんだから」
僕は曖昧に微笑む。
入部の時、形式的にだが演技のテストもあったのだ。僕が演じた後はみんな言葉を失い、微妙な空気が流れた。
「大道具や背景をやりたいんです」
僕の言葉にあからさまにホッとした様子の部長が「じゃあそういうことで」とまとめて、僕は満場一致で演劇部大道具兼背景兼雑用係としての入部が決まったのだった。
「え?転校する?三年生のこんな時期に?」
「そう。父親の転勤でさ。もう少しこっちのことも考えて欲しいよね。高校受験だっていうのにさ。志望校いきなり変更だよ」
苦笑いしながらつげると、なぜか関本さんの顔が真っ青だ。
「もうすぐ卒業だから覚悟はしていたけど、早すぎる。無理。無理無理無理。聞いてないってば」
顔面蒼白のままつぶやく彼女に、本気で「大丈夫……?」と心配になる。
しゃがみこんでいた彼女は勢いよく立ち上がると「全然大丈夫じゃなーい」と大声を出した。
「卒業式までにはって考えていたけど、今伝えないと絶対後悔する!」
僕のことを睨みつけて叫ばれると、なんか恨まれるようなことしたっけ?と焦ってしまう。
「小鳥遊君!」
「はい!」
「私はあなたが好きです!演劇部に誘ったのはあなたの絵がうまかったのもあるけど、一緒に部活動をしたかったからです。ってかバレてたよね?私が君のこと好きでかまっているっての分かっちゃってたよね?」
「いや、ごめん。全然気づかなかった……」
「えーっ!」
日頃の練習で鍛えられた複式呼吸の発声は、一キロ先でも聞こえるんじゃないかと思えるほどだった。
「私、友だちにもバレバレだよってからかわれてたのに。小鳥遊君、わざとスルーしてるのかもって不安だったのに」
「僕、ほんとそっち方面苦手だし分かんないんだよ。関本さんが僕に声かけてくれるのは、誰にでも親切で明るい人だからだと思っていたんだ」
「違うよ!小鳥遊君限定、特別扱いだよ」
「そ、そうなんだ。特別扱い。すごいね」
初めて女子から告白されて、僕も動転していたのでなんて答えたらいいのか分からなかった。
「でいまので分かったよね?私は小鳥遊君が好き。つきあいたい、彼女にして欲しいです」
すごい。なんてストレートなんだ。嘘もごまかしもなく、まっすぐに気持ちを伝えてくれている。そしてそれはすごく関本さんらしい。こんなに真面目に告白してくれるなら、僕も自分の気持ちを誠実に伝えなきゃ。そうでなくちゃ彼女に失礼だ。
「ごめんなさい。つきあうとか本当に分からなくて。関本さんだけじゃなくて他の人にもそんな気持ちは抱いたことはないんだ。好きになってくれて。関本さんに特別扱いしてもらえて、ありがたいとか嬉しいとかは思うんだけど、恋愛関係となると……」
「すぐ好きになってくれなくてもいいよ。お友だちから始めてくれれば」
僕は思わず驚いてしまう。
「え?僕は関本さんとはもう友だちだと思ってるよ?関本さんは僕のことを友だちとは思ってなかったってこと?」
不覚にも涙がこぼれそうになる。そんな僕を見て関本さんは慌てる。
「ちょっとちょっと。泣かないでよ。というより今泣くのは本当は私なんじゃないの?告白して振られたってことでしょ。なんで振った方が泣いちゃうの」
関本さんは大笑いしながら、泣き出した。僕たち二人は、通りかかる人たちから訝し気な目を向けられながら号泣した。
「あー、よく泣いた。やっと落ち着いた」
そう言って上を見上げる彼女に、僕は濡れタオルを渡す。
「冷やした方がいいよ。泣きすぎて目がはれている」
「小鳥遊君もだよ。顔がすごいことになっている」
たくさん水分を出したので、補充するために自分用にウーロン茶、関本さんにはよく飲んでいるところを見かけるミルクティーを自販機でかってくる。
「ほら、駄目だよ。こういうとこ」
なんかダメ出しされたけど、こういうとこってのが分からず首をかしげる。
「だから私の好きな飲み物とか覚えてるところ。私のことよく見てるってことじゃん。そんなの期待しちゃうじゃん」
「そういうものなの?」
「そういうものなの」
うなづきながらも。僕が渡したミルクティーはそのまま受けとった。
「そうかー。でも僕にとって関本さんは大切な人だから、好きだって分かっているならミルクティー渡しちゃうなあ」
「大切な友だち、ってことだよね」
「……ごめん」
「いいよ。許す」
そういうと関本さんは、ミルクティーのプルトップをあげて、勢いよく飲みだした。
飲み終えると口をぐいっと拭い、まっすぐ僕を見つめる。
「その代わり約束して」
「……何を?」
「大道具でも照明でも馬の脚でも何でもいいから、演劇を続けて。私はずっと演劇を続けるから。小鳥遊君も続けてくれれば、どこかできっと会えるから」
そしたらその時は、といったん言葉をくぎり「私も君のこと大切な友だちだと思えるようになっているから」と微笑んだ。
その笑顔はすごく魅力的で、でもそんな彼女に恋することができない自分が情けなくて歯がゆくてしかたなかった。
「じゃあ演劇部に入ったのは、その中学時代の彼女のため?」
「なんかそういうと誤解がありますよ。つきあっていたわけではなく、三人称としてなら彼女ですけど」
酒々井先輩はふーんとあからさまに面白くなさそうな顔をする。
どうして僕はこの人のことを動揺しないクールイケメンだと考えたのかなあ。面白いほど感情が顔にダダ洩れだ。目が離せない。
「元カノじゃないってことは、安心したけど、演劇部に入ったきっかけがその子ってのが面白くない。しかも僕より先に、小鳥遊君が輝かせたいって思った相手ってのがすっごく嫌だ。悔しい。なんで僕の方が先に出会っていなかったんだろう」
真剣な顔をしているので、笑いそうになってしまった。
「すごいなあ。先輩ってば。次の劇が部長の意向でBL要素を含んでいるからって、そこまで真剣に演技しなくったっていいじゃないですか。まるで本当に僕のことを好きみたいじゃないですか」
そう言って僕が笑うと、先輩が耳まで真っ赤になった。
なにこれ。どういう展開?
「ふっ。僕は役者だからね。設定には常に真剣に向き合っているよ。君にそう思ってもらえたのなら、僕の演技力もなかなかのものといえるかもしれないな」
そう言いつつも顔の赤みは隠せないままだ。その時僕に新しい感情が湧いた。
可愛いな。
今まで綺麗とかかっこいいとかばかり思っていた。でもたぶん自分でも赤くなっていることを自覚しているのだろう。動揺を隠そうとしつつ、バレバレ状態になっている酒々井先輩は、なんていうか今までの現実離れした存在とは全然違って、すごく身近な守るべき存在に思えたんだ。 酒々井先輩が僕に守って欲しいわけもないから、完全にこっちの思いこみなんだけど。
「なんだ。なんでそんな笑っているんだ」
戸惑う酒々井先輩に、自分の気持ちをどう説明していいか分からない僕は「なんでもないです」とごまかすしかなかった
「ちょっとセリフ合わせの練習につきあってくれないか?みんな遅れてくるって連絡があって、一時間くらい二人きりなんだ。貴重な時間を有効に使いたい」
さすが酒々井先輩。普段は残念イケメンの面が強いが、演技に関しては真剣だな。
入部した時から主役をずっと張っているだけのことはある。
「でも酒々井先輩。僕相手じゃ練習になりませんよ?」
「なあに。セリフの読み合わせだけだから。そんな気張らなくて大丈夫だよ」
優しく微笑む酒々井先輩を目にすると、そこまで言ってくれるんなら、まあやってみましょうかという気になる。後がどうなるかは責任とれないけど。BL要素があるから、男子である僕相手に練習したいってことかな。
「じゃあ10ページから読み合わせしよう。僕が主人公で親友の蒼人に片思いしている貢役。暖は蒼人のセリフを頼む」
こくんと頷く。声を出して読むだけのことならできるけど。もう当たって砕けろだ。
「蒼人を親友だとごまかしていたけど……本当はずっと好きだったんだ。なあ、俺はお前の恋人になれる可能性はあるのか」
いい声だなあ。深みがあって色気まで感じさせる。ずるいよな。外見だけじゃなくて声までいいのって。
先輩が僕のことを切なげな目で、ずっと見つめている。
いけね。セリフ僕の番だ。
「ドウシタンダ。キュウニ。コイビトニナレルカノウセイッテ、イッタイナンノハナシナンダ」
先輩の目が大きく見開き、僕に向かって伸ばす手が止まった。
ああ。だから言ったのに。あまりに棒読み、感情移入のかけらも感じられない僕のセリフに驚いてしまったんだろう。
「だから言ったのに。僕、セリフに全然感情がこめられないんですよ。だってこれ、僕じゃないじゃんって思っちゃうんです」
ああ、恥ずかしい。やっぱりやめときゃよかった。ここまで下手だなんて、先輩も呆れていることだろう。
「やはり僕は大道具で先輩を支えます!セリフは読み合わせより一人で練習していただいた方が効率がいいし、演技のためですよ」
椅子から立ち上がって去ろうとした僕の肩を、先輩は軽く押さえつけてもう一度座らせた。
「いや、あまりに斬新で驚いただけだ。大丈夫。問題ない。このまま続けよう」
「こんなに下手くそなのに?先輩までつられて下手くそになっちゃいますよ」
「いや。本当に大丈夫。っていうか必要なんだ。暖相手の稽古が。主人公の気持ちを本気で理解するために」
うーん。先輩の役はイケメンでモテるのに、地味で真面目な幼馴染みに恋心を抱いてしまうって設定だからなあ。僕ならその地味で真面目な幼馴染みに置き換えやすいから練習したいってことなのかなあ。僕が何の役に立つのかは分からないけど、舞台に立つ人の手助けをするのが僕の仕事だ。練習にお付き合いしよう。
「ねえ、今日から恋人同士だよ。誓いのキスをしよう」
あれ?酒々井先輩。それ、クライマックスのセリフだから、今読んだとこよりだいぶ後に出てくるセリフじゃないですか?
しっかしこのセリフもすごいよなあ。自分で言っているとこ想像したらふいちゃうけど、先輩の口から漏れると、甘い美酒のような響きの言葉だ。さすがだ。男同士なのに、僕まで酔わされてしまいそうだ。
そんなことを考えていたら、先輩の顔がすぐ目の前に来ている。
近い。近すぎる。しっかし綺麗な顔だなあ。毛穴なんか見あたらないじゃん。いや、ちょっと待て。待て待て待て。
「先輩!役に入れこみすぎです!僕は蒼人ではなく、単なる読み合わせにつき合っている大道具担当の後輩です!」
もうちょっとで唇が触れ合ってしまいそうだったので、失礼ながら手で酒々井先輩の顎を押しやって接触を回避する。でも先輩だって演技熱心なあまり、僕にキスなんてしてしまったら後から後悔するだろうから、これは必要悪だ。
「あ、ああ。驚かせて悪かった……」
僕に顎をつかまれたまま、先輩が答える。
「先輩が演技熱心なのは分かってますけど、気をつけて下さいね!本当の蒼人役の坂口先輩にこんなことしたら、セクハラで訴えられますよ」
僕の言葉に「いや、坂口相手にこんなことはしないし……」と先輩はボソボソ言い訳している。
人の声と足音が聞こえてきた。遅れてくると言っていた坂口先輩たちが到着したようだ。
「もう一時間たったんですねー。僕のせいで先輩あんまり練習できなかったですね。ごめんなさい」
「いや。そんなことはない。役を理解するのにすごくためになった」
先輩はそう言ってくれた。
優しいなあ。僕みたいな棒読みでくの坊相手にそんなことを言ってくれるなんて。
「じゃあ相手役の坂口先輩も来たし、ちゃんと練習はじめて下さい。僕は3幕で使用する道具作りにはげむことにしまーす!」
先輩は何か言いたげだったけど、先輩の貢役に合う部屋のデザインをイメージするのが楽しくなってきた僕は、そのまま大道具準備の部屋に駆け込んでしまった。
「酒々井先輩の演技に引き込まれました!切ない表情がたまらなかったー」
「蒼人のことを本当に思ってるんだなあってのが全身から伝わってきて、キュンキュンしちゃいました」
春の定期公演会を終えた後のアンケートの一部だ。圧倒的に先輩の演技力を褒めたたえるものがダントツだった。
外見の人気で先行していた評判を見事演技派にかえることができたのだ。
「すごいなあ。先輩」僕はほうっと溜息をついた。舞台での先輩を思い出すと胸が熱くなる。
蒼人に向ける情熱を秘めた眼差し。指先まで愛しく思っている気持ちが伝わってくる動き。耳に心地よいのに、心をざわめかせる色気のある声。うっとりすると同時に、胸が痛くなる。
だってその相手は全て蒼人を演じる坂口先輩に向けられたものだ。
すでに生徒の間では噂されている。
「あの二人、舞台の上だけじゃなくて本当に恋人同士だよ。そうでなきゃあんな愛しさ切なさ丸出しの表情なんてできるわけない!」
「えー、ショック。やっぱりそうかなあ。でも美男美女でお似合いだもんね。悔しいけどしかたないか」
今もすれ違った隣のクラスの女子たちが、酒々井先輩と坂口先輩のことを噂している。
お似合い。うん。お似合いだ。二人で並べば、わが校のベストカップルとしか言えないだろう。そして二人の数多のファンが涙で枕を濡らすのだろう。……僕も寝具の西川にいって、新しい枕とカバーを購入してくるべきだろうか……。
いやいや、何を考えているんだ。僕は。なぜ僕が枕を涙で濡らす心配をしなくちゃいけないんだ。
「こんなところにいたのか。演劇部で慰労会をやろうって話が出てる。小鳥遊君ももちろん参加するよね?」
そこまでいうと、急に先輩は僕に駆け寄ってきた。
「どうしたんだ。なぜ泣いているんだ」
酒々井先輩はそういいながら、僕の頬をそっと親指で拭った。
「やだなあ。そんな。泣いたりなんかしてないですよお」
そういったとたんに頬を水滴がポロポロとこぼれ落ちていく。
「あ、あれ?なんで涙なんか……」
先輩はかがんで僕の顔を覗き込むと、ハンカチで涙を拭きながら「何があった?」と心配そうに聞いてくる。
だからなんでそういうことするんですか?
