塩後輩が、ペアになった途端に甘やかしてきて困る

「先輩、なんであそこでわざわざ無理して前に出てドライブしたんですか? あそこなら普通に前に落とせば一点取れましたよね?」
「……ごめん」
俺は悔しさを噛みしめながら俯いた。
 それに、俺が先輩として一緒にいられる最後の大会なんだから、もっと自分がちゃんとしなければならない。将来の部を背負ってくれるであろう塩野に、何か残してあげなければ。先輩が後輩に残してあげられるものは、記憶だけだ。もうあと三か月で、塩野と一緒に練習ができないんだから。……そんな気持ちで、練習も全力を出しているつもりなのだが、塩野の中の俺評は特に変わってないらしい。
スマッシュ練習の合間、十五分休憩になった。他の部員が座って休憩している中、体育館の隅でダッシュの練習をした。ネット際に短い球が飛んできたときに、一歩踏み出せない。スピードが足りない。今、自分に足りないものを補おう。そんな気持ちで。
休憩時間の終わりが近づき、ストレッチをしていたら塩野の視線を感じる。脚も遅いのがバレるからそんなに見ないでほしいけど。
練習が再開し、俺も一球一球を丁寧に打ち返す。
「きゃああー!」
塩野が美しい弧を描いたスマッシュを決めた瞬間、キャットウォークにびっしり並んだ女の子達から悲鳴が上がる。一年生から三年生まで、塩野の名前を知らない人はいない。以前、芸能とバドミントン関連のスカウトの人もきていた。少女漫画みたいな現象が、バドミントン部の練習中、この体育館ではよく起きる。隣のバスケ部の女子マネージャー達も自分達の仕事の手をとめて、塩野の一挙手一投足を見守っているのだ。
「はあ、今日も塩野はモテんなー。俺に一人くれよ」
 ユニフォームで汗のついた顔をぬぐいながら思わず呟くと、同期の国田が「俺をあげる~」と腕をふにふにつまんでくる。
「お、なんか前より筋肉ついた?」
「うん、まあ、そうかも」
 満更でもない気分で、自分の腕を眺める。
「お前、筋トレ頑張ってたもんなー」
国田は三年もの間一緒にいるとはいえ、いつも距離が近い。
 同級生の国田が休んでいる隣に腰を下ろして、水筒のスポドリを飲もうとした瞬間。影が差して、見上げた先には汗だくの塩野がいた。「お疲れ」という間もなく、
「遠宮さん、キーマカレー焼きそばパン買ってきてください」
さも当然のように言い放って、国田と俺の間に割り込むように身をよじって座る。
「休憩、あと十分しかないですよ?」
「……またかあ、はあ、またこうやって先輩をパシるのかよー」
 とりあえず一度抵抗してみる。
「なんか言いました?」
「いえ、買ってきますー!385円、全力で奢らせてもらいます~!」
 俺は溜息を口の中で転がし、財布の中身を確認する。お金は足りそうだ。
「あ、あと遠宮さんが食べたいものも、何でも一緒に買ってきてもらっていいですよ」
 と付け足す。
「遠宮~。売店までダッシュ練な~」
「うるせー」
国田の茶々に苦笑を返して結局売店に走ると、キーマカレー焼きそばパンはラスト一個だった。体を動かして腹も減ってたので、折角なので国田の分も一緒に二個塩パンを買って体育館に戻る。合計985円。あと練習再開まであと二分だった。国田の隣を陣取っているくせになぜか黙り込んでいた塩野に渡す。
「国田の分も買っといたよ。塩パン」
「お、あんがと~。腹減ってたんだよな、俺も……」
塩パンに手を伸ばしかけたところを塩野に睨まれた国田が「あ~、なんか腹痛いな~。俺トイレ行ってくるわ~。あ~、やべ、膀胱ちぎれるわ~」と言って、塩パンを受け取らずトイレの方に駆けて行った。国田が消えたのを見届け、塩野と二人きりになったところで、
「……国田さんのこと、好きなんですか?」
