廃部寸前の落研部員、天賦の才を持つ一軍男子にあふ事


「手をパン、パンと二回叩いてアジャラカモク……アジャラカ……ええと」
「アジャラカモクレン、テケレッツのパー」
「あ、そうだ。アジャラカモクレン、テケレッツのパーと唱えて」

 高校二年一学期の期末テストが終わり、夏休みも目前に控えた七月の放課後。夏の暑さを凍らせたペットボトルと塩飴で誤魔化しながら、縁は猛琉に稽古をつけていた。

「無理無理、覚えらんねえって! 台本あんだろうが、貸してくれよ」
「駄目だ。前も言っただろ? 楠見が最初にここに来た時に見たアレは、俺が趣味の範囲で名人の話し方を書き起こしたものなんだ。基本的に落語の稽古っていうのは口移しで、師匠から弟子に口伝で芸を受け継いでいくんだよ。だから、台本なんて使わない」
「そうは言ってもよ、俺は頭悪いから……」

 縁が泣き落としと週二回の学食Aランチ奢りという餌で無理矢理入部させたこの一軍陽キャ、楠見猛琉は思いの外素直に稽古に出てきてくれている。
 事あるごとに自分はバカだからと口にするが、縁はそうは思わない。天性の表現力と演技力、そして抜群の見た目の良さによる『華』。
 彼は縁が持たないもののすべてを、生まれながらにして持っているのだ。

「またそんなこと言って! だから、楠見は本当に天才なんだって! 俺が言うんだから間違いない」
「でも、なあ」
「デモもストもないんだよ! やれったらやれ! 天才には、己の才能を世間様に示す義務がある!」
「スト……?」

 縁の言い回しに首を傾げ、猛琉は正座を崩して座布団の上にあぐらをかく。
 最初こそ、うっかり入部してしまっただけで落語なんか興味ありません、という気配を隠そうともしなかった彼。だが己を天才だ何だと持ち上げてくる縁の熱量に面食らったからなのか、今は生温かい眼差しでこちらの奇抜な言動を見守っている。

「てか、そもそも稽古の時間が長過ぎ。今日はツレと女のコのグループで期末終わりの打ち上げに行くのに、間に合わなかったらどう責任取ってくれるんだよ」
「打ち上げって、んな、バッチリ青春してやがるな陽キャめ……」
「何かこの噺自体タイトルからして暗いし、やる気出ねーっつの」

 塩飴を一粒口の中に放り込み、仏頂面で猛琉がぼやく。縁は『死神』という噺の粗筋を思い浮かべながら、「その気持ちは分からないでもない」と返した。

「死神の見せ所はいくつかあるけど、見ているお客に一番衝撃を与えるのは最後、演者が倒れるところだ。寿命を示す蝋燭の火を何とかして移したい、でも緊張と精神的なプレッシャーで手は震えるし冷や汗は出る。そんな極限状態の中、とうとう火が消えてしまってパッタリ……と」
「大体、オチがエグいんだよな。俺、落語って笑える話ばっかりだと思ってたけど」
「落語にはいわゆる怪談噺も結構多いんだ。昔は冷房なんか無かったから、こういうゾッとする話も夏場に需要があったんだろうな」
「ふーん。で、何でこれを練習する必要があるんだ? 肝心の文化祭で死神はやらないんだろ? さすがに内容が重過ぎるもんな」
「宝石研磨だよ。楠見の才能は天性のものだけど、だからこそそのまま放っておけない。まずは表現力と演技力が求められるこの噺で観客に訴えかける力を確実なものにして、それから本番の噺の稽古に移ろう」

 縁は自分で言いながら、ワクワクする気持ちを抑えられずにいた。宝石どころか怪物級の素材を、この手でどこまで磨けるか。神が人間界に与え給うた天才を世の中に知らしめるのは、彼を最初に見つけた自分の使命である。

「……お前変な奴だな、マジで。教室にいる時は全然分かんなかったけど」
「何か言った?」
「いや。じゃ、もう一回最初からやってみるから、師匠はそこで見といてくれよ」
「し、ししし、師匠!? 俺が?」
「あ? 何だよ、落語ってのは師匠から弟子に芸を伝えるもんだって、お前が言ったんだろ。お前が師匠で俺が弟子。何か間違ってるか?」
「いや、そういうわけじゃなくて、師匠って……うん、いい響きだな……」

 自然かつ直球に師匠と呼ばれ、縁は雷に打たれたような衝撃を覚える。同時に、今までの人生で味わったことのない優越感が体の奥底から湧き上がってきた。

「ああ、生きてるのが嫌になっちまった。こうなりゃ、かかあの言う通り死んじまうか。おお、あそこにいい木があるじゃあねえか、あれで首でも括って……おい師匠、聞いてんのかよ」
「ん? うん、聞いてる、聞いてる。気にせず続けてくれ。ショウ・マスト・ゴー・オンだ」
「また俺の知らん言葉を……」

 明らかに妙なテンションの縁に冷めた目を向けながらも、猛琉は再び口を開く。形の整った唇から流暢に紡がれる言葉の奔流に、縁は確信を深めていた。
 これはいける。今年の文化祭、落研の高座は間違いなく成功する。
 自然と上がる己の口角を、縁はいつまでも下げられずにいた。