塩後輩が、ペアになった途端に甘やかしてきて困る

二日後の土曜日。ダブルス練をしているときだった。
「遠宮! もっと強くプレスかけろ! 遅い!」
「すいませんっ!」
「遠宮、反応遅い! 相手の打つ姿勢を見て球筋を予想しろ! もっと踏み出して一気にネット際寄せろ!」
「はい! すみません!」
 顧問の怒声が、体育館に反響する。
「先輩、もうちょっと早めに反応してネット際寄ってください」
「ごめん……」
(くそっ)
 心の中で、自らに手を振り上げたくなる。
 顧問の先生のみならず塩野にまで言われてしまい、後輩に迷惑をかけている罪悪感で自信が砕け散る。胸がざわざわとして、ラケットを投げ出してしまいそうになるのをこらえる。
「いや、違うんです」
無意識に表情を曇らせていたのか、俺の顔を見て塩野がフォローする。
「俺はちゃんと先輩の後ろフォローしてるんで。俺のこと、もっと信頼して、思い切って前に出てほしいだけです」
 塩野のことを信じられていなかった。
 土曜日練習は一年生と二年生が、憐みの視線を投げてきながら球拾いをしている。
「なんで遠宮さんが塩野さんとペアなんだろうな~」
「塩野さん二回出したいからだろ」
「なら国田さんとか、何なら俺でもいいじゃん」
「馬鹿、声でかいって」
囁かれる悪口に、三年生なのに、調子が上がらない。
「昼休憩入るぞ~。十三時再開な!」という顧問の先生の声がけとともに、部員達は体育館そしてその外へと散っていく。
「大丈夫ですか」
土曜日は売店が休みなので、昼食は部員が持ち寄って休憩時間に食べる。俺ははやくに母を亡くし、父は料理もできないから、今日はコンビニ弁当を買いに行こうと財布を持った瞬間だった。
塩野がつかつかと寄ってきて、急に俺に弁当箱を差し出してきた。
「え、何?」
「お弁当です」
 塩野は当然のように言う。蓋を開けると、とても綺麗な御弁当だった。ご飯に海苔にブロッコリーに唐揚げ、つやつやのプチトマト。レストランの仕出し弁当かと思った。
「え~すげえ、これ誰が作ったん!? 塩野の実家って飯屋なの?」
隣にいた国田が言うと、
「俺が作りました」
と塩野がぼそりと呟く。
「え、どういうこと?」
「俺が朝作りました。遠宮さんのために」
「えっ」
 突然の告白に国田とともに固まる。
「これ、お前が作ったの?」
「そうです」
「すげ~」
 国田はケラケラ笑っている。
「ど、どうしてわざわざ作ってくれたんだよ?」
「だって、遠宮さんはいつもコンビニ弁当ばっかりで、栄養面が心配だったんで。この前左脛怪我したのだって、栄養面が偏ってるからなんですよ。だからこれ食べてください」
「あ、うん。ありがとう」
踵を返して、自分の荷物を置いた場所に戻っていく塩野の背を見て、国田は「最近、なんか遠宮キャラ変してない?」と心配なんだか笑ってるのかよくわからない声で言った。塩野も弁当を食べ始めると、もうこっちを向いてくれなくなった。
 卵焼きを一つ箸でつまみ、口に入れる。甘めの味付けが優しい。
「……うま」
 思わず呟く。嬉しい。お礼とこの気持ちを伝えようと弁当箱から目を上げたが、遠くにいる塩野とは目が合わないままだった。
昼食後の午後練は、ダブルス練習だった。相手は国田と藍沢のペアだ。今日は、塩野の脚を引っ張らないように頑張らないと。
塩野の弁当のおかげか、なぜか午後の俺の調子は良かった。17-20。あと一点取ったら負けてしまう。試合が近いのだから、勝って良い流れを作りたい。――なのに。
「あっ……」
俺が穴をあけてしまった場所にシャトルはゆっくりと落ちていく。まずい、このままではギリギリラインに入ってしまう。咄嗟にラケットを伸ばす。ガットの上でそのとき、勢いあまって脚が勢いよく、ラインの外に投げ出される。
「あっ!」
 短く漏れた息とともに、ぐにゃりと左足首が曲がり、左脛に激痛が走る。それでも軽傷だろうと無理に立ちあがったとき、塩野が「先輩!」と声を上げる。
「でも、練習しないと」
「だめです! 俺が保健室に連れて行きますから」
「えっ、ちょっと、ま、待って」
 制する間もなく、ふわりと体が浮く。膝の裏には、他人の体温の感覚。
「ちょっと、塩野!」
まさか、塩野にお姫様抱っこをされていることに気づくのに時間はかからなかった。
「ちょっと塩野……」
「何ですか?」
「恥ずかしいよ、俺重いし」
「怪我人でしょ。何も気にしないで俺に担がれててください。それに」