 不満そうにキーマカレー焼きそばパンと国田用の塩パンをかじりながら塩野がぼそっと呟く。その姿に遠くでは女の子の悲鳴があがった。
「はあ~? なんだよ急に」
「だって、国田さんには頼まれてもないのに塩パンなんて買ってるじゃないですか」
「いや、まあ、あいつ同期で仲良いし」
「俺と、国田さん、どっちが好きですか?」
「は、はあ? どっちも好きも嫌いもないよ」
 寝耳に水だよ。でも、塩野は俺の答えが気に入っていないようで、「結局答えになってないです」と息を吐く。
「そういう優しいところが、嫌なんです」
 国田さんに、何も言わずにパン買ってきちゃうところとか。
 塩野が呟いて、はっとして「何でもないです」と打ち消す。
「むしろ塩野の方が俺のこと嫌ってるだろ?」
「……そんなことないです」
塩野は急に俺の近くに座って、やきそばカレーパンを貪り食い始める。
「うまいっふね、はりがとうほさいます」
美味いっすね、ありがとうございます。――かな。唇にカレーつけて、可愛いよな。なんでこんなに可愛いのに、俺は嫌われてるんだろう。ちょっと悲しい。
「俺、練習するわ」
 まだカレーパンをもぐもぐさせている塩野を置いて、ひとりでロングサーブの練習を始める。俺はロングサーブが苦手だ。すぐに球が浮いて、相手にスマッシュされてしまうのが弱点だ。夏大会では、塩野の脚をひっぱりたくない。
練習に集中していると、「遠宮さん」と声をかけられた。
「遠宮さん、これ」
汗を拭っていると、言いながら、スポドリのペットボトルを差し出してくる。青いラベルにかくかくしたダサいアルファベットで商品名が書かれているだけのデザイン。俺が好きなやつ。大抵のコンビニで売ってなくて、自動販売機でもほとんど取り扱っていない、マイナーなブランドだ。甘くなくて美味しい。安いからだけど。家で箱買いしてもらって、冷凍庫にキンキンに凍らせて部活に持ってきている。
「これさ、お前が買ってきてくれたの?」
「はい」
「……あんがと。あのさ」
「はい」
「これ、どこに売ってた?」
「一階の売店ですけど」
 首にかけたスポーツタオルで口元をぬぐうせいで、表情がよく見えない。あの売店でこのスポドリは売っていない。何百回、何十回もコールドドリンク売り場を確認しているのだから。
「本当はどこで買ったんだ?」
答えを求めて、十センチ高い瞳を見上げる。
「コンビニで買いました」
「どこの?」
「駅前の」
「あそこにも売ってねえやつだけど?」
 塩野は、きゅ、っと唇を結ぶ。
「……ネットで箱買いしました」
「だよなー。そうじゃないとおかしいもん」
 ――それって、わざわざ俺のためにそうしてるんじゃないの?
 胸の中に湧いた疑問を口にする前に、塩野が焦ったように言った。
「でも、遠宮さんのために持ってきたわけじゃなくて、俺が飲みたいんで買ってきただけです。俺もこのドリンクが一番好きなだけなんで、別にわざわざ探して買ってるとかそういうんじゃないので」
「はあ……」
 矢継ぎ早に言葉を重ねられ、相槌のタイミングを失う。
「遠宮さんは練習頑張ってるから、好きなドリンク買ってあげたいとかそういうやつじゃないんで、断じて」
 心の声を言い足す前に、バッと目をそらしてしまう。この状態になると、この視線をこちらに戻すのは至難の業だ。でも、耳たぶは真っ赤に染まっていた。
「そっか、ありがとう」
軽く礼を言って、スポドリのキャップを開ける。スポドリはちょうど良い温度に冷えていた。そのことが、俺の中に一つの確信が生まれる。その瞬間だった。
(なんでだろう)
まるでその耳たぶの熱が移ったかのように、自分の胸まで焼けてちりちりと心地いい痛みが染みていくような感じがした。