劇の練習相手はもう終わったじゃないですか。なのにどうしてそんな眼差しで僕のことを見るんですか。同じように坂口先輩を見つめていたくせに。
胸が苦しくなってきた。堪えきれずに本気で泣きじゃくり始めた僕を、先輩は優しく抱きしめて、背中を大きな手で撫でてくれる。
「だっだから。先輩のせいだあ」
泣きじゃくるせいでだみ声になりながら僕は先輩を責める。
「せっ先輩が坂口先輩のことあんな風に見るから。舞台であんな顔するから。僕は悲しくて苦しくてどうしだらいいかわがらなくなって……」もはや日本語とは思えないありさまになってきた。僕は自分の一方的な気持ちをぶつける。
「坂口先輩が好ぎならぼぐのことなんてかまわないでぐださい。一人でドキドキして、先輩の言葉ひとつで転と地を行ったり来たりして、ごんなのづらすぎますう」
ここまで言ったところで、先輩は僕を引き離して真正面から顔を見た。
「……今の本当?」
「……やめで下ざいよお。こんな涙と鼻水まみれの顔なんて、先輩に晒したぐない」
顔を隠そうとしたが、両腕を抑えられて阻止された。
そしてそのまま、唇を重ねられた。
「え?」
頭が真っ白になる。酒々井先輩が僕にキスをしている?どういうこと?だってそんなのありえない。
先輩はキスを終えると、わけが分からず硬直したままの僕の頬に優しく触れた。
「やっと両思いだ。嬉しい。すごく、すごく幸せだ」
言葉通り、すごく嬉しそうな顔をしている。
「ずっとこの日を待っていた」
もう一度唇を寄せてきた先輩の動きを阻止する。
「ちょっと待って!何を言っているんですか。酒々井先輩が好きなのは坂口先輩でしょうが。なんで僕相手にキッキスなんかしてくるんですか」
先輩は一瞬「ん?」と言うような顔をしたあと、真面目な顔で「暖のことが好きだから」ともう一度唇を寄せてきた。
いきなり名前で呼ばれた上に「好き」と言われた僕は硬直してしまい、そのまま二度目の先輩のキスを受け入れてしまった。
慣れない行為に息ができず、ウウとくぐもった声が出てしまう。
「大丈夫か」
先輩はやっとキスから解放してくれた。
「だっ大丈夫じゃないです!どういうことですか。僕は二番目ですか?遊びでつきあう相手が欲しいってことですか」
酒々井先輩の想う人が坂口先輩だってのはショックだが、こんな簡単に僕みたいな地味男子にも手を出すような人だったなんて、ショックすぎる。でもきっと先輩にとっては遊びであるはずのキスに、胸が高鳴りこのまま時間が止まればいいのにと願ってしまっていた自分がいたことの方が驚きだった。自分の知らない自分が現れてきて、どうしていいか分からなくなる。
「何か勘違いしていないか?一番も二番もない。僕が好きなのは暖だけだ」
「へ?」
今度は僕の方が間抜けな反応をしてしまう。
「だ、だって坂口先輩に向ける態度は、演技を通りこしていたし、噂に対して二人とも否定しないって聞いたから、絶対酒々井先輩は坂口先輩と恋人同士なんだって信じていて……だから、だから」
「確認したいんだけど、さっき泣いていたのは僕が坂口のこと好きだと思ってショックをうけていたせいだよね?それって僕のこと好きってことだよね?」
ストレートに聞かれた。ごまかすこともできず、小声で「そうです」とうなづく。
先輩は思い切り華やかな笑顔を浮かべた。
「良かった。やっと両想いだと確信したのに、また僕の勘違いだったらどうしようかと思ったよ」
え?何ですか。そのセリフ。まるで先輩の方が前から僕のこと好きだったみたいにきこえるじゃないですか。
「舞台の上での坂口の蒼人に恋する貢は、全て演技だよ。リアリティがあるとしたら、全て暖を思い浮かべていたせいだよ。練習につき合ってもらったじゃないか。恋する貢の気持ちを理解するためには、暖相手に練習することが必要だったんだよ」
あの僕のおそろしく下手な読み合わせ練習の時のこと?そういえばなんかいろいろ意味不明なことつぶやいていたけど……僕なんかでなんで練習相手になんかなるんだろうって不思議だったけど。あの頃には先輩は僕のこともう好きだったってこと?
顔が熱い。耳まで熱い。嬉しさと恥ずかしさで、きっと僕の顔はユデダコみたいになっているはずだ。その僕のユデダコ状態で、やっと先輩の言葉を信じたということが伝わったみたいだ。
「暖は鈍い。鈍すぎる。僕が必死にアプローチしているのに、まったく気づかないなんて。初めは分かっていて僕をじらしている確信犯かと疑ったよ。でもそれは違うと分かった。よくも悪くもまっすぐで素直すぎる暖にそんな器用な真似はできやしない。とにかくこの子は恋愛沙汰にうとく鈍いんだと確信したよ」
先輩の言葉に僕は何も反論できない。
「……鈍すぎてごめんなさい」
「いいよ。ちゃんと嫉妬してくれるまでになったんだから」
そう言いながら、頬に瞼に唇に、何度も触れるだけの軽いキスを繰り返してくる。
「嫉妬ついでにもうひとつ聞きたいんですけど」
「え?何」
「先輩、キス慣れてませんか?ためらいなくチュッチュチュッチュどこで誰相手にそんな慣れるほどキスを繰り返してきたんですか」
僕の少し怒った顔を見て「僕のファーストキスは暖にささげたよ?」と言ってくる。
「じゃあなんでキスうまいんですか」
「暖の代わりに、ぬいぐるみで練習していたから」
「え?」
先輩は写真を見せてきた。
「ほら。暖がクレーンゲームでとってくれたパピヨンのぬいぐるみ。初めての暖からのプレゼントだから、毎日抱きしめているんだけど、そうしていると気持ちが高まって暖とのキスを想像しつつぬいぐるみ相手にチュッチュしてしまっていたんだよ。でもそのおかげでキスがうまいと褒められるなんて、練習したかいがあったな」
満足そうな顔をしている。
僕は噴き出しそうになるのをおさえた。なんでこの状態でどや顔をして、そんなこというんだろう。
やっぱり酒々井先輩は残念イケメンだ。それもとびきりかっこよくて可愛い、僕にとって特別な人だ。
「じゃあ今日からぬいぐるみは不要ですね」
僕の言葉の意味がすぐ伝わったようだ。
先輩はもう一度唇を重ねてきた。
今度はぬいぐるみでは練習できないような、さっきまでよりもっと深いキスだった。
「私と涼仁が?」
翌日、坂口先輩に噂の真相を聞いてみると、いきなり笑い出した。
「やめてー。涼仁はいいやつだけど、恋人はありえないわー」
僕の微妙な表情を目にして
「おっと失礼。私の恋人としてはって意味よ?向こうも私のことなんて眼中にないし。相思相愛なら、一途だし相手を大切にするし、よき相手なんじゃないかしらね」
というと含みを持たせた笑みで僕の方を見つめた。
何、何かもうすでにバレている感があるんだけど。
「私がお願いしちゃったんだよね。私たちのことが噂になっても、否定しないでって。涼仁を隠れ蓑に使わせてもらっていたの。私と涼仁が恋仲なんてありえないから」
「そうなんですか……」
駄目だ。当たり障りのない返事をしようと思ったのに、あからさまにホッとしましたって口調になってしまった。やっぱり僕は絶対に演者には向いていない。
「むしろ小鳥遊君の方がありだな。私、素直で可愛げのある人が好みなんだよね」
と坂口先輩は、僕の頬に手を振れた。
その途端「その手をどけろ!」という酒々井先輩の声と、他の誰かの「っああー!」というような声にならない叫びが聞こえる。
酒々井先輩は準備室のドアを開け僕たちに駆け寄ると「暖は僕のだから!勝手に触れるな!」と自分の腕の中に僕を引き寄せる。
「準備室でしばらく待っててっていうから何をするのかと思ったら、暖をおもちゃにするな!しかも小日向先生まで僕と一緒にここに閉じ込めるなんてどういうことだ!」
え?小日向先生?演劇部顧問の?
そこにはもじもじして居心地が悪そうな小日向先生が、僕たちと目を合わせないようにしている。
さっきの声にならない叫び声は小日向先生のものだったのか。でもなんでだ。
「先生。涼仁みたいに言わないんですか?」
上目遣いで近寄ってくる坂口先輩に、警戒した様子で「な、何をだ」と口にしている。
「瑞希は僕のだから!ってそう宣言してくれないんんですか?」
「君と僕は教師と生徒だ。そんなことをいうわけがないだろう」
坂口先輩は大きくため息をついた。
「またその建前かあ。私もう20歳だよ?しかも知り合った時は、教師と生徒じゃないのに」
え?坂口先輩は20歳なの?じゃあ何かの事情で進学が遅れたってこと?横にいる酒々井先輩は驚いていないので、どうやら知っていたらしい。
「……でも今は君は俺の教え子だ」
「まったくお堅いんだから。でも卒業したら、私をりっくんのものにしてくれるよね?」
衝撃の発言に他人事ながら僕は驚いてドキドキしてしまう。
「りっくん……。そうか。先生の下の名前は陸だからりっくん呼びか」
ちょっと先輩。このシーンを目にしてつぶやく感想がそれ?
「そんな君の未来を拘束するようなことはできない……」
先生のセリフに先輩の瞳が悲し気に伏せられる。先生はキッと顔をあげると宣言した。
「だから君が卒業したら、俺が君のものになる!約束する」
坂口先輩の顔が大輪が咲くように輝いた。そのまま先生に抱きつく。
「その言葉が聞けて今は満足!じゃあ今日はおとなしく帰るから送ってちょうだいね」と甘えるように先生を見上げている。
大人っぽい綺麗な人だと思っていたけど、好きな人の前ではこんな可愛い顔を見せるんだな。さっきまではとにかく驚いてばかりだってけど、今は良かったですねと声をかけてあげたい気持ちになっている。
部屋を出て行こうとする時、坂口先輩は唇に指を一本あて「お互いに、ね?」とまた口止めをしていった。
「……坂口先輩が言っていた隠れ蓑ってもしかして先生との関係を隠す為ですか?」
今の状況で答え合わせができたようなものだ。
「ああ。そうだ。でも坂口のアプローチに小日向先生はきっぱり断りをしていたから、隠れ蓑っていうよりは嫉妬心をあおりたかったんじゃないかなあ。立場があるから断っていただけで、先生も坂口を想っていることはバレていたし」
どうやらあの二人は幼なじみだったらしい。病気で休学となり落ちこんでいた時も、小日向先生は常に坂口先輩の支えになっていたそうだ。
「まあ見せつけられても、こちらもカップルだから、まけずにイチャイチャすればいいだけなんだけどな」
酒々井先輩がそう言いながら僕のことを見つめる。
ちょっと待って下さい。またキス攻撃ですか?いや、嫌じゃない。嫌なわけないんだけど、これから部活動に参加するのに、止められなくなっちゃいそうで、それは困る訳で……。
「ねえ」
先輩が僕の横にぴったり寄り添って座る。
「せ、先輩。これから部活だしそういうことは……」
「たーくん?だんちゃん?なんて呼ばれたい?僕はしーくんかすずくんか。どっちの方がよびやすい?せっかく恋人同士になったんだから、二人だけの愛称でお互いを呼び合いたい」
さっきから真剣な顔して考えてたのはそれですか!りっくんにくいついていたのはそういう理由なんですか?