「それに?」
 涼しげな塩野の顔が上から覗き込んでくる。
「先輩軽すぎ。明日から俺の弁当、もっと食べてください」そのまま塩野は俺の体重もものともせずにスタスタと廊下を歩き、保健室に辿り着いた。保健室の先生が、「どうしたの?」と訊いてくる。左足を捻挫してしまった、と伝えると、先生は怪我した部分に湿布を貼ってくれた。
「見た感じ、軽傷のようだけど、痛みが出てきたらすぐに病院に行くのよ?」
「ありがとうございます」
 校医の先生は、そのまま外の見回りに行ってしまった。
「捻挫、甘く見たらダメですよ」
ベッドに座らされ、包帯でぐるぐる巻きにされた脚をさすって塩野が言う。
「俺も、捻挫のせいでバドミントン辞めたんで」
「えっ」
 突然の告白に、言葉が詰まる。
「あれ? 言ってませんでしたっけ?」
「うん、言ってないよ」
 そんな重大なことを教えてもらっていたら、忘れているはずがない。
「別に何も特別なことじゃないです。普通に見逃せばいい球も無理して追いかけてしまって、捻挫して、そのまま中二のときにバドミントンの練習を数週間休んだんです」
 怪我自体は、そこまで重いものではなかったらしい。安静にして二週間ほど部活を休んだ。
 問題はその後だったらしい。
「怪我はすぐに治って部に戻れたんですけど、チームメイトの皆は俺のことよく思っていなかった。部活全体に、俺を受け入れる空気感がなかったんです。また俺にレギュラーポジション奪われるのが嫌で、部員全体で結託してたんでしょう。仲良くしてくれた先輩も、同級生も皆俺のことを無視し出したりして、部にいづらい雰囲気になってきました。俺が自主的に部活を辞めるのを望んでたんだと思います」
 そんな、と塩野の告白に胸の中で怒りとも悲しみともつかない感情がぐるぐる回る。
「だからもう、バドミントンは止めました。プロ選手になるつもりもなかったし、別にそこまでバドミントンが大好きだったわけじゃなかったから……。でもまあ、もう部活の付き合いとかは、なんとなくもう嫌なんで」
 だから、塩野はいつも、他人にも愛想が悪いのだ。仲良くなってまた裏切られたり、悪口を言われるかもしれないのが嫌で。……きっとそれは、俺に対しても。
「俺、着替え手伝わなくていいんですか?」
「いいよ、自分で着替えられるから……」
 そこまで迷惑をかけるわけにはいかない。
「じゃあ、校門前で待ってます。荷物持ちますんで、一緒に帰りましょう」
 また塩野が、校門前で待ち構えていた。もう一緒に帰るのがお決まりのコースのようだ。
「歩けます?」
「うん、大丈夫」
 捻挫は本当に軽そうで、歩く分にも痛みはほとんどなかった。
「無理しないで、痛くなったら病院に行ってくださいね」
「うん、そうする」
 無理はしない。心配してくれる塩野のためにも。
「……塩野」
「なんですか?」
「それでも、バド部入ってくれたの、どうして?」
 聞かないでいこうと胸の中にしまっていた質問が、堰を切って溢れだす。きっと、大切な理由がそこにある気がして、どうしても聞きたかった。
「……別に理由はないですけど」
 冷えた声に、心が止まるが、塩野の答えはまだ続いていた。
「まあ、入部見学のときに、後輩にもドリンク回してるところとか、下手なのに練習頑張ってるところとか、その、あとは」
 真剣で、子どもらしさの一ミリもない本気の男の視線が、俺を捉える。
「俺みたいな後輩におちょくられても、いつも笑顔なところですかね」
 その視線が、俺の心臓をこれ以上ないくらいに、震わせる。
「ありがとう、バドミントンまた始めてくれて」
 辛い思いが詰まったバドミントンを、俺とまた一緒に始めてくれた。それが塩野のつらく苦しい記憶にとって、どれだけ大きな決断だっただろう。その相手に俺を選んでくれて――本当にありがとう。感謝の気持ちが胸から溢れてきて、思わず泣きそうになる。
「遠宮さんだから、また始めました」
「うん」
「俺こそ、ありがとうございます」
「夏大会、頑張ろうな」
「はい」
 そう言って、俺のほうから握手をした。塩野は、笑いもせずに、その手を受け取って、握ってくれた。
 温かい。嬉しい。
駅前で色々な人に好奇の視線でさらされたけれど、もうこの手を、離したくない。
 もう俺は気付いていた。
 そしてこの気持ちが、友情ではなくて、好きのすぐそばにある……そんな気持ちなのだと。