塩後輩が、ペアになった途端に甘やかしてきて困る

時間を遡ること4か月前。4月6日の入学式の後、塩野をスカウトしたのは俺だった。
ここは都立立花高等学校バドミントン部。およそ3か月後、8月の夏の関東大会を最後に俺は引退する。地域大会の2-3回戦あたりをうろうろする冴えない成績だったけど、大好きな先輩を見送って、可愛い後輩が入ってきて、毎週練習メニューをこなして、目まぐるしくて楽しい、あっという間の三年間だった。まあ一応、まだ終わってないけど。夏大会で引退する3年生最後から2つ目の仕事が、新入生の勧誘だ。最後は、夏の引退試合で挨拶をすること。
入学式が終わったあと、新入生と部活勧誘でごった返す並木道で、塩野を見つけた。5~6人の女の子に囲まれていた。女の子慣れしてないから気遅れしたけれど、チラシを握りしめて、各部のスカウトマンに取り囲まれていた新入生になんとか声をかけた。
――あ、あの! バドミントンとか、興味ないですか?
第一ボタンまできっちり留めた学ランから伸びる長い脚。唇の横のほくろ。癖のない夜色の髪と、同じ色の静かで美しい瞳がこちらを見下ろしている。その背の高さを見込んで俺が声をかけたくせに、その美に圧倒されて若干気後れする。
――バドミントン、やってましたけど、まあ。
新入生は、胡乱げにそう言った。
――え! バドミントン、やってたことあるの?
――幼稚園のときから、やってました。中二までですけど。
――よ、幼稚園!?
――五輪強化選手候補でした
――えええええ~
 そんなスポーツエリート、なかなかいない。高校からバドミントン初体験の部員も多い中で、経験者が釣れるなんてラッキーすぎる。
――も、もしよかったらさ! ぜひバドミントン部に入ってよ! 良い子達ばっかりで、楽しいよ!……って、あ……
柄に無くはしゃぎすぎてしまって、チラシが勢いよく地面に落ちる。慌てて俺はそれを拾おうとかがむ。
――どんくさいすね。
 新入生も、長い脚を畳みながらチラシを拾うのを手伝ってくれる。
――あ、いや~。ごめんごめん。
かがんでもなお数センチ低い俺の顔を不思議そうに見つめると、新入生は少し口を開いた。
――練習……っすか?
 消え入る声がうまく聞こえない。
――え?
――練習、きついんすか?
 意外な質問だった。今どきの練習タイパ主義世代ってやつか。
――きつくない、きつくない! その練習も週2で、ゆるくやってるから、全然きつくないよ!
――へえ……お兄さんも、バドミントン部なんですか?
――うん! 俺、遠宮洸! 3年生!! よろしくね!
 興味を持ってくれていることが嬉しくてつい声が大きくなる。三年生のクラスメイトに見つかって、「遠宮、騒ぐなよ~」と笑われた。
五月蠅いと思ったのか一年生は迷惑げに目を細める。
――あ、ご、ごめん。声でかくて。いっつもそう怒られるんだよね。で、どう? バド部、入らない?
――入ったら、毎週お兄さんと練習できるってことですか?
――えっ!
 真剣に見つめられると、胸が変な方向に騒ぐ。
 「お兄さんと毎日練習?」――これはなぜかよく分からないけど気に入られているのか? 女の子ならワンチャン少女漫画的な展開があったかもしれないけど、男だけど大丈夫かな。内心どきどきしながらも「できるよ!」と頷く。
――うちの部、弱いから地区大会2~3回戦落ちが関の山なんだけど、次の夏大会は最後だから、絶対優勝したいんだ! だから一緒に頑張ってくれないかな!? 背、高いし!
そう言って、塩野の背中を撫でる。薄く柔らかいけれども芯の通った筋肉。絶対にスポーツに向いている体だ。
――いいですよ。でも条件が一つあります。できるかなー。先輩に。うーん……
――条件?? いいよ、何?
 10センチ高い瞳に近づこうと、背伸びをして、答えを待つ。塩野の顔が、太陽の逆光で影が差して、どんなことを言われるのか待ちかまえていると、心の奥まで射抜いて離さない視線に俺の平凡な目が貫かれる。どんな交換条件を提示されるのだろうと身構えていたら。
――なら、部活中は、俺の言うことを絶対、全部聞いてもらっていいですか?
そんなことか、とほっと安堵する。
そこからの俺は浮かれていたので、「いいよいいよ!」と速攻で返事をした。今考えればもうちょっと考えて返事すればよかったな。背の高いしかも幼稚園からの経験者を入部させることができた。「練習中は俺の言うこと何でも聞け」という謎の条件提示だけ除けば、俺はスカウターとしては最高の仕事をした。普通に可愛い後輩の要望は聞いてあげればいいだけだし、どうせ俺が引退するまで、実質ほぼほぼ三か月しかないし……と余裕をかましていたのだ。
そうして、「部活中は絶対に逆らわない」という謎の逆転上下関係の約束で、塩野は入部してくれたのだった。