「じゃ、俺たち行くわ。タケルも七時までには合流しろよ」
「おけ、後で行く」
「文化祭、楽しみにしてるね! 久我山師匠、タケちゃんのこと、よろしくお願いします!」
「あ、は、はい! こちらこそ」
嵐のようにやって来て、やはり嵐のように立ち去っていった一団の足音が、廊下の向こうへ遠ざかる。瞬く間に旧校舎の教室はいつも通り静かになった。
いつの間にかツクツクボウシの声も鳴りを潜め、秋の虫の声が少しずつ大きくなってきている。
「……楠見、あの」
「いいって、もう。何も言うな」
「いや、それじゃ俺の気が済まない」
縁は猛琉の手を取り、はっきりと口に出して言う。
「ありがとう。俺の大事なものを、同じように大切に扱ってくれて」
本当に嬉しくて、心からの笑顔が溢れた。正面から目が合った猛琉はしばらく放心したようにぼうっとしていたが、はっと気がついたかと思うと慌てて首を振る。
「別に。俺がやりたくてやったことだから」
「楠見」
「何だよ、もう。何回も呼ぶな」
「さっき、言いかけてたことなんだけど」
縁が切り出すと、猛琉はぴたりと押し黙る。形の良い唇が何かを言おうとして、止まった。
「お前さえ良かったら俺、って、その続き」
「……覚えてたのかよ」
「覚えてるよ。忘れるわけない」
不思議な沈黙が流れる。日の入りの早くなった夕陽が沈み、名残りの光だけが教室を照らしている。マジックアワー、と呼ぶのだったか。
猛琉はふいと横を向き、低い声で続けた。
「やっぱり、それについては文化祭が終わったら言う。ちゃんと伝えるから、それまで待ってくれ」
「何で今じゃ駄目なんだ?」
「順番があんだよ、俺の中に」
縁にはやはり意味が分からなかった。しかしその声には、初めてこの旧校舎で彼の落語を聞いた時と同じ種類の、有無を言わせない確かさがある。
「……分かった」
短く答えて了承の意を示す。彼が言うのだから信じようという気持ちだけが、縁の中にあった。
「本番までもう一ヶ月切ってるな」
「そうだな」
「稽古しよう、楠見」
「言われなくても最初からそのつもりだよ、師匠」
可愛げのない言い方をしながらも、猛琉は座布団の上に戻って正座をする。背筋がすうっと伸びて、いつもの涼やかな目が前を向く。
薄暗くなり始めた旧校舎の教室に、低く澄んだ声が響き始めた。