全くもう、こっちがこんなに緊張してたのに、とぶつぶつ文句をいっていると「ねえ。酒々井先輩呼びはなしにしようよ。これからなんて呼んでくれる?」とワクワクした表情をしている。
まったくしょうがないな。
「先輩だし回りの目もあるので、涼仁先輩呼びにします。僕のことは、そのままダンでお願いします」
「了解。じゃ、クラブ活動に行こうか。ダン」
移動の為に立ち上がって僕に、すばやく軽いキスをしてくる。
「ふ、不意打ち禁止です!」
予想していなかったキスに、心が動揺してしまった僕の叫びに、先輩はごめんねと全く反省していないだろう笑顔を返してきた。
「演劇部ってこういう活動もしているんですね。知らなかったです」
高齢者の集まりでの公演。地域の保育園や幼稚園でのお芝居。こういうのは、ボランティア部があるので、そっちの担当かと思っていた。それに、なんていうかわが校のスター俳優、酒々井先輩には特に向いていないように思えたから。
「そんなことないわよ。あいつおばあちゃんっ子だから、高齢女性の扱いには慣れていうの。大人気なんだから。」
さすがイケメン。女性に対しての顔面アピールは、年の差を越えてすごいようだ。
「幼稚園児たちは、いい遊び相手だと思っているみたい。涼仁は精神年齢幼いからねー」
でもね、と坂口部長はニヤッと笑う。
「お年寄りも子どもたちも素直なの。だからこわいよ。つまんないと思ったらその場でおしゃべりするし、おままごと始めちゃう子もいたしね。でも涼仁が登場するとその場で注目を集めるの。あれは本当にすごいよ。今まで舞台を見ようともしなかった人たちが急に真剣に観劇しだすの。なんだろうね。あれ。理屈じゃなくて自然と目が吸い寄せられちゃうの」
ああ。よく分かる。僕も先輩が舞台に出ると空気が変わるのを感じる。
そして目が自然と吸い寄せられる。彼の一挙一動が気になる。
ただ最近困っていることがある。それは舞台だけじゃない。日常生活でも先輩が現れるとひたすら目で追ってしまうのだ。
自分では自覚してなかったから、そのことを坂口部長に指摘された時は「そんなことないですよ」と笑ってんだけど。気づいたらその通りだったので、一人で赤面してしまった。
こうやって他のところで演劇を行うのも意外だったんだけど、それが東京近郊の他の県まできてやるとは思ってもみなかった。
自分が中学まで住んでいた茨城県だ。とは言っても、僕が住んでいたのはこんな東京に近い所じゃない。もっと奥の方だ。
見慣れた風景を目にしたわけじゃないのに、それでもなんとなく懐かしいと思ってしまう。
ノスタルジックな想いに浸っていると「すげー!」と叫ぶ子どもたちの声が聞こえた。
子どもたちがみんな興奮している、その子たちの視線の先には、バック転を連続で繰り返す小柄な姿がある。
ポーズを決めて、高い位置でキックを決めると「かっこいい!」と今までよりもっと大きな歓声があがった。
その人は髪をかき上げると「またねーバイバーイ」と子どもたちに手をふる。
「関本さん・・・・・・!」
僕が思わずよびかけると、すぐ彼女もこちらを向いた。
「小鳥遊君」
関本さんは口をあんぐりと開け、まさに「驚いた」という表情で僕を見つめている。
「まさかこんなところで関本さんと再会するなんて」
「まさかこんなに早く小鳥遊君と再会するなんて」
二人同時に発した言葉が重なる。
その後「あれ?もしかして小鳥遊君の高校、春日丘高校?東京からもう一校ボランティア活動に来ることになっていたとこってそこだよね」と聞かれた。
「うん。転校先で演劇部のある高校を探して受験したんだ。演劇部に入って小道具件大道具の担当だよ」
「そうかあ。続けていてくれたんだね。私との約束、守っていてくれたんだ」嬉しそうに微笑む。
「春日丘高校、私も知っているよ。すっごいイケメンの先輩がいるって有名なとこだよね。女子の注目の的だよ」
「うん。でも僕が演劇部に入ったのは、約束したからだけじゃないよ。僕がこれからも演劇に関わっていたいって思っているからなんだ。関本さんとの思い出も含めて」
関本さんはまた微笑んだ。でもさっきとは違って、なんだかちょっと僕をからかうような雰囲気で。
「私は小鳥遊君の言葉を、友情から出てきたものだと理解できてるけど。誤解しちゃう人もいるよ」そう言うと、少し離れたところにある自動販売機の方に目を向けた。
数台並んだ機械の隙間に隠れようとしているが、長身と長い手足が邪魔になり隠れきれていない。
「涼仁先輩?いったいそんなところで何をやっているんですか」
隠れていたことがバレると、先輩は急に姿勢を正し、顔を上げた。
「やば。顔面偏差半端なく高い。これがもしかしてイケメン先輩?」
「あ、ああ。そうだね」
「へえ。モテそうな人だね。私の好みではないけど」
関口さんのつぶやきが耳に入り、相変わらずストレートな物言いが彼女らしいなと苦笑いしてしまう。
「一年生ですごく芸達者な子が風見学園にいるって聞いたから、敵情視察にね。やはりライバルのことを知り、切磋琢磨することが必要だからね」
涼しげな顔でそれらしい理由を口にする先輩の顔をジッと見る。
「本当にそれだけですか?」
僕と先輩の視線が真正面からぶつかった。そのまま数十秒過ぎると、値を上げたのは先輩の方だった。
「だって情報収集したら、ダンが演劇部に入るきっかけを作った子だっていうし、その上僕が唯一苦手としているアクションも得意だし、どうしたって気になるから、盗み聞きするなんてかっこ悪い行動に走ったってしょうがないじゃないか」
今の自分の行動がかっこ悪いって自覚していたのか。
ふてくされたような表情で頬を赤らめている先輩は、まるで駄々っ子みたいだ。
「・・・・・・面白い」
え?今の誰?関本さんの声だよね。面白いってどういうことかな。
「この美貌からして、クールビューティ系かと思いきや、執着心の強いストーカー気質・・・・・・ギャップが素晴らしい」
ここはかなりひとり言に近いつぶやきだったので、先輩の耳にはとどかなかったようだ。
酒々井先輩は戸惑った表情を浮かべると「面白いって・・・・・・これは褒めてるの?」と僕に聞いてくる。
「えーと、まあ素晴らしいとも言っていたので、そうだと思いますよ」
かなりアバウトな解釈を返すと「ふーん。そうなのか」と納得仕切れてはいないようだったが、とりあえずそのことに触れるのはやめてくれた。
「そうかあ。なんか分かったよ。小鳥遊君に恋する気持ちを教えてくれたのは、このイケメン先輩なんだねえ」
関本さんがいきなりそんなことを言い出すもんだから、僕はあわてふためいた。
「いきなり何を言い出すの。恋する気持ちとか、なんでいきなりそんな言葉がここにでてくるの」
僕のあわてっぷりを冷静に眺めた後、彼女はこう言う。
「否定はしないんだね。僕はこの先輩のことを好きなわけじゃない、とか男同士相手委に何をいってるんだとかは無しなんだ」
指摘されて言葉に詰まってしまった。
だって否定したら嘘になるし、先輩を傷つけることにもなる。
それは嫌だ。
でも照れくさいとか関本さんには正直でいたいとか酒々井先輩は今どう感じているんだろうとか、いろんな思いがごちゃ混ぜになってうまく説明することができない。
「こんなに早く再会するとは思わなかったなあ。これじゃまだ「友だち」に思えるようになっていないよ。まだ「好きだった」気持ち残っちゃってるよ」
そして普段の彼女とは全く違う、切なさそうな表情を見せた。
僕はどんな言葉をかけたらいいんだろう。変に誤解させるようなことは言えない。
だって僕が好きなのは涼仁先輩なのだから。
関本さんはもう一度僕の表情を見ると「なーんてね」とそれまでと全く違う、おどけた態度をとった。
「大丈夫!あきらめついてるよ。私じゃ小鳥遊君にあんな顔させることはできないもん。それより焦った?私の切ない恋する乙女の演技。うますぎたかな?」
「ああ。すごくいい演技だよ。思わず本気かと思ったぐらい」
それを聞くとニカッと笑って「やっぱり私、演技に関しちゃ天才かも」とピースしてきた。
彼女の本心は分からない。でも僕にできるのは彼女の言葉通り、疑うことなく信じている僕という立場でいるしかない。
それが関本さんが望んでいることなのだから。
彼女は天真爛漫な笑顔をみせると
「恋愛では負けちゃったけど、役者としてならどうですかね?」
と涼仁先輩の方を見た。そして先輩の返事を待たずに「いけない。もう集合時間だ」と駆け足で去って行った。
後に残されたのは僕と先輩だけ。二人きりだ。
「・・・・・・珍しいですね。今日は途中で会話に入ってこなかったですね」
「当たり前だろう。彼女なりにダンへの想いにけりをつけようとしているのに、そんな無粋な真似ができるわけがない」
思わず顔を上げると正面から先輩と視線が合う。
「分かっていたんですか」
「ああ。それにダンが僕への気持ちを否定しないでいてくれたから・・・・・・それで少し余裕ができたんだと思う」
先輩の右手が僕の頬に触れる。
「ありがとう」
その言葉を口にした時の先輩の嬉しそうな表情を見たら、僕の気持ちは爆発してしまった。
「そんな。否定しないとかそんなレベルじゃないですから!僕は涼仁先輩が大好きですから!」
先輩は一瞬驚いた顔をした後「うん。知ってる」と微笑んだ。
そして「でも知ってる?きっと僕の方が暖が僕を好きよりもっともっと暖のことが好きだよ」と続けた。
なんという破壊力。腰から力が抜けて倒れそうになるが、そこはしっかり先輩がホールドしてくれて、抱きしめられた状態になる。
「そんなの・・・・・・どっちの好きが上かなんて比べられないじゃないですか」
たぶんみっともないほど赤くなっている顔を見せたくなくて、先輩にしがみついたまま顔をうずめた。
放課後、ボランティア活動で使用した道具の片付けをしていると、坂口先輩が入ってきた。
「あれ?小鳥遊君一人?早いね」
「櫻井と伊東は掃除当番なんですよ。使った道具の状態も確認したかったんで僕だけ早めに来ました」
「えらいなー。小鳥遊君のおかげで、今後の後輩にも使える大道具を残せそうだよ」
そう言いながら、ドサッと何冊もの本とノートを机の上に置いた。題名を見ると、全て演劇の演出に関する本のようだ。
「すごいですね。それ全部読んだんですか」
「うーん。まあね。読めばすぐ実践できるってもんじゃないから、トライアンドエラーを繰り返しながら学んでいるんだけどね」
少し恥ずかしそうに笑う。坂口先輩のこんな表情は珍しい。いつっも毅然とした、自身にあふれた姿ばかり見てきたから。
「小鳥遊君は演出とか興味ないの?」
「舞台のお手伝いをして、役者の皆さんが輝くようお手伝いするのは大好きですが、演出なんてそんな大それたことは・・・・・・」
「そう?その役者の魅力を最大限に引き出したいとか、役者達の魅力を視ている人に伝えたいってのも演出の原動力の一つだけどね」
そう言いながら椅子から立ち上がる。
窓を背にして僕の方をまっすぐ見る。
「たとえば私だったら、小鳥遊君はどう動かしたい?どうしたら私は魅力的?それとも今までにない新しい魅力を引出せる?」
ちょうど夕日が沈むところで、シルエットになった坂口先輩は光を受け本体が分からない何にでも返信できる影のように見える。
「・・・・・・坂口先輩。この本借りてもいいですか?」
「もちろん」
先輩はうなづくと付箋と線引きがたくさんついた本を僕に渡してくれた。
翌日、僕は寝不足で赤い目のまま登校した。
新しくやってみたいことが増えた。この気持ちを涼仁先輩に伝えたくて仕方がない。
先輩に聯絡すると、もう学校に着いているということだったので、二年生の教室へ直行する。
「涼仁先輩。僕、演出もやってみたいです。脚本も興味出てきたし。だってすごいと思いません?坂口先輩なんて日常生活がもう舞台ですよ?ああいう人をよりいっそう魅力的に見せる演出ができたら最高ですよね」
新しい目標ができて、ワクワクしている僕に向かって「ちょ、ちょっと待った」と酒々井先輩が焦っている。
「ダンが一番輝かせたいのは僕じゃないの?他の役者にも同じような気持ち抱くの?」
思わず「は?」というような顔をしそうになった瞬間思い出した・
先輩は「今まで嫉妬とかあまり感じたことはない。容姿も頭脳も運動能力も備えた僕が得られなかった嫉妬。演ずる上での課題だね」と言っていなかったか。
だとしたらこれはチャンスでは?
「そりゃ涼仁先輩は魅力的ですけど……ヒロインとしてなら坂口先輩の方が適任ですし、伊東とか端役でいい味出す部員もいますしね。まだ開いていない才能があれば一緒に伸ばすお手伝いできたらいいですよね」
僕の言葉に先輩は顔色を変えた。
「え?浮気?心変わり?この間お互いの気持ちを確認したばかりなのにひどくない?暖にとって僕が一番輝く星ではないの?」
僕はわざと何も口にせず、にっこり微笑む。
「……笑顔でごまかそうったって駄目だよ。そりゃダンの笑顔は僕に対して破壊的威力を発揮するけどさ」
愁いを秘めた表情でまつ毛を伏せる。
ああ。先輩は悩んでも落ち込んでも絵になるなあ。本心はそんな涼仁先輩に見惚れているのに、わざと冷たい口調でいう。
「やだなあ。。華やかで才能に満ちた凉仁先輩らしくもない、弱気なセリフなんて聞きたくないですね」
その瞬間先輩のプライドに火がついたようだ。
「ふっ。そうだな。僕としたことが、初めて経験する嫉妬というものに振り回されそうになってしまったよ。だが今まで知る由もなかったこの思いを知ったことで演技に生かすことができるよ。僕はずっと君にとって、最高に輝いていつまでも見ていたい一番星として存在しつづけるからね」
今までのただきらびやかだったオーラに暗い闇が忍びこんできている。
しかし闇があれば光はなお一層輝くのだ。
これからもまだいろんな涼仁先輩に出会えそうだ。僕も意地悪だったり、腹黒かったり、知らなかった自分が出てくるからびっくりだ。
僕にとっての輝く一番星はとっくに永久保存版で先輩しかありえないんだけど、今はまだ言わないことにしておこう。
春日丘高校新入生の僕たちは、今日から一週間後に希望するクラブに入部届けをすることになっているからだ。
一週間の間は見学可能。うちは全生徒クラブ必須の学校なので、みんなけっこう真剣に吟味している。
「なあ。小鳥遊はどこ見学に行くの?一緒に回ろうぜ」
席が隣なのでよく話すようになった櫻井隆介から声をかけられる。
「あー。ごめん。僕もう入るところ決めているから。見学とかしなくていいんだ」
僕は提出用の書類に「小鳥遊暖」の自分の名と第一希望「演劇部」のみ記入したものを隆介に見せた。
「もう決めてたんだ。でもこれ、第一希望のみじゃん。第二、第三書いてないよ?」
「演劇部しか入る気ないから!」
「演劇部ってあの有名なイケメンの先輩がいるんだろ?女子の入部希望者が殺到するって聞いてるけど、入れるのかな」
「なら大丈夫!男子枠は空いてるってことだろ?男手は必要だよ」
「ま、そうだよなあ」
そういいながら、僕のことを見つめて少し笑いをこらえている。
言いたいことはだいたい分かる。身長も161cmと小さめで、女顔の僕じゃ女子枠じゃないのとからかいたいのだろう。
「ふっ。見くびらないでよ。こう見えて意外と力はあるし、体力もある。男手に必要とされる重労働には耐えられるから」
僕の答えに「重労働?馬の脚でもやるつもりなのか?」と見当違いの問いを返してくる。
「確実に入部するなら早い方がいいよね。いますぐ入部届け出してくる!」
「え?早すぎじゃないか」
櫻井の声を背にして、とっとと教室を飛び出した。
演劇部は放課後の今なら、多目的ホールで練習しているはずだ。案内書にそう書いてあった。階段を駆け下りて、一気に多目的ホールを目指す。
「演劇部に入部希望です!」
入口に入ると同時に、大きな声で叫ぶ。
まだ人は集まっていないようで、女子が5人ほど中にいるだけだ。
「一年生?他の部も見学しなくていいの?」
きれいな黒髪ロングの女子が声をかけてくれた。上履きのつま先部分が青だから3年生だな。
「演劇部一択です!」
「そっか。そんなに熱意のある子が来てくれて嬉しいな。部員は人数制限があるから、顧問の先生と相談しなくちゃいけないんだけど、男の子だし一番のりだから必ず入れてって頼んでおくね!」
「ありがとうございます!」勢いよくお辞儀する。
「可愛いー」
「少年役はもちろんだけど、女の子の役でもいけそうだよね」
僕を見てうなづきあう女子の先輩たちに、あわてて伝える。
「演劇部入部希望なんですけど、演じるほうじゃなくて裏方希望なんです」
「裏方?」
首をかしげた黒髪美女の先輩に伝える。
「大道具、小道具希望です!中学でも舞台に必要な背景、ドア、小道具、準備するのは全て経験済みです。絵もかけるしDITも得意なんで、必ずお役にたてます」
にっこり笑って伝える。
「え?大道具?その非力そうな腕で?」
怪訝そうな男子の声が聞こえた。本人はつぶやいたつもりのようだが、よく通る低めのイケボなだけに僕の耳にもはっきり届いた。
誰だ。失礼なやつだな。さっき櫻井にも宣言した通り、見かけよりずっと力も体力もあるんだぞ。
ドアの向こうから、ゆっくり足先だけが現れた。上履きの色は緑か。二年生だな。
やっと全身現れた相手を睨みつけると、そこには存在自体がキラキラと音がしそうなとびっきりのイケメンがいた。
説明されなくても分かった。
この人こそ、大勢の女子が演劇部入部を希望する原因だ。
だって180cmを越えるであろう長身。長い手足に高い腰の位置。小顔で8等身のスタイルの良さ。切れ長の目にきれいな鼻筋のやや冷たい美貌ときたら、こんなレベルの人が同じ学校で何人もいるわけがない。
「……噂のイケメン先輩ですね。さすが。すごいです。見とれてしまいました」
素直に衝撃を口にする。
するとその先輩は頬を染め、目を伏せた。
え?まさか照れてる?クールで物事動じなさそうな見た目なのに。しかも褒められるなんて日常茶飯事でしょ?
