蛍が死ぬ。酒を飲む。私は生きる。

 今日は6月30日だった。
 深夜は0時を回る。
 最終列車は、もう間に合わない。
 2026年6月30日。火曜日。
 今日は確か満月だった。
 だが、私の頭の上に輝いているのは、
 切れかけの蛍光灯だ。

 一人。会社の中。
 私が座っている机の列のみ、明かりがついている。
 当然もったいないから、であるが、ならば、
 蛍光灯から、LEDに変えることが先だろう。
 と思う。
 時代はもう、変わっているのだ。
 昔と違い、うちの会社も働き改革とやらで、
 残業をすることなど、ほとんどなくなった。
 今、こうして、私が深夜まで残っているのも、
 もちろん残業などではない。
 これが、私の本業なのだ。

 私の仕事は、端的に言えば、
 社会のため、
 ではなく、
 会社のため、
 働くことである。
 そうして、それは、あくまで。
 私個人が。勝手に。
 他の社員の目が届かないところで。
 やってしまった。
 と、いうことに、なっている。

 もっと、端的に言おう。
 秘書が勝手にやった。
 政治家の方々がよく言うでしょう?
 そういう、仕事。
 労働基準法に違反して、
 建築基準法に違反して、
 けれど、企業はコンプライアンスを遵守したい。
 だから、私が。私一人が。
 深夜0時を過ぎても、仕事をしている。

 蛍光灯を消し、会社のビルから立ち去る。
 このビルが耐震強度偽装とかしていたら、
 明日から来なくてもいいのかな?
 なんて、ありもしないことを考える。
 もう終電の時刻を過ぎ、明かりを落とした駅まで、
 歩く。
 駅には、数台、タクシーがいたけれど、
 私はそれには乗らず、駅から離れる。
 そして、また、歩く。
 途中でコンビニに寄って、カップ酒の300mlと、
 明太マヨネーズ入りのカニカマを買う。
 そして、また、歩く。

 都会の道はもっと明るいのだろうか?
 私の歩く道は、街灯はいまだに蛍光灯で、
 二つに一つは、切れていて、間隔もまばら。
 まあ、うちの会社の仕事なのだが。
 私は、暗い夜道を歩く歩く歩く。
 街灯は、もう、一本もない。
 あるのは、月明かりのみ。
 それでも、歩いていく。
 ふと、足音が軽くなる。
 川のせせらぎが聞こえる。
 いつの間にやら、私は、橋の上。
 橋の真ん中のあたりで、冷たい風が吹いた。
 私は立ち止まり、欄干によりかかる。

 川。は。真っ暗だ。
 ただ、音。だけがする。
 私は鞄から、酒と肴を取り出す。
 体は欄干にもたれさせたまま、
 見えない川の音を眺めて、
 ちびりちびり。
 もし、今の私を誰が見たら、
 はやまるんじゃない。
 なんて、言われるのだろうか?
 こんな川では死ねない。
 底が浅い。流れも遅い。
 橋の高さも高くない。
 死ねない。
 けれど、会社には行かなくても良くなるかもね。
 なんてことを、考えて。
 びびりびびり。
 ちびりちびり。
 カニカマがなくなり。
 していると。
 ちびび。
 ちびび。

 黄緑色の光が一つ。
 せせらぎの中を照る。
 ちびび。
 ちびび。
 ちびび。
 ぼんやりと、川の流れも見えてくる。
 ちびび。
 ちびび。
 ちびび。
 蛍が一匹。飛んでいる。
 蛍が一匹。生きている。
 ちびび。
 ちびび。
 びびび。
 こちらに近づいてきている。
「おーい、こっちの水はー、辛いぞー」
 手に持っている酒の、辛口の字を、
 蛍に見せるようにして、叫んだ。
 びびび。
 びびび。
 びびび。
 それでも、なお、蛍は近づいて、
  びびび。
 カップのガラスにとまった。
  びびび。
  びびび。
 私の手元で、蛍が輝いている。
 蛍は、まだ半分ほど残っている酒を、
 のぞきこむように、手足を動かし、
  びびび。
  びびび。
 煌いて、
 ち。
 酒の中に、落ちた。

 私はカップを覗く。
 酒の上には、満月が映っていて、
 その上で、蛍が、
 ち。び。ち。び。
 と、手足を、しばらく、動かして、
 そして。動かなくなった。

 満月と蛍の浮いた酒を持って、
 私も、しばらく動けなかった。

 この川には、うちの会社の河川工事が入る。
 川底の土砂を取り除き、護岸工事を行う。
 川底は深く、川幅は細く。川の流れは早く。
 入水自殺ができるくらいに。
 蛍が育つことのできないくらいに。
 安全性のためでも、環境のためでもない。
 ただ、会社のためだけに、工事が行われる。
 私が、そう、絵を描いたのだ。

 溺れた蛍に、私は言う。
「お前が死んでも、何も、変わらねえよ」
 そう呟いた後、酒を呷る。
 蛍を奥歯で、噛み締める。
 存外やわらかく。
 スイカの白いところの味がした。
「くそっっったれええぇっっ」
 そう叫んで、ガラス容器を思いっきり、
 川に投げ捨てた。



 家に帰り、シャワーを浴びた。
 時刻は3時を回っている。
 2026年6月30日。火曜日。
 今日は満月。
 今日は火曜日。
 今日は満月。
 今日は火曜日。
 もう、眠らなければいけないのに、
 消えない明かりが、ちらちらとしている。
 ちびび。
 ちびび。
 ちびび。
 私の頭の上に切れかけの蛍光灯が、
 点滅している。
 そいつを頭のソケットから外して、
 叩き折る。
 鋭く尖った、割れたこの切っ先は、
 誰に向ければいい?

 刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す
 刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す
 刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す
 そんな考えと、
 蛍は毒を持っていたことを思い出した。
 満月だけが、部屋をぼんやりと照らす。