「はー、すっきりした。いつもの制服がこんなに楽とは」
大成功に終わった落研の公演後。すっかりお馴染みとなった旧校舎の教室で、着流し姿から制服に着替えた猛琉が呟いた。
「もう何と言うか、圧巻だったよ。あれだけの人数で、しかも中には落語に触れたこともないようなお客もいただろうに、何回も爆笑の渦に巻き込んだんだから」
「当然だろ。何たって、久我山師匠の自慢の弟子だからな」
「……多分、これで落研は存続できると思う。本当にありがとう。楠見がいなかったら、俺は……」
「何だよ。上手くいったんだから、そんな湿っぽいこと言うんじゃねえ」
ついさっきまで舞台上でたくさんの笑顔に囲まれていたはずの男は、今は縁の前で得意そうに笑うばかりだ。その様子を見ていると、胸の奥が無性に熱くなる。
「今まで協力してくれてありがとう。本当に、感謝してもし切れなくて……っ……」
「おい、どうした」
落研の存続が決まったら、これ以上楠見をここに縛りつける理由はなくなる。そう考えた瞬間、涙が溢れて止まらなくなった。舞台上で見事に高座を勤め上げた猛琉の姿を見た時は我慢できたのに。
「俺……俺、いやだ。楠見にもっと落語の面白さを知ってほしいし、他の噺もたくさん教えたいし、もっと楠見の落語を聞きたい。この四ヶ月、本当に楽しかったんだ。でも、楠見には自分の世界があるから、俺が引き留めるのはっ……」
元々、住む世界が違う相手だ。自分のような者がいつまでも彼を縛りつけておくわけにはいかない。
頭ではそう分かっていても、縁は猛琉と離れるのが辛かった。
「待て。待て、おい。お前、先月俺が言ったこと忘れたのか?」
猛琉が珍しく困った顔をしながら、縁の肩を掴んでくる。
「順番があるって言っただろ。今、言うから」
「っ……」
縁は不安になって視線を床に落とす。やはり、彼は自分を置いてここから立ち去るつもりなのだ。そうだ、そうに決まっている。
「……俺が一番笑わせたいのは、お前だよ」
だが、降ってきたのは思いもよらない言葉だった。驚いて顔を上げると、端正な顔がすぐ目の前にある。
ふと、いつかの時のように両肩を強く掴まれて、逃げられない状況にされていることに気がついた。
「あの時言えなかったことの続きな、お前さえ良かったら俺、ずっとお前の傍にいたくて」
「楠見、それって」
「師匠と弟子ってだけじゃなくて、その……こ、恋人として、って意味なんだけど」
縁は目を瞬く。猛琉が何を言っているのかすぐに理解できず、反応が遅れた。
「こい、びと?」
「だから! お前が好きだって言ってんだよ!」
痺れを切らしたらしい猛琉が、その綺麗な顔を真っ赤にしながら言い放つ。
「で、でも。俺、楠見と釣り合うような人間じゃ……」
「そんな話今してねえだろ! 俺のこと好きか? 付き合ってくれるか? 聞きたいのはそれだけだ!」
真剣な表情で詰め寄られ、縁はたじろぐ。
「なあ、どうなんだ」
「俺、は……その……」
「俺はお前とずっと一緒にいたい。落語の稽古も、それ以外のことも、もっと一緒にやっていきたいし、お前の色んなことを知りたいと思ってる」
切実な声で訴えてくる猛琉に、縁は彼の赤い髪と黒い宝石のような瞳を見つめながら、その言葉の一つ一つを反芻した。
そしてようやく、これが夢でも幻でもないことを理解する。大金を拾う夢を見たと思ったらそれが現実だった『芝浜』のように、今の自分は夢のような現実を目の当たりにしている。
「俺で、いいのか?」
「お前がいいんだよ、俺は」
縋るような眼差しに、縁は覚悟を決めた。