女子たちは笑い出した。
「やだ。涼仁ったら。女子にちやほやされんのは慣れてんのに、後輩男子から褒められるなんて初めてのシチュエーションだから、照れちゃってんのね」
「う、うるさいな。いくら僕がかっこいいからって、初対面からこんな恥ずかしげもなく褒めるなんてふつうやらないだろ」
かっこいいのは認めるんだ。そりゃそうだよね。このレベルなら自覚してるよね。
「ほんと可愛いわあ。この一年生……あ、まだ名前聞いてなかった。お名前は?私は演劇部部長の坂口瑞希です」
「僕は小鳥遊暖です。小鳥が遊ぶのたかなしに暖かいで暖。よろしくお願いします」
黒髪美女の先輩と自己紹介を交わしていると、こほんと咳払いが聞こえる。イケメン先輩だ。
「あ、失礼しました。先輩のお名前が涼仁さんだってのは分かりましたが、苗字はなんておっしゃるんですか?教えてください」
その言葉を聞くと満足そうに「そうか。フルネームも知りたいか。しかたないな」ともったいをつける。
「僕の名前は酒々井涼仁だ。漢字はこう書く」
スマホを僕の方に向ける。この人、もったいつけて時間かせいでいる間に、自分の名前を入力していたのかな。僕にこうやって見せるために。
「名前もかっこいいですね!ハイレベルのイケメンは名前も凡人とは違うんですね」
僕のストレートな称賛の言葉に、また赤く頬を染めている。でも褒め言葉は好きなようで、機嫌はよさそうだ。
「ありがとう。君はとても素直だね。君ぐらい素直なら、僕が演技指導すればちゃんと演者としてやっていけるだろう。じきじきに指導してあげよう」
「あ、ありがたいんですけど、お断わりします。僕心から大道具とかの裏方を望んでいるんで」
は?というようなちょっと間抜けな顔を酒々井先輩は浮かべた。それでも十分美形ではあるのだけど。
「僕、才能ある人たちが演じている世界を、よりいっそう輝かせるために力を尽くすのが楽しいんです。だから先輩たちが舞台の世界に没頭できるよう、精一杯大道具や小道具を用意してお手伝いします!」
「そ、そうか。裏方がそんなにやりたいのか……」
そう言いながら、なんだか急に元気がなくなった酒々井先輩はちょっと失礼といいながら、部屋を出ていった。
「なんか急に元気なくなったみたいだけど、大丈夫でしょうか」
僕が心配すると、女子5人は
「あー大丈夫大丈夫」
「まさか自分の誘いを断られるなんて、思わなかったんだろうねー」
「涼仁だもんねー」
と笑っている。
「涼仁の印象は?」
坂口先輩の質問に僕は答えた。
「なんか面白い人ですね」
女子たちは「そう!実はあいつカッコいいじゃなくて面白い残念イケメンなのよねー。でも女子の入部希望者が減るといけないから、このことはしばらく黙っててね」と僕に口止めしてきた。
新入部員は25人。入部上限目いっぱいだ。ただ内訳が女子22人、男子3人と比率がめちゃくちゃ偏っていたけど。
「こんなに女子ばっかりだと思わなかった。去年の文化祭を見て、演劇部面白そうだと思って決めたんだけど、やっていけるかなあ」
3人中、唯一演技経験がある伊東太一君が言う。
「演技経験って子どもの頃児童劇団に入っていただけだよ」と謙遜していたけど、そっちの方がすごいって思っちゃうけどな。
いつまでもその他大勢で目立たなかったので、だったら学校のクラブ活動でいいじゃんと自分で見切りをつけたらしい。
「そうだなー。女子多いよなー。いい環境だよなあ」
にやけながら不真面目なセリフを吐くもう一人の男子部員は櫻井だ。
「なんだよ。演劇部希望なんて言ってなかったじゃん」
部活動初日の日、いきなり「一緒に行こうぜ」と声をかけてきたことをいぶかしんでいると「俺も演劇部にしたー」と軽いノリで言ってきた。
「なんか面白そうだったから。去年の文化祭ですごく目立つ男子いたから、たぶんあれが女子の入部目的だよなあ。俺の目当てはその舞台に出てた女子。美人だったんだよ。きれいな黒髪でさあ」
と言っていたので、たぶんその美人は坂口先輩だと思う。
「2人とも去年の舞台が良かったっていってるから、面白かったんだろうなあ。いいなあ。僕も見たかったよ」
「え?見たから入部を決めたんじゃないの?」
二人に驚かれたので説明する。
「僕、父親の転勤で中学3年の12月に東京に引っ越してきたんだよ。文化祭なんてもう終わってるじゃん?自分の偏差値で合格できて演劇部があるとこって条件で、急遽ここを選んで受験したんだよ」
「中3の12月か。そらすげーなあ」
「その時期はつらいよねえ」
二人の言葉に僕は強くうなづく。
「だから同じ中学から来た子たちともあまりつき合いはないんだよ。高校で仕切り直しって感じ」
「そっか。じゃあ少ない男子同士で、結束固めていこうな」
「うん!よろしく」
とりあえず同級生で親しい友人はできそうだ。うん。なかなかいい感じの高校生活のスタートだな。
その日の帰り、さっそく演劇部新入部員3人の結束を高める為、放課後集まることにした。とは言っても、マックで腹ごしらえをした後、適当にカラオケにでも行こうかって感じで、立派な志しがあるようなものではないのだけれど。
マックでは、僕がチーズバーガー、櫻井がビッグマック、伊東君がフィレオフィッシュを注文した。それぞれのバーガーにかぶりついていると、伊東君が僕のことをじっと見ている。
「え?何?僕。なんかしたかな」
「ごめんごめん。小鳥遊君って女の子みたいな見かけだけど、やっばり男子だなー。こういう時は勢いよくかぶりつくんだなーって思って見ちゃってた」
僕はバーガーを吹きそうになった。
「やめてよ。僕は男子なんだから。おしとやかさなんか求めないで欲しい」
僕の言葉に伊東君は声を立てて笑った。
「そうだよね。いや、なんかイメージと違うから、安心しちゃった。こっちの方がつきあいやすそうだ」
「なら良かった。あ、伊東君。僕に君付けはいらないから。呼び捨てでいいよ」
「それなら小鳥遊君も僕に君づけしなくていいよ。今、君呼びだったけど」
「そうか。それじゃ伊東って呼ぶよ」
「おいおい」
僕たち二人のやりとりに櫻井が割って入ってきた。
「小鳥遊。俺のことは了解とらなかったよな。なんかすぐ呼び捨てにしてきたよな」
「うーん。だってなんか櫻井ってそういう感じじゃない?」
伊東もうなづいた。
「なんだよ。俺をもっと丁寧に扱えよ。あ、そうだ。さっきの小鳥遊の女子に間違えられたくないって悩み、髭もじゃにしたら解消するんじゃね?」
そう言ったとたんに、どうやら言った本人の櫻井も、それを聞いた伊東も僕の髭面を想像したらしく、それぞれ口にしていた飲み物を盛大に吹いた。
「似あわねー!」
「自分で言い出しといて、何勝手にダメ出ししてるんだよ!あーあ。早く拭かなきゃ」
大騒ぎしながらテーブルを拭いていると「賑やかだね」と聞き覚えのあるイケボが響いた。
酒々井先輩だ。
「あっ酒々井先輩。こんにちは」
へえ。先輩もこういうところに来るんだ。
「演劇部の脚本と演出の件でね。坂口と打ち合わせしていたところだ」
坂口先輩のこと呼び捨てなんだ。しかも二人きりで打ち合わせか。ずいぶん親しいんだな。まあそりゃ部長と副部長なら、相談することはたくさんあるだろうし、そもそも僕にはそんなの関係ないことだし。
「おい。小鳥遊。ストップ!何俺のポテト勢いよく食ってんだよ」
え?気づくと僕は櫻井のポテトを意識せず機械的に口に運び、残りわずかとさせていた。
「ごめん!僕ちょっと他のこと考えててつい。新しいの買ってくるから!」
「そこまでしなくていいよ」と言う櫻井の声を背にして、僕はレジに向かった。
ポテトのLをトレイにのせて席に戻ると、なぜか酒々井先輩が櫻井たちと一緒に座っている。
「あれ?酒々井先輩。坂口先輩との打ち合わせはどうしたんですか」
「だいたい終わっていたから一緒にこっちに移ろうとしたら、用があるからって帰っていったよ。だから僕だけお邪魔しました」
にっこり笑って。隣の空いている席をポンポンとたたき「早く座りなよ」と催促してきた。
いつの間にか席の並びが変わっている。僕と櫻井が並んで座っていて、空いていたのは伊東の隣だったはずなのに。櫻井は向かい側に移動している。
僕がポテトを櫻井の前に置きながら座ろうとすると、櫻井がこっそり「同席するなら坂口先輩が良かったなあ」と小声でぼやく。
「坂口先輩、打ち合わせが終わったんだから、これ以上涼仁と一緒にいる意味はないって言って帰っちゃったんだよね」という櫻井の言葉には思わず笑ってしまった.
それと同時に、二人はそこまで親しいわけじゃないんだなと考えて、なぜかほっとしたような気分になっていた。
どうやら酒々井先輩は耳も良いようだ。
「ごめんねー。坂口じゃなくて僕で」とにっこり櫻井に微笑みかけている。
「いや。そんな。酒々井先輩と一緒なのは光栄っすよ。校内一のイケメンだし、今も回りの女子達の目は先輩に釘づけだし、今ナンパしたら先輩目的で成功率100パーセントだろうし」
こっそり言ったつもりが聞かれてしまったことに慌てた櫻井が、テンパって意味不明のことを言い出したので、伊東が櫻井の背中を軽く叩いて暴走を止めた。
「そんな恐縮しないでよ。坂口がご希望なら、僕が疑似坂口をやるからさ」
僕たち3人が何のことだか分からずにいると、酒々井先輩は今までより目線を鋭くし、落ち着いた声で「新入部員の皆さん。演劇部を選んでくれてありがとう」と微笑み、その姿はまさしく新入部員への挨拶をした演劇部部長の坂口先輩そのものだった。
「う、うまい」
「似てる。酒々井先輩が坂口先輩に見えてきた。
目線や口調だけではない。手の動かし方、姿勢、表情。何より醸し出す雰囲気が「演劇部部長 坂口先輩」なのだ。
後輩である僕たちから賞賛のまなざしと惜しみない拍手を受けると「そんな。これくらいたいしたことはないよ」といいながらまんざらでもなさそうだ・
「すごいですね。どうやったらそんなに本人そっくりにマネできるんですか」
伊東が食いつき気味に聞くと「その人のその人らしさ・・・・・・核になるところをまずつかむことかな」という答えが返ってきた。
「え?先輩。も少し分かりやすくお願いしまっす」
櫻井が僕たち3人の気持ちを代弁したような質問を投げる。
「よく観察して行動基準や考え方のもとになるその人の核をつかめば、後はこの人だったらどう行動するかとか、どう感じるだろうかとは、予測していなかった部面にも対応できる」
「それ、演技にも応用できますよね」
伊東の言葉に先輩はうなづいた。
・・・・・・すごいな。単純な人だと思っていた酒々井先輩を見る目がなんだか変わりそうだ。
「へえ、じゃあ小鳥遊のマネをするとどうなるんですかね。見てみたいや」櫻井が僕と先輩に交互に目を配る。
「ごめん。僕にはまだ小鳥遊君のマネはできないんだよ」
そして先輩は僕の方へ体をそっと寄せると他の二人に聞こえないぐらいの声量でつぶやいた。
「まず対象をよく知らないとね。小鳥遊君をよく知るためにいろいろお近づきになりたいな」
先輩のこの言葉を聞いてなんだかドキッとした。
でもよく考えると、きっと演技の為に自分とは違う地味男子の僕のことも理解しておけば役作りに幅ができると考えているんだろうってことに気がついた。うん。そうだよな。きっと。むしろそれ以外あり得ない。
「はは。僕ってけっこう単純だから簡単だと思いますけどね」
動揺を隠そうとした言葉は、声がひっくり返ってしまって「どうしたの。大丈夫?」と回りを心配させてしまう結果となった。
その後はなぜか4人でゲームセンターに行くことになった。
櫻井が鞄から下げていたぬいぐるみに気がついた伊東が「これ、ポロフェリの新キャラ?」と指摘したのが発端だ。
ポロフェリは人気ゲームでアニメ化もされ、キャラクター商品も数多く作られている。
「ゲーセンでとった!2回でとれたから、俺ってすごくね?」と櫻井が自慢していたら「そういえば僕は、ゲームセンターって行ったことないなあ」と先輩が発言した。
そのとたん、お調子者の櫻井が「マジッスか?ゲーセン行ったことない高校生っているんすか?じゃあこれから行きましょう!酒々井先輩のゲーセン初体験日で!」と一人で盛り上がってしまい、そのままゲーセン行きが決定したのだ。
一番近くのゲームセンターを目指して移動すると、酒々井先輩はゲーム機の多さと店内の音量に少し驚いたようで「すごいな」と一言つぶやいた。
「先輩。何からやってみます?俺、どれでも教えますよ」
櫻井の言葉は先輩の耳に届いていないようだ。
先輩は一つのクレーンゲームをじっと見つめている。それはいろいろな種類の犬を小さめのぬいぐるみにした景品を扱っているものだった。
「ああ。この景品、よくできてますね。それぞれの特徴よくとらえてあるし、作りもけっこうちゃんとしているし。犬種が豊富だから女子達にも人気あるみたいですよ」
先輩の視線をとらえた伊東が説明したので、僕もガラス内の景品をのぞき込む。
柴犬やトイプードル等のメジャーなもの以外に、セントバーナードや秋田犬。貴族みたいな雰囲気を持つボルゾイのぬいぐるみまである。
「ほんとだ。ゲームセンターではあんまり見ない犬種がたくさんあるね」
伊東に向かっていうと、まだガラス内を見つめていた酒々井先輩が「似ている」と一言口にする。
先輩の視線の先には、耳の大きなパピヨンのぬいぐるみがある。
そして僕の方を振り返ると「小鳥遊君によく似ている」と言った。
その言葉を聞いた櫻井と伊東もガラスケース内を覗きこんできた。
「なんか分かる気がする。目がでっかくて人懐っこそう」
「パピヨンは社交的だし、体が小さくてもとっても元気だから、ぴったりだね」
と納得している。
似ているかなあ。自分じゃよくわからないや。
そういう意味じゃ高級感のあるボルゾイはまさしく酒々井先輩って感じだなと僕は思うんだけど
先輩は小銭をとり出すと、そのゲーム機にお金を投入しようとしている。
「やってみます?俺、得意だから模範演技見せましょうか。そのパピヨンを気にいっているならとりますよ」
「ありがとう。でもこれは自分でとりたいんだ」
酒々井先輩は櫻井の申し出をきっぱりと断った。
「そうっすか。じゃあポイントだけお伝えしますね」
先輩は今度は「ありがとう。頼むよ」と櫻井の申し出を受け取った。
「まず重心の見極めが大切なんですよ。ぬいぐるみなんかだと頭が重いのが多い。あとはどうクレーンの爪にひっかけるかですかね」
隣の違うぬいぐるみのクレーンゲームで、櫻井は実践しながら説明するとあっという間に景品を手に入れてしまった。
「うん。ありがとう。分かったよ。やってみる」
真剣な表情の酒々井先輩に「そこまで真剣に取り組まなくてもいいんじゃないですか」と言いたくなるが、初めてのゲームセンターできっと気分が高揚しているのだろう。
僕は黙って見守ることにする。
「あー!また落ちた!」
「そこじゃないっすよ!ほら、もうちょっと右!あー!」
「・・・・・・櫻井君。悪いけど集中できないから静かにしてもらえないかな」
穏やかな口調と裏腹な眼光鋭い先輩の表情に櫻井は小さくなり、「ごめんなさい」と言った後は口を閉じていた。
ああ、じれったいな。あと少しなのに、先輩はクレーンの動かし方に慣れていないせいで、どうしても目標の位置からややずれた場所で止めてしまう。
20回目の挑戦の時、また微妙に外した位置にクレーンを止めかかる先輩を見て
「あー!もう少し奥です!」
と叫びながら、先輩の右手に僕の右手を重ねて、クレーンを操作させてしまった。
ゴトン。
クレーンはまっすぐ下に降りると、パピヨンの頭をつかみ引き上げた。
途中で落ちそうになり「ああ!」と思わず悲鳴を上げてしまったが、大きな耳にひっかかり、無事出口まで運ばれた。
「やった!先輩、狙っていたパピヨンとれましたよ」
先輩の方に顔を向けると、なぜか先輩は顔を真っ赤にして固まったように動かない。
僕はその時にやっと自分の手を先輩の手の上にのせたままだったことに気がついた。
あわてて手を外して謝る。
「ごめんなさい。よけいなことをしてし
まって。自分でとりたいって言っていたのに僕が台無しにしてしまいましたね。すみません」
櫻井の申し出を断ってまで自分でとると宣言していたのに、最後の大事なところを横から出てきた僕に奪われたら、そりゃあ怒るよね。僕がしょんぼりしていると、先輩の法があわて始めた。
「そんなことはない。小鳥遊君が手を出してくれなければ、僕だけでは無理だった。本当に嬉しい」
よっぽどパピヨンが好きなんだな。喜んでくれて良かった。微笑ましく思っていると
「小鳥遊君に似たパピヨンを、二人の初めての共同作業でとることができたなんてなによりの喜びだよ」
先輩が妙なことを言い出す。
なんですか。先輩。その二人の初めての共同作業ってのは。それは結婚式のケーキ入刀で使われる定番のセリフで今使うものはないですよね?
