廃部寸前の落研部員、天賦の才を持つ一軍男子にあふ事


「……便所の脇にな、ホウキが立てかけてあんだろ。それで水履いて、一服でもしてりゃあ乾くから」
「楠見!」
「うおあ!?」

 座布団の上に正座する猛琉に、縁は飛びつくようにして駆け寄る。完全に稽古に没頭していたらしい彼の体が、大袈裟なまでに飛び上がった。
 正面に陣取り土下座する勢いで頭を下げると、猛琉はますます困惑した様子で縁を見る。

「ごめん! 本当にごめん! 俺、楠見が落研での活動を嫌々手伝ってくれてるものだと思ってて、それなのに短い稽古で俺をあっという間に追い越していって、それで」
「ちょ、ちょっと待て。急に何? 何のことだ?」

 要領を得ない縁の言葉に、猛琉は目を白黒させる。

「だから、その……夏休みの終わり頃に俺、楠見にすごく嫌なことを言ってしまったんじゃないかって。楠見の才能に嫉妬するのも、俺の落語じゃ到底敵わないのも、全部俺自身の問題だ。それなのに、お前にやつあたりするような態度で」
「……ああ、あれか。別に気にしてない」
「気にしてないわけないだろ! あの時、あんなに傷ついた顔してたのに!」

 縁の言葉に、猛琉は「あー……」と決まりが悪そうに苦笑いを雫す。

「いや、本当に気にしてないって。確かにあの瞬間は正直かなりイラッとしたけど、もういいんだ。お前にどう思われても、俺がやりたいことはもう決まってるし」
「楠見が、やりたいこと?」
「俺な、落研部員として文化祭に出るよ。そんで百五十人でも二百人でも笑わせて、落研を……お前の居場所を守る」

 はっきりと、しかしどこか照れくさそうな猛琉の宣言に、縁は一瞬呼吸をすることすら忘れてしまった。

「久我山もよく知ってるだろうけどさ、俺って本当にバカなんだよ。勉強なんて大嫌いだし、努力なんて極力したくねえし、適当に流されながらでも楽に生きていけたらそれでいいって、ずっと思ってたんだ」

 夏と秋の狭間のような日和の教室内で、猛琉はぽつぽつと語り出す。

「家族含めて、周りの奴にも俺はそういう人間だって思われてた。バカで、努力が嫌いで、毎日遊び呆けていて……何か、こうして言ってみると道具屋の与太郎みたいだな」
「何、言ってるんだよ。与太郎なわけないだろ、こんな天才が……」
「そう、それ。俺のことをそんな風に言ってくれて、期待して、信じてくれて……そんな奴は、今までの人生でお前だけ」

 形の良い瞳が真っ直ぐに縁を見つめる。強い意志と、明確な才を感じさせる眼差し。大海原のように凪いだその目線は、縁の脳に灼きつくようで。

「上手く言えねえけど、俺、お前が期待する俺になりたいんだ。俺なんかを信じてくれるお前に、何か返したい。……だからさ、お前も責任取ってくれよ」
「責任、って」
「俺をこんな風にした責任。こんな場所まで連れてきて、今まで感じたことのない気持ちを覚えさせた責任。中途半端なところで、俺のこと放り出してみろ。死神みたいに毎晩枕元に立ってやる」
「勘弁してくれ」

 ようやく縁の表情に笑みが浮かぶと、猛琉も安心したように相好を崩した。しばらく笑い合った後、端正だが年相応にあどけないその笑顔が、不意に真剣な色を帯びる。

「あのさ、今のうちに言っておくけど」
「何だよ、改まって」
「俺のこと、拾ってくれてありがとう。お前が見つけてくれたから、俺はここにいられる。……だから、その、お前さえ良かったら俺」
「タケル-! ここにいやがったのかー!」

 突然、無遠慮な大声が室内に響いた。二人揃って声がした方向を振り返ると、バタバタとやかましい足音を立てながら、猛琉と普段仲が良いらしい男女のグループが入ってくる。

「お前、あんだけ連絡したのに全然既読つかねえんだからよ。こっちはメンツ足りなくて大変だってのに」
「タケちゃん、数学はダメだけど点数計算は早いもんねー。あれ? てかそっちの子、何か見たことある」
「例の落研の師匠だろ。いつもウチのバカ息子が世話んなってます」

