九月。二学期の始業式も終わり、いよいよ十月の文化祭に向けて何かと準備が始まる時期。
結局、あれから猛琉とまともに顔を合わせていない。あの会話以来、彼は旧校舎での稽古にも無論現れず、縁は前と同じく一人で活動する日々だ。
やはり文化祭は縁自身が舞台に立つことになりそうだ。そうなると、百五十人という人数は到底集められない。落研の廃部は避けようがないのか。
先の会話を思い出せば、縁が自分で撒いた種ではあるのだろう。しかし猛琉が何故あんな表情をしたのか、縁には本当に分からない。あんなにも落語が上手くて、目の前にいる客を死ぬほど笑わせる力があって、それを純粋に褒めただけだというのに。
「なあ、久我山ってヤツいる?」
そんなことをぐるぐると考えつつ、旧校舎へ向かおうとしていた放課後。隣のクラスの男子生徒が、縁を探して教室に入ってきた。
少々毛先の傷んだ明るい茶髪に着崩した制服と、猛琉に負けず劣らずのいかにもなタイプ。関わりがない上にクラスも違うため名前は思い出せないが、そういえば彼と一緒につるんでいるところを何回か見かけたような気がする。
稽古に行くために今にも教室を出ようとしていた縁は、その男子生徒の呼びかけに答えざるを得なかった。
「ええと、俺だけど」
「あ、ちょうど良かった。タケルどこにいるか知らね?」
「え? いや、知らないけど……何で俺に?」
不意に投げかけられた質問に戸惑いながらも答える。茶髪の彼は頭を掻きながら、面倒くさそうに応じた。
「いや、アイツこの頃部活入ったってやけに楽しそうでさ。俺らと遊んでる時にもその部活の話ばっかりしてるんだよ。他の部員は同じクラスの久我山しかいなくて、しかも師匠って呼んでるとかで」
「楠見が、そんな話を?」
「そうそう。今日はツレと一緒に麻雀やろうぜって言ってたのに、アイツ授業終わったらすぐどっか行きやがってさー。メンツが足りんくて困ってんの。久我山、タケルと仲いいんだろ? 同じクラスだし、マジでどこ行ったか知らね?」
「……いや、俺も知らない。ごめん」
「そっかー、こっちこそごめんな」
茶髪の彼は軽く手を振ると教室を出て行った。縁は呆然と立ち尽くし、バクバクと暴れそうになる心臓をぎゅっと押さえる。
猛琉が自らの友人に、落研のことを話していたというのか。しかも楽しそうに、縁のことを師匠と呼んでいることまで。
落研を存続させたい。そんな縁の願望のために半ば無理矢理誘ったことに対して、少なからず負い目があったことを今更ながら思い知る。まさか猛琉が落研での活動を、そんな風に感じてくれていたなんて。
居ても立ってもいられず、縁は旧校舎までの道をひた走る。先ほどの男子生徒には猛琉の居場所を知らないと答えたが、どういうわけだか彼が今いる場所について確信があった。
旧校舎で初めて猛琉とまともに顔を会わせた時のように、音を立てて空き教室の引戸をスライドさせる。どれだけ掃除しても埃っぽいニオイがする教室の中、彼はやはりそこに座っていた。