ドギマギしてしまった僕は、ごまかすために
「続けてやっていいですか?なんかコツがつかめた気がするんで」
と同じゲーム機に小銭を投入した。
僕が狙ったのはボルゾイだ。数多くある犬のぬいぐるみの中で、これだけは一つしか見当たらない。どうせとるなら、レア度が高い奴の方がいい。
集中して狙うと、3回目の挑戦でうまくゲットすることができた。
「やった!これ一つしかなかったし、なんだか先輩っぽくないですか?」
ボルゾイのぬいぐるみを握りしめて先輩の目の前に突きつけると「僕ってこんな感じ?」と聞いてきた。
「高貴な感じがしてカッコいいし、このゲーム機の中で一つしかない他と違うってとこがピッタリじゃないですか」
僕の返事を聞くと「そうか。君の目には僕はそう見えていいるのか」となんだか嬉しそうだ。
ふと気づくと櫻井と伊東は対戦型リズムゲームの方へ移動して、盛り上がっているようだ。
「これ、とってくれてありがとうね。大事にするよ」
「あ、僕も今日の記念にボルゾイ大切にします」
中学の時は二年生から部活に入ったこともあり、特定の親しい先輩はいなかった。
そういう意味では、酒々井先輩が僕のこれまでの人生で一番親しくできそうな先輩ということになり、その先輩が初めてゲーセンデビューした日とあればそれは記念日だよね。そう考えて口にした言葉だったが、なぜか先輩はさっきよりもっと顔を赤くして口を手で押さえている。
「どうしたんですか」
「いや、その、今自分がニマニマしたみっともない顔をしている気がして」
妙なことを気にするなあ
先輩みたいな美形、どんな顔してもカッコいいでしょと思ってしまうけど。
「腹減ったー。サイゼ行こうぜ」
大きな声がした。櫻井たちが帰ってきたようだ。
倉庫の大道具の整理をさせて欲しいと坂口先輩にお願いすると、なぜか案内兼説明係として酒々井先輩が現れた。
「男手少ないからね。去年一年生だった僕も大道具の手伝いはしたんだ」
へえ。花形スターの立場でも地道に下積みしているんだ。感心しながら積み上げられた道具の修理と整理を行っていく。
「口だけかと思っていたから、意外だ」
「何がですか?」
「こう見えて力持ちだし、っていっていただろう?こんなにたくさんある板や大具道具は小鳥遊君の体では無理だと思っていたよ」
僕は肩に木材、背中にハンマーや金槌、のこぎりなどその他もろもろ抱えた状態で「へへ」と得意げに笑う。
「本当は力持ちっていうより、コツがあるんですけどね。もしかしたら先輩より僕の方がたくさん抱えられるかもしれませんね」
酒々井先輩は、少しムッと顔をしたと思ったら、僕の脇の下から手を差し入れた。
「せ、先輩!ちょっと、やめて下さいよ。足が地についていないから、こわいですよ」
「ほら、俺は荷物ごとお前を持ちあげられるから、負けてはいないと思うな」
にっこり微笑む。
これが言いたかったのか。
「分かりました。さすが先輩、美と力の両方を兼ねそろえているんですね。よく分かったから、降ろして下さい」
「……降ろそうと思うのだが、姿勢を変えるとバランスを崩しそうだ」
「えー、どうすんですか!いつまでもこのままじゃいられないですよ」
「とりあえず、両手にもっている荷物は、バッグの中に入っているから、そのまま下に落としても傷はつかないだろう。両手を自由にして、僕の首に手を回せば今より安定するはずだ」
そうか。僕から引っ付けば安定感が増すもんな。
言われた通り、荷物を手放して先輩の首に手を回す。
これで安心……しない。全然できない。先輩の体温とほのかな香り、柔軟剤?香水?よく分からないけどいい匂い。すっごくドキドキする。
先輩はそのまま僕の身体を抱きあげ直すと、膝の下に手を入れて、いわゆるお姫様抱っこで抱きあげ直した。
「あ、降ろして下さいよ。何抱きあげ直してんですか」
「だってはじめっからやりたいのはこっちだし」
極上の笑顔で嬉しそうに返してくる。
その時、こちらに向かってくる足音が聞こえた。
いけない。部長の坂口先輩に、大道具の金額の見積もりのため、打ち合わせを頼んでいたのをすっかり忘れていた。
「早く降ろして下さい。こんなところ見られたら」
その時ドアが大きく開いた。
正面から僕たちの姿を見て、目をまん丸にしている坂口先輩。
そのままお互いに固まっていると、先輩が急に激しく身震いをしている。
「決まった!次の定期発表回の作品。BL要素を取り入れる!私に少年役は可能かな。いや、やってみせる。胸がキュンキュンする作品にしあげるわ!さっそく書きあげなければ」
そのままスカートの裾をひるがえすと、出て行ってしまった。
僕は頭を抱えた。
「最近暖に背後霊が見えるようになった」
昼休みに櫻井がとんでもないことを言い出す。
「やめてくれよ。僕、お化けとか幽霊とか苦手なんだから」
すると伊藤までもが「うん。僕にも見える」と言い出す。
え?何それ。櫻井ならたちの悪い冗談の可能性が高いけど、伊東が言うなら本当に見えるってことだよね。
「悪霊とかにとりつかれてるって?お祓いとか必要かな」
焦っている僕に「大丈夫でしょ」とのんびり伊東が言う。
「どっちかっていうと守護霊?に近いかなー。少なくとも本人はそのつもりだよね」
伊東の言葉に櫻井もうなづく。
なんなんだ。いったい。
「まさか背後霊だの守護霊だのは僕のことではないよね?」
すぐ後ろから声がする。声だけでイケメンを期待させる男、酒々井先輩だ。
「めっそうもない。先輩をそんなものに例えるなんて」
櫻井がお調子者らしく軽いノリで否定している。いや、今までの内容からいって、絶対酒々井先輩のことだろ。
「そうだね。僕のことは暖のナイトとでも理解しておいてもらえればいいかな。いつも近くで見守る頼りになる存在だ」
「……何言ってるんですか。先輩。それより昼休みまでこっち来るなんて、クラスに友だちいないんですか」
「まさか。そんなわけない。僕と一緒にお弁当を食べたい子なんて、ものすごい人数がいる。どこに入っても争いが起きてしまうのが忍びなくてね。暖と一緒に食べようと思ってこちらまでわざわざ出向いたんだ」
「……そうですか。それはどうも」
何をどうかえせばいいか分からないが、貴重な昼休み、妙な発言をして長引かせたらよけい時間を失ってしまう。僕はいいかげんな返事をした。
「それより早く食べないと時間がなくなりますよ」
「うん。では失礼するよ」
隣の空いている席から椅子を一つ借りると、僕たちと一緒に弁当を広げた。
先輩が食事を始めると、思わず目を奪われてしまった。
端の使い方が美しい。
口もとで食べ物が消えていく様が美しい。
食事中の姿勢が美しい。
「……おい。小鳥遊。箸が止まってるぞ。お前こそとっとと食わないと、昼休みが終わっちまうぞ」
櫻井に声をかけられ、自分が先輩を凝視していたことにやっと気づいた。
「あ、ああ。そうだね」
箸を持ち直す。
僕、えんぴつ持ちとか、マナー違反にはなっていないよな。先輩の食事中の所作が美しすぎて、自分が何かやらかしてないかと気になってしまう。ぎこちない動きのまま、ミートボールを口に入れようとしたら、そのままコロコロと床に落としてしまった。
「あー!本日のメインおかずだったのに!」
思わず叫ぶと「こっち向いて」と酒々井先輩に声をかけられる。
そのまま顔を向けると「はい。あーん」と一口ハンバーグを口に入れられた。
先輩?何があーんですか。しかも僕もつられて口をあけてしまったし!