 仲が良い集団の見た目のレベルは均等になりやすいとは聞くが、それにしてもなかなかの美男美女の集まりである。
 突然現れた別世界の住人たちに縁が居心地の悪さを感じていると、不意に女子の一人が猛琉に向かってスマホの画面をかざしてみせた。

「そういえばタケちゃんに一個聞きたくてさ。この前送ってきたこのチラシの画像、あたしもうバ先のみんなに配っちゃったんだけど、問題なかった?」
「チラシ?」

 縁は思わず聞き返す。猛琉はその問いにすぐには答えず、「おう、サンキュ」と彼女に向かって笑いかけた。

「俺もこないだ雀荘のおっちゃんたちに会ったから、声かけといた。五、六人ぐらいかな? あのタケ坊が落語やんのかって驚いてたぞ」
「俺は別の高校のツレに。元々向こうのグループ全員でウチの文化祭に来る予定って言ってたから、十人前後は顔出してくれるんじゃねえかな」
「タケちゃんがもうほんっとうにしつこくお願いしてくるから、みんなで手伝ったんだよね」

 次々と飛んでくる言葉に、縁は思考の処理が追いつかなくなってくる。矢継ぎ早に得られた情報を何とか咀嚼しながら、猛琉の方に再び視線を向けた。彼は悪戯が見つかった幼い子どものように、少々バツの悪そうな表情をしながらプイと視線を逸らす。

「楠見」
「んだよ」
「これ、いつからやってたんだ」
「……夏休みの終わりぐらいから? 知らね」

 夏休みの終わり。つまり、縁が言ってはならない一線を超えてしまったあの日から、彼はこんな宣伝を続けていたというのか。

「タケルがさ、毎日のように落研の話するんだよ」

 茶髪の男子生徒が、笑いを含んだ声で言う。

「扇子の使い方とか、上手(かみて)下手(しもて)の違いとか、それはもう自慢気に教えてくれんの。最初は俺らもふーんって感じだったんだけど、何か聞いてる内にちょっと面白そうだなって思って」
「タケちゃんがあんなに熱く語るの、初めて見たもん。一応ウチら中学の頃から知ってるけど、タケちゃん昔っから何やっても続かなかったからさ」
「うるせえな」

 友人たちの言葉に、猛琉はむすっとした顔で反論する。だがその耳の先がうっすら赤く染まっているのを、縁は見逃さなかった。

「……ちなみに、みんなが声かけてくれた人を合わせると、何人ぐらいになりそうな感じですか?」

 意を決して尋ねると、彼らは互いの顔を見合わせてから指を折り始める。

「あたしのバイト先の知り合いが七、八人で、そのうち確実に来れそうな人が五人ぐらいかな」
「俺のとこは十一か二か、それぐらい」
「ウチは友達の彼氏のグループにも回したから、十五人ぐらいには情報行ってると思う」
「俺、姉貴のサークル仲間にすっごい落語好きがいてさ。その人が今めちゃくちゃ興味持ってくれてんの。あのチラシ見せたらすぐ食いついてきて、かなり情報回してくれてるみたいだから……二十人は余裕かも」

 みるみる内に数字が積み上がっていく。猛琉の友人グループによる情報だけでも、ざっと見積もって五十人前後。そこへ縁自身がSNS等で行っている発信や顧問の平岡が宣伝してくれている分を足せば。

「百五十、いけるんじゃないか?」

 思わず呟くと、猛琉がこちらを見てふっと笑った。どこか得意気なその笑みに触発されてか、女子生徒二人がニヤニヤしながら言う。

「アンタ、二組の漆原君に頼みに行ってたもんね。文化祭の宣伝用チラシ作りたいから、画像編集アプリの使い方教えてくれって」
「あの子、そういうの詳しいもんね。でもタケちゃんとは普段全然話したことないから、そんなお願いされるなんてってちょっとびっくりしてたよ」
「おいこら、それバラすんじゃねえよ!」

 猛琉が動揺した様子の声で友人たちを制止する。
 彼は己の持つ交友関係をフルに使い、落研存続に必要な条件を達成させようとしてくれている。宣伝に効果的なチラシの作り方を人に習ってまで、この部活のために。
 縁のために。