「せ、先輩」
ハンバーグでまだ口をもごもごさせながら、ひと言いわねばと身構える。
「ミートボールは僕のお弁当の中にないからさ。でもミニハンバーグなら限りなく近いじゃない?メイン交代になるよね」
「そ、それはそうですけど」
「おいしい?」
「……とてもおいしいれす」
「そう。良かった」
僕たち二人のやりとりに、櫻井と伊藤は見てはいけないものを見てしまったかのように、気まずそうな雰囲気のまま目を伏せるし、反対に回りの女子は妙に興奮して許可なくスマホで写真を撮りまくるしで、やはり酒々井先輩がからむと穏やかな日常生活というのは、遠ざかってしまうのだった。
それからも酒々井先輩は週3回は必ず僕たちの教室に現れてランチをともにした。
これでも回数を減らしてもらったのだ。
毎日連日で来ていたので「クラスの人とも交流した方がいいですよ」「2年生の教室に酒々井先輩がいないと、みんな寂しがりますよ」と理由をこじつけ、なんとか半分に抑えたのだ。
「部活の後輩との親睦は大事だからな」
ニコニコしながら話す先輩だが、櫻井はボソッと「いや、小鳥遊とだけ親睦深める気じゃね?」とつぶやく。横で穏健派の伊東が慌てているが、先輩は動じない。
まあそんなことを言っても、もともと人の注目を集める人気者で今までずっときた人だから、コミュニケーション能力には長けているようで二人に対する態度もそつがない。しかもこれだけしょっちゅう顔を合わせていれば、お互いに馴染んでくるというものだ。共通の話題もでき、会話も弾むようになってくる。
「そういえば小鳥遊の中学での演劇部入部のいきさつって面白いよな。同級生の女子がきっかけなんて青春って感じでさ」
櫻井が何の気なしにふった話題が酒々井先輩のアンテナに引っかかったようだ。
「なあに。それ?面白そうだね。僕聞いたことがないから教えてよ」
笑顔なのに圧を感じる。サンドイッチを喉に詰まらせた僕を見て「発言やばかった」と櫻井も気づいたようだが、後の祭りだ。片手で「ごめん」と合図を出してくる。
ここで話さなかったらよけい不自然だ。しょうがない。長くなりますけど、と前置きしてから、中学での演劇部入部のきっかけを話し始めた。
もちろん告白された時のシーンは省いたものだったけど。
前にいた茨城の公立中学校では、三年間帰宅部のまま過ごすつもりだった。
絵を描いたり、家で工作したりするのは好きだったのだが、みんなと一緒にやる必要はないと考えていたからだ。
そんな僕が演劇部に入部したのは、二年生になった時、隣の席になった関本朱音さんのせいだ。
「へえ。絵がうまいんだねえ」
美術の時間に、静物画をテーマに皿にもられたリンゴやブドウを描いていたら、いきなり声をかけられた。
覗きこんできた顔が間近にあり、驚いた僕は思わず椅子から落ちそうになってしまった。
「ひどいなあ。そんな化け物が出たみたいに驚かないでよ」
「そうじゃないよ!顔が近い!近すぎる」
「あ、ごめん。私よく言われるんだよね。パーソナルスペースが狭すぎるって。小鳥遊君的にはどれくらい離れれば平気?」
「3メートル」
「何それ!普通にしゃべるにも支障があるわ」
そんな感じで彼女はものおじしない、はきはきした子だった。
「小鳥遊君の絵、いいよね。本物みたい。かぶりつきたくなっちゃう」
そう言いながらブドウをつまみ、リンゴを咀嚼するしぐさをする。シャリシャリ。音が聞こえてきそうだ。
「関本さんこそ、本当に食べてるみたい」
そういうと嬉しそうに「だって私演劇部だから。食べてるふりだって演技だからね」と言う。
「演劇部か。去年文化足で「新版 桃太郎」で桃太郎が極悪非道の略奪者っていうとんでもない劇やっていたんだよな。あれ?関本さん出てた?何の役やっていた?」
「もと暗殺者で桃太郎の育ての親、おじいさんの役だよ!」
「おじいさん?おばあさんじゃなくて?え?あの素早い身のこなしのニヒルなおじいさん、あれを女子の関本さんがやっていたの?」
僕が驚くと、不敵な笑みを彼女は浮かべた。
「そうなのよ。けっこう私だって分からない人多かったんだけどさ。男子は少ないし、あんな重要な役をやれる人は他にはいないってことで、私が引き受けたのさ!」
「すごいねえ。僕本当に分からなかったよ。関本さんってことだけじゃなくて女子だってことも気づかなかったよ。あの劇、面白かった」
「そりゃまあ演劇部だからねえ。別人になるのはお手の物さ」
僕が尊敬の眼差しで見つめていると「そんなストレートに称賛の目で見ないでよ」と少し照れていた。
「私だけじゃないんだから。主役の桃太郎役はもちろん、脚本も演出もみんな自分たちで工夫して頑張っていい舞台を作りあげたんだよ。すごいでしょ」
その後彼女は演劇に興味を持ったきっかけや最近はまっている舞台俳優について熱く語りだし、僕たち二人の筆は止まってしまった。
授業終了のチャイムがなると、美術の先生が「はい。提出して。終わらなかった人ははじめに説明した通り、放課後に居残りして仕上げることー」と主に僕たちの方を向いていい放った。
「げっ。まじか。ほとんど白いわ」
「僕も途中だよ。居残り決定だね」
「そっか。じゃあ続きは放課後ね」
続きというのは絵を描くことだと思いきや、またもや熱く演劇への思いを語られた。
さすがに居残り中なので、絵を描く合間にだったけど。
「僕、集団行動って苦手だから避けてたけど、関本さんの話を聞いているとみんなで作り上げるのもいいみたいだよねえ」
あくまでこれは演劇について熱く語る彼女の思いを肯定しただけだ。単なる相づちのようなものだと思って欲しい。
しかし彼女はそう受けとらなかった。
「そうだよね!いいよね!演劇部へ誘おうと思っていたんだけど、小鳥遊君からその気になってくれたならほんと嬉しいよ!」
と両手を握られブンブン振られた。
「いや、僕演技なんてできないし、人前に立つのはすごい苦手だし」
「うん。知ってる。だから背景なんかどうかな。すっごい絵がうまいし。家でDIYもやるって言ってたよね?そういう人物が今欲しくてたまらないのよ!」
ビジュアル的には演じる方が似合っているとは思うけどさ、とひと言残念そうにつけ加えると「じゃあはい。これ」と何かの用紙を渡してきた。
「なにこれ」
「入部届け。ちょっと考えてみて。あとは小鳥遊君が名前かけばいいだけになっているから」
なんだそれは。入るの確定みたいな扱いじゃないか。
あまりの圧に「じゃあとりあえず……」と受け取ったのが運のつきだった。
「もう書いた?」
「いつ入部するの?」
「待ってるからね」
休み時間ごとに声をかけられ、今まで話したこともなかった僕たちが急によくしゃべることに(とはいっても関本さんが一方的に入部の催促をするだけだったんだけど)「つき合ってんの」「仲良くない?「と勘違いの注目を集めることに耐えられなくなった僕は、3日目の放課後に用紙に自分の名前を記入して渡した。
半ばむりやり入部させられた流れだったが、部員はみんな親切で二年生から入部した僕を快く迎えてくれた。
そしてやはり関本さんはすごかった。他のみんなとはまるで違う。他者を演じているのではなく、そういう人物がただ舞台にいるだけなんだとしか思えなかった。
おじいさん役のように外見を作り替えなくても、髪型もかえずメイクもせず制服のまま演じてもに、そこにいるのは関本朱音ではなく舞台上の登場人物である少女Aでしかありえなかった。
どうすればこの人がいる世界にもっとリアリティを与えられるだろう。
どうすればこの人が、この人の回りの人が、この舞台すべてがもっと素晴らしくなるんだろう。
そうだ。背景の絵を小さなパネルで組み合わせてみよう。使用する小物は、100均で売っていた部品を組み合わせれば客席からは豪華に見えるはず。
僕の中から色々なアイディアが湧いてきた。
今まで感じたことのないワクワクが僕の中を満たしているのを感じた。
「本当に小鳥遊君が入ってくれて良かったよ」
「うんうん。舞台のクォリティ上がったしな」
「ただなー。残念ではあるよなー。せっかく顔がいいのに、演技はなー」
数少ない男子部員とおしゃべりしている最中だった。
最後のセリフは同学年の川口君が口にしたので、関本さんの蹴りが容赦なく入った。
「いってー!何すんだよ!」
「よけいなこと言わないの。小鳥遊君の才能はそっちじゃないんだから」
僕は曖昧に微笑む。
入部の時、形式的にだが演技のテストもあったのだ。僕が演じた後はみんな言葉を失い、微妙な空気が流れた。
「大道具や背景をやりたいんです」
僕の言葉にあからさまにホッとした様子の部長が「じゃあそういうことで」とまとめて、僕は満場一致で演劇部大道具兼背景兼雑用係としての入部が決まったのだった。
「え?転校する?三年生のこんな時期に?」
「そう。父親の転勤でさ。もう少しこっちのことも考えて欲しいよね。高校受験だっていうのにさ。志望校いきなり変更だよ」
苦笑いしながらつげると、なぜか関本さんの顔が真っ青だ。
「もうすぐ卒業だから覚悟はしていたけど、早すぎる。無理。無理無理無理。聞いてないってば」
顔面蒼白のままつぶやく彼女に、本気で「大丈夫……?」と心配になる。
しゃがみこんでいた彼女は勢いよく立ち上がると「全然大丈夫じゃなーい」と大声を出した。
「卒業式までにはって考えていたけど、今伝えないと絶対後悔する!」
僕のことを睨みつけて叫ばれると、なんか恨まれるようなことしたっけ?と焦ってしまう。
「小鳥遊君!」
「はい!」
「私はあなたが好きです!演劇部に誘ったのはあなたの絵がうまかったのもあるけど、一緒に部活動をしたかったからです。ってかバレてたよね?私が君のこと好きでかまっているっての分かっちゃってたよね?」
「いや、ごめん。全然気づかなかった……」
「えーっ!」
日頃の練習で鍛えられた複式呼吸の発声は、一キロ先でも聞こえるんじゃないかと思えるほどだった。
「私、友だちにもバレバレだよってからかわれてたのに。小鳥遊君、わざとスルーしてるのかもって不安だったのに」
「僕、ほんとそっち方面苦手だし分かんないんだよ。関本さんが僕に声かけてくれるのは、誰にでも親切で明るい人だからだと思っていたんだ」
「違うよ!小鳥遊君限定、特別扱いだよ」
「そ、そうなんだ。特別扱い。すごいね」
初めて女子から告白されて、僕も動転していたのでなんて答えたらいいのか分からなかった。
「でいまので分かったよね?私は小鳥遊君が好き。つきあいたい、彼女にして欲しいです」
すごい。なんてストレートなんだ。嘘もごまかしもなく、まっすぐに気持ちを伝えてくれている。そしてそれはすごく関本さんらしい。こんなに真面目に告白してくれるなら、僕も自分の気持ちを誠実に伝えなきゃ。そうでなくちゃ彼女に失礼だ。
「ごめんなさい。つきあうとか本当に分からなくて。関本さんだけじゃなくて他の人にもそんな気持ちは抱いたことはないんだ。好きになってくれて。関本さんに特別扱いしてもらえて、ありがたいとか嬉しいとかは思うんだけど、恋愛関係となると……」
「すぐ好きになってくれなくてもいいよ。お友だちから始めてくれれば」
僕は思わず驚いてしまう。
「え?僕は関本さんとはもう友だちだと思ってるよ?関本さんは僕のことを友だちとは思ってなかったってこと?」
不覚にも涙がこぼれそうになる。そんな僕を見て関本さんは慌てる。
「ちょっとちょっと。泣かないでよ。というより今泣くのは本当は私なんじゃないの?告白して振られたってことでしょ。なんで振った方が泣いちゃうの」
関本さんは大笑いしながら、泣き出した。僕たち二人は、通りかかる人たちから訝し気な目を向けられながら号泣した。
「あー、よく泣いた。やっと落ち着いた」
そう言って上を見上げる彼女に、僕は濡れタオルを渡す。
「冷やした方がいいよ。泣きすぎて目がはれている」
「小鳥遊君もだよ。顔がすごいことになっている」
たくさん水分を出したので、補充するために自分用にウーロン茶、関本さんにはよく飲んでいるところを見かけるミルクティーを自販機でかってくる。
「ほら、駄目だよ。こういうとこ」
なんかダメ出しされたけど、こういうとこってのが分からず首をかしげる。
「だから私の好きな飲み物とか覚えてるところ。私のことよく見てるってことじゃん。そんなの期待しちゃうじゃん」
「そういうものなの?」
「そういうものなの」
うなづきながらも。僕が渡したミルクティーはそのまま受けとった。
「そうかー。でも僕にとって関本さんは大切な人だから、好きだって分かっているならミルクティー渡しちゃうなあ」
「大切な友だち、ってことだよね」
「……ごめん」
「いいよ。許す」
そういうと関本さんは、ミルクティーのプルトップをあげて、勢いよく飲みだした。
飲み終えると口をぐいっと拭い、まっすぐ僕を見つめる。
「その代わり約束して」
「……何を?」
「大道具でも照明でも馬の脚でも何でもいいから、演劇を続けて。私はずっと演劇を続けるから。小鳥遊君も続けてくれれば、どこかできっと会えるから」
そしたらその時は、といったん言葉をくぎり「私も君のこと大切な友だちだと思えるようになっているから」と微笑んだ。
その笑顔はすごく魅力的で、でもそんな彼女に恋することができない自分が情けなくて歯がゆくてしかたなかった。
「じゃあ演劇部に入ったのは、その中学時代の彼女のため?」
「なんかそういうと誤解がありますよ。つきあっていたわけではなく、三人称としてなら彼女ですけど」
酒々井先輩はふーんとあからさまに面白くなさそうな顔をする。
どうして僕はこの人のことを動揺しないクールイケメンだと考えたのかなあ。面白いほど感情が顔にダダ洩れだ。目が離せない。
「元カノじゃないってことは、安心したけど、演劇部に入ったきっかけがその子ってのが面白くない。しかも僕より先に、小鳥遊君が輝かせたいって思った相手ってのがすっごく嫌だ。悔しい。なんで僕の方が先に出会っていなかったんだろう」
真剣な顔をしているので、笑いそうになってしまった。
「すごいなあ。先輩ってば。次の劇が部長の意向でBL要素を含んでいるからって、そこまで真剣に演技しなくったっていいじゃないですか。まるで本当に僕のことを好きみたいじゃないですか」
そう言って僕が笑うと、先輩が耳まで真っ赤になった。
なにこれ。どういう展開?
「ふっ。僕は役者だからね。設定には常に真剣に向き合っているよ。君にそう思ってもらえたのなら、僕の演技力もなかなかのものといえるかもしれないな」
そう言いつつも顔の赤みは隠せないままだ。その時僕に新しい感情が湧いた。
可愛いな。
今まで綺麗とかかっこいいとかばかり思っていた。でもたぶん自分でも赤くなっていることを自覚しているのだろう。動揺を隠そうとしつつ、バレバレ状態になっている酒々井先輩は、なんていうか今までの現実離れした存在とは全然違って、すごく身近な守るべき存在に思えたんだ。 酒々井先輩が僕に守って欲しいわけもないから、完全にこっちの思いこみなんだけど。
「なんだ。なんでそんな笑っているんだ」
戸惑う酒々井先輩に、自分の気持ちをどう説明していいか分からない僕は「なんでもないです」とごまかすしかなかった
「ちょっとセリフ合わせの練習につきあってくれないか?みんな遅れてくるって連絡があって、一時間くらい二人きりなんだ。貴重な時間を有効に使いたい」
さすが酒々井先輩。普段は残念イケメンの面が強いが、演技に関しては真剣だな。
入部した時から主役をずっと張っているだけのことはある。
「でも酒々井先輩。僕相手じゃ練習になりませんよ?」
「なあに。セリフの読み合わせだけだから。そんな気張らなくて大丈夫だよ」
優しく微笑む酒々井先輩を目にすると、そこまで言ってくれるんなら、まあやってみましょうかという気になる。後がどうなるかは責任とれないけど。BL要素があるから、男子である僕相手に練習したいってことかな。
「じゃあ10ページから読み合わせしよう。僕が主人公で親友の蒼人に片思いしている貢役。暖は蒼人のセリフを頼む」
こくんと頷く。声を出して読むだけのことならできるけど。もう当たって砕けろだ。
「蒼人を親友だとごまかしていたけど……本当はずっと好きだったんだ。なあ、俺はお前の恋人になれる可能性はあるのか」
いい声だなあ。深みがあって色気まで感じさせる。ずるいよな。外見だけじゃなくて声までいいのって。
先輩が僕のことを切なげな目で、ずっと見つめている。
いけね。セリフ僕の番だ。
「ドウシタンダ。キュウニ。コイビトニナレルカノウセイッテ、イッタイナンノハナシナンダ」
先輩の目が大きく見開き、僕に向かって伸ばす手が止まった。
ああ。だから言ったのに。あまりに棒読み、感情移入のかけらも感じられない僕のセリフに驚いてしまったんだろう。
「だから言ったのに。僕、セリフに全然感情がこめられないんですよ。だってこれ、僕じゃないじゃんって思っちゃうんです」
ああ、恥ずかしい。やっぱりやめときゃよかった。ここまで下手だなんて、先輩も呆れていることだろう。
「やはり僕は大道具で先輩を支えます!セリフは読み合わせより一人で練習していただいた方が効率がいいし、演技のためですよ」
椅子から立ち上がって去ろうとした僕の肩を、先輩は軽く押さえつけてもう一度座らせた。
「いや、あまりに斬新で驚いただけだ。大丈夫。問題ない。このまま続けよう」
「こんなに下手くそなのに?先輩までつられて下手くそになっちゃいますよ」
「いや。本当に大丈夫。っていうか必要なんだ。暖相手の稽古が。主人公の気持ちを本気で理解するために」
うーん。先輩の役はイケメンでモテるのに、地味で真面目な幼馴染みに恋心を抱いてしまうって設定だからなあ。僕ならその地味で真面目な幼馴染みに置き換えやすいから練習したいってことなのかなあ。僕が何の役に立つのかは分からないけど、舞台に立つ人の手助けをするのが僕の仕事だ。練習にお付き合いしよう。
「ねえ、今日から恋人同士だよ。誓いのキスをしよう」
あれ?酒々井先輩。それ、クライマックスのセリフだから、今読んだとこよりだいぶ後に出てくるセリフじゃないですか?
しっかしこのセリフもすごいよなあ。自分で言っているとこ想像したらふいちゃうけど、先輩の口から漏れると、甘い美酒のような響きの言葉だ。さすがだ。男同士なのに、僕まで酔わされてしまいそうだ。
そんなことを考えていたら、先輩の顔がすぐ目の前に来ている。
近い。近すぎる。しっかし綺麗な顔だなあ。毛穴なんか見あたらないじゃん。いや、ちょっと待て。待て待て待て。
「先輩!役に入れこみすぎです!僕は蒼人ではなく、単なる読み合わせにつき合っている大道具担当の後輩です!」
もうちょっとで唇が触れ合ってしまいそうだったので、失礼ながら手で酒々井先輩の顎を押しやって接触を回避する。でも先輩だって演技熱心なあまり、僕にキスなんてしてしまったら後から後悔するだろうから、これは必要悪だ。
「あ、ああ。驚かせて悪かった……」
僕に顎をつかまれたまま、先輩が答える。
「先輩が演技熱心なのは分かってますけど、気をつけて下さいね!本当の蒼人役の坂口先輩にこんなことしたら、セクハラで訴えられますよ」
僕の言葉に「いや、坂口相手にこんなことはしないし……」と先輩はボソボソ言い訳している。
人の声と足音が聞こえてきた。遅れてくると言っていた坂口先輩たちが到着したようだ。
「もう一時間たったんですねー。僕のせいで先輩あんまり練習できなかったですね。ごめんなさい」
「いや。そんなことはない。役を理解するのにすごくためになった」
先輩はそう言ってくれた。
優しいなあ。僕みたいな棒読みでくの坊相手にそんなことを言ってくれるなんて。
「じゃあ相手役の坂口先輩も来たし、ちゃんと練習はじめて下さい。僕は3幕で使用する道具作りにはげむことにしまーす!」
先輩は何か言いたげだったけど、先輩の貢役に合う部屋のデザインをイメージするのが楽しくなってきた僕は、そのまま大道具準備の部屋に駆け込んでしまった。
「酒々井先輩の演技に引き込まれました!切ない表情がたまらなかったー」
「蒼人のことを本当に思ってるんだなあってのが全身から伝わってきて、キュンキュンしちゃいました」
春の定期公演会を終えた後のアンケートの一部だ。圧倒的に先輩の演技力を褒めたたえるものがダントツだった。
外見の人気で先行していた評判を見事演技派にかえることができたのだ。
「すごいなあ。先輩」僕はほうっと溜息をついた。舞台での先輩を思い出すと胸が熱くなる。
蒼人に向ける情熱を秘めた眼差し。指先まで愛しく思っている気持ちが伝わってくる動き。耳に心地よいのに、心をざわめかせる色気のある声。うっとりすると同時に、胸が痛くなる。
だってその相手は全て蒼人を演じる坂口先輩に向けられたものだ。
すでに生徒の間では噂されている。
「あの二人、舞台の上だけじゃなくて本当に恋人同士だよ。そうでなきゃあんな愛しさ切なさ丸出しの表情なんてできるわけない!」
「えー、ショック。やっぱりそうかなあ。でも美男美女でお似合いだもんね。悔しいけどしかたないか」
今もすれ違った隣のクラスの女子たちが、酒々井先輩と坂口先輩のことを噂している。
お似合い。うん。お似合いだ。二人で並べば、わが校のベストカップルとしか言えないだろう。そして二人の数多のファンが涙で枕を濡らすのだろう。……僕も寝具の西川にいって、新しい枕とカバーを購入してくるべきだろうか……。
いやいや、何を考えているんだ。僕は。なぜ僕が枕を涙で濡らす心配をしなくちゃいけないんだ。
「こんなところにいたのか。演劇部で慰労会をやろうって話が出てる。小鳥遊君ももちろん参加するよね?」
そこまでいうと、急に先輩は僕に駆け寄ってきた。
「どうしたんだ。なぜ泣いているんだ」
酒々井先輩はそういいながら、僕の頬をそっと親指で拭った。
「やだなあ。そんな。泣いたりなんかしてないですよお」
そういったとたんに頬を水滴がポロポロとこぼれ落ちていく。
「あ、あれ?なんで涙なんか……」
先輩はかがんで僕の顔を覗き込むと、ハンカチで涙を拭きながら「何があった?」と心配そうに聞いてくる。
だからなんでそういうことするんですか?
劇の練習相手はもう終わったじゃないですか。なのにどうしてそんな眼差しで僕のことを見るんですか。同じように坂口先輩を見つめていたくせに。
胸が苦しくなってきた。堪えきれずに本気で泣きじゃくり始めた僕を、先輩は優しく抱きしめて、背中を大きな手で撫でてくれる。
「だっだから。先輩のせいだあ」
泣きじゃくるせいでだみ声になりながら僕は先輩を責める。
「せっ先輩が坂口先輩のことあんな風に見るから。舞台であんな顔するから。僕は悲しくて苦しくてどうしだらいいかわがらなくなって……」もはや日本語とは思えないありさまになってきた。僕は自分の一方的な気持ちをぶつける。
「坂口先輩が好ぎならぼぐのことなんてかまわないでぐださい。一人でドキドキして、先輩の言葉ひとつで転と地を行ったり来たりして、ごんなのづらすぎますう」
ここまで言ったところで、先輩は僕を引き離して真正面から顔を見た。
「……今の本当?」
「……やめで下ざいよお。こんな涙と鼻水まみれの顔なんて、先輩に晒したぐない」
顔を隠そうとしたが、両腕を抑えられて阻止された。
そしてそのまま、唇を重ねられた。
「え?」
頭が真っ白になる。酒々井先輩が僕にキスをしている?どういうこと?だってそんなのありえない。
先輩はキスを終えると、わけが分からず硬直したままの僕の頬に優しく触れた。
「やっと両思いだ。嬉しい。すごく、すごく幸せだ」
言葉通り、すごく嬉しそうな顔をしている。
「ずっとこの日を待っていた」
もう一度唇を寄せてきた先輩の動きを阻止する。
「ちょっと待って!何を言っているんですか。酒々井先輩が好きなのは坂口先輩でしょうが。なんで僕相手にキッキスなんかしてくるんですか」
先輩は一瞬「ん?」と言うような顔をしたあと、真面目な顔で「暖のことが好きだから」ともう一度唇を寄せてきた。
いきなり名前で呼ばれた上に「好き」と言われた僕は硬直してしまい、そのまま二度目の先輩のキスを受け入れてしまった。
慣れない行為に息ができず、ウウとくぐもった声が出てしまう。
「大丈夫か」
先輩はやっとキスから解放してくれた。
「だっ大丈夫じゃないです!どういうことですか。僕は二番目ですか?遊びでつきあう相手が欲しいってことですか」
酒々井先輩の想う人が坂口先輩だってのはショックだが、こんな簡単に僕みたいな地味男子にも手を出すような人だったなんて、ショックすぎる。でもきっと先輩にとっては遊びであるはずのキスに、胸が高鳴りこのまま時間が止まればいいのにと願ってしまっていた自分がいたことの方が驚きだった。自分の知らない自分が現れてきて、どうしていいか分からなくなる。
「何か勘違いしていないか?一番も二番もない。僕が好きなのは暖だけだ」
「へ?」
今度は僕の方が間抜けな反応をしてしまう。
「だ、だって坂口先輩に向ける態度は、演技を通りこしていたし、噂に対して二人とも否定しないって聞いたから、絶対酒々井先輩は坂口先輩と恋人同士なんだって信じていて……だから、だから」
「確認したいんだけど、さっき泣いていたのは僕が坂口のこと好きだと思ってショックをうけていたせいだよね?それって僕のこと好きってことだよね?」
ストレートに聞かれた。ごまかすこともできず、小声で「そうです」とうなづく。
先輩は思い切り華やかな笑顔を浮かべた。
「良かった。やっと両想いだと確信したのに、また僕の勘違いだったらどうしようかと思ったよ」
え?何ですか。そのセリフ。まるで先輩の方が前から僕のこと好きだったみたいにきこえるじゃないですか。
「舞台の上での坂口の蒼人に恋する貢は、全て演技だよ。リアリティがあるとしたら、全て暖を思い浮かべていたせいだよ。練習につき合ってもらったじゃないか。恋する貢の気持ちを理解するためには、暖相手に練習することが必要だったんだよ」
あの僕のおそろしく下手な読み合わせ練習の時のこと?そういえばなんかいろいろ意味不明なことつぶやいていたけど……僕なんかでなんで練習相手になんかなるんだろうって不思議だったけど。あの頃には先輩は僕のこともう好きだったってこと?
顔が熱い。耳まで熱い。嬉しさと恥ずかしさで、きっと僕の顔はユデダコみたいになっているはずだ。その僕のユデダコ状態で、やっと先輩の言葉を信じたということが伝わったみたいだ。
「暖は鈍い。鈍すぎる。僕が必死にアプローチしているのに、まったく気づかないなんて。初めは分かっていて僕をじらしている確信犯かと疑ったよ。でもそれは違うと分かった。よくも悪くもまっすぐで素直すぎる暖にそんな器用な真似はできやしない。とにかくこの子は恋愛沙汰にうとく鈍いんだと確信したよ」
先輩の言葉に僕は何も反論できない。
「……鈍すぎてごめんなさい」
「いいよ。ちゃんと嫉妬してくれるまでになったんだから」
そう言いながら、頬に瞼に唇に、何度も触れるだけの軽いキスを繰り返してくる。
「嫉妬ついでにもうひとつ聞きたいんですけど」
「え?何」
「先輩、キス慣れてませんか?ためらいなくチュッチュチュッチュどこで誰相手にそんな慣れるほどキスを繰り返してきたんですか」
僕の少し怒った顔を見て「僕のファーストキスは暖にささげたよ?」と言ってくる。
「じゃあなんでキスうまいんですか」
「暖の代わりに、ぬいぐるみで練習していたから」
「え?」
先輩は写真を見せてきた。
「ほら。暖がクレーンゲームでとってくれたパピヨンのぬいぐるみ。初めての暖からのプレゼントだから、毎日抱きしめているんだけど、そうしていると気持ちが高まって暖とのキスを想像しつつぬいぐるみ相手にチュッチュしてしまっていたんだよ。でもそのおかげでキスがうまいと褒められるなんて、練習したかいがあったな」
満足そうな顔をしている。
僕は噴き出しそうになるのをおさえた。なんでこの状態でどや顔をして、そんなこというんだろう。
やっぱり酒々井先輩は残念イケメンだ。それもとびきりかっこよくて可愛い、僕にとって特別な人だ。
「じゃあ今日からぬいぐるみは不要ですね」
僕の言葉の意味がすぐ伝わったようだ。
先輩はもう一度唇を重ねてきた。
今度はぬいぐるみでは練習できないような、さっきまでよりもっと深いキスだった。
「私と涼仁が?」
翌日、坂口先輩に噂の真相を聞いてみると、いきなり笑い出した。
「やめてー。涼仁はいいやつだけど、恋人はありえないわー」
僕の微妙な表情を目にして
「おっと失礼。私の恋人としてはって意味よ?向こうも私のことなんて眼中にないし。相思相愛なら、一途だし相手を大切にするし、よき相手なんじゃないかしらね」
というと含みを持たせた笑みで僕の方を見つめた。
何、何かもうすでにバレている感があるんだけど。
「私がお願いしちゃったんだよね。私たちのことが噂になっても、否定しないでって。涼仁を隠れ蓑に使わせてもらっていたの。私と涼仁が恋仲なんてありえないから」
「そうなんですか……」
駄目だ。当たり障りのない返事をしようと思ったのに、あからさまにホッとしましたって口調になってしまった。やっぱり僕は絶対に演者には向いていない。
「むしろ小鳥遊君の方がありだな。私、素直で可愛げのある人が好みなんだよね」
と坂口先輩は、僕の頬に手を振れた。
その途端「その手をどけろ!」という酒々井先輩の声と、他の誰かの「っああー!」というような声にならない叫びが聞こえる。
酒々井先輩は準備室のドアを開け僕たちに駆け寄ると「暖は僕のだから!勝手に触れるな!」と自分の腕の中に僕を引き寄せる。
「準備室でしばらく待っててっていうから何をするのかと思ったら、暖をおもちゃにするな!しかも小日向先生まで僕と一緒にここに閉じ込めるなんてどういうことだ!」
え?小日向先生?演劇部顧問の?
そこにはもじもじして居心地が悪そうな小日向先生が、僕たちと目を合わせないようにしている。
さっきの声にならない叫び声は小日向先生のものだったのか。でもなんでだ。
「先生。涼仁みたいに言わないんですか?」
上目遣いで近寄ってくる坂口先輩に、警戒した様子で「な、何をだ」と口にしている。
「瑞希は僕のだから!ってそう宣言してくれないんんですか?」
「君と僕は教師と生徒だ。そんなことをいうわけがないだろう」
坂口先輩は大きくため息をついた。
「またその建前かあ。私もう20歳だよ?しかも知り合った時は、教師と生徒じゃないのに」
え?坂口先輩は20歳なの?じゃあ何かの事情で進学が遅れたってこと?横にいる酒々井先輩は驚いていないので、どうやら知っていたらしい。
「……でも今は君は俺の教え子だ」
「まったくお堅いんだから。でも卒業したら、私をりっくんのものにしてくれるよね?」
衝撃の発言に他人事ながら僕は驚いてドキドキしてしまう。
「りっくん……。そうか。先生の下の名前は陸だからりっくん呼びか」
ちょっと先輩。このシーンを目にしてつぶやく感想がそれ?
「そんな君の未来を拘束するようなことはできない……」
先生のセリフに先輩の瞳が悲し気に伏せられる。先生はキッと顔をあげると宣言した。
「だから君が卒業したら、俺が君のものになる!約束する」
坂口先輩の顔が大輪が咲くように輝いた。そのまま先生に抱きつく。
「その言葉が聞けて今は満足!じゃあ今日はおとなしく帰るから送ってちょうだいね」と甘えるように先生を見上げている。
大人っぽい綺麗な人だと思っていたけど、好きな人の前ではこんな可愛い顔を見せるんだな。さっきまではとにかく驚いてばかりだってけど、今は良かったですねと声をかけてあげたい気持ちになっている。
部屋を出て行こうとする時、坂口先輩は唇に指を一本あて「お互いに、ね?」とまた口止めをしていった。
「……坂口先輩が言っていた隠れ蓑ってもしかして先生との関係を隠す為ですか?」
今の状況で答え合わせができたようなものだ。
「ああ。そうだ。でも坂口のアプローチに小日向先生はきっぱり断りをしていたから、隠れ蓑っていうよりは嫉妬心をあおりたかったんじゃないかなあ。立場があるから断っていただけで、先生も坂口を想っていることはバレていたし」
どうやらあの二人は幼なじみだったらしい。病気で休学となり落ちこんでいた時も、小日向先生は常に坂口先輩の支えになっていたそうだ。
「まあ見せつけられても、こちらもカップルだから、まけずにイチャイチャすればいいだけなんだけどな」
酒々井先輩がそう言いながら僕のことを見つめる。
ちょっと待って下さい。またキス攻撃ですか?いや、嫌じゃない。嫌なわけないんだけど、これから部活動に参加するのに、止められなくなっちゃいそうで、それは困る訳で……。
「ねえ」
先輩が僕の横にぴったり寄り添って座る。
「せ、先輩。これから部活だしそういうことは……」
「たーくん?だんちゃん?なんて呼ばれたい?僕はしーくんかすずくんか。どっちの方がよびやすい?せっかく恋人同士になったんだから、二人だけの愛称でお互いを呼び合いたい」
さっきから真剣な顔して考えてたのはそれですか!りっくんにくいついていたのはそういう理由なんですか?
全くもう、こっちがこんなに緊張してたのに、とぶつぶつ文句をいっていると「ねえ。酒々井先輩呼びはなしにしようよ。これからなんて呼んでくれる?」とワクワクした表情をしている。
まったくしょうがないな。
「先輩だし回りの目もあるので、涼仁先輩呼びにします。僕のことは、そのままダンでお願いします」
「了解。じゃ、クラブ活動に行こうか。ダン」
移動の為に立ち上がって僕に、すばやく軽いキスをしてくる。
「ふ、不意打ち禁止です!」
予想していなかったキスに、心が動揺してしまった僕の叫びに、先輩はごめんねと全く反省していないだろう笑顔を返してきた。
「演劇部ってこういう活動もしているんですね。知らなかったです」
高齢者の集まりでの公演。地域の保育園や幼稚園でのお芝居。こういうのは、ボランティア部があるので、そっちの担当かと思っていた。それに、なんていうかわが校のスター俳優、酒々井先輩には特に向いていないように思えたから。
「そんなことないわよ。あいつおばあちゃんっ子だから、高齢女性の扱いには慣れていうの。大人気なんだから。」
さすがイケメン。女性に対しての顔面アピールは、年の差を越えてすごいようだ。
「幼稚園児たちは、いい遊び相手だと思っているみたい。涼仁は精神年齢幼いからねー」
でもね、と坂口部長はニヤッと笑う。
「お年寄りも子どもたちも素直なの。だからこわいよ。つまんないと思ったらその場でおしゃべりするし、おままごと始めちゃう子もいたしね。でも涼仁が登場するとその場で注目を集めるの。あれは本当にすごいよ。今まで舞台を見ようともしなかった人たちが急に真剣に観劇しだすの。なんだろうね。あれ。理屈じゃなくて自然と目が吸い寄せられちゃうの」
ああ。よく分かる。僕も先輩が舞台に出ると空気が変わるのを感じる。
そして目が自然と吸い寄せられる。彼の一挙一動が気になる。
ただ最近困っていることがある。それは舞台だけじゃない。日常生活でも先輩が現れるとひたすら目で追ってしまうのだ。
自分では自覚してなかったから、そのことを坂口部長に指摘された時は「そんなことないですよ」と笑ってんだけど。気づいたらその通りだったので、一人で赤面してしまった。
こうやって他のところで演劇を行うのも意外だったんだけど、それが東京近郊の他の県まできてやるとは思ってもみなかった。
自分が中学まで住んでいた茨城県だ。とは言っても、僕が住んでいたのはこんな東京に近い所じゃない。もっと奥の方だ。
見慣れた風景を目にしたわけじゃないのに、それでもなんとなく懐かしいと思ってしまう。
ノスタルジックな想いに浸っていると「すげー!」と叫ぶ子どもたちの声が聞こえた。
子どもたちがみんな興奮している、その子たちの視線の先には、バック転を連続で繰り返す小柄な姿がある。
ポーズを決めて、高い位置でキックを決めると「かっこいい!」と今までよりもっと大きな歓声があがった。
その人は髪をかき上げると「またねーバイバーイ」と子どもたちに手をふる。
「関本さん・・・・・・!」
僕が思わずよびかけると、すぐ彼女もこちらを向いた。
「小鳥遊君」
関本さんは口をあんぐりと開け、まさに「驚いた」という表情で僕を見つめている。
「まさかこんなところで関本さんと再会するなんて」
「まさかこんなに早く小鳥遊君と再会するなんて」
二人同時に発した言葉が重なる。
その後「あれ?もしかして小鳥遊君の高校、春日丘高校?東京からもう一校ボランティア活動に来ることになっていたとこってそこだよね」と聞かれた。
「うん。転校先で演劇部のある高校を探して受験したんだ。演劇部に入って小道具件大道具の担当だよ」
「そうかあ。続けていてくれたんだね。私との約束、守っていてくれたんだ」嬉しそうに微笑む。
「春日丘高校、私も知っているよ。すっごいイケメンの先輩がいるって有名なとこだよね。女子の注目の的だよ」
「うん。でも僕が演劇部に入ったのは、約束したからだけじゃないよ。僕がこれからも演劇に関わっていたいって思っているからなんだ。関本さんとの思い出も含めて」
関本さんはまた微笑んだ。でもさっきとは違って、なんだかちょっと僕をからかうような雰囲気で。
「私は小鳥遊君の言葉を、友情から出てきたものだと理解できてるけど。誤解しちゃう人もいるよ」そう言うと、少し離れたところにある自動販売機の方に目を向けた。
数台並んだ機械の隙間に隠れようとしているが、長身と長い手足が邪魔になり隠れきれていない。
「涼仁先輩?いったいそんなところで何をやっているんですか」
隠れていたことがバレると、先輩は急に姿勢を正し、顔を上げた。
「やば。顔面偏差半端なく高い。これがもしかしてイケメン先輩?」
「あ、ああ。そうだね」
「へえ。モテそうな人だね。私の好みではないけど」
関口さんのつぶやきが耳に入り、相変わらずストレートな物言いが彼女らしいなと苦笑いしてしまう。
「一年生ですごく芸達者な子が風見学園にいるって聞いたから、敵情視察にね。やはりライバルのことを知り、切磋琢磨することが必要だからね」
涼しげな顔でそれらしい理由を口にする先輩の顔をジッと見る。
「本当にそれだけですか?」
僕と先輩の視線が真正面からぶつかった。そのまま数十秒過ぎると、値を上げたのは先輩の方だった。
「だって情報収集したら、ダンが演劇部に入るきっかけを作った子だっていうし、その上僕が唯一苦手としているアクションも得意だし、どうしたって気になるから、盗み聞きするなんてかっこ悪い行動に走ったってしょうがないじゃないか」
今の自分の行動がかっこ悪いって自覚していたのか。
ふてくされたような表情で頬を赤らめている先輩は、まるで駄々っ子みたいだ。
「・・・・・・面白い」
え?今の誰?関本さんの声だよね。面白いってどういうことかな。
「この美貌からして、クールビューティ系かと思いきや、執着心の強いストーカー気質・・・・・・ギャップが素晴らしい」
ここはかなりひとり言に近いつぶやきだったので、先輩の耳にはとどかなかったようだ。
酒々井先輩は戸惑った表情を浮かべると「面白いって・・・・・・これは褒めてるの?」と僕に聞いてくる。
「えーと、まあ素晴らしいとも言っていたので、そうだと思いますよ」
かなりアバウトな解釈を返すと「ふーん。そうなのか」と納得仕切れてはいないようだったが、とりあえずそのことに触れるのはやめてくれた。
「そうかあ。なんか分かったよ。小鳥遊君に恋する気持ちを教えてくれたのは、このイケメン先輩なんだねえ」
関本さんがいきなりそんなことを言い出すもんだから、僕はあわてふためいた。
「いきなり何を言い出すの。恋する気持ちとか、なんでいきなりそんな言葉がここにでてくるの」
僕のあわてっぷりを冷静に眺めた後、彼女はこう言う。
「否定はしないんだね。僕はこの先輩のことを好きなわけじゃない、とか男同士相手委に何をいってるんだとかは無しなんだ」
指摘されて言葉に詰まってしまった。
だって否定したら嘘になるし、先輩を傷つけることにもなる。
それは嫌だ。
でも照れくさいとか関本さんには正直でいたいとか酒々井先輩は今どう感じているんだろうとか、いろんな思いがごちゃ混ぜになってうまく説明することができない。
「こんなに早く再会するとは思わなかったなあ。これじゃまだ「友だち」に思えるようになっていないよ。まだ「好きだった」気持ち残っちゃってるよ」
そして普段の彼女とは全く違う、切なさそうな表情を見せた。
僕はどんな言葉をかけたらいいんだろう。変に誤解させるようなことは言えない。
だって僕が好きなのは涼仁先輩なのだから。
関本さんはもう一度僕の表情を見ると「なーんてね」とそれまでと全く違う、おどけた態度をとった。
「大丈夫!あきらめついてるよ。私じゃ小鳥遊君にあんな顔させることはできないもん。それより焦った?私の切ない恋する乙女の演技。うますぎたかな?」
「ああ。すごくいい演技だよ。思わず本気かと思ったぐらい」
それを聞くとニカッと笑って「やっぱり私、演技に関しちゃ天才かも」とピースしてきた。
彼女の本心は分からない。でも僕にできるのは彼女の言葉通り、疑うことなく信じている僕という立場でいるしかない。
それが関本さんが望んでいることなのだから。
彼女は天真爛漫な笑顔をみせると
「恋愛では負けちゃったけど、役者としてならどうですかね?」
と涼仁先輩の方を見た。そして先輩の返事を待たずに「いけない。もう集合時間だ」と駆け足で去って行った。
後に残されたのは僕と先輩だけ。二人きりだ。
「・・・・・・珍しいですね。今日は途中で会話に入ってこなかったですね」
「当たり前だろう。彼女なりにダンへの想いにけりをつけようとしているのに、そんな無粋な真似ができるわけがない」
思わず顔を上げると正面から先輩と視線が合う。
「分かっていたんですか」
「ああ。それにダンが僕への気持ちを否定しないでいてくれたから・・・・・・それで少し余裕ができたんだと思う」
先輩の右手が僕の頬に触れる。
「ありがとう」
その言葉を口にした時の先輩の嬉しそうな表情を見たら、僕の気持ちは爆発してしまった。
「そんな。否定しないとかそんなレベルじゃないですから!僕は涼仁先輩が大好きですから!」
先輩は一瞬驚いた顔をした後「うん。知ってる」と微笑んだ。
そして「でも知ってる?きっと僕の方が暖が僕を好きよりもっともっと暖のことが好きだよ」と続けた。
なんという破壊力。腰から力が抜けて倒れそうになるが、そこはしっかり先輩がホールドしてくれて、抱きしめられた状態になる。
「そんなの・・・・・・どっちの好きが上かなんて比べられないじゃないですか」
たぶんみっともないほど赤くなっている顔を見せたくなくて、先輩にしがみついたまま顔をうずめた。
放課後、ボランティア活動で使用した道具の片付けをしていると、坂口先輩が入ってきた。
「あれ?小鳥遊君一人?早いね」
「櫻井と伊東は掃除当番なんですよ。使った道具の状態も確認したかったんで僕だけ早めに来ました」
「えらいなー。小鳥遊君のおかげで、今後の後輩にも使える大道具を残せそうだよ」
そう言いながら、ドサッと何冊もの本とノートを机の上に置いた。題名を見ると、全て演劇の演出に関する本のようだ。
「すごいですね。それ全部読んだんですか」
「うーん。まあね。読めばすぐ実践できるってもんじゃないから、トライアンドエラーを繰り返しながら学んでいるんだけどね」
少し恥ずかしそうに笑う。坂口先輩のこんな表情は珍しい。いつっも毅然とした、自身にあふれた姿ばかり見てきたから。
「小鳥遊君は演出とか興味ないの?」
「舞台のお手伝いをして、役者の皆さんが輝くようお手伝いするのは大好きですが、演出なんてそんな大それたことは・・・・・・」
「そう?その役者の魅力を最大限に引き出したいとか、役者達の魅力を視ている人に伝えたいってのも演出の原動力の一つだけどね」
そう言いながら椅子から立ち上がる。
窓を背にして僕の方をまっすぐ見る。
「たとえば私だったら、小鳥遊君はどう動かしたい?どうしたら私は魅力的?それとも今までにない新しい魅力を引出せる?」
ちょうど夕日が沈むところで、シルエットになった坂口先輩は光を受け本体が分からない何にでも返信できる影のように見える。
「・・・・・・坂口先輩。この本借りてもいいですか?」
「もちろん」
先輩はうなづくと付箋と線引きがたくさんついた本を僕に渡してくれた。
翌日、僕は寝不足で赤い目のまま登校した。
新しくやってみたいことが増えた。この気持ちを涼仁先輩に伝えたくて仕方がない。
先輩に聯絡すると、もう学校に着いているということだったので、二年生の教室へ直行する。
「涼仁先輩。僕、演出もやってみたいです。脚本も興味出てきたし。だってすごいと思いません?坂口先輩なんて日常生活がもう舞台ですよ?ああいう人をよりいっそう魅力的に見せる演出ができたら最高ですよね」
新しい目標ができて、ワクワクしている僕に向かって「ちょ、ちょっと待った」と酒々井先輩が焦っている。
「ダンが一番輝かせたいのは僕じゃないの?他の役者にも同じような気持ち抱くの?」
思わず「は?」というような顔をしそうになった瞬間思い出した・
先輩は「今まで嫉妬とかあまり感じたことはない。容姿も頭脳も運動能力も備えた僕が得られなかった嫉妬。演ずる上での課題だね」と言っていなかったか。
だとしたらこれはチャンスでは?
「そりゃ涼仁先輩は魅力的ですけど……ヒロインとしてなら坂口先輩の方が適任ですし、伊東とか端役でいい味出す部員もいますしね。まだ開いていない才能があれば一緒に伸ばすお手伝いできたらいいですよね」
僕の言葉に先輩は顔色を変えた。
「え?浮気?心変わり?この間お互いの気持ちを確認したばかりなのにひどくない?暖にとって僕が一番輝く星ではないの?」
僕はわざと何も口にせず、にっこり微笑む。
「……笑顔でごまかそうったって駄目だよ。そりゃダンの笑顔は僕に対して破壊的威力を発揮するけどさ」
愁いを秘めた表情でまつ毛を伏せる。
ああ。先輩は悩んでも落ち込んでも絵になるなあ。本心はそんな涼仁先輩に見惚れているのに、わざと冷たい口調でいう。
「やだなあ。。華やかで才能に満ちた凉仁先輩らしくもない、弱気なセリフなんて聞きたくないですね」
その瞬間先輩のプライドに火がついたようだ。
「ふっ。そうだな。僕としたことが、初めて経験する嫉妬というものに振り回されそうになってしまったよ。だが今まで知る由もなかったこの思いを知ったことで演技に生かすことができるよ。僕はずっと君にとって、最高に輝いていつまでも見ていたい一番星として存在しつづけるからね」
今までのただきらびやかだったオーラに暗い闇が忍びこんできている。
しかし闇があれば光はなお一層輝くのだ。
これからもまだいろんな涼仁先輩に出会えそうだ。僕も意地悪だったり、腹黒かったり、知らなかった自分が出てくるからびっくりだ。
僕にとっての輝く一番星はとっくに永久保存版で先輩しかありえないんだけど、今はまだ言わないことにしておこう。



